-03-

 なんとか片付けが終わったのは、もう五時をまわる頃だった。

 物置と化していたソファのそばには背の低いテーブルがあり、部屋の奥には四人がけのダイニングテーブルがある。さらに、その奥にはキッチン。片付ければ、それなりに広い部屋だった。

「ふー、疲れた」

「お前が言うな」

 綾と未那美はソファに、守哉はダイニングの椅子に腰掛けて一息ついた。

「ごめんねえ、ボロ家で」

 ソファの座面には飲み物をこぼしたあとがあり、ダイニングテーブルにはいくつも薄い傷がついている。古い倉庫を改装した家だからか、日当たりは悪い。床板もところどころ歪んでいたり、わずかに浮かんでいたりと、建てられてから相当の歳月が過ぎていることを窺わせる。

「確かに古そうですけど、なんだか、やさしいにおいがします……あ、あと、壁に飾ってるガラス細工、とても素敵です」

「え、ほんと!?」

 綾は急に目を輝かせた。確かに、居間の壁面には、ガラスで作られた色鮮やかなリースや造花がいくつも飾られている。どれも繊細な作りで、古びた家とは不釣り合いに新しい。

「うぇへへ、実はアレ、あたしが作ったんだ。褒めてもらっちゃって嬉しいな~なんて」

「そうなんですか!? すごい! どうやって作ったんですか?」

「えーっと、ゴーってなってるかまどにガラスを突っ込んで、それからフーってやって」

 綾お手製のガラス細工は、揺れるランプの光を浴びてちらちらときらめいている。

「ホントはね、こういうカワイイの作って売れたらいいんだけど、実用性のないものは売り物にできないって親方に言われちゃってさ。仕方ないから、融機組織レクシーズ作りを仕事にして、ガラス細工は趣味にしてるの。ほら、見て見て」

 綾が両手の指先を天井に向け、手の甲を未那美に示すと、指の第二関節から先がカシャカシャと軽い音をたてながら畳まれていき――十本の指が、それぞれ違う十種類の工具に変形した。

「じゃじゃーん! 高性能可変式工具型融機組織レクシーズだよ! すごいでしょ」

 指の変化に目をむいたのは未那美だけではない。守哉もだ。

「す、すごいです」

「細かい仕事をするときすごく便利なの。ま、兄貴のみや融機組織レクシーズには負けるけどね。再生能力すごすぎるし、どうやったらあんなの作れるのか教えて欲しいよ……兄貴?」

 呼ばれてハッとする。指を凝視していたことを訝しんだのか。

「どうしたの? あたしの指になんかついてる?」

「い、いや……あらためて見ると、すごいな」

「はあ~? 何言ってんのさ。このくらいみんなやってるじゃん」

――みんなやってる。

 融機組織レクシーズによって体を部分的に機械化するのは常識――そうだっただろうか。考えようとすると、頭に霞がかかる。

 落日のことは思い出せた。町並みや自室のドアも懐かしく感じた。

 なぜ、思い出せることと思い出せないことに差があるのだろう。

「……兄貴、どしたの?」

 気まずい沈黙が降りる。

 守哉は焦った。何か言わなければならない。綾に怪しまれたくない。だが、言葉が出ない。

 その時、未那美が急に声を張った。

「あの、綾さんっ! わたし……」

 しかし、その言葉は――

 ぐぅ~っ。

「あ……」

「あーっ、ごめん! お茶菓子の一つも出してなかった」

「い、いえ、おかまいな……」

 ぐぐーっ。

 未那美の腹の虫が二度目の主張をし、彼女は頬を赤らめてうつむいた。

「ありゃりゃ、お菓子じゃ足りない感じかな?」

「……あ、あの、これは違うんです。違うんです、その」

「まあまあ、人間誰しも腹は減る。腹が減っては戦はできぬ。少なくとも今日はうちにいてもらうんだし、一緒になんか食べよ? 兄貴が腕によりをかけて作ってくれるから」

「天橋さんが?」

「あたし料理できないんだよねー。兄貴が仕事に行ってる間、カップ麺しか食べてなかった」

「かっぷめん?」

「不健康だな」

「だーかーらー、なんかおいしいもの作ってよ、兄貴ぃ~」

 綾がまた無遠慮な態度に戻り、守哉はほっと胸をなで下ろした。

「材料は何がある?」

「たまごはあるよ! あとケチャップとバター」

 キッチンの奥へ行くと、緑のツタが絡みついた冷蔵庫があった。扉に手をかけると、ツタがわずかに青く発光する。

(なんだ、このツタ)

