-06</memory> <sleep>

 全身に電流が走り、万能感が守哉の体を満たしていく。モノクロになった世界の中で、まっすぐに見据える綿津野の姿だけが鮮やかだ。渾身の力で一歩踏み込み大地を蹴れば、守哉の体は風を切って疾駆する。融機組織レクシーズによって強化された脚が、それを可能にする。

 綿津野の血走った目が守哉を睨み、懐に飛び込もうとする守哉に向けて盾を展開しようとしている。激突の衝撃でダメージを与えるつもりなのだろう。

 なぜ綿津野が視界加速のスピードについて来られるのかはわからない。だが、たとえついてこられたとしても、守哉と補助頭脳の前には無意味だ。意識せずとも守哉の体は盾をするりと避ける――完全自動回避フルオート・ドッジ

「はあああっ!!」

 振り下ろした一撃が、盾ごと、綿津野の左腕を切り落とした。

「ぐうっ……!」

 苦悶の表情を浮かべよろめく綿津野の背に追い打ちのナイフが突き刺さり、さらには左肩に銃弾がめり込んだ。恭介と一之瀬の攻撃によって、白衣が赤黒く染まる。アスファルトに膝をつき、残った左手で体を支える綿津野は、もはや満身創痍だった。

「俺たちの勝ちだ」

 守哉は、切っ先を綿津野の喉仏に突きつける。

「残念だわぁ」

 その一言を最後に、夜にふさわしい静寂が満ちた。聞こえるのは遠く、波音だけ。

 危機は去った。誰もがそう確信した。だがそれでも、未だ誰もが緊張のただ中にいた。

「殺さないの?」

 ただ、守哉に問いかける綿津野だけが、いびつな笑みを浮かべている。

「別に私を殺したって、あなたたちにとっては職務の一環にすぎないわ。罪に問われたりはしないはずよぉ」

 守哉の手は震えていた。心臓がばくばくと跳ねてうるさい。

「……殺すほどの理由はない」

「それ、本気で言ってるのぉ?」

 綿津野は自らの命を守哉に握られてなお、余裕ぶった態度を崩さない。死を恐れていないかのようにも思える。

「でもねぇ、守哉くん。あなた、これから生まれ来る子供たちの命をすべて奪おうっていうのに、私一人も殺せないなんて、覚悟が足りないんじゃないかしら? 未那美ちゃんを救うというのは、そういうことだって、わかってる?」

「……っ!」

 突然、全身が熱気に晒された。唯一破壊されていなかった綿津野の左足のブースターが火を噴いたのだ。綿津野は糸で吊られた人形のような不自然な動きで宙へ飛び、みるみるうちに守哉の頭上へと移動していく。

「あなたたちが何をしようと、未那美ちゃんは自分から神威ノ宮に戻る。そういう運命なのよ」

「待て!」

 高く宙に舞った綿津野は廃倉庫の屋根に飛び乗り、冷えきった鉛のような目で守哉たちを見下ろした。

「じゃあねぇ、親衛隊のお子様たち。縁があったら、また会いましょう」

「待てっ、綿津野!!」

 守哉の叫びも虚しく、血染めの白衣は闇の奥へ消えていく。

「逃がすか!」

「天橋さん!!」

 綿津野を追おうとする守哉を止めたのは、未那美の悲痛な声だった。

「鹿島さんが……!」

 振り返ると、倒れて動かなくなっている恭介の姿が目に入り――血の気が引いた。

「……恭、介」

 彼の名を呼んだその瞬間、体が傾き、守哉の視界はそのまま暗転した。


     ■


 補助頭脳を取り付けてから数時間。歩ける程度にまで回復した守哉は、自室に戻ることにした。すでに日付をまたいでいる。出生省の四階、踊り場と通路を隔てるガラスの扉を開くと、そこが親衛隊の寮だ。同室の恭介はもう休んでいるだろうと考えていたが、自室の引き戸に手をかけると、部屋の中からランプの明かりが漏れてきた。

