別離(4)
「あれから暫く後、各国のテレビ局に宣戦布告があったそうだ」
「宣戦布告?」
「ああ。あの化け物どもを送り出してきた張本人から、な」
思わず体を起こしかけたが、オッサンに片手で制された。同時に感じた痛みもあり、小さく呻いて再び寝転ぶ。
「まあ正しくは、降伏宣告と言った方がいいかも知れないな。実際、あちらさんは無条件降伏を主張してきている。もう世界中滅茶苦茶だし、武力行使でも歯が立たないとくれば、大人しく傘下に加わることになるのも時間の問題だろう。もっとも、人間大陸の情勢しかわからんが」
人間大陸。オッサンが何気なく発したその言葉に、違和感を覚える。俺と一緒にこの世界に飛ばされたばかりなはずの彼が、何故その事実を知っているのだろう。そして何故、躊躇い無く口に出来るのだろう。散々考えに考え抜いてやっと自分なりの結論を出した俺でさえ、まだ半信半疑だというのに。
彼はやっぱり、何かを知っているんじゃないか。
浮かんだ疑問は、しかし一瞬にして、水泡のごとく消え去った。脳裏に蘇った絶望と怒りが、全てを塗り潰そうとしている。胸の奥、あるいは頭の片隅で沸いた耐え難いその毒は、じわじわと勢力を広げ、全身にまわり、指先にまで浸透する。
「何者なんだ、そいつ」
「確か、冥王ペラグリーン、とか言っていたな」
「つまり、そいつが母さんやオバさんを……?」
再び高鳴りだした鼓動を抑えて、言葉を押し出した。あえて口に出さずとも、明らかなはずの事実。改めて認めてもらうことで、確実なものにしたかった。
オッサンは一呼吸置いてから、ゆっくりと頷いた。
「間接的に言えば、その通りだ」
その返答を待っていたように、鼓動が激しく高鳴った。ずきんずきんと、痛みまで伴って耳に届く。激しい憎悪が、体中に渦巻いている。手の先がしびれてくる感覚に、両の拳を強く握り締めた。
「どこにいるんだ」
胸が潰れそうなほどの圧迫感の中、やっとの思いで問いかけた。自分でも驚くほど、静かで低い声が出る。
「無駄だ。今のお前じゃ、死にに行くようなものだ。 第一使い魔にさえ歯が立たないようじゃ、冥王とやらの顔を見る前に殺されちまう」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ! このまま何事も無かったかのように、のうのうと暮らしていけってのか?」
たまらず上半身を起こし、左肘で体を支える。物理的な痛みなんて、感じている暇は無かった。ただ身を焼き尽くさんばかりの憎悪に、身を
「落ち着け、隼人。今のお前では絶対に無理だ、と言ってるんだ。仇を討ちたいのならば、それに見合った力をつければいい。この世界には、お前の世界では考えられない特殊な力が存在している」
「特殊な……力?」
「そう。いわゆる、魔法ってやつだ。もっとも、誰もが使える訳じゃないし、大部分の人間達はそれが存在することすら知らないだろう。しかし可能性が無い訳でもない。もしかしたら、お前には素質があるかも知れないからな。試してみても損は無いはずだ」
落ち着いたオッサンの口調で、少し冷静さが戻る。今度はたたみかけるように胸の痛みが襲ってきて、倒れこむように再び体を横たえた。その衝撃で、また酷く痛んだ。浅い呼吸を繰り返して、ひたすら激痛を抑え込む。
「どう、すれば、いいんだ?」
顔だけを、
オッサンがその異変に気づかないはずは無かった。しかし必死の俺を気遣ってか、触れては来なかった。
「お前のいた世界でいうと、インドの南東にある小さな島――スリランカだな。こちらの世界でのあそこは、長いこと無人島だったんだが、ここ二、三年の間に、おかしな帽子を被り、長い白髭を蓄えた老人が、一人で住みついたらしい。どうやらそいつが、鍵を握っているようなんだ」
燃え盛る火に目を落として、淡々と説明する不思議な男。揺れ踊る橙に照らされたその顔を、黙って見守る。
何故オッサンは、この世界にやたら詳しいのだろう。一緒に飛ばされたのなら、ここに来てから正味一日程度しか経っていないのに、俺の知らないことまでよく知っている。まわりの人に聞いてまわったのか? いや、そんな事をしたら怪しまれるし、第一時間も余裕も無かったはずだ。それに彼自身が口にしているように、どれも普通の人間が持ち得る情報ではないように思える。なら、どうして……?