融草機構シルクィーズです。融機組織レクシーズとは異なり、人間ではなく機械をライフ・キャンサーから守り、同時に人工光合成によりエネルギーを発生させ、機械を作動させる生体組織です〉

 融草機構シルクィーズ――補助頭脳に説明を受けても、全く思い出せない。それなのに、このツタを見ていると、心の中がもやもやする。もやもやの正体は、わからない。

 開いた冷蔵庫の中には、なぜかカップラーメンが収められていた。ため息をつきながら冷凍庫を覗くと、鶏もも肉とミックスベジタブルを見つけた。

(オムライスくらいなら作れそうか)

〈オムライスのレシピは三件登録されています〉

「は?」

 突然割り込んできた声が、補助頭脳のものだと気がつくのに、時間がかかった。

〈ふつうのオムライス、ふわとろオムライス、お手軽オムライスが登録されています〉

「ふつう、ふわとろ、お手軽……?」

「ふわとろ!」

 声をあげたのは綾だ。

「ふーわとろ! ふーわとろ! ハイ! ふーわとろ!」

〈ふわとろオムライス――材料――たまご、牛乳、塩、胡椒、ご飯、ケチャップ、その他入れたい具材をお好みで〉

「な、なんだこれは。なんで頭の中にレシピが……」

〈ご飯はあらかじめ炊いたものを用意しておきます。まずはフライパンにバターを熱し――〉

「兄貴ー、お腹すいたーっ!」

「わ、わかった」

〈溶き卵をフライパンの中に入れ、半熟になったところで――〉

 レシピを淡々と読み上げる補助頭脳と、急かす綾に気圧され、守哉はキッチンに立った。


「できたぞ」

「待ってました~っ!」

 ダイニングテーブルについている未那美と綾の目の前に、オムライスの皿を置く。

「わあ~っ……!」

 未那美は目を輝かせ、食い入るようにオムライスを見つめた。とろりとした半熟のたまごから湯気が立ち上ると、バターの香りがふわりと広がる。

「これ、いただいていいんですか!?」

「ああ」

 自分の分のオムライスも運び、守哉も席に着く。

「おっ、お二人はおそろいですかな?」

 綾がニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべながら、守哉と未那美のオムライスを順に見た。どちらのたまごの上にも、ケチャップで『M』と書かれている。

「イニシャルだ」

「あ、ほんとだ」

 綾のオムライスに書かれていたのは、『A』。しかし綾が満足気に未那美を見つめると。未那美は目に見えて狼狽していた。

「うぇへへ~。まあそれじゃ、いっただっきまーす!」

 めいめいが湯気の立つオムライスをスプーンですくい上げ、口に運ぶ。

「……! ~~っ!」

 未那美の顔がぱあっと明るくなった。頬をおさえながら口をもごもごと動かし、飲み込む。

「おいしい……おいしい、とってもおいしいです! ふわふわととろとろが繊細かつダイナミックに溶け合って……まるで息のあったピアノの連弾のようです。舌の上で奏でられるハーモニー……わたし、感動しました」

