異能を繰る者(2)
パフォーマンスは幸いにして成功をおさめ、興味を満たされた人々は満足そうな顔で帰って行った。途中握手を求められたり戦闘を申し込まれたり、全てが順調とはいかなかったが、前者には応じてやり、後者には丁重に断りをいれて、なんとか全員さばき切った。
「これでやっと、終わりか……」
最後の一人の背中を見送って、大きく溜息をつく。魔法の発動うんぬんよりも、対人の応対に酷く疲れた。無事に全員お帰り願えた訳だし、使う魔法も一つで済んだのだから、良しとするしかない。くゆる煙を
ガルムはまだ、戸口に立っていた。近づいてもこちらに視線を向ける気配すら無く、黙ってくすぶり続ける対岸の木を見つめている。話しかける雰囲気ではなかったので、何も言わずに脇をすり抜け、中に入ろうとした。しかし足を踏み入れるか踏み入れないかという時に右肩をつかまれ、自然と振り向かされた。
「何だよ」
疲労が濃い。必要以上に尖った声になってしまった。取り繕う気力もないまま、ガルムを見上げる。彼は未だ、視線を湖岸に向けていた。ただ手だけはしっかりと、俺の右肩をつかまえている。
「すげえ」
呟くように一言漏らし、勢いをつけて俺を見た。瞳が輝いている。変身ヒーローに憧れる子供の目だ。
「すっげえなお前! あんなこともできるのか!」
顔はそのまま、空いている左腕を上げて、雷撃によって焼け落ちた木を指差した。
まあな、と曖昧に返答をした。それで場を収めたかったが、ガルムの興奮は治まらない。肩をつかむ手に込められた力は、振りほどくには強過ぎる。
獣人の習性、なのだろうか。力を持つ者への興味は、我を忘れるほどの熱狂を呼び起こすものらしい。家を取り囲んでいた人々にしても、そうだ。俺には解らない。
「悪いけど、放してくれ」
「え?」
「この手。痛いから放してくれ」
指差しながら不機嫌に言うと、ガルムは初めて気付いたように、慌てて手を放した。
色々なことに、疲れていた。一刻も早く腰を下ろしたかった。とりあえず座ろう、とガルムを促し、それぞれ向かい側の席に腰掛けた。
「なあなあ。あれ、雷の魔法だろ?」
座って一息つく間もなく、問いが降ってきた。我慢のきかない子供そのものだ。
「ああ」
上半身をテーブルにうつ伏せ、顔だけを上げて答える。ガルムは、すげえな、と先ほどと全く同じ感想を漏らし、燃え尽きた木から細く立ち上る煙に目を細めた。頭上の両耳が、パタパタとはためいている。
「アレ食らったら死んでたな」
「ん?」
「俺様がお前と最初に会った時さ。結構太い木だったのに、簡単に真っ二つに裂けて、その上真っ黒焦げになっちまうんだぜ? アレを食らえば、ひとたまりも無いだろ」
口調だけなら、冗談半分、本気半分。しかし、振り返って俺に戻ってきたガルムの瞳に宿るのは、敬意だった。力ある者の、名誉を讃える目。魔法を放った後、振り返って見た住人達にも、似た光が灯っていたのを思い出す。尊敬と崇拝。
そしてガルムが事あるごとに口にする、死という言葉。力こそが至上の正義、だとすると、勝負に敗北した相手の生死は、問われないのが普通なのだろうか。
組んだ腕に顔を預け、興奮冷めやらぬガルムを眺めながら考える。俺は、違う。その考えには、添えない。断言して、身を起こした。
「人に向けて発動する時は、いくらなんでも威力を落とすさ。人殺しはしたくない」
ガルムにではなく、自分への戒めの為に、口にする。
己の命をかけた戦闘において、相手の生死を問わないのはある種当然なのかもしれない。それでも俺は、無用な殺戮を望まない。真の死闘を経験したことの無い者が語る詭弁だと、人々に笑われたとしても。
「本当はデモンストレーションにしたって、あそこまでやる必要は無かったと反省してるんだ。 自分では随分抑えてたつもりだったけど、内心はかなりイライラしてたから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけど」
「イライラしてたから……何だ? それが何か関係あるのか?」
「言わなかったか? 魔力ってのは、イコール精神力なんだ。だから魔法の威力は、俺の精神状態に大きく左右される。さっきのが異様に破壊力が強かったのも、俺の深層心理にストレスが溜まってたからだ。今使える下位の魔法なら、普段は自分の意志でコントロールできるけど、俺に全く余裕が無い時は……下手をすれば、どうなるかわからない」
特に雷撃は、下位魔法の中では最も威力が高い。その分精神負担が大きく、危険も伴う。何かの理由で、もしも、力を制御しきれなかったら。初めてブレイズを放った時のように俺自身に力が逆流してくるか、あるいは――
ふと、ガルムが立ち上がった。どこへ行くのかと視線で姿を追うと、キッチンに向かい、グラスに水を汲んで、それを俺の前に置いた。トン、と小気味良い音がする。中の水が跳ねて、少しテーブルにこぼれた。
「そんなに気にしなくても大丈夫だろ。お前が本当に周りが見えなくなるほど冷静さを失ったとこなんて、全っ然想像できないからな」
対面に座り直して、ガルムが微笑む。俺はグラスを手に取り、少しだけ、口をつけた。
「そう……かな」
「ああ。お前っていざとなったら、本っ当可愛気が無いほど冷静沈着だもんなあ」
冗談めいた自分の台詞で、ガルムは更に可笑しそうに笑った。褒め言葉には聞こえず、むっとする。ガルムがガキっぽいだけだろう、と思うが、改めて口に含んだ冷たい水で、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
* * *
次の日の朝も、何だか騒がしかった。かなり近くで聞こえる話し声に気付き、寝ぼけ眼をゆっくりと開ける。
目覚めて初めて見たものは天井ではなく、俺を覗き込む、数人の獣人達の顔。事態を把握するのに、数秒の時間を要した。
「ちょっ……と待てよおっ」
反射的に布団を引き上げ、頭まですっぽりとかぶった。周囲では可愛いわね、なんていう女性陣の声と、押し殺すような笑い声が起こっている。
冗談じゃない。何でこんな目に合わなきゃいけないんだ。大体家の中にまで入ってきてるってのは、どういうことだ。ガルムはどうした? 今いないのか? それならそれで、ドアに鍵ぐらい……!
