別離(3)
ぱちぱち。ぱちん。
何かが弾ける音が聞こえる。閉じた瞼の上から、揺らめきが残像となって映る。体の左側面に感じる熱気に、思わず顔をしかめた。
火……? 火が燃やされているのか……?
「おい」
急に、男の声がした。俺の丁度左側――火のある方向から聞こえるようだ。
「おい、起きてるんだろ?」
声に導かれるように、うっすらと目を開けた。
最初に目に飛び込んできたのは、上空で瞬くいくつかの星々。周囲に明るいイルミネーションは無いが、空気が汚れてしまっているためか、数は少ない。
それから、淡く輝く半月。優しく降り注ぐ光ですら少し眩しくて、俺は目を細めた。
「生きてる……のか」
無意識に呟く。
どうやら厚手の毛布に包まっているらしいが、身体の下は冷たかった。土やアスファルトの感触とは違い、撫でるとごそごそ音がする。ビニールシートを敷いた地面に寝かされているのか、と思う。
景色は夜。一面闇色の空は、夕暮れ時とも明け方とも違う。半日ほど気を失っていた、と考えた方が良さそうだ。
ざっと状況判断を終え、ふと顔を声のした方へと振り向けて、そこにあるはずの無い姿を認め、目を見開いた。
「オッサン?」
あのゲームセンターで見た、正体不明の男がいた。燃え盛る火を境にして、反対側に座っている。
オッサンは俺の驚きに動じず、よお、と手を上げて応じてみせた。
「……ここは……?」
起き上がろうとして、呻いた。 胸を押さえながら再び寝転び、その振動が更に呼び起こした激痛に、息を呑んで耐える。
「無理しない方がいいぞ。肋骨が折れているみたいだからな」
オッサンは焚き火に木をくべ、俺に笑いかけた。
肋骨が折れている。まさかそんな重症を負っているとは思わなかったと、記憶を手繰って、改めて
しばらくは、満足に動けそうにないな。諦めて大人しく忠告に従うことに決め、辺りを見回した。
暗くてよくはわからないが、どうやら俺がこの世界に初めて来た時に気を失っていた空き地のようだった。周囲の家々も無事だ。何事も無かったように、ひっそりとたたずんでいる。
ただ、どの家にも灯りがついていなかった。月と星と、目の前で燃やされている炎だけが光を放っている。どうしたのだろう。あのモンスター騒ぎで、みんな逃げ出してしまったのだろうか。
考えて、はっとする。そうだ。俺はどうして助かったんだろう。
「オッサンが、助けてくれたのか?」
「まあな」
火の世話を続けるオッサンは、こちらを見もしなかった。 何でもないことのように、軽く切り返した。
外見で判断するならば、この男があのモンスターに敵うとは到底思えない。しかしあれだけ俺をなぶる遊びに喜びを見出していたあいつが、殺しもせずに大人しく退散したというのも考えにくい。
「なぁ」
「ん?」
「あのモンスター、オッサンが倒したのか?」
半信半疑で問いかけると、オッサンは、可笑しそうに笑った。
「はは、まあそんなところだ」
何故オッサンが笑っているのか、見当も付かなかったが、ともかく助けてもらったことに礼を言った。オッサンは多少大袈裟に手を振り、気にするな、とまた笑った。
俺も笑顔で応じながら、考える。一体、どうやって倒したのだろう。テレビで見たモンスターなど、 自衛隊の戦車ですら手も足も出なかったのに。俺が戦ったあいつが戦車と対峙した所は見ていないけれど、あのトカゲより戦力で劣っているようには見えなかった。それを、生身の人間が、どうやって退けたと言うのか。
気になった。でも、聞けなかった。何故かはわからないが、答えてもらえないような気がした。この件に関しては質問してほしくない、そんな雰囲気を、なんとなく感じ取っていた。
俺が黙っていると、オッサンは再び焚き火へと目を向けた。ひっそりと横たわる沈黙。木の弾ける音と、どこか遠くから聞こえる犬の遠吠えだけが辺りを包む。少し肌寒さを感じる風が、さあっと音をたてて通り抜けた。
「残念だったな……」
「え?」
咄嗟には何のことを言われているのかよくわからず、小さく声を漏らすだけに終わった。オッサンは少し躊躇うように視線をさ迷わせ、それから目を伏せて、ぽつり、と言った。
「……お袋さんのこと」
一瞬、返答につまった。忘れていたわけじゃない。けれど、思い出したくはなかった。
「ああ」
なるべく平静を装い、素っ気無い返事を返した。しかし意思に反して脳裏に蘇る光景が、その努力を無下に塗り潰した。
腹の底に響くような咆哮。冷たい光を宿した瞳。屈強な手に握られた母さんの体。滴り落ちる鮮血。まだ耳に残る、鈍く重く不快な音。母さんの命を奪った、あの――……
一度目を閉じ、深呼吸で気持ちを落ち着けようとした。胸の痛みを押さえて、何度か深い呼吸を繰り返し、高鳴る鼓動が正常に戻るのを待つ。それでも零れ落ちそうになる涙を嫌って、星空を見上げた。
「母さんは、俺の知ってる母さんだった。いつもいつも
例え住む世界が違っていたとしても、やっぱり母さんは母さんのままだった。最後の一言は表に出す事無く、自分の心の中だけでそっと呟く。
「仇、討ちたいか」
落ち着いた、静かな声だった。オッサンの低音は、無理矢理治めようとしていた俺の心に、微かな波紋を生んだ。
奴を許すことはできない。あの時感じた憎悪の炎は、今も俺の胸の中でくすぶっている。しかしあのモンスターをオッサンが倒してしまったのなら、もう不可能ではないのか。
言葉に出さずとも、疑問は伝わったらしかった。オッサンは俺を一瞥すると、焚き火に新たな木切れをくべた。
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