-04</memory> <sleep>

 トンネルを抜けると、高架の向こうに開けた街並みが見えてきた。だが、ほとんどの家が崩れかけており、アスファルトは穴だらけ。雲間から差す薄日に照らされているのは、廃墟だった。

「人が暮らしてるとは思えないな」

〈この付近はゴーストタウンです。第六廃棄街の住民たちはここから北西にある運河付近に集まって暮らしています〉

「なら、運河の近くまで行かないと休めないか」

〈いいえ。北北東に三二六メートルの地点に、ほぼ無傷のまま現存する家屋を発見しました。中に入り休息をとることができる可能性があります〉

 ぞっ、と、寒気が守哉を覆った。

 補助頭脳の提案――こめかみに埋まっている得体のしれないモノは、守哉のあずかり知らぬうちに、守哉の視界を借りて勝手に世界を見ているのだ。守哉が認識できていないすみずみまでも。


 補助頭脳に言われるがままたどり着いた家は、見るからに丈夫そうな屋敷だった。相当な資産家の持ち物だったのだろう。

 玄関に鍵はかかっていない。二人は、ほこりの積もった廊下に、土足で踏み入った。

「誰もいないな」

「きっと、このあたりは、『落日ザ・フォール』で直撃を受けた場所なんです」

落日ザ・フォール……」

 オウム返しにつぶやくと、頭の中で声がした。

落日ザ・フォールとは、二〇二二年二月二十二日、未知のウイルス『ライフ・キャンサー』が付着した隕石が、地球上に無数に飛来した事件のことです〉

 補助頭脳の説明は、腑に落ちた。落日ザ・フォールについて、いつ、どのように知ったのか記憶はないが、知識はよみがえっていた。

〈意味記憶は修復されつつあります。エピソード記憶には修復の兆しなし〉

「ないのは、思い出ってことか……」

 屋敷のリビングには、アンティークの大きなソファがあった。守哉は、そのソファのほこりを軽く払ってから腰掛け、深く息をつく。

「この傷が治るまで、あとどのくらいかかる?」

〈完治まで四時間二分二十七秒。現在時刻、午前九時〇一分〉

「それなら、昼前には出られるか」

 独り言のようにつぶやく守哉に、未那美が尋ねた。

「あの、また補助頭脳さんと話しているんですか?」

「ああ。傷が治るまで四時間くらいかかると言っている」

「その傷が、たった四時間で……」

 守哉は、未那美の視線の先を見た。真っ白なコートの右肩が、赤黒く染まっている。

(こんなの、普通の人間なら失血死しかねない傷のはずだ……俺は、なんなんだ?)

〈守哉は、人間です〉

 補助頭脳に尋ねたつもりではなかった。しかも、返ってきたのはまるで的を射ない回答。この補助頭脳から望む答えを引き出すには、質問をしなければならないらしい。

(どうして俺には人間離れした力がある? どうして、こんなに早く傷が治るんだ?)

〈守哉がネオ・ロボトミーの被験者だからです。補助頭脳を取り付けたことで、守哉の脳の潜在能力が引き出され、常人を超えた知覚が可能となりました。加えて、相応の『融機組織レクシーズ』を装着することで、守哉の身体能力、再生能力、及び反応速度は、通常の人間をはるかに凌駕しました〉

 補助頭脳の説明は、何がなんだかわからなかった。『ネオ・ロボトミー』は、脳の強化手術のことだと言われた気がする。だが、『融機組織レクシーズ』という言葉の意味は、わからない。

 それよりも不可解なのは、自分の頭に補助頭脳が取り付けられているということ、それ自体だ。これほど高機能な人工知能を頭に埋め込むのならば、被験者の同意なしには難しいだろう。それはつまり、被験者である過去の守哉が、補助頭脳の装着を了承したことを意味している。

