百戦錬磨(2)

「勝者、ガルム!」


 戦闘中は脇に避けていた司会者が、舞台上に戻っていた。高らかに勝者の名を告げたその声で、半ば呆気に取られていた観衆が我に返る。そうして割れんばかりの歓声が、場内を包んだ。

 ガルムはアクエリアを救護班に引き渡し、トランスを解くと、人々の声援を一身に受けつつ選手控え室へと帰ってきた。行きとは違う、堂々とした態度だ。橙色のハチマキが、風にあおられて揺れている。


「勝ったぜ。まあ、楽勝とはいかなかったけどな」


 控室で待つ俺の前まで来ると、犬耳をはためかせて笑った。いつもと変わらない、子供のような無邪気な笑みだ。


「何言ってんだよ」


 頭を振って、ため息を返す。ほとんど相手を傷つつけず、息も切らせず勝ったのだから、時間はかかっても楽勝に違いない。

 一瞬、飛行能力の無い彼を心配したが、全くの杞憂だった。まさか、なんて思わなかった。ガルムと初めてあったあの日、俺が勝てたのは、ブラストの効果ではないと確信する。

 同時に、想像していた。もし今起こったことが、自分の身に降りかかったら、結果はどうなっていたか。


 空中での迎撃は、可能だろう。飛行と同時に他の魔法を使えばいい。でも今目の当たりにした彼の速さには、恐らく対処できない。呪文の詠唱が追いつかない。せいぜい、剣で防御体制を取れるかどうか。

 あの時、もし下が踏み込みの悪い砂ではなく、固く平坦な地面だったなら。きっと、やられていたのは俺の方だった。実際剣は奪われたまま手元に無かったと、思い返して息を呑む。


 百戦錬磨のガルム。俺がこの大陸に来た翌日、彼が冗談交じりに言っていた言葉だが、あながち誇称というわけでも無さそうだ。

 豊富な戦闘経験と、自分の強さに対する絶対の自信。己の力量をしっかりと把握し、それを最大限に発揮できる能力が、彼にはある。もう二度と勝てないかもしれないな、と内心笑って、ふと気が付いた。


「お前さ。初めて会ったとき、俺の命を取る気なんて無かっただろ。そもそも、本気じゃ無かったな?」

「……何の話だ?」


 一瞬の空白の後。ガルムは覚えが無いな、とばかりにそっぽを向いた。とぼけた顔をして見せるが、嘘が上手いとはお世辞にも言えない彼のこと。態度だけで、その通りですと肯定しているようなものだ。


 目の当たりにしたアクエリア戦。戦闘開始当初から、倒す機会はいくらでもあった。わざわざ彼女からの攻撃を長時間にわたって受ける必要もない。トランス直後に跳び上がって、攻撃を加えれば終わりだ。大抵の観客にとって目で追うのがやっとだった、彼の素早さなら、余力のある状態だったとしても避ける暇すら与えない。

 なのにガルムは、あえて彼女の攻撃を受けた。出来る限り弱らせて、大人しくなった瞬間を狙って、とどめをさした。殺すのではなく、倒すのでもなく、ただ、制するために。

 俺の時だってそうだ。慣れない魔法に不意をつかれはしただろうが、本気になれば、簡単に勝てたはずだ。なのに、実行はしない。命のやり取りを簡単に口にするくせに、実際には相手の身を案じている。

 結局そういう奴なんだ、こいつは。そのに、自然と上がる口角を自覚する。


「それとも女子供には優しい、って訳か。

「隼人……あのことまだ根に持ってるのか?」


 ガルムは情けない声を上げ、耳と尻尾を力なく垂らした。叱られた犬そっくりだ。

 吹き出したくなる衝動を抑えきれず、声を出して笑った。


*  *  *


 リングが大きく破損したため、 二回戦は破損部分を交換し終えるまで延期する、という旨のアナウンスが響いた。観客は当然不満を口にしたが、半分近くが鋭利な棘で覆われ、中心付近に大きな亀裂の入った舞台では、満足な試合ができないと納得したのだろう。騒動にはならず、小休憩のような雰囲気で落ち着いている。


 そんな中、ガルムはちょっと待っててくれと告げて姿を消した。どこに行くとは聞いていない。あまり興味は無いし、きっと言われても分からない。そもそも始終つるんでいる必要も無いと、詳しく聞かずに送り出している。

