悪夢の爪痕(3)

 西へと傾きだした日の光が、周囲を赤く染め上げていた。水面に映った夕陽は金色にきらめき、その流れに従って形をいびつに歪めた。


 目の前を悠々と流れる、人工的な大河。埼玉県の山間部を源流とし、中部を貫いて最終的には東京湾に注ぐ、比較的有名な川で、丁度この辺りは東京都と埼玉県の境にあたる。なだらかな坂を下ると運動場として使える広場も幾つかある河川敷は、普段ならば、ジョギングをする人、犬を散歩に連れ歩く人、野球やサッカーその他のスポーツを楽しむ子供達などでこの時間帯でも相当にぎやかだが、今は俺以外誰もいない。車通りの多いはずの橋の上にも川に沿ってはしる道路にも、車はおろかバイクさえ見当たらない。俺が立っているのは高く土を盛られた土手の上で、川からはかなり距離があったが、微かな水音まで聞こえてきそうなほどに、冷たい静寂が辺りを支配していた。


「ごめんな。こんな所で。でも、結構気持ちいいだろ?」


 足元に並んだ、二つの石に話しかけた。ささやかながら、小さな黄色い花もそえてあった。その辺で摘んできた雑草だが、何もないよりはマシだろうと思う。

 せめて二人を埋葬しようと現場に足を運んだのはいいが、実際にはどこにしたら良いのかと随分悩んだ。本来なら墓に収めるべきなのだろうが、自分一人で火葬はできそうに無い。かと言ってこのまま置き去りにしたくはないしと散々考えを巡らせた結果、ふと頭に浮かんだのがこの河川敷だった。


 土手の上に立った時の、見晴らしの良さが好きだった。自宅から近いとは言えない距離だが、気が滅入った日などには特に、自然と足が向いた。

 しっとり濡れた草の香と、風に乗って時折混じる夕餉ゆうげの匂い。元気な子供達の歓声と笑い声が響く河川敷。

 陰影だけを残した街の中へと、そのまま溶け落ちそうなほど柔らかに歪んだ大きな夕陽。 通りを歩く人の影は、遮るものが無いぶん、長く細く伸びる。絶え間なく吹く風の中、川の流れに沿って土手の上をゆっくりと歩き、その光景を肌で感じる度、不思議と気持ちが晴れていく、俺にとっては特別な場所。


 当然ここまで二人を背負って来るのは、大変だった。脱力した体は、普段よりずっと重く感じられる。まして今は肋骨に傷を負っている。それでもなんとか歯を食いしばり、自宅と河川敷を一往復半して、同時に持って来たシャベルで穴を掘り、無事埋葬を済ませた。

 墓標となる石はその辺で調達した。見栄えは悪く小さいが、何もないよりはいいだろう。いつかこの地に人が戻ってきた時に取り除かれてしまったとしても、俺が忘れることは絶対に無いのだから、それでいい。


「母さん、オバさん。俺、このままで終わらせる気は無いよ。 決めたんだ。強くなって……いつか必ず仇をとる」


 静かに、しかし力強く。俺は二人に、決意を告げた。俺を逃がすために身を投げ出した、母さんの遺志には反するのかも知れないけれど、 このまま諦めることなどできそうになかった。

 一つでも可能性があるなら、それに賭けてみたい。相打ちにすらならなかったとしても、一矢報いさえすればいい。


「それと、こっちの世界の――に会ったら、母さん達のこと伝えるよ。俺を守って死んだ、ってことも。憎まれたって、仕方ないと思う。でも本当のことを、俺の口から言いたい。いや、言わなきゃいけないんだ。それからここに連れて来るよ、絶対。だから、待っててくれ」


 足元の『二人』に向かって、軽く笑んで見せた。それから眼下に広がる大河へと視線を投げた。

 眩しいほどに輝く水面は、俺の記憶の中に残るいつものそれと同じように、風に揺れて細かな小波さざなみを立てていた。


*  *  *


 一度、自宅のあった場所に戻った。手ぶらのまま旅立つわけにはいかない、という思いがあった。ちょっとした家出ならまだしも、当てのない復讐の旅なら、装備を整え直すべきだ。

 ゆっくり歩いてきたせいで、あたりは既に暗くなっていた。昼間と同じように雲ひとつ無い空から、淡い光が降り注いでいる。


 自宅前に着くと、半ば瓦礫に埋まった家の中から、昨日用意しておいたバックパックを引っ張り出した。ざっと確認したが、砂埃やコンクリートの破片で汚れてはいるものの、破損している箇所は見当たらないようで、ほっとした。まさかこんなことになるなんて予想もしていなかったけれど、崩れた家の中から必要なものを一つ一つ探し当てるのは至難の業だったろうから、こういうのを不幸中の幸いと言うのだろうかと、つまらないことをぼんやり考えた。


 次は、脈打つように痛む胸の傷。これをなんとかしないと、今晩眠るのさえ難しい。無理な体勢で体を酷使してしまったせいか、昼間より酷くなったようだ。気がかりだった二人の埋葬を済ませ、気が緩んだのかも知れない。

 片手の拳で胸を押さえつつ、もう一方の手で瓦礫を一つずつどけていく。周囲には街灯などついていなかったが、だからこそ闇夜に映った月明かりだけでも、出てきた物が何なのか位は判別出来た。

 本当なら長めの包帯があれば一番良かったが、しばらく探しても見つからなかった。仕方なく泥で薄汚れたシーツを足元に落ちていたナイフで切り裂き、 細長くしてから上半身に巻きつけて、患部を固定した。医学の心得など無いから、あまり上手くはいかなかった。それでも何もしないよりは、楽な気がした。


 それから、服だ。寒い時期では無いものの、流石に破れたシャツをいつまでも着ている訳にもいかないと、包帯を探していた時にたまたま見つけた制服に着替えた。俺自身がこの世界に来た時に、着ていたものだ。こちらも所々薄汚れていたが、想像よりは綺麗で、少し手で払えば着て歩いてもおかしくない程度に思えた。


 さて、これからどうしようか。まだそんなに遅い時間帯ではないが、傷の具合から考えても即座に行動を起こせそうにない。かと言ってこの場所では体を横たえるスペースなんてないし、そもそもゆっくり眠れる雰囲気ではない。こうしている今も、すぐ横では相変わらずカラス達の晩餐会ばんさんかいが繰り広げられている。

 よく見れば、いつの間にか鼠まで集まっていて、肉を屠る生々しい音が周囲に木霊していた。影絵のように揺れ動く捕食者達が、時に奪い合い、互いに相手を牽制しながら、目前の獲物に我先にと群がる。昼間より余計に陰惨さが増した周囲の光景に身震いし、肋骨に響かない程度の反動をつけて立ち上がった。


 甲高い鳴き声とともに、足元を数匹の鼠達が走り抜けていく。ふと立ち止まって後ろ足で立ち上がり、こちらの様子をうかがう双眸そうぼうは冷たい。その気配に気付き、作業に没頭していたカラスが俺の方を振り向く。威嚇いかくこそしてこないものの、存在を歓迎されていない雰囲気が伝わってくる。

 こちらを睨みつけていたうちの一羽が、低く唸るような鳴き声をあげた。ここはもはやお前達のモノではない、お前の居場所は無くなったのだ、とでも言うように。


「……くそっ」


 やり場の無い思いは、小さな悪態にしかならなかった。情けなさと悔しさが、すさんだ胸中を埋める。奴らを睨み返しながら鞄を肩にかけ、ふらつく足元を何とか整えて、昨日休んだ空き地へと、足を向けた。




  to be continued...■|



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