-02-

 激しい雷を纒った恭介の刀が、青白い軌跡を描く。まだ足が動かない。回避できない。

〈局所的磁気異常検知なし――守哉、両足をしっかり地面につけ、刃で刃を受けてください〉

 補助頭脳が高速で告げるが、守哉は躊躇った。刀で受ければ、それこそ感電してしまうのではないか? 守哉の迷いなど構わずに、目の前に青い刃が迫る。逡巡。一瞬なのに、永遠にも思えるその迷いのさなか。

 声が、聞こえた。


〈天橋綾が制作した装備の性能を信じてください〉


 それは、脳髄の奥を焼ききるように輝く思考。

――光が奔った。鍔競り合う刀から無数の青雷が溢れだし、守哉と恭介の間を駆け抜ける。夜闇を裂く光が二人の体を照らす。激しい炸裂音に、刃のこすれ合う音は飲み込まれる。右腕筋組織制限解除リミッター・カット

「うおおぉぉぉっ!!」

 強引に振るった刀が、恭介を体ごと押し返す。青い光を宿した目が、驚きに見開かれた。

「何故立っていられる!?」

 守哉もダメージはある。刀から放たれた電流は確かに守哉の体を走ったし、体にははっきりと痺れが残っている。ただ、そのすべてが足元から逃げていったのだ。まるで全身に溜まった静電気を金属に逃がすように。

「ならば戦い方を変えるだけだ」

 恭介はバックステップで距離をとる。その動きに嫌なものを感じた守哉は、きしむ脚を無理矢理に動かそうと焦った。

〈前方に巨大熱量感知〉

 補助頭脳の声に思わず正面を向くと、恭介の周囲で電光が渦を巻いていた。髪が毛先まで青白く染まり、コートの裾がふわりと広がる。

「くらえッ!!」

 振りぬいた刀の先から雷が奔る。昼に守哉の頬と腕を焼いたそれよりも遥かに眩しく熱い。

(オーダー、視界加速ヴィジョン・アクセル!)

 補助頭脳が警告を発する前に、守哉は視界加速を発動した。突き動かしたのは、勘だ。いかに綾のブーツの出来がよくても、次の攻撃を受けては致命傷を避けられそうにない。

 視界加速ヴィジョン・アクセルが発動するまでのわずかな待機時間。一瞬にも満たないはずなのに、青い電光は守哉の眼前に迫っていた。

 体を屈め、思い切り地面を蹴って前に飛ぶ。モノクロになった視界の端で、真っ白な光がはじけた。さらに続けて、いくつもの光が迫る。眼前に迫る度、鮮やかすぎる青に変わる光を、強引に体を動かして避け続ける。しかし、恭介に近づくことができない。

〈守哉、このまま視界加速ヴィジョン・アクセルを継続するのは危険です。稼働限界に達した場合、身体機能が一時停止してしまいます〉

(ならどうしろっていうんだ。視界加速ヴィジョン・アクセルを使い続けなければ電撃を避けられない)

完全自動回避フルオート・ドッジの再起動を提案します。一部身体機能の使用権限を補助頭脳に移譲していただければ、補助頭脳だけで回避運動に特化した処理を行うことができます〉

(……どういうことだ?)

〈守哉の脳で戦闘行動を、補助頭脳で回避運動をそれぞれ行います。結果、守哉の体は自動的に回避運動を行うようになり、鹿島恭介に対する攻撃にのみ集中することができます。守哉自身の動きを妨げたり、思考を妨げたりすることはありません。回避が自然に行われます。回避に視界加速ヴィジョン・アクセルを使用することもありますが、その場合には直前に守哉の脳へ信号を送ります〉

(それはつまり……お前が、俺の体を動かすということか)

〈はい〉

(そんな、ばかなこと)

〈守哉は以前も、完全自動回避フルオート・ドッジの使用を拒否しました――その際に、補助頭脳に対し『自分のオーダーがあるまではできるかぎり何も言うな』とオーダーしました。そのオーダーは現在も有効です。しかし、『できるかぎり』という曖昧な基準での判断は、補助頭脳が最も苦手とするものです。そのため、補助頭脳、および守哉は、ポテンシャルを三〇%も発揮できていません。現状のままでは、鹿島恭介に勝利できる可能性は極めて低いです〉

 体が軋み、視界が震える。視界加速ヴィジョン・アクセルを使用してから何秒経ったのか、あるいはもう何分も経ってしまっているのか。時間の感覚がない。

〈守哉、完全自動回避フルオート・ドッジの再起動を提案します〉

 自分以外の何者かが、自分の体を動かす。

 自分以外の何者か――それは今の守哉にとって、『記憶を失う前の自分』に他ならない。守哉には、今の自分と、ビルの屋上で目覚める前の自分が、別人のようにしか思えないのだ。

 完全自動回避フルオート・ドッジで守哉の体を動かすのは補助頭脳だとわかっていても嫌だった。恐ろしかった。

(……このまま戦う)