渦巻く疑問は止め処なく
しかしそれ以外に得られる利点など、思いつかなかった。そもそも助力する必要自体、無い。対抗策となりうる情報を伝える意味もわからない。第一、彼が初めて俺の目の前に表れたのは、この奇妙な世界に迷い込む前だ。
この話を、本当に信じて良いのか。そもそも彼自身を信じられるのか。 これから自分がやるべき事、出来ることは何か。
眩暈がした。怒りと恐怖、疲労に苦痛、懸念と疑問。今の俺には、 圧し掛かった重みの全てを支えきる余力など残されていないようだ。眉間に生じた違和感を目を閉じてやりすごす俺の隣で、炎が音を立ててはぜた。
「なあ」
「うん?」
「まだオッサンの名前って、秘密なのか?」
唐突な質問に、オッサンは驚いたようだ。目が丸くなり、すぐに申し訳なさそうな顔になって苦笑を漏らした。
「ああ。まあ、そうだな」
相変わらず、人の良さそうな笑顔。やり場を無くしたように、まだ勢いのいい火に次々と木切れをくべる不器用そうな男を、俺は信じる事に決めた。
母さんを亡くし、オバさんを亡くし、最後に手のひらに乗る程度に残った希望の欠片を、自ら捨てる気にはどうしてもなれなかった。騙されているかもしれないと、微かに残る疑念を振り払い、俺は笑った。
「じゃあ、俺が勝手に名前考えても良いかな。呼ぶ時に不便だろ」
半分以上冗談だったのに、オッサンは嬉しそうだった。
「へえ、一体どんな名前つけてくれるんだろうな」
何故かオッサンは、名前に特別な執着があるようだ。俺が名乗った時に見せた感慨深げな表情が、脳裏に蘇る。どうしても自分の名を言おうとしないこととも、何か関係があるのかも知れない、と思う。
自分で言い出しておきながら、あらかじめ候補があった訳ではなく、困った俺は大いに悩んだ。宙に視線を泳がせ、星空には回答が落ちていないことを知り、オッサンにまた視線を戻す。
外見に目立った特徴はなく、体型も普通。彫りの深い顔立ちはいくらか日本人離れしているようにも見えるが、ハーフというほどでもなく、この程度なら街中に腐るほどいる。俺より少し長身ではあるものの、一般からしたら基準の枠に収まるだろう。驚かされたものと言えば、この世界に関する知識の豊富さくらいで――。
ふと、一つの単語が浮かんだ。正確には、音の響きが浮かんだ、という方が近い。やがて、これ以外に無いという、確信めいた予感さえ生じた。
「エルド、っていうのはどうだろう」
「エルド……?」
「Erudition(博識)からとったんだ。何でも知ってるからさ」
ぱっと頭に浮かんだんだ、とまでは言い出せなかった。少なくとも東洋人と思しき相手につけるには不似合いな名前なのにと、一番不審に思っていたのは、自分自身だった。
オッサンは、そうか、と呟き、暫くは何度かその言葉を反芻していた。それから俺の方を向いて、嬉しそうに笑んだ。
「ありがとう。気に入ったよ。隼人」
お世辞や建て前ではない、本心を思わせる弾んだ声音。オッサン、いや、エルドは、いつも柔和な笑みを浮かべる人だが、それは初めて見ると言っていいくらい、穏やかで優しい笑顔だった。名前を付けるなんて軽い気持ちで言った、こちらが照れてしまうほどに。
「……俺、疲れたから先に寝るよ。おやすみ」
実際には少しも眠くなかったが、顔を合わせているのが恥ずかしくて反対側を向き、頭からすっぽりと毛布を被った。寝返りをうった拍子にまた傷が痛んだが、段々慣れ始めているのか、声を漏らすには到らなかった。もやもやした感情を持て余した末の小さなため息だけが、体の下の青いシートに落ちる。
当分は眠れないだろう、と覚悟しての狸寝入りだったが、体が温まれば案外瞼も重くなってくるもので、次第にまどろみの中へと落ちていくのを感じた。
あまりにも目まぐるしい変化の中、やっと生まれた微かな安らぎが、気の緩みとなって、目元に暖かな雫を生んだ。知らないうちに頬を伝った涙が、顔の下のシートに小さな水溜りを作る。
閉じた瞳の奥に映る凄惨な光景は、見たくない場面ばかりをスローモーションで繰り返していた。記憶の中で、何度も殺される二人。飛び散る紅と、くずおれる体。何もできず、守られるばかりの自分。次から次へと溢れる涙が、髪から顎の先までを静かに濡らした。
「ありがとう隼人。そして――」
暗転していく意識の中、パチパチと音を立てて燃える焚き火の音にまじって、消え入りそうなエルドの声が微かに聞こえた、ような気がした。
to be continued...■
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