-09</memory> 再生終了

 淡路を抱えたまま、螺旋階段をひたすら登っていく。両足のリミッターを外して一気に飛ぶことができればと思うが、消耗しきった体ではもはや不可能だった。視界も揺らいでいるし、頭痛もする。戦いの最中だけ冴えていたのは、興奮状態にあったからなのか。

 聞こえるのは、自分の荒い息遣いと、足音と、下階からの地鳴り。地下に広がっていたナミシステムが、部屋ごと崩壊しようとしている。

 心なしか足元が熱い。見下ろすと、熱風が吹き上げてきた。最下層が火の手に包まれている。

「どうなってるんだ」

「ナミシステムは、古い。三十年近く前に作られたものだから……融草機構シルクィーズではあるが、油や、電気、蒸気、考えられる動力をすべて詰め込んでいて……」

「……説明を求めたわけじゃない」

「死にゆく者にまで気をつかうんじゃあない。守哉、私のことは置いていけ」

「博士がいなくなったら未那美が悲しむ」

「大丈夫さ。お前がいるし、修司さんもいる。修司さんは、彼那子が選んだ人だし、彼那子を選んだ人だ……信頼できる」

「未那美を生かそうとしてたのは博士だけだ。未那美には博士が必要だ。俺たちにも」

「お世辞はよせ」

「本心だ。博士は親方に融機組織レクシーズの資料を渡してた。あとのことをちゃんと考えてくれてた。俺たちを道具扱いしようとしたけど、できなかったんだろ」

「鋭いな……銀次を撃てば、情と決別できるかと思ったんだが、ダメだったよ。ああ、あいつは、無事なのか?」

「御角のおかげで問題ありません。博士、御角ならあなたの傷も治せます。だからそれまではこらえてください」

「はは、厳しいな。だけどなあ、なんだかもう、眠くてな」

「諦めないでください。未那美が待ってます」

「待ってないさ……この状態の私がどうなるかわからないほど、未那美は馬鹿じゃあない」

 泣き出したいのを、唇を引き結んでこらえた。背中が温かい――淡路の血の温度だ。

「生き延びて、お前たちに尽くして、お前たちに詫びようと、思っていたのに……お前たちを利用した報い、こんな穏やかな死では安すぎる……」

 見上げた先に『1F』の表示があった。もはや棒きれも同然の足に鞭打って、守哉は螺旋階段を駆け上がる。

「博士、もう少しです。もう少しで外に出られる」

 返事は、ない。

 蛍光塗料で『1F』と書かれた壁の前にたどり着いた。守哉は淡路を床に横たえ、1Fの表示に相対する。

〈右腕筋組織制限解除リミッターカット――五〇%。稼働限界です〉

「うおおおぉぉぉっ!!」

 雄叫びと共に、拳を壁に突き立てた。壁が放射状にひび割れ崩れ、暮れかけた真っ赤な陽が闇の中に差し込んだ。

「そうやって……未那美の部屋の窓も、壊したんだな」

「博士、行こう!」

 淡路を抱え上げるべく、振り返る。だが、そこには、

「お前は・我々を脅かす・脅威となり得る芽は・摘み取らねば・ならない」

 疲れ果てた脳と体では、気配を感じることも、索敵することもできなかった――自我を失ったはずのナミの分体が、背後に迫っている。

「アイリーッ!! お前だけはぁーッ!!」

 壊れた機械の叫び声。髪も服も燃えている。足から噴射される炎と、足を燃やす炎とが混ざり合っている。瞳に揺らめくのは、紛れもなく憎悪の炎。

 ナミが手にした薙刀の成れの果て、その殺意の切っ先が、守哉の心臓めがけて突き出される。

 避けられない。胸部の強度上昇も間に合わない。

〈予測範囲外行動――申し訳、ありません、守哉……〉

 切れ切れに脳内に響くアイリの報告。

 それは、ナミの行動に対するものではなかった。

「ば……かな……なぜ・なぜ・動ける? 腹に風穴が・あいているのに」

「火事場の馬鹿力という、人間特有の、必殺技、さ……」

 ナミの殺意は、守哉ではなく、守哉をかばった淡路の体を貫いていた。

「博士!!」

「ナミ……お前はここで、私と眠ろう」

 淡路は一切を構わずに、ナミに近づいていく。自ら傷を深め、柄が淡路の体を貫通していく。

「だめだ! 未那美が、未那美がすぐそこで待っているのに!」

 手を伸ばしても、届かない。視界加速をする気力も、筋組織のリミッターを外すだけの体力も、もう守哉には残されていない。

「守哉……未那美に、伝えてくれないか」

 淡路はナミを優しく抱きしめ、共に吹き抜けに倒れこみ、

「私の想いは、永遠とわに……お前とともにある、と……」

眼下に広がる炎の海へと、消えていった。

「そ、んな……」

 床にすがりつき、真っ赤に燃える底を覗きこんでも、淡路の姿はどこにもない。

「博士……」

 呼んでも、返事はない。

「博士ぇ――――ッ!!」

 聞こえるのは、火花の爆ぜる音と、燃え盛る炎の轟音だけだった。




 外へ出ると、眩しい夕陽が目を灼いた。

 改造蒸気二輪のそばで、未那美と伊佐が待っていた。二人は崩れ落ちる守哉に駆け寄り、体を支えた。二人が、守哉を呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、聞き取れなかった。

「……ごめん、未那美。ごめん、ごめん……」

 守哉はただ、うわ言のように繰り返した。とめどなくあふれる涙が、未那美の肩口をしとどに濡らす――……

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