混乱する思考を持て余し、出るに出られず困惑していると、被っていた掛け布団を無造作に奪われた。唐突に開けた眩しい視界の先には、猫のように細い黄緑の瞳。不思議そうな表情のガルムが、布団を手に首を傾げている。
「お前何やってんだ? 新手の遊びか? 目ぇ覚めてんなら早く起きて来いよ」
視界も思考も、真っ白に染まった。その全てが、怒りの色に塗り替えられるまで、コンマ数秒。
「ふ……ざけんなよガルム! 何なんだよこれは!」
飛び起きて布団を引ったくり、怒鳴りつける。周囲の観客達は、愉快なショーを見るような表情だ。
「何で家の中にまでこんなに人がいるんだ! お前が招きいれたのか!」
「しょうがないだろ。昨日の活躍を聞いて、どうーしても見たいっていう人が増えちまったんだ。それに俺様の家なんだから、文句言われることは無いと思うぞ?」
「うっ。それは……そう、だけど。でも寝顔を覗かれるのなんて、気分が良いものじゃ――」
口論の最中、違和感を感じた。遠慮がちに、服の裾を引っ張られているような。
口をつぐみ、ふと顔をそちら――左へと向ける。床にあぐらをかいた俺と同じ位の背丈の、小さな女の子がいた。
光の反射すらほとんど無い、肩までの漆黒の髪と、それに負けない程黒い、繊細な毛並みの猫に似た耳。ひょろりと伸びた細く長い尻尾の先に、白のリボンが結んである。
女の子は上目遣いでこちらを見、何か言いたそうにもじもじしていた。俺と目が合うと、慌てて視線を外そうとする。しかし、つかんだ服の裾は離さない。
「何?」
ガルムへの文句は、とりあえず棚に上げた。物言いたげな少女に、出来るだけ優しく微笑んでやる。彼女はまだ少しためらっていたが、服を握る手に少し力をこめると、視線を落としたまま、ぽつりと呟いた。
「あのね。ガルム兄ちゃんを怒らないで」
「うん?」
「お兄ちゃん悪くないわ。凄く優しいんだから。だって、あたしが魔法見たいって言ったらタダでお家に入れてくれたもん」
空気が、凍った。傍らで小さな悲鳴を上げたガルムにも、恐らく理解できたはずだ。俺とガルムの間に、絶対零度の壁がある。
周囲の獣人たちにも、緊迫した空気が伝わったらしい。騒がしかった周囲は、水を打ったように静まり返った。誰かが生唾を飲み込む音さえ、聞こえるほどに。
俺は女の子の頭を、優しく撫でた。握られていた服を放してもらって、立ち上がる。視界の隅に見えるガルムは、俺から遠ざかろうと、静かに後退りしている。
「……君はタダで入れてもらったんだ?」
「うん」
「じゃあ、他の人達は?」
「えっとね。大人はみんな三百メタル、って言ってた」
「へぇ」
冷笑を浮かべ、ガルムを視線で射抜いた。ガルムは蛇に射すくめられた蛙のごとく、びくりと身を震わせ足を止める。
「小さい子には優しいじゃないか。ガルム兄ちゃん」
「ま……まあな」
ひきつり笑いを浮かべる彼に、俺も静かな笑みを返す。
「で。儲かったのか?」
「多少は」
「だろうな」
笑いながら、右手を前に差し出した。ガルムは自分の顔の脇に両手を上げ、降参の意思表示をしている。
「なら、見せてやらないといけないよな?」
激しく頭を横に振りながら、ガルムがまた後ずさった。両手が降参のままなので、随分間抜けな格好だ。
観衆はまだ俺の剣幕に気圧されている。庇おうとする者はもとより、横から
前置き無く、冷気呪文の詠唱を始める。慣れた甲高い耳鳴りが木霊する。テーブルにぶち当たり、それ以上後ろに下がれなくなっていたガルムは、おどけた姿勢のままで氷の彫像と化した。
周囲からどよめきが上がる。昨日上がった歓声と雰囲気が違うのは、俺の逆鱗に触れればどうなるのか、身に染みて分かったからだろう。溜息交じりに右手を下ろし、身をかがめて、まだ傍らにいた女の子に微笑んだ。
「魔法。これでいいかな?」
少女は氷漬けのガルムに目を丸くしていた。興奮よりも驚きが大きいようだ。彼女は、呼びかけられてようやく我に返り、恐る恐る俺を見上げた。
「……ガルム兄ちゃん、元に戻る?」
眉を寄せ、心配そうな表情。元気良くぴんと立っていた両耳は折り畳まれ、力なく曲がった尻尾の先で、白いリボンがゆらゆらと揺れた。庇うつもりで発した彼女の言が元で、優しいお兄ちゃんが氷漬けになったとは気付いていないらしい。
「勿論」
頷くと、女の子はようやく安心したのか、笑顔を見せた。耳も尻尾も、元通りだ。ぺこりと頭を下げ、 満足そうに親の元へと走っていった。
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