戦う術を求めて(3)

 日が暮れてしまうと、周囲は全くの暗闇に包まれた。頼りになるのは月や星といった、天然の灯りだけ。それでも都会の夜空と比べれば、かなり明るい。これなら街灯が無くても、歩くのに不便はなさそうだ。

 広場は村から少し離れた所にあった。人工のだだっぴろい広場だが、なんでも神の気が濃い場所だとかで、神聖な儀式や何かはいつもそこで行われると聞いている。

 勿論俺は、この村を救った人物とやらに会いに行くのだが、ジェレミーはそれをいまいち理解していないようだ。どうやら自分と一緒に遊びに行くのだ、と思っているらしい。楽しそうに、鼻歌交じりに案内してくれた。

 後について歩きながら、それでいいと考えていた。俺の目的など、気取られる必要は無い。今幸せに暮らせている彼女には、縁の無い話だ。いたずらに話しても、怖がらせるだけだろう。理由や意図など分からなくても、必要な時に簡単な通訳さえしてもらえれば、あとはきっと一人でも、なんとかなる。


 現場に着くと、既に宴は始まっていた。

 色とりどりの木の実や魚介類、恐らく元は鶏であろう蒸し肉などの乗った大皿が、目を引く。地面に敷かれたゴザの上に直接、並べられている。どの皿も山盛りで、所狭しと並べられている。

 丁度広場の中央部分には、太い丸太が俺の背丈ほどに高く積み上げられ、そこに放たれた火が激しく音をたてている。赤々と燃え盛る炎は真っ直ぐに天に向かってのび、金の火の粉がゆらゆらと周囲に舞っていた。


 もともと住民の少ない村であるせいか、賑わいは無いが、出席率は高いようだ。ジェレミーの母親を含む村の若い女達は、食事や飲み物の支度に駆り出され忙しそうに動き回っているし、老人や子供それに男達は、歌を歌ったり踊ったりと、盛り上がっている。酒が入っているのだろう。皆一様に顔が赤い。

 俺もどさくさに紛れて、その人込みに紛れ込んだ。民族衣装を身にまとった人々の中、異国の服を着ている俺はかなり目立つに違いないが、夜で周囲が暗いのと、ほぼ全員に酔いが回っていたらしいのが幸いしたのか、咎める声は無かった。


「アの人が長老様ヨ」


 ふと立ち止まり、ジェレミーが指差した方をみると、居間で言うなら上座に当たる位置に、二人の男が並んで座っていた。

 一人は現地の住人と同様、色黒な年配の男だ。周囲の人よりはいくらか高価そうな布で出来た服を身につけ、 何か面白い話題でも出たのか、片手で膝を叩きながら豪快な笑い声を上げている。

 もう一人は、口まわりに立派な白髭しらひげを生やした老人だった。絵本に出てくる魔女のような、先がとがった三角錐型の大きな帽子を被っている。隣の男の言葉に時折相槌をうっているようだが、目深に被った帽子のせいで、表情はよく見えない。


「ジェレミー。長老様って、髭の生えていない方だよな?」


 ジェレミーは早くも空いているゴザの上に座り込んで、食べ物に手を出し始めていた。俺の問いに、慌てて口に入っているものを飲み込み、頷く。


「そうヨ。もう一人ハきっと、この間村ヲ助ケテくれた人ネ」


 やはりそうか。確かに、エルドがくれた情報通りの外見だ。じっと、老人を見つめた。熱意が、期待が、覚悟が、視線にこもる。


 やっとだ。やっとみつけた。この世界で生きていくのに、母さんやオバさんの仇をとるのに、絶対必要となるを持つ人物。一見ただの年老いた男にしか見えないが、恐らく間違いない。

 残る問題は、接触する手段と方法だった。出来るなら、今すぐに声をかけたい。けど、実際には無理だ。どうやらと楽しく話をしている最中のようだし、俺の事情はあの老人以外に聞いて欲しくない。

 悩んだ末、宴がお開きになった後の方が都合が良い、と結論した。かがり火に照らされた幾つもの赤ら顔が、近くにあった。誰もが陽気に歌い、踊り、飲み明かす。周囲を満たす晴れやかな空気に、水を差したくなかった。皆が帰った後のほうが、人目も気にせず、ゆっくり話ができそうだ、とも思う。

