武術大会(1)

 大会は、獣人大陸――俺の世界でいうアフリカ大陸の中央部に位置した、大陸屈指の大都市で行われる、と聞いていた。

 出場を決めてから、早くも一週間が経とうとしている。大会が開催されるのは半月後だが、普通に行くならそろそろ出発する頃合だろう。ガルムの家は、大陸の北部にあるのだから。


「なあ、良いのか?」

「何が」

「間に合うのか? 会場って、ここから相当遠いんだろ」


 毎日上げ膳据え膳では申し訳ないと、自ら買って出た食器の後片付けをしながら、何気なく尋ねた。ガルムはこちらに背を向け、テーブルで雑誌を読みふけっている。


「確かに。歩いて行ったんじゃあ、もう間に合わないだろうな」


 雑誌から視線を放さないまま、声だけを投げてよこす。あまりの能天気さに呆れ、危うく持っていた皿を落として割りそうになった。


 聞いた話によると、陸上交通の要は、人間大陸からもたらされた鉄道らしい。しかし、本数も路線も少なく、そもそも砂に覆われた北部地域には線路が通っていない。

鉄道を使うなら、先ず適当な街を経由して駅のある大きな街まで辿り着く必要があるが、ガルムの家は、そうした都市から遠く離れた辺鄙へんぴな場所に建っている。 総合すると結局、徒歩で行くのとあまり変わらない。

 鉄道と同じく人間界発祥の車も、ある所にはあるらしい。だが、持っているのは権力者のみ。一般の獣人が扱える代物ではない。つまり歩いて行けない、ということは、会場に行けない、のとほぼ同じだ。

 なのにガルムは、全く焦っていない。相変わらず視線を本の上に落とし、鼻歌を歌いながらページをめくっている。


「一体、何考えてんだ。間に合わないって……じゃあ、どうするんだよ」


 いくらか乱暴に皿を重ね置き、テーブルへ向き直る。背後で小さくカチャリと、陶器がぶつかる音がした。

 ガルムは振り向かず、椅子の背に重心を乗せ、顔だけ上向かせて俺を見た。視線が合うと、逆さまのままニヤリと笑う。


「慌てる必要なんてないだろ? お前、瞬間移動の魔法使えるじゃないか。それ使って、ほぼ毎日とびまわってんだろ」


 大会に出場する宣言をして以来、ガルムの家に見物人が押しかけることはなくなった。朝起きた時も静かなものだし、遮る物の無くなった窓からは、ひたすら砂に覆われた外界が見える。

 ただ想定外だったのは、派手なパフォーマンスを行ったお陰で、噂が飛ぶように広まってしまったこと。俺の能力を当てにした、厄介事を持ち込まれるようになったことだ。それも一日に、数件ペース。内容は大抵、冥王の配下である魔物の撃退。

 理由が理由だし、必死になって頭を下げられては無下に断る訳にもいかず、 結局トランスファーを駆使して、各地で事態の処理をしてまわっている訳だが。


「商売繁盛してるよな」

「そんな言い方はやめてくれ。お前、俺が何しに行ってるのか知ってるだろ?」

「勿論。折角だから、看板出そうかなと思って。『魔物退治請け負います』ってさ」


 笑えない冗談だ。声に出るほど大きなため息をつく。ガルムは姿勢を戻し、また雑誌をめくりながら、可笑しそうに笑った。


「会場に行くのだって、あの魔法使えば一発じゃないか」


 随分、簡単に言ってくれる。どこまで能天気なんだと、呆れ果てて頭を抱えた。

 確かに空間転移を使えば、開会直前に出たとしても充分間に合う。しかし容易に実行には移せない。ざっと考えただけでも、幾つかの問題点がある。

 俺は流しの下に垂れ下がっているタオルで濡れた手を拭うと、 皿を調理台の上に放置したままテーブルへ向かい、ガルムの正面の椅子を引いた。


「悪いけど、多分無理だよ」


 ガルムもようやく、話をまともに聞く気になったようだ。弄んでいた雑誌を閉じて、テーブルの上に無造作に投げた。


「何でだ? 行ったこと無い場所でも、イメージさえできれば行けるって言ってなかったか?」

「大体、の位置ならな。正確な移動は、まだ無理だ。そこまで慣れてない。地図で指さされたとして、目的地の数キロ圏内に到達できるかどうか、ってところだ。実際には、やってみないとわからない」

