-03-

 天井が、見えないほどに高い。眠気を誘うようなけだるい光に満ちた部屋の奥に、機械で出来た巨大な花があった。人の背丈の三倍ほどはありそうな卵型のカプセルを中心に、薄い板状の装置が放射状に配置されている。システムの全身が周期的に淡く桜色に明滅し、まるで風に揺れる花のようだ。さらには、システムの足元から伸びる無数の木の根が花を避けるように迂回し、床にめり込んでいる。壁から生える枝には、葉が青々と生い茂っている。

 まさしく、生物と機械の融合体。融草機構シルクィーズの極致。神威ノ宮の叡智の結晶、ナミシステムだ。

「伊佐!」

 未那美は一糸まとわぬ姿で、中心に位置する卵の中にいた。卵の中はほのかに発光する薄緑色の液体で満たされており、未那美には無数のコードと人工呼吸器が取り付けられている。

「いつ見ても醜悪なデザインだ」

「設計者のセンスなのだから仕方ない。淡路、システムの起動を手伝うのでなければ、今すぐにここを出て行ってくれ」

 花から少し離れたところに、無数の計器が並び立っている。声の主――伊佐修司は、計器の前に立って忙しなく手を動かしており、守哉たちには背を向けたままだ。

「長官、ナミシステムの起動は中止です」

「最高責任者は私だ。君に計画の是非を決定する権限はない」

「誰が権限に基づいて中止すると言いましたか? 合法的に未那美を連れ出せるなら、最初からそうしています」

「ならば、私も出生省長官としてではなく、一人の人間としてこう言おう。これは私たち親子の問題だ。血縁者でもない君は黙っていてくれないか」

「血のつながりを持ち出すのですか。腹を痛めるのがナミのコアだけになり、出産の喜びも家族への帰属意識も希薄になっているこの時代に」

「意外とロマンチストなんだな」

「ナミの起動を中止してください。あなたは奥様の幻影を追いかけているだけです。未那美は未那美、その子は奥様じゃない」

「君が、彼那子の何を知っていると言うんだ!」

 伊佐は怒りをあらわに振り返り、激昂した。

 この様子では、伊佐が折れるとは考えにくい。一刻も早く未那美と話したいという焦りが、守哉を走らせた。

〈両足筋組織制限解除リミッターカット、出力七〇%〉

 アイリの声に一.五二秒遅れて、無機質な床を蹴る。伊佐の顔に思い切り右ストレートを叩き込んでやろうと、距離を詰めたのだが――

「そんな読みやすい筋では、いかに速くても届かないッ!」

「なっ……!?」

 守哉の右腕はあっさりと伊佐の肘にさばかれ、伸びきったところを絡め取られた。次の瞬間、守哉の体は宙に投げ出される。背中が床に叩きつけられたと思ったら、一息のうちに押さえ込まれていた。

「ぐっ……なん、っで……」

「私には君のような凄まじい融機組織レクシーズはないし、異常能力ギフトもない。だから武芸十八般だけは修めたんだ。それくらいなくては、彼那子を守れなかったからね」

「あんたは、先代の親衛隊員……なのか」

「当時の出生省長官に土下座して親衛隊に入れてもらったんだ。せめて最期の時まで彼那子のそばにいさせてほしいと」

――せめて、最期の時まで。

「……あんた、奥さんがナミになって、嬉しかったのか?」

 答えはない。

 しかし一瞬、伊佐の表情が凍りついたのを、守哉は見逃さなかった。

「本当は、奥さんにナミになってほしくなかったんじゃないのか……あんたは自分に嘘をついてるんじゃないのか。奥さんだけじゃなく娘までナミにすることで、嘘を本当にすり替えようとしてるんじゃないのか」

