-03-

 刹那、恭介はもう守哉の懐に飛び込んでいた。

「……っ!?」

 大きく吹き飛ばされた。声にならない声が、血と共に漏れる。

 旋風が砂埃を巻き上げただけに見えたのに、守哉はいつの間にか腹に強烈な一撃をもらっていた。

〈ダメージが内臓に到達しています。これ以上の戦闘は危険です〉

(あの動きはなんだ。まるで見えなかった)

〈磁力による超加速――あらかじめ蓄えておいた電気を放出し磁場を形成、標的と自分の間に強い磁力を発生させ、一瞬で相手の元へ飛び込むという技術です〉

 歪む視界の先に、また地面を踏み鳴らそうとする恭介の姿があった。このまま地面に押さえつけられたら終わりだ。そうなる前に、こちらが戦いの主導権を握らなければならない。

 痛みを強引に感覚の外へ追いやって立ち上がり、叫ぶ。

「オーダー、視界加速ヴィジョン・アクセル!」

 痛みに霞んでいた視野が変貌する。世界は灰色に変わる。ただ、恭介の――敵の姿だけが、鮮やかに浮かび上がる。

 恭介はまだ通常速の世界にいる。しかし、彼の靴底と地面の隙間はもうわずかだった。確実に、恭介は守哉に追いついてくる。正面から突っ込めばカウンターの一撃を見舞われるだろう。恭介の瞳は青い電光を閃かせ、守哉の姿を射止めていた。

 恭介の左足が、地面を強く蹴る。

(今だ――!)

 守哉は、迫る恭介を目前にして、思い切り力を込めて右足で地を踏んだ。守哉は横っ飛びで大きく左に避け、恭介の攻撃の射線から外れる。唐突に逸れた磁力についていけない恭介は、通常のスピードの世界に引き戻された。一瞬――守哉にとっては数秒間――恭介の動きが止まる。

 背後をとった。恭介の肩を隠す髪もろとも、彼の背中に掌底を食らわせる。

「ぐっ!」

 恭介は前のめりに倒れ、地面に伏した。

 視界加速はすでに終了している。あとは、恭介の体を押さえつければ守哉の勝利だ。

 だが――

「……守哉、本当に覚えてないんだね」

 御角の悲しげなつぶやきが、運河の奏でる水音に溶けた。

「私の髪に触るなんて、馬鹿なやつだ」

 確かに、恭介は地面にうつ伏せに倒れた。

 しかし、守哉もその場に膝をついた。体中がしびれ動けない。しかも、右腕がひどく焼けただれている。

「なんだ、これは……」

 恭介がよろめきつつも立ち上がると、彼の長い髪が一度青白く発光し、やがて元の黒に戻った。

「勝手に発生する電流を髪にためているのだ。そうしないと、指向性のない電撃があちこちに飛んでしまってどうにもならないのだ」

 長い黒髪は、何事もなかったかのように風に揺れている。

 敗北したのは、守哉だった。

 恭介はゆっくりと、膝をついた守哉の方へと近づき、守哉の襟首を掴もうとその手を伸ばす。

――しかし、その手を遮った者があった。

「もう、やめてください!」

 両腕を目いっぱいに広げ、守哉をかばって立ちふさがったのは、未那美だった。

 群衆はみな、あっけにとられた。守哉と恭介の間には未だ戦いの緊張がみなぎっているにも関わらず、彼女はそれを無理矢理に引き裂いて、その場に割り込んできた。

「いくら未那美様でも、男の戦いに水を差すのは感心しませんね」

 輪から進み出て相馬が言った。しかし、未那美が聞き入れる様子はない。

「男の人には、どうしようもなくて、お互いの拳でしか解決できない時があるって、本で読みました。でも、今はその時じゃないはずです」

「フィクションと現実を混同してますよ。戦うのは相手を力でねじ伏せる必要があるからです」

 相馬は飄々とした態度を崩さない。だが自分をキッと睨みつけた未那美を見て、お、と軽く驚いた表情を見せた。

「最初は怖くて、やめて、とも言えなかった。けど、やっぱり、だめです。二人が本当に、お互いに怒っていることがあって、それで喧嘩になったのならわかります。でも、そうじゃないですよね……鹿島さん」