 全身に、震えが走った。

 守哉には、記憶を失う以前の自分が、まるで別人のように思えた。

「天橋さん、顔色が悪いです……」

 気が付くと、未那美が不安げな目で守哉を見つめていた。彼女はソファに座らず、所在なく立ち尽くしている。

「横になったほうがいいと思います。どうか、休んでください」

「俺のことは気にしなくていい」

 ふと目に入った未那美のひざには、血が滲んでいた。トンネルで転んだ時のものだろう。守哉は思わず目をそむけた。

「気にしないなんて、できません。そんな怖い顔でうつむいて……傷も痛いのに」

「いいって言ってるだろ!」

 大声を張り上げると、肩がひどく痛んだ。脂汗がにじむ。息をするたび、体から熱が引いていく。

「ごめん、なさい……」

 声に、わずかに嗚咽が混じっている。守哉は驚いて顔を上げ、未那美の顔を見た。

「で、でも、私……天橋さんが苦しんでいるのを見たくないんです。それに、もしかしたら、また記憶がなくなってしまうかもしれないと思うと、不安で不安で仕方なくて……」

 ほろほろと涙がこぼれて止まらない。潤んだ瞳にまっすぐ見つめられ、守哉は罪の意識に苛まれた。未那美に八つ当たりしても、なにも解決しないのに――自分が情けなかった。

「……悪かった。休むことにする。だからもう泣かないでくれ」

 未那美は懐からハンカチを取り出して涙を拭いた。彼女が使った薄青色のタオルハンカチには、見覚えがあるような気がした。


 結局、彼女に促されるまま、守哉はソファへ横になった。右肩をかばうように寝転ぶと、少し楽になった気がした。

「なあ、伊佐」

「なんでしょうか?」

「お前とこいつ――補助頭脳にいろいろ聞きながら状況を整理したいんだが、いいか?」

「はい」

 未那美は袖口で涙を拭いながら返す。

「伊佐は、神威ノ宮から逃げ出してきて、今は追われている。追ってきているのは……」

「わたしを守ってくださる、親衛隊の人たちです」

「そうなると、本当は逃げ出してはいけなかった……のか」

「逃げるなんて、考えたこともありませんでした。でも、淡路博士が逃げろって言ったから」

「人に言われたから逃げ出したのか?」

「淡路博士が間違ってたこと、今まで一度もなかったから……」

 詰まり気味の小声だった。

「真夜中に逃げ出して、無我夢中で走って……気が付いたら、朝になっていて。もうだめだって思ったら、天橋さんが助けてくれました」

「それが、三人組に追われてたときか」

 未那美は頷く。

「今の話だけ聞くと、伊佐を神威ノ宮に帰したほうがいい気がしてくる」

 未那美の顔には困惑が滲んでいる。自分でもどうしたらいいのかわからないのだろうか。

 守哉は右こめかみを指さして言った。

「だがこいつは、俺に『伊佐と共に第六廃棄街へ向かえ』と言ってきてる。そこで淡路という人物と落ち合えと」

「そうなんですか……」

 まるで他人事のような口調。未那美は、本当に逃げたいのだろうか。彼女が親衛隊と呼ぶ少年たちから逃げているのは、彼女自身の意志ではないように思える。

「淡路博士とやらに会えば、少しは状況が見えるかもしれないな」

「わたしも、博士に会いたいです……」

 未那美の肩が震える。その姿を見ていると、なぜか胸の奥がきつくなる。理解できない痛みに守哉は戸惑った。

(記憶を失う前の俺と伊佐は、どういう関係だったんだ?)

〈友人同士だったと記録されています〉

「うわっ!」

 突如頭の中で響いた声に驚いて飛び起きると、また肩の傷が痛んだ。補助頭脳に尋ねたつもりではなかった。

「だ、大丈夫ですかっ?」

「あ、ああ……急に補助頭脳が喋ったから、驚いただけだ」

「わたしには、何も聞こえませんでしたけど……」

「喋ってる声は俺にしか聞こえない。頭の中で会話する感じだ」

「頭の中で……それじゃあ、これからどうしたらいいのか尋ねてみてもらえませんか?」

「わかった」

 守哉は、(これからどうしたらいい?)と頭の中で呟く。反応はすぐ返ってきた。

〈守哉の怪我が治り次第、第六廃棄街にある守哉の自宅に向かってください。そこで、機工士であり守哉の妹でもある天橋綾によるメンテナンスを受けてください〉

「第六廃棄街にある俺の家に行き、俺の妹にメンテナンスを受けろ、だそうだ」

「そ、そうじゃなくて……」

 未那美の言わんとしていることはわかっていた。彼女が聞きたかったのは、神威ノ宮から逃げるべきか、神威ノ宮に戻るべきか、ということだ。念のため聞いてみたが、

〈その判断を行う機能は搭載されていません〉

 という答えが返ってきたのみだった。

「わたし、どうしたらいいんでしょうか」

 心細げにこぼす未那美を少しでも安心させようと、守哉は最善と思われる提案をする。

「まずは淡路博士に会ってみよう。それまでは俺が守ってやるから心配するな」

 その言葉に、未那美はぽかんとした。

「……天橋さん、変わってない。はじめて会ったときも、困っていたわたしを助けてくれて、心配するなって言ってくれて」

 そう話す未那美の声は、とてもやさしかった。

「伊佐は、俺のことを――」

 知っているのか?

 そう聞こうとしたのだが、聞けなかった。当の未那美が、急に顔を赤くしてうつむいてしまったからだ。

「あ、あの、そ、そういう意味じゃないですっ。わたしは、ただ、その、記憶がなくっても、天橋さんは天橋さんのままだなって、だから……」

「……記憶をなくす前の俺も、今の俺もそんなに違わないのか?」

「は、はい……だから、わたし、安心しました」

 頬を染めながらゆるく綻んだ表情を浮かべ、未那美は笑った。

 未那美がはじめて見せた笑顔は、うららかな森の木漏れ日のように穏やかだった。彼女を見ていると、頑なだった心がほぐれていくような気さえする。

 この笑顔を、知っている。

 急に訪れたまどろみの中、ふとそんな気がした。


     ◆


 目が閉じられていて、視界は真っ暗だった。

「天橋、気分はどうだ?」

 煙の匂いで満ちた空間に、女の声が響く。

「気分がいい、ということはないだろうが、そのうち慣れるはずだ」

 守哉が少しずつ目を開くと、白く眩しい光が飛び込んでくる。

「頭が、重い」

 それが、初めて聞いた守哉の言葉だった。

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