「ずいぶん遅かったな。何かあったのか?」

 振り返らずにそう言う恭介は、机の上の整頓をしているようだ。

「昨日お前が作ってくれたカレーがまだ残っている。夕食がまだなら食べるといい」

「……食欲ないから、いい」

 守哉はしっかりと声を張ったつもりでいたが、実際には蚊の鳴くような声しか出ていなかった。

「どうしたのだ、守哉」

 恭介が振り向くと、守哉の心は重く暗く沈む。心優しいルームメイトが今の守哉を見れば、心配し、嘆き、そして怒るのが目に見えている。

「なんだ、その頭! 一体何があったのだ」

 ぐるぐると包帯が巻かれた頭。顔の右半分も隠されている。包帯の上からでも、右こめかみが不自然に盛り上がっているのがわかるだろう。

「お前をそんなふうにした奴は誰だ。私が報いを与えてやる」

「無理だ。やったのは淡路博士だからな」

「……お前、何をされたのだ。淡路博士が親衛隊員にまともなことをするはずがない。あの女はナミのためと言っては私たちを新型融機組織レクシーズの実験台にしようとする外道だぞ」

「……ああ、そうだな。まさにその通りだ」

 煮え切らない守哉の態度に腹を立てたのか、恭介は額を隠す包帯をむしりとった。

「なんだ、これは」

 現れたのは無骨な融機組織レクシーズ。紫色に内出血した右こめかみはグロテスクでさえある。

「まさか、ネオ・ロボトミー……なのか……?」

「よく知ってるな、さすが恭介だ」

「馬鹿な! なぜ承諾したのだ? こんな悪辣な人体実験を!」

「……恭介。お前はナミをどう思う?」

 守哉は俯いたまま、弱々しい声で尋ねる。

「……ナミは、私たちが守らなければならないもの。それ以上でも以下でもない」

「ナミシステム……ライフ・キャンサーのせいで試験管ベビーも成り立たない現状で、新たに子どもを産むことができる唯一の融草機構シルクィーズ。ライフ・キャンサーに対し抗体を持つ女性を探し出し、その女性の腹を使って一年間に百人の子どもを産ませるんだそうだ」

「女性の腹を使う……? 生きた人間の女性の?」

「……ナミのコアに選ばれた女性は、どうなるんだろうな」

 恭介の目は驚きに見開かれている。親衛隊は、ナミシステムの核心を知らない。『ナミシステムとは、子供を産むために作られた、よくできた機械である』といった程度の認識しかない。淡路に知らされるまでの守哉がそうであったように。

「……妹が」

 守哉の声は震えていた。

「俺の妹が、ナミになり得るって言うんだ」

 守哉の目は何物も映していない。焦点が合わず、視界はぶれている。青ざめた恭介の顔も見えていない。

「綾が、死ぬかもしれないんだ……」

 かすれた声。恭介は冷静に尋ねた。

「どうしてそんな話を信じたのだ? お前が妹を大切に思っているのは知っている。だが、淡路博士の言葉が本当かどうかを確かめるすべはないだろう」

「でも、もし本当だったら、どうしたらいいんだ」

「それは可能性の話にすぎない」

「……可能性があるだけで十分怖いんだ」

 恭介が言葉に詰まるのが見て取れた。

「俺たちはナミ候補の女性のことを全く知らない。ナミ候補は厳重に匿われている。いざ稼働の日になって、コアとして現れたのが、もしも綾だったら……俺はどうしたらいいんだ」

 喉が熱い。ひどい動悸がする。

「俺たちは両親に捨てられたんだ。俺には綾しかいないし、綾にも俺しかいないんだ。二人だけの兄妹なんだ」

 苦しみから興奮状態に陥り、涙腺が刺激され、涙が流れる。

「恭介、俺はどうしたらよかったんだ」

 守哉は、「どうしたらいい」「どうしたらよかったんだ」とうわ言のように繰り返す。

「俺は、どうしたらいいんだ……」

 補助頭脳は守哉の疑問に答えることができない。


 その機能は搭載されていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る