-04</memory> <sleep>

「さて、何から話そうか」

 リビングのソファに腰かけるなり、淡路は懐からパイプを取り出して火を点けた。

「さっき、派手にやっていたようだったからね。準備が整うまで出てくるつもりはなかったんだが、心配になって見に来たというわけさ」

 守哉は必死に次の言葉を探した。綾には記憶喪失であることを知られないようにしつつ、淡路とも会話を成立させなければならない。そもそも淡路は、守哉が記憶を失ったことを知っているのだろうか。

 あれこれ悩んでいるうちに、淡路が再び話し始めた。

「職員たちをだまくらかして出てくるのは簡単だった。明日の昼頃には迎えに来られるだろう。身一つで出て行くことになるだろうから、一番お気に入りの服を着ておけよ。綾さんもな」

「あたしも? ……あなた、何言ってるんですか?」

 綾は眉間のシワを深め、苛立ちを隠そうともしない。

「聞いてないのか? お前たち三人は、明日海を越えて、神威を脱出するんだ」

「はぁ? あたしはこの街を出て行く気なんてこれっぽっちもないんですけど」

「ふむ。それなら、天橋綾さん。お前の命はもってあと一年かもしれないぞ」

「……は?」

 綾は淡路に猜疑の目を向ける。

「なんだ、守哉。何も話していないのか。妹に説明しないでどうする。未那美は聞いたか?」

 未那美は、弱々しく首を振った。

「……守哉。お前、どうするつもりなんだ?」

――どうするつもりなんだ。

 淡路の問いの意味がわからない。頭の中がぐちゃぐちゃだ。


「自分の妹と、未那美様と、どちらを選ぶのか」

 恭介は確かに、そう尋ねた。


 神威から逃げ出さなければ、綾の命はあと一年。

(俺はそのことを知ってたのか?)

〈はい〉

 無機質な肯定。

 守哉の喉はまるで動かず、何か言葉を発そうとしても、陸に上がった魚のように口をぱくぱくさせることしかできなかった。

「妹に何も話さずに解決する。いいか、天橋。その場合、考えられる手段は二つだ。一つ目、未那美を神威ノ宮に帰す。二つ目、ナミを破壊する。前者を選択するなら、私とお前の共闘はここで終わりだ。私はお前を排除してでも未那美を神威の外に連れ出す」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 綾が口を挟んだ。

「ナミを破壊するってどういうこと? ナミって、ナミシステムでしょ? そんなことしたら、これから先、子供が生まれなくなっちゃうじゃん。ただでさえあたしたちの代を最後に子供は生まれてないっていうのに」

「そうだ。お前たちの世代を最後にナミからは子供が生まれていない。この十六年、どうしても一つだけパーツが足りなかったからな」

「じゃあ、そのパーツを作ればいいじゃん」

「まさに機工士の考えだな。私も機工士だが」

 淡路はふうっ、と煙を吐いた。

「そう。神威ノ宮は研究を重ね、十六年かけて、パーツ――ナミシステムの『コア』を作った」

 悪寒がした。背中を、怖気が這う。

「ライフ・キャンサーに対する抗体を持ち、かつ生殖能力を有する、若く健康な女性」

――その先を、聞きたくない。


「それが、未那美だ」


 再び、淡路はパイプをくわえ、宙に煙を吐く。

 綾は呆然としていたが、しばらくすると勢い良く未那美の方へ向き直った。

「伊佐ちゃん……冗談だよね?」

 未那美はうつむき、黙して語らない。

「未那美は来月システムに組み込まれる予定だ」

 動揺する綾。対して、淡路の物言いは冷淡とも思えるほどに静かだ。

融機組織レクシーズじゃダメなの? 生身の人間じゃなきゃダメなの?」

「子宮の融機組織レクシーズが実用レベルに達していれば、ナミのような大掛かりな装置はいらない」

 綾は下を向いて、わなわなと肩を震わせている。もう反論材料がないらしい。

 落日以降、生殖能力を失った人類は、新たな子供を産む方法を模索した。胎児がライフ・キャンサーに感染しないように防護しながら、成長させる方法。

 そのうち、ここ神威で作られたのが、『ナミシステム』。

 融草機構シルクィーズと機械を組み合わせた巨大シリンダーの中に、ライフ・キャンサーが侵入できないよう微弱電流を流した培養液を注ぎ込み、その中に、『コア』――天然の子宮を提供する女性の体を保存する。それが、クローンではない、オリジナルの、まったく新しい命を生み出せる唯一の方法。