 お陰で俺は、手持無沙汰だった。特にやるべきことも思いつかず、控室の壁に背を預け、ぼんやりと外を、つまりは舞台上を眺めている。


 舞台周辺では、屈強な数人の獣人達が素手で石柱の交換を行っていた。人間ならばクレーンでも使わない限りは一ミリも動かせない巨大な石の塊を、ちょっとした荷物でも運ぶような加減で簡単に持ち上げ、撤去して、代わりに新しい石柱をぴったりとはめ込んでいく。全員がトランス状態とはいえ、人の世界では考えられない仕事ぶりだ。早さと正確さにも、ただ感心するばかり。作業開始からずっと見つめているが、飽きない。


 そうして、大きなひびと無数に埋まった半透明の凶器でぼろぼろだった舞台が、美しく生まれ変わろうという頃。ふらりと、ガルムが帰ってきた。何やら上機嫌だ。 両腕が不自然に背後に回っているところをみると、何かを隠し持っているらしい。

 気付かないふりをして、壁に持たせ掛けていた上体を起こした。


「何だよニヤニヤして。何か良いことでもあったのか」


 ガルムは答えず、相変わらずにやけた顔のまま舞台を眺めやった。まだもうちょっとかかりそうだなと独り言を言い、もう一度俺へと向き直る。


「なあ。飯食いに行こうぜ」

「は?」


 思いもかけない言葉に、眉が寄った。

 朝食はきちんととったし、昼食をとるには数時間早い。しかもコイツは、つい先ほどまで戦闘を行っていたはずだ。なのに、飯だって?


「早いな。もう腹減ったのか」

「ん? ああ、まあな」


 返答が怪しい。ますます疑問が湧く。怪訝そうな顔をしていたせいか、ガルムは慌てた様子でまくし立て始めた。


「トランスすると腹減るんだよ! そういうもんなんだって!」


 いかにも後付けな理由だ。余計に怪しい。それでも、ふうんと聞き流して、先を促す。ガルムはまた嬉しそうな顔に戻り、軽く尻尾を振った。


「でさ。聞いた話なんだけど、出てちょっと行ったトコに凄え美味い店があるらしいんだ。相当な人気で、武術大会が終わる頃には閉まっちまうって話なんだよな」


 要するに、別に腹が減っている訳ではないが、美味いと評判の店の味を試しに食べてみたいだけということか。わざわざ回りくどい言い方をしなくても、初めからそう言えば良いのに。


「なら行って来いよ。お前の試合は当分無いんだしさ」

「何だよ、冷たいな。一緒に行こうぜ」

「別に腹減ってないし。いいよ」


 顔の前で手を振って、再び壁に寄りかかった。視線を、日差しが眩しい外へ投げる。

 すっかり整備され、大会が始まる前と変わらない状態に戻った舞台の上に、いつの間にか司会者が姿を現していた。リング交換で時間を食ったことへのお詫びの後、手元の紙を広げ、次の対戦カードを読み上げていく。聞こえてきた、アスピスとワカバ、という名前を頭に刻んだ。


 対戦相手の情報は、重要だ。相手の武器や技を事前に知ることが出来たなら、攻略法も考えられるし、心構えもできる。勝率はぐんと上がる。 誰が勝ちあがってくるのか今の時点では分からなくても、全員の戦法を見て覚えておけば、いざ自分の敵となった相手とも余裕を持って戦うことができるようになる。


「行きたいなら一人で行ってくれ。俺はここで、試合を見てるから」


 小声で、言葉だけを返した。入口に立つ俺達の脇を通り抜けて、二回戦の組み合わせである長身の男と小柄な女性が、舞台上に上がっていくところだった。興味のないふりをしながら、そっと、観察する。

 どちらもまだトランス前で、大きな特徴はない。ただ女性の方は、短い髪の隙間から垂れ下がった耳殻が目を引いた。人と比べて、随分長い。ふわふわとした毛並みに覆われている。強いて言うなら、兎に似ていた。


「へえ、良いのかな。そんな事言ってさ」

「どういう意味だよ」


 男の方もよく観察したかったが、含みのある台詞が気になった。仕方なく、顔をガルムへ戻す。

 悪戯っ子のような笑みが、そこにあった。俺が何か言おうとする前に、自分の顔の横に添えるようにして持ち上げたものを、空いている手で指差す。


「これ何だ」

「……お前、何考えてんだよ」


 ガルムの手の中にあったのは、ロッカーに預けておいたはずの俺のバックパックだった。勿論中には人間界のオーブも入っている。 盗まれないようにと、二人分の荷物をロッカーにまとめて入れて、鍵をかけて置いたのだが。こんなことなら俺が鍵を預かっておけばよかった。失敗した。