「そしたら歩けば良いじゃないか。誤差が数キロなら、ここから歩いていくより、ずっと早いだろ」

「それは、そう、かもしれないけど。もう一つ、大きな問題がある」

「何だよ?」

「……まだ、一人でしか跳んだことが無いんだ」


 本来トランスファーは、術者の体に密着した状態であれば、複数の人間や物を同時に運ぶことができる。実際師匠は、住処にしている例の島まで、難なく俺を運んでみせた。ただ今の俺にそれだけの魔力がついているかと聞かれると、自信が無い。


 魔物退治を依頼されて空間転移を使う時でも、誰かと一緒に跳んだことは無かった。地図と相手の表層心理に浮かんだイメージから場所を特定し、自分一人だけ現場に赴く。

 お陰で、戦闘を終え、疲労困憊こんぱいで帰ってくると、ガルムと依頼人がお茶をして待っている、なんて呑気な場面に遭遇することが多かった。ガルムが共に現地に行ければ戦闘自体が楽だろうし、依頼人に一緒に行ってもらえば事後に面倒な説明も要らないのだが、できないものは仕方が無い。


「手で持ったり背負ったりできる程度の物と一緒なら跳べるけど、対象が人となると、ちょっとな。バラバラに別の場所へ跳ばされるとか、目的地に着けないとか、そういう事態も起こりうる。仮に上手く跳べたとしても、ガルムに初めて会った時みたいに、着地に失敗したり……とにかく、不安要素が多いんだ」

「平気平気。だってお前、最近魔力が上がってきたみたいだ、って言ってたじゃないか。 試してもいないのに無理だって決め付けるのは、どうかと思うぜ。それに将来、どうしても多人数で跳ばなきゃいけない事態に陥るかもしれないだろ。いざとなった時、使えるかどうか分かりません、ってなるよりは、今のうちに練習して慣れといた方が良いんじゃないか?」


 自分が興味のある話題となると、ガルムは途端に頭の回転が早くなる。大会に出場しなければいけなくなったのも、この傍迷惑な特技のお陰だ。今回も的確な意見に聞こえるし、実際その通りだが、本当のところコイツの本音は、の一言に尽きる。


「第一、今はそれ以外に、大会に間に合う方法はねえんだ。それとも何か、良い考えでもあるのか?」


 他意があると相手にばれているのに、結局は自分のペースに引き込んでしまうのも、彼の凄いところだった。悔しいが、大人しく条件をのむしか無さそうだ。


「それしか無いだろうな」


 観念して、頭を振った。ガルムは、そうだろ? と言わんばかりだ。嬉しそうに頷き、満足顔で立ち上がった。お得意の鼻歌を歌いながら、俺が片付けそこねた皿を棚に仕舞っている。

 何が起こるかわからない、保障はしないと宣言されたのに、怯まないどころか楽しげだ。底抜けの楽天主義も凄いところかもしれないと、その背を眺めてぼんやり考えた。


*  *  *


 そして、大会当日。

 開会時間の数時間前に家を出ると決めていた俺達は、準備を早めに整え戸口に立った。トランスファーが失敗した場合を考えて、時間に余裕を持たせたが、それでもあまり気は進まない。

 本当は前もって、多人数の空間転移を練習しておきたかった。しかし日を追って増える魔物退治依頼にかまけて、結局ぶっつけ本番で魔法を使う羽目になってしまった。実のところ、かなり不安だ。