『ですから、他の地域の連中やら、倫理に反するなどと主張する連中やらが、ナミシステムを狙って襲撃してくる可能性があるわけです。あなたたちは、そういった外敵からナミを守る親衛隊というわけです。わかりましたか?』

 神威ノ宮、出生省の庁舎、その一室。

 話しているのは、白衣に眼鏡の男――綿津野だ。

 守哉が親衛隊に配属されて最初に聞かされたのがこの話だった。そのときの綿津野は、確かに普通の喋り方をしていた気がする。


 記憶がぐちゃぐちゃに混ざり合う。背中を這うおぞましい何かが体の中に入って、心臓を食い荒らそうと群れる。補助頭脳は、なにも言わない。

「わたし、ずっとナミになるために生きてきたから……」

 ハッとした。顔を上げる。

 目に入ったのは、俯いた未那美の姿。

「じゃ、じゃあ、伊佐ちゃんの体を、コアとして使うってこと? そしたら、伊佐ちゃんはどうなるの?」

「先代……コアとしてお前たちの代理母となった女性は、ナミシステムの中で三日に一回子どもを産み、一年後に衰弱して死んだ」

 その言葉で、綾の表情は冷えきった。

「……それって……伊佐ちゃんに、死ねってことじゃん」

 淡路は、綾にはなにも答えず、守哉に尋ねた。

「守哉、これ以上のことを妹に伝えてもいいのか?」

 しかし淡路が何を話そうとしているのか、守哉には皆目見当がつかない。思考がまるで麻痺している。

「おい、守哉」

「……だめだ」

 淡路が何を綾に伝えようとしているのかはわからない。それでも、守哉の口からは自然と拒否の言葉が漏れた。そう言わせたのは、昨日も感じた――綾に心配をかけたくないという、理屈で説明できない思いだった。

「そうか。まあ、どうなるかわからんから、私は予定通り改造蒸気二輪をここに持ってくる。思ったより手間取っているが、明日の正午までには必ず来る。……それから、恭介から手紙を預かってきた」

 トレンチコートのポケットから取り出された手紙はくしゃくしゃだったが、封はしっかりとされていた。守哉は手紙を開く。

『五月十九日午前零時、神威第一築港にて待つ。未那美様と共に来い。鹿島恭介』

 それだけ、丁寧な文字で綴られていた。

「……なんであんたが、鹿島からの手紙を預かってるんだ」

「まだあいつらは私の裏切りに気がついていないからな。私は強情な未那美を説得しにきた宮の使者、というわけだ。まあ、早晩バレるだろうが」

「なら、あいつらにもう襲ってこないように言ってくれないか」

「勝つ自信がないのか? お前の能力は、五人の中でも飛び抜けているだろう」

 淡路はそう言うが、実感など持てるはずもない。残っているのは、二度の敗北の記憶だけなのだから。

「……戦わなくてすむんなら、そのほうがいいだろ」

 そして守哉は、ほぼ無意識に、未那美のほうを見やった。彼女は意外にも大胆で、かつ無防備だ。戦えばまた彼女を無用な危険に晒すことになってしまうだろう。

「残念だがそれは無理だ。裏切り者を痛めつけてでも未那美を取り戻せと、出生省長官から命令が出ているからな。だが、未那美を連れ帰る時刻は指定されている」

「どういうことだ?」

「長官の命令は、『五月十九日の朝、未那美を連れ戻せ』というものだ。それ以前に仕掛けられた攻撃は、親衛隊の独自判断か、あるいは、綿津野の命令か」

「なんでわざわざ時刻を指定するんだ。取り戻したいなら一刻も早く取り戻せばいいだろうが」

「強いて言えば、親心のつもりなんだろう。まったく、歪んでいる……」

 淡路は言葉尻を濁しつつ、ソファから立ち上がった。

「……さて、私はもう行く。準備が間に合わなくなっては元も子もない。親衛隊の予定はこうだ。手紙で指定された時刻、もう一度お前を説得にかかる。それでもダメなら、お前を再起不能になるまで痛めつけ、未那美を奪う。そして明日の朝、神威ノ宮へ帰還する」