 未那美は、悲しげな瞳でまっすぐに恭介を見つめる。

「鹿島さん、あなたが本当に怒っているんなら、そんなつらそうな顔しないはずです」

「……っ」

 恭介は未那美から目を背けた。守哉を殴った拳を、血が滲むほどに握りしめている。

「口を出したのがいけないというのなら、謝ります。天橋さんの代わりに、わたしを殴ってください……喧嘩しないでください。お二人は、友達なんでしょう?」

 恭介は未那美と目を合わせようとしない。

「……未那美様に手をあげるなど、ありえません」

 恭介は、握りしめていた拳を開いた。そして、地面に膝をついたままの守哉に視線をやった後、背を向けた。恭介が何も言わずとも、一之瀬、相馬、御角の三人は彼のそばに付き従う。

「……未那美様、今日の夜十二時にお迎えに上がります。守哉、それまでに考えておくのだ。自分の妹と、未那美様と、どちらを選ぶのか」

 観衆の輪をほどいて、四人は去っていく。動けない守哉には、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。

「天橋さん、一度お家に戻りましょう。どなたか、手を貸していただけませんか」

 未那美が声をあげると、すぐに住民たちが駆け寄ってきて、守哉を助け起こしてくれた。

「だい、じょうぶだ。もう動ける」

「天橋さん……」

「すみません、みなさん。俺、ちょっとやっかいなことに巻き込まれてるんです。みなさんに迷惑がかかるといけないから、構わないでください」

 そっと手を払うと、守哉はひとり歩き出した。

「守哉、なにか困ったことがあるんなら相談しろ。この街の人間は、全員お前の味方だからな」

 誰が言ったのか、背中にかけられる言葉に胸が締め付けられた。だからこそ、守哉はひとりで家に戻ろうとする。駆け寄ってくる未那美の手も借りずに。


 いつの間にか青い空はなりを潜め、黒雲が満ちていた。陽光は遮られ、昼間とは思えないほどに暗い。

 曇天の家路は、ひどく長いものに思えた。運河沿いにあるはずの自宅が遠い。何度も未那美が手を貸そうとしてくれたが、その度に守哉は彼女から離れた。

「天橋、さん……」

 未那美の声にも耳を貸さず、守哉は歩いて行く。


 ようやく家が近くなってきたところで、軒先で言い争う二つの人影が見えた。

「綾……と、誰だ」

 いい加減に染められた金髪は、だらしなく一つに結っただけ。やけにレトロなベージュのトレンチコートから、黒いストッキングを履いた脚がすらりと伸びている。

〈視覚データ照合……淡路十和子あわじとわこと一致〉

「淡路博士!」

 女に駆け寄る未那美の声には、安堵と喜びがありありと滲んでいた。

「あの人が、淡路、十和子……博士」

――ノイズ混じりのひどい耳鳴りと共に、脳裏によぎるイメージ。

 金髪、白衣、紫煙。年季の入ったパイプ。

 明るすぎるほどに明るい、白い部屋。

(淡路博士。こいつは……)

 記憶の中に焼き付いた、女の姿。

(俺に、補助頭脳を、植えつけた奴だ……)

 全身が、ひどく緊張して震える。

「未那美、どこも怪我はしていないか? 守哉が守ってくれたとは思うが」

 しかし守哉の覚えた恐怖とは裏腹に、淡路の声はやさしい。

「はい、わたしは大丈夫です。でも……」

「守哉、お前はどうだ?」

 語尾のかすれたハスキーな声が守哉を呼んだ。未那美が心配そうに振り返るが、恭介に付けられた左頬の傷はもうない。頭痛は無視する。

「俺は、問題ありません」

「そいつは重畳……なあ、家に上がってもいいか? 立ち話は疲れるんだが」

「あなた、本当に伊佐ちゃんの知り合いなんですか?」

 綾は険しい顔で淡路を睨みつけている。無理もない。淡路は全身から煙草の匂いを漂わせているし、化粧も、過剰と思えるほどに厚い。未那美の知り合い、つまり神威ノ宮の役人にしては、風貌がいかがわしいのだ。

「綾さん、大丈夫です。淡路博士は良い方ですから」

「……伊佐ちゃんが、そう言うなら」

 まだ納得したという様子ではなかったが、綾は玄関のドアを大きく開けた。

「邪険に扱ってすみませんでした。どうぞ」

「警戒心が強いのは悪いことじゃあないさ。失礼するよ」

 未那美は安心しきった表情で淡路についていく。疑うことなど全くない、無垢な瞳で。

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