 笑顔をはじけさせて、未那美はまくし立てた。驚いたのは綾だ。

「そ、そこまで? 確かに兄貴の料理はおいしいけどさ」

「こんなにおいしい料理があったなんて知りませんでした。普段はお魚の塩焼きとか、味噌煮とか、そういうものばかり食べていたので」

「それも十分うまくなるはずの料理だ。料理人の腕が悪かったんだろ」

「そ、そうなんでしょうか」

 困惑しながらそう言う未那美の腹が、また、くぅ~っと鳴った。

「あっ……」

 未那美は恥ずかしげに頬を染める。

「もう一皿作るから待ってろ」

「はい……ありがとうございます」


「人は見た目によらないってほんとだね~……」

 結局、未那美はオムライスを四皿も平らげた。最後の二皿は大盛りにしたにも関わらず。

「腹八分目と言いますし、じゅうぶんです」

「……そうか」

 満面の笑みを浮かべる未那美に、守哉はそれ以上何も言えなかった。それを呆れととったのか、未那美は急にしゅんとした。

「……やっぱり、はしたないでしょうか?」

「食事の量なんて人それぞれだろ。それよりうまそうに食べるかとか、食べ方のほうが重要だ」

「そ、そうでしょうか……」

 未那美がきれいに食べ終えた食器をキッチンに下げる。綾のニヤついた視線には気が付かないふりをした。


 それからしばらくの間、三人はジュースを片手に談笑した――といっても、話していたのはほとんど綾で、しかも未那美にばかりひっきりなしに話しかけていた。それでいて守哉の反応がないと綾は不機嫌そうな顔をするので、会話から逃げることもできず、守哉は所在ない時間を過ごすはめになった。

 窓から差し込む日が消え、ランプに灯る橙色の光だけが部屋に満ちる午後七時。

「さて、と。あたしお風呂入るわ。伊佐ちゃん、好きにくつろいでて構わないからね」

「あの、お風呂があるなら、わたしも後で借りていいですか?」

「あ、うん。いいけど……入れるかな? うちの風呂、温泉だから、融機組織レクシーズが対応してないと壊れちゃうんだけど」

「大丈夫です」

「ほんと!? じゃあそれならさ、二人で一緒に入ろうよ! うちの風呂、すごいでかくてさ。一度でいいから誰かと入ってみたかったんだ!」

「は、はい……じゃあ、一緒に」

 嬉しそうに息巻く綾を、未那美はむげにはできないだろう。やはり彼女は控えめに承諾した。

「やったー! 兄貴、覗かないでよねっ」

「当たり前だ」


 二人分の寝間着を手に、綾は未那美を引き連れて風呂場に消えた。

(やっと一人になれた……)

 守哉は深く息をつき、天井を仰いだ。ようやくゆっくりできる、そう思ったのだが――

「伊佐ちゃん肌きれいだねー! うらやましいー」

「そ、そうでしょうか」

 浴室の防音がしっかりしていないのか、二人の会話は丸聞こえで、はしゃぐ水音まで聞こえてくる。守哉は頭を抱えた。

「うん、すごいよ。あたしいっつも融機組織レクシーズいじってるから、油でべとべとになっちゃうんだよね。手入れがめっちゃ大変。伊佐ちゃんはなに使ってるの?」

「えっと……わからないです。いつもお世話をしてくれる方が持ってきてくれたのを使ってるだけだったので……」

「世話係!? はわ~、伊佐ちゃんってやんごとない人なんだね」

「そ、そんなことないです」

「体見てもどこが融機組織レクシーズなのかまったくわかんないし、すごい技術だなあ」

「わたし、全部生身なんです」

「え!? ほ、ほんとに?」

「はい……わたし、生まれつきライフ・キャンサーへの抗体があるからいらないって」

「マジで!? すごいよ、それ!」

「そ、そうなんですか?」

「そうだよ! そんなの聞いたことないよ~。ねえ、ちょっと触ってみていい?」

「えっ、あの……きゃあっ!」

 浴槽の湯が、ばしゃばしゃとはねる音が聞こえてくる。

「すごい! すべすべでやわらかーい! これが完全な生身……どれどれ」

「だ、だめです! わ、わたしは純潔を守らないと……」

「純潔だなんて大げさだな~! ちょっと触るくらいならいいじゃーん? うりうり」

「きゃうっ! ……やっ、やめてくださーい!」

 楽しげな二人の声。

 さすがにいたたまれなくなった守哉は、風呂場の声が聞こえなくなるよう、二階の自分の部屋に移動した。

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