-03-

 戦いの残り香が漂う。互いに肩で息をしている。酷使した守哉の腕は震えていて、追い詰められた恭介は――なぜか、笑っていた。

「何がおかしい?」

「おかしいのではない、嬉しいのだ。あんなに弱かったお前が、私に勝ったのだから。訓練の時は私の九十七勝一敗だったのに」

「一敗してるんじゃないか」

「それは……お前が頭にその補助頭脳を従えてきた、最初の日だ」

 恭介の表情は悲しみを湛えている。

「お前は、いつも苦しんでいる……初めは自分の弱さを嘆いて、次は補助頭脳のことで悩み、今はナミのことで苦しんでいる。いかに剣技に秀でようと、異常能力ギフトを持っていたとしても、友と信じた相手の心も救えない私は無力だ……だがっ!」

 恭介の掌が、突きつけられた刀を掴んだ。

「無力に甘んじて諦めようとは思わないッ!!」

〈予測範囲外行動。申し訳ありません、守哉〉

 恭介の周りの空気が青く光り、手のひらからぼたぼたと流れ落ちていく血の色を隠す。

「くそっ、その手を離せ!!」

「断る」

 足は大地にへばりつき、手は刀から離れない。〈磁気異常〉と補助頭脳が告げる。

「お前だけが先に知ってしまったから苦しんでいるのだ。知らなければ、知らなければ……その頭の化け物のこと以上の悩みなんて、お前にはなかったはずなのだっ!」

〈巨大熱量感知。自己を中心として指向性のない電撃を放つ――自爆の可能性が高いです〉

「やめろ――やめろ、恭介!!」

 守哉の叫びも虚しく、恭介の瞳が、青く光った。

 空気が渦をなし、激しい電撃が守哉と恭介を巻き込んで輝く――


――そのはずだった。


 恭介の体から放出された電撃は、すべて、守哉の右後方へ飛んだ。まるで吸い込まれているかのように。

「未那美様っ!!」

 叫んだのは御角。

 電撃がまっすぐ目指す先にいたのは、未那美だった。

〈視界加速、全身強度最大、筋組織制限解除リミッターカット

 磁気が弱まっている。守哉は刀を捨てて走りだした。

 未那美は両手で天に向けて何かを掲げている。電撃はそこへ引き寄せられているようだ。

〈分析完了。伊佐未那美は避雷針を手にしています〉

(それを叩き落とせばいいんだな!)

〈はい。感電には注意してください〉

 自分のことを気にしている暇などない。未那美が握りしめている黒く細長い棒をめがけ、雷光を追い越すくらいに速く、速く、走り、走り、手を伸ばす――!

「やめろ、伊佐!!」

 守哉の手が、避雷針を掴んだ。

「ぐううっ……!!」

 青い光に手が焼ける。光の中ちらと見やった未那美の顔は、痛みに耐えるでも怯えるでもなく、強い意志を瞳に宿していた。

「手を離せ!!」

「い……やです」

「何を言ってるんだ! 死にたいのか!?」

「二人に、戦ってほしく、ないんです」

「……っ」

 昼間と同じ言葉に、守哉の喉は震えて動かない。

「天橋さん、もう、鹿島さんと……戦わないでください」

 光が弱まっていく。守哉と未那美を襲っていた電撃が、やんだ。

「……こんなはずでは」

 愕然とした恭介の声。守哉が未那美の手から避雷針を叩き落とすと、未那美は膝からアスファルトに崩れ落ちた。

「伊佐!」

「……天橋さんの、助けに、なりたかったんです」

 ひどく息を切らす未那美に、御角が駆け寄ってきた。彼は未那美の手をとると、目を閉じて彼女の傷を癒し始めた。暖かな光が、未那美の周囲を舞う。

「綾さんに無理を言って、鹿島さんの能力に対抗できる道具を作ってもらったんです。服も靴も、耐電性能向上のための加工をしていますから、わたしは、だいじょうぶです……」