「……私は、っ……彼那子との約束を果たしたいんだ!」

『ナミシステム起動にかかる麻酔フェーズが終了しました。これより、同化フェーズの準備に入ります』

 無機質なアナウンスが響き渡る。機械の花が放つ光が、桜色から青色に変わった。

「まずい!」

「させるか!」

 計器に駆け寄ろうとする淡路を見るなり、伊佐は守哉を捨て置いて駆け出した――好機だ。

視界加速ヴィジョン・アクセル

 守哉の思考に、アイリが反応する。今度は最初から全力だ。伊佐には認識できない速度で一気に距離を詰め、後ろから羽交い締めにした。

「天橋、離せッ!」

 怒声には応じない。伊佐の肩越しに淡路の様子を窺う。その背中には、焦りと苛立ちがありありと浮かんでいた。

「淡路、やめろ! これは命令だ!」

「長官。奥様は、未那美がナミになることを望んでいません」

 システムが警報音を鳴らし、『その操作は禁止されています』と連呼する。伊佐もまた、淡路に向かって叫ぶ。

「彼那子は、未那美をナミにするよう私に頼んで死んでいったんだ! 頼む、淡路。妻の想いを踏みにじらないでくれ!」

 叫びは懇願へと変わる。だが、淡路は手を止めない。

「淡路っ!!」

「……奥様は」

 手を動かしながら、淡路は伊佐に尋ねた。

「いつ、あなたに遺言を残されたのですか」

「……忘れもしない。二〇四〇年十二月二五日。死ぬ前日だ」

 伊佐の答えに、淡路は一瞬、黙り――ため息のあと、悲しげな声で言った。

「やはり、あなたはナミシステムのことをわかってない。わかりたくなかったというべきか……同化フェーズが終了すれば、コアは完全にシステムのパーツになる。

「どういう意味だ」

「つまり、あなたが聞いたのは、幻聴……あるいは、『ナミの声』ということです」

「ナミの声、だと……」

「あなたの精神は健康だ。幻聴とは考えにくい」

「そんな馬鹿な話があるか! ナミは融草機構シルクィーズだぞ! それが」

「自我を得るはずはないと?」

「そうだ」

「……我々はこの装置に名前をつけてしまいました。"ナミ"と」

「しかし!」

「ありえない、なんてことはありえない!」

 淡路は語気を強めた。

「私は彼那子から託された。生まれてくる子供を守って欲しいと。自分の子供には幸せに老いていってほしいと、彼那子は確かに言ったんです」

「ならば君は、それを、いつ聞いたんだ!」

「二〇三九年十二月三一日。彼那子がナミシステムに組み込まれる前の日です」

「……馬鹿な。その日、彼那子は、家族と会うと言って……」

 再びの警報音。『その操作は禁止されています』。淡路は、ちっ、と大きく舌打ちした。

「システムがこちらの命令を受け付けない。プログラムに異常が発生している……くそっ!」

 守哉は、卵の中の未那美を見やった。コードに拘束された姿は痛々しく、今すぐにでも彼女を助け出したいと気持ちばかり逸り、思わず淡路に尋ねる。

「伊佐を無理やりシステムから引き剥がすことはできないのか?」

「だめだ。同化の最中にシステムを破壊したら、未那美の脳がダメージを負ってしまう」

「なら、どうすれば」

「システムを正常終了させるほかない。そのためにはプログラムの不具合を見つけ出して直さなければならないんだが、複雑すぎてな……同化フェーズ終了前に見つけ出すのは、実質不可能だ」

「……まさか、もう打つ手がないのか? 他に何かないのか」

「……どういうことなんだ」

 守哉に捕まえられたまま、伊佐が、蚊の鳴くような声でつぶやいた。

「淡路、君は……何者だ? 彼那子の親族に、君のような人はいなかった」

『同化フェーズ、準備完了。これより処置に入ります。所要時間予想、一時間十五分三〇秒』

 抑揚のない機械音声が、広い部屋にこだました。ナミシステムのアナウンスは、アイリとは比較にならないほど無感情だ。

「長官、事情を説明していなかったことは謝罪します。ですが、今は細かく話している時間がありません。この一言で理解してください。……お義兄さん」

 突如、伊佐の体から力が抜けた。守哉が反射的に拘束を解くと、伊佐はその場にくずおれた。

 何がなんだか、わからない。混乱する守哉の頭の中に、アイリの声が響いた。

〈守哉、伊佐未那美救出に関して、アイリから淡路十和子に提案したいことがあります〉

(……なんだかよくわからないが、わかった。任せる)

 マイクのスイッチをオンにすると、すぐに襟元から声が流れだした。

「淡路十和子、アイリの処理能力ならば、短時間でプログラムの不具合を発見できる可能性があります。アイリをナミシステムに接続してください」

 計器を操作する淡路の手が、止まった。

「補助頭脳。お前はいいかもしれないが、お前の宿主は人間だ。守哉の脳が情報量に耐えられる可能性は高くないぞ。そこのところはわかって言ってるのか」

「はい。守哉からは、守哉自身よりも伊佐未那美の無事を優先するようオーダーされています」

 アイリの言葉に淡路は頭を抱え、守哉に視線をよこす。

「伊佐を救える可能性があるなら、なんでもやります。博士、アイリの言うとおりにしてください」

 頭を抱えたまま、淡路はさらに深くため息をついた。

「まったく、私の人を見る目は確かすぎたな……守哉、右こめかみを出せ」

 前髪をかきあげて淡路に示すと、ほう、と彼女は感嘆の声を上げた。

「いいものをつけているじゃあないか。だが、悪いがこの盾はいったん外させてもらうぞ」

 守哉の返事を待たず、淡路は右こめかみの盾を取り外すと、計器から伸びる細いコードをアイリに差し込んだ。

「補助頭脳、単純な不具合検索の前にやってもらいたいことがある」

「守哉、淡路十和子のオーダーを受け付けてもよろしいですか」

「ああ」

「オーダー、どうぞ」

「ライフ・キャンサーの反応がないか調査しろ」

「オーダー受理。免疫プログラム、開始します」

 アイリの声が聞こえたと思ったら、急にまぶたが重くなる。体から力が抜けていく。

「杞憂ならそれでいい。だが、今のナミの状況、長官が聞いた声――……」

 淡路が何を言ったのか、最後まで聞き取ることはできなかった。

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