-02-


 ぐずついた空は今にも泣き出しそうな灰色。ひゅうひゅうと冷たい風が鳴き、運河を流れる水音をかき消す。

「……貴様に銃など効かぬだろうが」

 玄関先に出るなり、一之瀬は守哉にハンドガンを突きつけた。

「鹿島や御角がどう思おうが関係ない。天橋、貴様が未那美様を神威ノ宮へ連れ帰らないと言うのならば、自分は貴様を撃つ」

〈守哉、数秒間視界加速ヴィジョン・アクセルを使えば銃弾は回避できます〉

(わかってる)

「神威ノ宮に帰らなければ、自分たちに未来はない」

「どうしてそう言い切れる」

「自分たちは皆、はみ出し者だ。将来を望まれて生まれてきたにもかかわらず、家族に見切りをつけられ居場所を失った。そんな自分たちを拾い上げ、生きる意味を与えてくれたのは神威ノ宮だ……貴様は覚えておらぬだろうが、貴様の家に両親がいないのは、そういうことだ」

 守哉には返す言葉がなかった。親のこと? まるで思い出せない。綾に出会ったときに感じた情のようなものも湧いてこない。

「宮は、自分たちに暖かな寝床と食事と仕事を与えてくれた。それ以上に望むことなどあってはならぬ。自分たちは言われたとおりのことだけをしていればいい。天橋、貴様が余計なことをしなければ、鹿島が窮地に陥ることもなかった――貴様は自分たちの居場所を脅かす」

 一之瀬の右目が変色し、金色に輝きだした。

〈型式番号E63、通称『射手の魔眼』。銃火器の照準補佐を行う融機組織レクシーズです〉

「天橋、未那美様を宮へ帰すと言え。言わぬならば撃つ」

「それはできない。伊佐を神威ノ宮へ帰せば、伊佐は死ぬ……」

「未那美様を返さなければ、自分たち全員が死ぬ可能性すらあるんだぞ!」

「そんなことはないさ」

 一之瀬に答えたのは、道路の向こうの人影だった。くわえたパイプを手で支え、紫煙をくゆらせながら近づいてくる女。

「待たせたな、守哉」

「淡路、博士……」

 昨日とは異なり、淡路はライダースジャケットにジーンズという出で立ちだった。

「一之瀬、心配するな。お前たちが公安に異動できるよう、あらかじめ取り計らっておいた。未那美が神威を去ったところで、今後のお前たちの生活に支障はない」

「貴様の言葉を信じると思うか? このマッドサイエンティストめ」

「おいおい、やめてくれないか。私は科学者サイエンティストじゃあない。機工士だ」

 一之瀬は右目を金色に光らせながら、険しい顔で淡路を睨みつけている――銃口は、守哉に向けたまま。しかし淡路はまるで気に留める様子もなく、守哉に声をかけた。

「改造蒸気二輪の準備はできた。未那美と綾さんを呼んできてくれ。出発だ」

「……どこへ?」

「南へ。海にぶち当たるまで走り、さらに海峡を越える。そのための改造だからな」

「そうはいかぬ!」

 一之瀬は銃口を淡路に向け変えた。

「淡路博士、これは脅しではない」

「ほう。上司を撃って許されると思うのか?」

「淡路博士が未那美様を連れ去ろうとしたため、やむを得ず撃った。長官にはそう報告する」

 眉間にシワを寄せる一之瀬。だが淡路が動じる様子はない。

「銀次。お前、自分はもう汚れきっているとかくだらない事を考えているんじゃあないか?」

 一之瀬の眉がぴくりと動く。

「友人たちのために汚れ役を買って出ようとは見上げた奴だ。だがなあ、まだお前は『どうすべきか』で物事を考える歳じゃあない。『どうしたいか』で考えろ」

「……貴様を殺してでも、平穏を手に入れる」

「それならさっさと撃てばいいだろう?」

 一之瀬の表情がさらに険しくなる。迷っているのは明らかだ。

「銀次、お前はどこまでも善人だ。偽悪的に振る舞うことはできても、悪にはなれない。お前は絶対に人を殺せない。何故なら――」

「黙れッ!!」

 怒鳴り声は震えていた。淡路を睨みつける一之瀬の顔には、憎悪と、そして何故か恐怖がありありと刻まれている。

「守哉、銀次を黙らせてくれないか。私は未那美と綾さんを迎えに行く」

 だが、守哉は動けない。どうしたらいいのかわからない――どうしたいのかも、わからない。

〈守哉、伊佐未那美を神威から脱出させるためには、淡路博士に協力しなければなりません〉

(わかってる。わかってる……でも……)