〈指向性のない電撃を引き寄せ、強引に軌道を変える道具のようです。作りは荒いですが、よくできています〉

「俺は伊佐を守るために戦ってたんだ。それなのに」

「……鹿島さんの声が、聞こえたから」

 未那美は、守哉の後ろで呆然と立ち尽くす恭介を見た。

「鹿島さんにとって、天橋さんがどれだけ大切なお友達なのか、わかりました。あなたは、わたしから、天橋さんを助け出したい……そうなんでしょう」

 彼女は泣いていた。痛みに伴う涙ではない。

「二人は、戦っちゃいけない……二人が戦うのはわたしのせいだから、わたしが止めなくちゃ、戦いは終わらないって……そう思ったんです。友達同士で戦うなんて、悲しいことしてほしくない……だから、わたし……」

「だめだっ!」

 守哉は、未那美の言葉を遮って叫んだ。「帰ります」――その言葉は聞きたくない。胸の奥が焦げて黒くなる。

「……未那美様、申し訳ありませんでした」

 恭介は跪き、大地に額を擦りつけた。

「あなたに危害を加えるなど、親衛隊長としてあってはならない失態です。もはや私には務めを果たす資格はありません」

 未那美は弱々しく首を振る。

「鹿島さん、謝らないでください……わたしが、勝手に割り込んだんですから」

 御角が未那美の上着を脱がせ、彼女のシャツの袖をまくると、帯状の痛々しい火傷が現れた。綾の作った簡易避雷針とシールドでも、恭介の電撃をすべて受け流すことはできなかった。

(伊佐は、俺と違って完全な生身だ。それなのに……)

 焼け爛れた華奢な腕。時々痛みをこらえるように未那美はうめく。

(こんなの望んでなかった。俺は、伊佐を苦しめる奴らから、伊佐を守りたかっただけなのに)