「……なら、夜に親衛隊を倒せば、伊佐を連れ戻されずにすむのか」

「不安要素は他にもあるが、ひとまずそれしかないだろう」

「で、でもさ、実働部隊に指示を出すお上がいるわけでしょ? そのお上が諦めない限り、親衛隊だけを倒しても無駄じゃない?」

 綾の疑問はもっともだ。しかし淡路は、

「いや、それがな」

 と、ため息をつく。

「出生省は窓際部署なのさ。長官のほかには、ナミシステムを管理する職員が数人いるだけ。それなのに大きな庁舎をもっているものだから、本庁からは煙たがられていてな。というわけで、親衛隊さえ潰してしまえば、宮が未那美を狙ってくることはなくなる」

「神威ノ宮は、ナミシステムを重要視してないわけ?」

「わざわざ手間をかけて新たにオリジナルを生み出すより、優秀な人間のクローンを作ったほうが人類の未来のためというのがお偉いさんの見解さ」

「……それもどうなの」

 綾のつぶやきを最後に、場は沈黙に支配された。聞こえるのは、淡路が煙たく細い息を吐く音と、どこかぎこちない時計の音だけだ。

(親衛隊を倒せばいい、それだけでいいのか。……それだけで)

 守哉の中で、希望が形を持つ。これまではわけもわからずに未那美を守って戦うだけだったが、今は違う。自分が何から未那美を守ろうとしているのか、戦うべき相手は誰なのか、自分の心の中にはっきりと描くことができる。もう、迷いに足を取られることもない。

 いたたまれない沈黙を破って、守哉は未那美に向かう。

「大丈夫だ、伊佐。俺が」 

「わたし、天橋さんが傷つくくらいなら、帰ります。帰って、ナミになります」

 しかし未那美が口にした言葉は――それは、守哉の心を裏切る言葉だった。

「伊佐ちゃん、何言ってんの!?」

 未那美の肩をつかんだ綾は、今にも泣き出しそうな顔をしている。

「帰ったら、帰ったら、伊佐ちゃんは……!」

「ずっとそう教えられて生きてきたから、それ以外の道がわからないんです」

 守哉は、未那美に何も言えなかった。淡路は何も言わず、ただ未那美を見つめている。

「だめだよ、そんなの。どうしたらいいかなんて、全部終わってから考えればいいんだよ。このままじゃ、伊佐ちゃんの未来がなくなっちゃう」

 綾の声は悲痛そのものだ。守哉は、動揺を悟られように語気を強めて心の内を吐き出す。

「俺は、戦う。伊佐のことだけじゃない。俺もあいつらに一矢報いないと気がすまない」

「天橋さん、でも……」

 未那美の言葉を遮って、淡路が言った。

「ここで話し合っていても、どうせその時は来るんだ。覚悟を決めろ、未那美」

 淡路はリビングを出ていこうと、廊下へと続くドアのノブに手をかける。

「明日の昼までには必ず迎えに来る。守哉、未那美を頼むぞ。それから綾さん、一応荷物をまとめておいてくれ」

「淡路博士、待っ……」

「それじゃあ、失礼する」

 ピシャリとドアが閉められ、未那美の声は跳ね返された。

「……伊佐」

 俯いたまま、未那美は返事をしなかった。

 彼女は、何を迷っているのだろう。

 神威ノ宮に従って死ぬ。そんな理不尽を、未那美は許容しているというのか。

「兄貴、少し休んできなよ。万全じゃないんでしょ。伊佐ちゃんはあたしが見てるか……」

「……そうする」

 何も言わない未那美に背を向けて、守哉は自室へと戻った。


     ◆


 ナミの親衛隊員は全部で五人。条件を満たす子供の数が足りないためというのは建前で、実際のところは、出生省の予算の問題らしい。淡路十和子はそのように言った。五人は全員同じ寮に住んでいる。守哉と鹿島恭介、一之瀬銀次と相馬仁がそれぞれ同室で、御角智長が一人部屋。恭介はなぜかいつも帰りが遅く、守哉は寮の自室で一人過ごすことが多かった。

 守哉は手紙を書く。妹である天橋綾に宛ててだ。

 守哉と綾の両親は、ある日突然消えてしまった。その直後に、守哉はナミの親衛隊にスカウトされた。守哉は神威ノ宮と両親の間に何らかの取引があったのではないかと疑念を抱いていたが、補助頭脳を取り付けられたことによりそれは確信に変わった。自分は実験台として売られた――守哉はそう考えていた。

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