 未那美を守るべく、綿津野と必死に戦う親衛隊の姿に嘘はなかった。未那美が撃たれた時、一之瀬が怒りを露わにしたのも見た。

 淡路も、親衛隊も、己の信念に従って未那美を守ろうとしているとわかる。

 それゆえに――守哉の胸のうちにある天秤は、ただ無心に未那美だけを守ろうとしていたときとは、違ってしまっていた。

(どうすれば)

「未那美様を渡すわけにはいかぬ!」

 守哉が逡巡した一瞬に、パァンと乾いた音がした。

「なっ……」

 脇腹が、真っ赤に染まっている。一之瀬の、脇腹が。

「一之瀬!!」

 守哉は思わずくずおれた一之瀬を助け起こしたが、彼の顔はみるみる血の気を失っていく。

 顔を上げて見た淡路は、拳銃を手にしていた。その銃口が白い煙を吐き出している。

 撃ったのだ。一之瀬を、淡路が。

「邪魔をしないでもらいたい」

 冷酷な眼差しに射抜かれ、守哉は淡路をただ見つめることしかできない。

「天橋さん!」

 玄関の扉が勢い良く開かれ、家の中から未那美と綾が飛び出してきた。

「銃声が聞こえたから、何かあったのかと思っ……て……」

 倒れている一之瀬を見た二人は短い悲鳴をあげた。

「あ……あたし、御角さんを呼んでくる!」

 震える声でそう言うと、綾は家の中へと駆け込んだ。

怯えながら、未那美が問う。

「淡路博士が、撃ったんですか……?」

「そうだ。この期に及んでお前を宮へ連れ帰るとか言い出したんでな」

「で、でも……撃つ、なんて……」

淡路と一之瀬を交互に見つめる未那美の目尻には、涙が浮かんでいた。

「智長がいれば大丈夫さ。ところで未那美、準備はできてるか? 荷物を持ったら、そこの二輪に乗り込め。天橋、お前は私の後ろだぞ」

 淡路が運んできた、巨大な改造蒸気二輪――大きな車体に、これまた大きなサイドカーがひとつ。運転手の後ろに一人、サイドカーには二人乗り込めそうだ。

「綾さんを連れてくるから、先に乗っていなさい」

「待……て……」

 守哉に抱えられながらも、一之瀬は、激しい怒りを宿した目で淡路を睨みつけている。

「まったく……お前は真面目だな、銀次。なら、こう言えば納得するか?」

 淡路が振り返り、顔色ひとつ変えないまま、一之瀬を見下ろした。

「守るべき未那美がいなければ、親衛隊の仕事はない。親衛隊はもう解散だ」

「そんな、馬鹿なことが、あるものか……」

「神威ノ宮にすがるのはもうやめろ。お前たちなら宮の庇護がなくたって――」

 淡路の言葉はそこでかき消された。激しい蒸気の音。見覚えのない蒸気四輪が、白い煙を吐き出しながら走ってきた。まるで喪に服しているかのように黒いその車は、守哉の家の前でゆっくりと止まった。その悠々とした姿に全員が目を奪われ――淡路は、大きく舌打ちをした。

 重そうなドアを開いて運転席から出てきたのは、スーツ姿の男。黒い髪を丁寧に切り揃え、背筋を伸ばしてしゃんと立っている。甘い顔立ちなのに隙がない。

彼はネクタイの曲がりを正すと、優しい声で言った。

「迎えに来たよ、未那美」

 その場にいた全員が、男を見つめた。

〈伊佐修司、神威ノ宮出生省長官。ナミシステムの責任者です〉

 長官――補助頭脳の言葉は腑に落ちた。目の前の男が纏う雰囲気、醸し出す威厳は、人の上に立つ者のそれだ。

 だが、問題はそこではない。

(伊佐、修司?)