「……私は、もう戦えない」

 ぽつりと呟く恭介。未那美の姿を呆然と見つめる瞳からは、もう戦意は微塵も感じられない。

「私はただ……守哉に帰ってきてほしかっただけなのだ」

 恭介の本音が漏れた、その瞬間だった。

「鹿島、逃げろ!!」

 突然、叫び声が聞こえた。全員が一斉に振り向く。声の主は、コンテナの上にいた相馬で――その相馬が、くずおれた。

「結局、ナミよりも友情ごっこのほうが大事なのね。残念だわぁ」

 錆びたコンテナの上。倒れた相馬を見下ろすように立っていたのは、綿津野だった。

「仁くんは筋肉も神経も融機組織レクシーズじゃないし、異常能力者ギフテッドでもないのよねぇ。暗器だけでここまで戦えるなんて、さすがに忍術を修めてるだけあるわぁ」

 予想外の闖入者に、御角が叫ぶ。

「綿津野博士、どうしてここに!? 未那美様のことは僕たちに任せると言ったじゃありませんか!」

「あなたたちはもういらなくなったのよぉ」

 綿津野は足元でうずくまる相馬の首根っこを掴むと、無造作に放り投げた。相馬の体がアスファルトに落ちて跳ねる。

「相馬!!」

 一も二もなく駆け出した恭介が相馬を助け起こす。恭介を見下ろす綿津野の瞳は、冷えきった鉄の玉のようだ。

 恭介は綿津野をにらみつけて問う。

「これはどういうことですか、綿津野博士」

「ナミはもう自分で自分を守れる……あなたたちの力はもういらないの」

 まっすぐに伸びた綿津野の右腕が、ガシャンという金属音を立てて変形した。折れ曲がった肘の中から現れた銃口は、恭介の眉間を狙っている。

「鹿島……逃げ――」

 相馬が言い終わらないうちに、銃声が響いた――二発。

「いったぁ~い!!」

 恭介を狙ったはずの銃弾は大きく左に逸れ、アスファルトに小さな穴を穿った。

「鹿島、相馬! 無事か」

 コンテナの陰から現れた駆け寄ってきたのは一之瀬だ。どうやら彼が綿津野の右腕を撃ったらしい。

「これが無事に見えるわけ?」

「軽口が叩けるのなら、さして大きな問題はないか。鹿島は……」

「私も大丈夫なのだ」

 恭介の言葉に反し、一之瀬の顔には焦りが浮かんだ。

「……急ぎ決着をつけねばならぬ。天橋、いいか。博士の狙いは未那美様だ。今この瞬間、貴様と自分たちの利害は一致している」

 金に変色した一之瀬の右目が、守哉を見つめている。

「自分と恭介で道を作り、貴様か相馬が近づいてとどめを刺す。強敵と戦うときにはそうするよう鍛錬を積んできた。貴様は自らの勘を信じて走れ」

「……どういう、ことだ?」

 親衛隊に、協力を求められている。さっきまで恭介と戦っていたのに。それも、ただの人間であるはずの綿津野を――昨日出会った時には、そのはずだった――撃退するために?

「説明している時間はない」

 一之瀬は未那美と御角の前に陣取り、無骨なライフルに弾を込め始めた。

「天橋、自分の刀を貸してやる。御角のものと同じ型だ。貴様の能力には物足りぬだろうが、ないよりましだ」


 わからない。


 親衛隊は、綿津野だけを敵と認識している。守哉は敵ではないと――仲間だと認識している。今渡されたこの刀で一之瀬の腕を切り、御角から未那美を奪って逃げるとは思わないのか。

(俺は、信頼されているのか?)

〈他者の主観を断定することは不可能です。蓄積された行動記録から推測する他ありません〉

 だが守哉にはその蓄積がない――記憶がないのに、どうやって判断しろというのか。

 突如現れた綿津野。

 守哉に刀を貸すと言う一之瀬。

 未那美を懸命に治療する御角。

 傷だらけで倒れている相馬。

 守哉に背を向け、相馬を助け起こす恭介。

――親衛隊を倒せば、未那美を救えるはずではなかったのか?

(どうすればいいんだ)

〈守哉の疑問に答えることはできません。その機能は搭載されていません〉

 補助頭脳の無機質な声が頭の中で響く。

(……俺が戦わなければ、伊佐は死ぬ。でもこれが狂言だったら? 俺が綿津野と戦っている間に、御角が伊佐を連れ去るかもしれない)

「天橋……さん」

 未那美の視線が、守哉に弱々しく注がれた。

「わたしを置いて、逃げてください……これ以上、わたしのせいで誰かが傷つくところを、見たく、ありません。親衛隊の、みなさんも、逃げ……」

「それはできません」

 未那美の言葉を遮ったのは一之瀬だ。

「自分たち親衛隊の役目は未那美様をお守りすること。敵を目の前に、あなたを捨て置いてこの場を去るなどあり得ません。あの男は狂っています。天橋よりも先に博士を排除しなければなりません。博士を倒すということについて、天橋と自分たちには利害の一致があります」

「銀次、何があったの? なんで綿津野博士が?」

「自分たちが信じられぬそうだ。自ら戦うと言って聞かず、止めたら抵抗されてこの有様だ」

「なにそれ、どういうこと?」

「こっちが聞きたい……いずれにせよ」

 一之瀬は左目を閉じ、金に光る右目で狙いを定めようとする。

「天橋と違い、博士は未那美様を傷つけるかもしれぬ。それだけは避けなければならぬ」

 未那美を傷つけるかもしれない――

 守哉は、一之瀬の刀を鞘から抜き放った。柄を強く握り、顔を上げる。

 こうなっては、もう親衛隊を信じるしかない。

「御角だったな。伊佐を頼む」

「任せて」

 御角は力強く頷いた。

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