「行くだろ?」


 これみよがしにリュックサックを振ったガルムが、歯を見せて笑う。乱暴な扱いに、中身ががさがさと悲鳴を上げている。

 舌打ちをこらえて、勢い良く上体を起こした。


「分かったよ。行けばいいんだろ、行けば!」


*  *  *


 会場から出てすぐの大通りは、沢山の人であふれかえっていた。ほとんどは獣人だろうが、話によると住み着いてしまった人間も居るらしい。それが本当なのか、確かめる余裕すら無く、都会の繁華街顔負けの人込みをかき分けるようにして進む。

 道の左右には、元々街で店を構えている商店に加えて、様々な屋台が軒を連ねていた。縁日の出店に近い雰囲気だ。食べ物屋あり遊戯屋ありと、内容も人間界に出る出店とさして変わらない。


 その中に混じって、大会で誰が優勝するのかという賭けで、出資者を募っている、幾らかしっかりした造りの小屋もちらほらあった。何気なく、そのうちの一つで足を止める。

 外からも分かるように立て掛けられている写真つきの歩合表を見ると、案の定俺の倍率はかなり低かった。最下位ではないが、上からより下から数えた方が早い。別に人気だからどうということもないが、 何となくしゃくだ。

 一方のガルムは、今のところ一番人気だった。ある程度の知名度に先ほどの戦闘での評価が加わり、どんどん倍率が跳ね上がっている。

 こんなことに意味は無い。実際の結果は別ものだ。分かってはいるけれど、それでもやはり悔しいものは悔しい。


「何見てんだよ。そんな真剣な顔して」


 時折道行く人から浴びせられる声援に笑顔で応じていたガルムが、 ひょいと俺の横から歩合表を覗き込んだ。


「……別に」


 ぶっきらぼうに答えるが、表を見れば、俺が不機嫌になっている理由など一目で分かる。

 ガルムは俺の顔を覗き込んで、今のうちに隼人の買っとけば大儲けできるかもな、と笑った。茶化してもらったお陰で、少しだけ胸がすく。やめとけよ、と軽口を叩き、踵を返した。


「ああ、ここだ。ここだ」


 大通りの果て、そこから折れた脇道沿い。ガルムが指し示した店は、いわゆる露店だった。 調理場としての屋台のまわりに、幾つかのテーブルと椅子が適当に並んでいる。これでもかというくらい周囲に香ばしい匂いを撒き散らしているせいか、振り向いて屋台に興味を示す通行人も多い。

 人気店というのも、単なる噂だけでは無かった。全部で五つある六人がけのテーブルは、既に人でいっぱいだ。その隣に長く伸び、延々と人を増やし続けている順番待ちの列には、見るだけでうんざりさせる力がある。


「見ろよ。昼時でもないのに、この状態だぞ?」


 指をさした長蛇の先に、また何人かが加わった。うっと声が詰まる。諦めて帰ろう、と主張したかったが、延々続く人々を眺めたガルムは、何故か鼻息を荒くした。


「ほんとだ、凄いな。じゃあ、後ろに並んで待とうか」

「待とうか、って……お前な」


 ざっと見ただけでも二、三十人はくだらない人数が、縦に連なっている。連れ合い同士互いに何か話しながら、自分達の順番を来るのを待ちわびている。その群れを見て、何故志気が上がるのか、何故そんな結論に至るのか、分からない。


「これが見えないのか? どう考えても飯にありつく前に三十分はかかるぞ。無断で抜けて来てる訳だし、遅れたらどうするんだよ」

「だから早く並ぼうぜ。こうしてる間にもほら、次々に人が増えてるじゃないか」


 戻りたくて仕方ない俺を、じれったげなガルムが急かす。繰り返す会話は平行線で、ちっとも噛み合わない。口論の末また荷物をだしにされ、結局俺達は行列の最後尾につき、馬鹿みたいにただ時間を潰して、順番を待った。

 確かに飯は、美味かった。噂の通りだ。しかし、対する代償もまた、大きかった。

 急いで会場に戻った頃には、既に二回戦はおろか三回戦すらも終了し、四回戦の始まりを告げる司会者の声が響き渡っていた。




  to be continued...■

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