「――お父さん」

 図らずも、未那美が守哉の疑問に答えた。

 黒い髪に黒い瞳、優しげな目元――確かに、似ている。

「未那美、帰ろう。ナミシステム本格稼働の前に検査をしないといけないしな。ちょっと人手が足りないが、心配はいらないよ。私も研究者だからね」

 落ち着いた声音で発せられるその言葉に、未那美は狼狽しているように見えた。

「……ところで、この状況は? 一之瀬は負傷しているのか?」

 伊佐は一之瀬に歩み寄ると、赤く染まる彼の脇腹を見て表情を暗くした。

「……銃撃痕。御角はどこに?」

「銀次っ!」

 家の中から血相を変えて飛び出してきた御角は、一も二もなく一之瀬に駆け寄った。自分の手が血まみれになるのも構わず脇腹に触れると、暖かな光が一之瀬の傷を塞ぐ。

 力ない声で「助かった」と一之瀬が答える。幸いにも命に別状はなさそうで、守哉は内心ほっとした。

 だがその安堵も、すぐに打ち破られた。

「撃ったのは誰だ?」

 凄みのある声で、伊佐が問う。

「……天橋、君か?」

「私です」

 守哉が否定するよりも先に淡路が名乗り出た。伊佐が眉間に怒りをにじませて淡路を睨みつけると、空気が一層張り詰めた。

「淡路、何を考えているんだ。子供は未来への希望。我々が傷つけていい存在ではない。未那美を連れ去ったことといい、君の行動は私の理解を超えている」

「理解できないというのですか? 未那美の父親であるあなたが」

 声音こそ落ち着いているものの、淡路の顔は激しい怒りに歪んでいる。

「あなたは未那美をただ子供を産み続けるだけの道具にしようとしている。それも、未那美の気持ちを無視してです」

「そんなことはない。先日、未那美は私と同じ気持ちだと言ってくれた。彼那子の、母のあとを継ぎ、ナミになると」

「それは、あなたがそれ以外の未来を未那美に示さなかったからです! ずっとあの部屋に閉じ込めて、思想教育を施した結果です!」

一之瀬を撃った時ですら涼しい顔をしていた淡路が、声を荒らげた。

「あなたは自分の子供がどのように生き、どのように成長していくのか見届けたいとは思わないのですか!?」

「未那美の将来を惜しむ気持ちがないとは言わない。親馬鹿と言われるだろうが、未那美はやさしく聡明で、自慢の娘だ。このまま成長していくさまを見られたらどんなに幸せだろうかと思う」

「ならば何故!!」

「それが、妻の願いだからだ」

 そう答える伊佐の声に滲む感情は、紛れもなく、悲しみだった。

「ナミは人類存続のための希望だ。妻は先代ナミとして、娘にあとを継いで欲しいと言ったんだ。私は、妻の願いを叶える」

「今を生きている者よりも、死者の言葉を優先するのですか!?」

「……淡路、何故そこまで未那美のために躍起になる? 君は出生省の役人のひとりにすぎないというのに……君が未那美に入れ込む理由がわからない」

「この十六年、未那美を教育してきたのは私です。未那美の将来について、私にも責任があります」

「ならばこう言おう。これは親子の問題だ。縁者でもない君は黙っていてくれないか」

 伊佐はまるで聞く耳をもたない。淡路は伊佐を怒りの形相で睨みつけ、ぎりりと歯噛みしている。

 淡路との話は終わったとばかりに、伊佐は未那美のほうを見た。一方、未那美は、父である伊佐と淡路の間で視線をさまよわせている。

「未那美、お前は以前言っていたね。私と同じ気持ちだと……母の遺言に従うと」

「……はい、言いました」

 未那美は小さな声でつぶやく。その様子を見て、一呼吸置いてから、伊佐は優しく言葉を返す。

「今になって気が変わったというのなら、それでも構わないんだ。その時は、ナミの役目を他の人に代わってもらうことになるけれど」

「……ほかの、人」

 未那美がそうつぶやいた瞬間、守哉の頭にひどい痛みが走った。その鋭さに守哉の体は平衡を失い、膝から地面に崩れ落ちた。

「天橋さん!?」

 名を呼ぶ声は遠い。視界が激しくぶれ、頭に無数の痛みが突き刺さり――

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