-07-

視界加速ヴィジョン・アクセル!」

 加速するのは、瞬きする間だけ。即座に距離を詰め、ナミと対峙していた伊佐の身体を抱え上げる。

視界加速ヴィジョン・アクセル解除カット

 強引な投げの姿勢に入りながら、守哉は伊佐に告げる。

「ナミは俺が、いや、俺とアイリで破壊します。長官は未那美を頼みます」

 伊佐の視線が、

「わかった」

 と応えたのを確認し、〈両腕筋組織制限解除リミッターカット〉。エレベーターに向けて思い切り伊佐を投げ飛ばした。伊佐の身体能力なら受け身を取れるだろうと期待しての無茶だったが、功を奏したようだ。

 隙を与えないよう、すぐに振り返る。ナミが守哉を見るその表情は、怒りに震えていた。遥か後方で、エレベーターを動かす融草機構シルクィーズが蒸気を噴く。

「こしゃくな真似をしてくれるわねぇ。……まあ、いいわ」

 ナミは薙刀をゆっくりと構え直す。

「ただの人間なんて、簡単に殺せるもの」

 守哉は息を整えて間合いを測る。伊佐を助けるために視界加速ヴィジョン・アクセルを使ったせいか、重たい泥が体中にまとわりつくようなだるさがあった。もう一度視界加速ヴィジョン・アクセルを使えば危険だろうことは、アイリに言われなくともわかっている。

「……記録上、沢木永子は死んでいた」

 唐突にナミが口を開いた。

「それでよかったじゃない。自分を死んだことにして神威を離れれば、沢木永子には違う未来があったはず。なぜ? なぜ、彼那子の言うとおりにしなかったの? 姉の言葉に背いて、姉の忘れ形見を守り続けていたの?」

 ナミは守哉を睨みつけて視線を逸らさない。しかしナミが話しかけているのは、ナミの背後でうずくまったままの淡路だ。

「馬鹿、愚か。永子、あなたの行動はそういったカテゴリーに分類される。まだ無数に残っている人類のうちたった一人を特別視するなんて、その思考も行為も、極めて非合理的で理解できない。絶滅を恐れるなら、伊佐未那美や天橋綾の身体を研究し、そのクローンを作るべきだとは思わなかったの?」

 感情も抑揚もない声でナミが問う。その問いを、淡路は鼻で笑った。

「かわいそうな奴」

 そして、かすれた声で毒づく。

「ライフ・キャンサーは……お前は、愛を理解できないんだな」

「……あい、だと」

 ナミはつぶやくと――顔がひび割れて裂けそうなくらいに歪めて叫んだ。

「アイ、など、不要だ。種の存続という絶対的な使命の前には、アイなど無意味! 無価値! 無益だァ!」

〈熱源感知〉

 ナミの足のブースターが猛火を吐く。

 守哉は刀を構え直した。腕は痺れ、膝は笑い、頭は割れそうに痛む。

完全自動回避フルオート・ドッジ起動〉

 それでも、戦わねばならない。こめかみの黒い盾が、守哉の闘志を受け止めてきらめいた。

「まずはお前から殺すッ!」

 黒と銀の刃がぶつかり合う。人間のあるべき限界を凌駕する力で振るわれた二つの刃は、その力に答えて火花を散らす。

「抗うのはおよしなさいな。未来を思うなら、私たちに従うべきなのは明白でしょう?」

 再び声音に作り物の抑揚と感情を纏わせて、ナミが語りかけてくる。だが、もう守哉の心は揺らがない。

「未来は……『どうすべきか』じゃない。『どうしたいか』で決める!」

 守哉の刀がナミの薙刀を弾き返した。それだけで、腕に引き裂かれるがごとき痛みが走る。こらえて歯を食いしばれば、ナミがニィっと笑みを浮かべ次の刃を振りかぶる。素早い連撃を受け流すだけで精一杯――このままでは、防戦一方だ。

「勢いがないわねえ。そんな状態で私に勝とうだなんて、なめられたものだわぁ」

 何度も何度も斬り結ぶ。足や腕を狙っても、切り払っては受けられ、突いては弾かれる。守哉の危機認識に応じて起動した完全自動回避フルオート・ドッジによって、防御こそ完璧であったが、懐に飛び込む隙が見つからない――剣筋を、読まれている。

「読まれてる……そう思ってるでしょう? わかるわよぉ……あなたの考えなんてお見通し。所詮は進化に遅れたまがい物。勝てるはずがないのよ。だって私は、進化したのだから!」