〈守哉――〉

 眼前に迫った恭介の電撃を強引な横っ飛びで避けると、守哉は思い切って走りだした。

 無尽蔵に放たれる電撃のすべてをかわすことはできない。体に触れた熱が、白いコートごと皮膚をチリチリと焦がす。それでも、稲妻の奔流の中を遡り駆け抜ける。光の向こうに、恭介の姿が浮かび上がる。

「うおおおおぉぉぉッ!!」

〈守哉、今の行動は、鹿島恭介に読まれている可能性が極めて高いです。これは、五月十六日に鹿島恭介に敗北したときとまったく同じ――〉

 突如、稲妻が止んだ。それまでの爆音が嘘だったかのように、夜の静寂があたりを包む。

 闇の中できらめくのは、恭介が構える白刃。

「終わりだ、守哉」

 恭介の刀が、守哉の脇腹を狙う――否、守哉が、恭介の刀に飛び込んでいってしまっている。雷は守哉を誘導するための罠。恭介は意図して、光の中に道を作っていたのだ。

 時間がなくなったような錯覚の中、死の予感に全身が冷える。

「天橋さんっ!」

 声が聞こえた。灰色に静止した世界の端に、未那美の姿が映る。ぼやけていた輪郭はやがて鮮明になり、守哉の目に焼き付く。

 見開かれた目。叫び声をあげる口。

 色がなくともわかる。彼女の顔が、恐怖に青ざめていると。


(――俺が死んだら、誰が伊佐を守る?)


 ここで負けるわけにはいかない。死ぬわけにはいかない。だが、刃はもう守哉の腹に突き刺さろうとしている。


(こんなところで――死ねないッ!)

〈――オーダー受理〉

 補助頭脳の言葉が、頭の中に凛と響く。

〈右腹部強度最大、完全自動回避フルオート・ドッジ起動〉

 体中に衝撃が走った。金属同士が打ち付けあったような音が高く鳴り、守哉の体はきついしびれに襲われた。しかし、腹に恭介の刃が突き立てられることはなかった。

 驚愕が恭介の行動を一瞬――守哉にとっては数秒間――遅らせた。その隙に、音叉のごとく震える体に鞭打って、体勢を整える。

 守哉の全身を覆う筋肉は融機組織レクシーズだ。搭載された防御機能を使用すれば、局所的にではあるが、銃弾をも弾き返す硬度を得られる。刀の一突きを防ぐことなど造作もなかった。

〈本来、防御機能を使用するためには、守哉自身が防御を意識し、筋組織の強度を高めるオーダーを下す必要があります。ですが完全自動回避フルオート・ドッジを使用すれば、防御はすべて補助頭脳が担当します。守哉は攻撃にだけ集中することができ、戦闘をより効率的に行うことができます――稼働限界まであと三分二〇秒です。時間内に勝利してください〉

「何故抗うのだ、守哉!」

 恭介は、青白い燐光を帯びた刀を構え直して叫んだ。

「どうして自らを傷つける道ばかり選ぶのだ……理不尽に目をつぶって生きていれば、苦しまなくてすむというのに!」

 もはや恭介の声に余裕はなかった。

〈磁気異常なし。攻撃の好機です〉

 守哉は勢いよく大地を蹴り、恭介の懐に飛び込む。中段、左から右への斬り払い。しかし恭介はそれを危なげなく刃で受けた。

「どうして苦しみに自ら身を投じるのだ!?」

 守哉の刀を弾き、恭介が攻勢に出る。剣戟は鋭く正確で、師範のごとく整った美しい技だ。それゆえに、読むは容易い。

(体が、軽い)

 補助頭脳は即座に次の剣閃を予測し、防御プランを高速で構築していく。補助頭脳が作った流れに乗るだけで、守哉は恭介の攻撃をすべて捌くことができた。

 体を操られているという感覚はなかった。考えずとも、体が自然に動く。あたかも未来視のように、恭介の動きがわかるのだ。

〈残り二分〉

 何度も刃を合わせるうちに、守哉の動きが恭介を凌駕していく。少しずつではあるが確実に恭介を後退させていく。追い詰め、圧倒し、コンテナが目の前まで迫る。

「ナミのコアはお前にとってそんなに大切なのか!?」

 恭介の叫びが空気を震わせ――彼の剣筋が、迷った。

(今だ!!)

〈両腕筋組織制限解除リミッター・カット

 渾身の力で、恭介の刀をなぎ払う。彼の腕も、彼自身の体をも、すべて吹き飛ばすくらいに力を込めて――!!

「うおおおおっ!!」

 これまでになく大きな金属音が弾けた。

「なっ……」

 恭介の刀は彼の手を離れ、回転しながらアスファルトの上を滑っていく。

 得物を弾き飛ばされた恭介の目が泳いだその瞬間、守哉は恭介の首筋に白刃を這わせた。

「……俺の、勝ちだ」

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