 手のひらに痛みを感じてようやく、過剰な力で拳を握っていたのだと気付いた。知らず知らず、息まで殺していたらしい。苦しさを感じて、深く吐きだす。


 そうして何気なく、足元に座り込んでいるジェレミーの方へと視線を落とし、目を疑った。どうやら俺が考え事をしている間、ずっと食べ続けていたらしい。口の周りの尋常じんじょうでない汚れが、彼女の健闘を物語っている。今も両手に食べ物を持ち、それでもまだ足りないとばかりに大皿の前に陣取り、忙しなく口と手を動かしている。周囲の大人たちは、止めるどころかはやし立てていた。


 一体この小さな体のどこに、大容量の食物が入っていくのか。唖然とした。

 寂れていると言ってしまっていいほど人口が少ないこの村で、盛大な祭りは久しぶりなのだろう。はしゃぎたくなる気持ちも、わかる。しかし限度というものがある。


「ジェレミー、大丈夫か?」

「ナニが?」

「そんなに食べて、平気なのか?」


 ジェレミーは答える代わりに、ニッコリと笑ってみせた。そしてまた、目の前の食べ物に手を伸ばし始める。表情は真剣そのものだ。

 多分、何を言っても無駄だな。観念して、ジェレミーの横に座った。勧められるままに、自分も皿の上の果物を手に取りながら、視線は例の老人を追い続ける。


 魔法。そんなものが存在するなんて話、今でも半信半疑だ。しかしこの宴の盛り上がりぶり。浮きたつような気配。住民のほころんだ表情からして、村をモンスターの襲来から救ったのは、紛れもない事実らしい。

 見たところ、武器らしい武器は持っていない。細く枯れ木のような老人そのものの体躯に、魔物とやりあう力があるようにも思えない。やはり、魔法はあるのか?

 行き場の無い思いを、深い息の乗せて吐く。渦巻く疑問に牙をむくように、手首にまで果汁を滴らせていた瑞々みずみずしい果物を、かじった。


*  *  *


 やがて宴は、終わりを迎えた。

 闇夜を焦がすほど盛大に燃えていた篝火かがりみもくすぶりだし、黒く炭化した太い木々は、所々赤さを残すだけになっている。祭り気分まで完全に消えたわけではなく、相変わらず周囲は騒がしいが、 完全にお開きとなるのも、時間の問題だろう。

 あとはあの老人が一人になったところを見計らって事情を話し、戦う術を教えてもらえるよう、つまり弟子にしてもらうよう頼み込めばいい。たとえが使える、という話が全くのデマだったとしても、モンスターを退けるほどの力を持っているのが事実なら、充分だ。

 だからそれまで、村人がいなくなるまで、会場の片隅で息を潜めてじっくり待つ、予定だったのだが。


「しっかりしてくれよ、ジェレミー。家までもつか?」

「う……ン。わかンナイ……」


 母親に背負われたジェレミーは、顔面蒼白で俯き、ぼそりと答える。未だ熱気が残る会場をいち早く抜け出し、月明かりの中をゆっくりと歩いて帰る途中だ。


「ごめんなさいね。ご迷惑をかけてしまったみたいで」


 ジェレミーの母親が、申し訳なさそうに笑う。慌てて、首をふった。


「いえ、きちんと止めなかった俺も悪いんですから」


 案の定、ジェレミーは食べすぎでダウンした。一般男性の許容量を超えるペースで飲み食いして、気分が悪くならない方がおかしい。急に手を止め、吐き気を訴えだした時にはどうしようかと思ったが、 たまたま片づけを手伝っていた彼女の母親が近くを通りがかり、 相談した結果、とりあえず家まで連れて帰ることにした。

 母親の背が心地よかったのか、いつのまにかジェレミーは、すーすーと気持ち良さそうな寝息をたてていた。この様子なら俺一人、このまま広場に引き返してもいいのかもしれないが、無事家に着いたのを見届けないと、やはり安心できない。

 どうするべきか悩み、黙ったまま歩いていると、ジェレミーの母親が小声で話しかけてきた。


「いかがでした? あの方は、椎名さんの捜している人でしたか?」


 気にかけてくれていたらしい。やはりこの人は、いわゆるを思わせる。他者を温かく包み込む、理想の母親像。


「ええ。外見も事前に得ていた情報と一致していたし、多分間違いないと思います。 でも最後まで、一言も話せずじまいで」


 あえて目を合わせず、自分の足元に言葉を吐きかけた。所々土で汚れたスニーカーの白い部分が、月に照らされてぼんやりと光っている。


「そう、困ったわね。今すぐ広場に戻っても、まだいらっしゃるかどうか分からないし……」


 声のトーンを落とし、ジェレミーの母親は口をつぐんだ。

 俺が無意識の内に、彼女を避けようとしているのが伝わったのだろうか。 それから家に着くまでの間、会話はなかった。

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