「何難しい顔してんだよ。だから、大丈夫だって」


 根拠の無い励ましを吐きながら、ガルムが俺の背中を叩いた。無防備なところに馬鹿力が加わり、思い切りむせた。


「何やってんだよ」


 悪びれずに、ガルムが笑う。気を張っていた自分が馬鹿らしくなる能天気さ。何故か勇気付けられ、俺も笑った。

 そうだよな。今更心配したって、仕方ない。コイツの楽観的なところを、少しは見習った方が良いのかもしれないな。


「よし、じゃあ行くぜ。準備は良いな?」

「ああ、いつでも行けるぞ」


 俺の右肩に手を載せたガルムが、力強く頷く。無言で見届け、瞼を薄く閉じて目的地へと意識を馳せた。獣人大陸の中央部。大陸最大の湖に面した大都市、武術大会の開催地へ。


「『止め処無く流るる時よ! 彼の時彼の地へ我を導け!』トランスファー!」


*  *  *


「ははっ、すっげー! もう会場に着いちまったよ!」


 先を行くガルムが、嬉しそうに大きく伸びをした。 随分とご機嫌らしい。尻尾が左右に大きく揺れている。

 俺は答えず、片手でこめかみを押さえた。まったく、眩暈がしそうだ。


「本っ当に一瞬だったもんな。お前が心配そうな顔してっから、どうなることかと思ったけどさ」


 聞き流して、道路一面に敷き詰められた灰褐色の石畳に視線を落とす。前言撤回だ。コイツの能天気さなんて、全く必要ない。

 浮き足立っていた歩様が、不意に止まった。何かあったのか。苛々しつつ顔を上げると、ガルムはただ、こちらを見ていた。自分の言葉に返答が無かったのが気になったらしい。目が合うと、安心したように満面の笑みを浮かべてみせた。


「でも良かったな。無事着いてさ」

「無事? ……これがか」


 確かに俺達は、二人別々の場所に行ってしまうでもなく、目的地以外の場所に跳ばされるでもなく、大会が行われるという都市――しかも寸分違わず、大会の会場に着くことができた。初めての場所に、過負荷な状態での転移が成功したのは、奇跡的、と言ってもいい。

 ただ問題なのは、その場所が、会場内に設置された更衣室だったこと。それも、よりによって、女子の更衣室。当然俺達は痴漢のレッテルを張られ、言い訳する間も無く女子諸君にぼこぼこにされた上、即刻警察らしき所につきだされた。

 経緯を懸命に説明したが、魔法が存在しない獣人世界のためか、全く信じてもらえなかった。人間に魔法が使えるはずない、の一点張りで、聞く耳すら持とうとしない。つくならもっとマシな嘘をつけだの、そもそも人間が武術大会に出場するなど馬鹿げているだのと、直接関係の無い内容まで引き合いに出して、散々なじられた。挙句の果てには留置場に連行されそうになったので、警官達の前で大道芸人のごとく魔法を披露する破目になり、やっと信用してもらって、ついさっき釈放されたところだった。


「あれだけの災難に合っておいて、よくそんな阿呆みたいな台詞が出てくるな」


 睨んで、悪態を吐く。ガルムは何が面白いのか知らないがまた可笑しそうに笑って、俺の肩に腕をまわした。


「ちゃんと会場に着けたんだから、良いじゃないか。 それにあれは、じゃなくてだろ」

「馬鹿いうな」


 ほんとに、どこまでお調子者なんだ。儲けモノだ? 冗談じゃない。

 初めての場所に行く時は、行ったことのある場所と比べて倍以上の精神力を必要とするんだ。実際跳んでみて分かったが、多人数だと更に力を消費するらしい。それでも必死で魔力を調整して、辿り着いてみたら今度は痴漢扱いだ。最悪だとしか言いようが無い。

 大体、魔法発動の余波で、着いた瞬間ほとんど目を開けていなかったんだ。だから本当に、全く、何も見ていない。なのに問答無用で物は投げつけられるわ、殴られるわ蹴られるわ。終いには俺が腰に差していた剣まで奪われて、目の前に突きつけられて。


「お陰で、戦う前から満身創痍だ」


 馴れ馴れしく肩に置かれた腕を払い、ガルムを置いて歩き出す。突き詰めて言えば、 俺が空間転移の魔法を充分に使いこなせていないのが原因、という自覚はあるが、今口にするのはしゃくだった。代わりに、文句もそこまでにしておく。

 ガルムは気を悪くした様子も無く、むしろ俺の反応が可笑しくてしかたがないようで、両腕を頭の後ろで構えながら、軽い足取りで横に並んだ。

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