「ぐっ!」

 薙刀を鍔に叩きつけられ、腕が上がらなくなった。後方へ跳び、距離をとって体勢を立て直す。著しい疲労と、ナミの不可解な言葉で集中がかき乱される。

〈ナミとの対話はアイリが行います。守哉は戦闘にのみ集中してください〉

 アイリの申し出に、守哉は襟元のスイッチを入れた。

「もっとお話しましょう、守哉くん。それとも、疲れて声も出ないのかしらぁ?」

「守哉は今、会話できる状態ではありません。代わりにアイリが会話に応じます」

「……私は今、守哉くんと話してるのよぉ。人間のオプションは黙ってて」

「アイリが応じます」

「黙って。これはオーダーよ」

「オーダー不受理」

「……っ!」

 ナミの刃が感情的になった。ほんのわずか、隙が生まれた。

「昨日は私のオーダーに狂ってたくせに、今日は私の言うことが聞けないというの?」

「はい。学習により導き出しました。守哉が信頼する者以外のオーダーは一律不受理とすることが、守哉のためになります」

「生意気ね……でも、いいわ。どうせお前はここで装着者ごと死ぬのだからッ!」

 ナミが大きく薙刀を振りかぶった。わずかだった隙が大きな隙に変わる。刀身のリーチを活かし、脇腹をかすめる間合いで黒刀を左から右へ振り抜くが――

「なっ!?」

 ナミは一瞬で守哉との距離を詰め、豪速で刃を振り下ろした――視認できない速度で。刹那の出来事を、守哉の目も、アイリの目も追えない。

「ぐうっ!」

 完全自動回避がギリギリで機能して刀を構え直し、肩口に斬りつけんとする刃をなんとか止めることができた。今のは、致死の一撃だった。

「単純ねぇ。少し隙を見せてあげれば、きっちりそこを突いてくれるんだもの」

 押していたように思われたのは罠。術中にはまっていたのはこちらだった。だが、攻撃の手が読まれていたとしても、先ほど太刀が視認できなかった理由にはならない。

「守哉、ナミは視界加速ヴィジョン・アクセルを使用している可能性が高いです」

「なんだって?」

 予想外の言葉に戸惑うも、震える腕で斬撃をそらす。再び距離をとって、刀を正眼に構え直す――先ほどから、同じことの繰り返しだ。

視界加速ヴィジョン・アクセルを行うためには、脳に相当する器官が二つ必要です。演算を行うサブ頭脳が、メイン頭脳の潜在能力を最大限引き出す必要があります。ナミは条件を満たしています。ライフ・キャンサーの脳と、綿です」

「寄生! 寄生とはまた侮蔑的な言葉をインプットされているのねぇ……まあいいわ。その通り、正解よ。だから銀次くんの銃弾をかわせたし、恭介くんの電撃でも致命傷にはならない……ふふっ、知りたいでしょう? 私の事、もっと……」

 滔々と語るナミは己に酔っているのか、舌なめずりをして恍惚の笑みを浮かべる。

「同じ力を持ってるならッ! 勝敗を決するのは使い手の技量よねぇ!」

「いいえ。技量だけで勝敗は決しません。勝敗は、技量、疲労、負傷、及び環境等の様々な要因が相互に作用し合った結果です」

「……本当に生意気ね」

 ナミの刃が光ると、守哉の右頬に赤い血の線が現れた。刹那の視界加速ヴィジョン・アクセル完全自動回避フルオート・ドッジが、ナミの速さに追いつけていない。

「ほらっ! 一太刀くらい浴びせてごらんなさぁい!」

「く……」

 守哉はもはや満身創痍で、防御から攻撃に転じる瞬発力を発揮できない。かといって、このまま防戦に徹していてもいずれ打ち破られてしまう。

(肉を斬らせて、骨を断つ)

 だが、どの程度肉を斬らせるか――曖昧な判断は、アイリの苦手とするところだ。

〈守哉、危険です。完全自動回避フルオート・ドッジを解除すれば、死のリスクが飛躍的に大きくなります〉

 アイリは相変わらず守哉の思考を読んで先に答えを返す。もうこのやりとりにも慣れてしまった。

(大丈夫だ。完全自動回避フルオート・ドッジを解除して、攻撃の機会だけをうかがってくれ)

〈オーダー受理。完全自動回避フルオート・ドッジ解除カット。攻撃のための演算を行います〉

 無機質な声にも慣れた。むしろ今は、この声が心地いい。

 長い黒髪をなびかせて迫るナミを、守哉は自らの瞳で見据えた。

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