武術大会(2)

 到着直後の騒動で時間をとられたものの、開会十分前には入場できた。まったく、ひやりとさせてくれる。早めに出てきて大正解だ。

 ただ会場の様子や出場者についての予備知識を収集する時間が無くなったのは、痛かった。やはり、ロスタイムは大きい、と思う。


 選手の控え室は、ただ長椅子が幾つか置かれただけの、簡単な空間だった。煉瓦敷きの壁の一面が大きく開いていて、そこから直接舞台に上がる仕組みになっている。控え室と舞台の間には、仕切りや壁が一切無い。ただ外側部分に、目隠しの役目も担っているひさしがあるので、観客席からはこちらが見えにくい。なかなか上手くできている。


 俺達が控え室に足を踏み入れると、途端に女性選手陣から、冷たい視線が向けられた。事件の時現場にいなかった者もいるが、誰かから話を聞いたらしく、明らかに嫌悪を含んだ目つきでこちらを睨みつけている。

 険悪な空気に、たじろぐ。自然と、入り口で足が止まった。自分の中ではやましいことなど無いのに、悪いことをした気分になってしまうから不思議だ。


 目を伏せ、進むことも下がることも出来ずに躊躇ちゅうちょした俺の脇を、すっと横切った黒い影がある。導かれるようにして、顔を上げる。

 ガルムだった。勿論女性陣の鋭利な視線は、ガルムにも向けられている。しかし彼は、全く意に介していないらしい。呑気そうに前へ進み出ると、不思議そうに俺を振り返った。


「何やってんだ? 早く来いよ」


 手のひらを上に向け、指先で促してくる。

 魔力を使った表層真理の読み取りなど必要ないほどの敵意が、四方八方から降り注いでいるのに。彼女等の考えていることなど、表情にも態度にも、うるさいほどに表れているのに。ガルムだって、気付いていないはずはない、と思うけれど。


「あ、ああ」


 曖昧な返事をして、仕方なく控え室に入った。顔を合わせないように、下ばかり眺めてみても、突き刺さる視線は痛い。無理に入らなくとも良かったんじゃないかと、今更な後悔が頭をよぎる。座らないのか? というガルムの問いには無視を決め込み、入り口からすぐの壁に背を預け、目をつぶった。

 そういえば、獣人達が家に押しかけた時も、ガルムは平気そうな顔をしていた。相当の人数に見られていたのに、平気でベッドに寝そべって雑誌を読んでいた。よっぽど無神経なのか、それとも大物なのか。


 薄く目を開け、横目でちらりとガルムを見やる。互いにひそひそと囁きあいながらたまに視線をよこす女性達のすぐ近くに腰掛け、何故かそちらに笑顔と共に手を振っていた。これは、前者だな。確信する。

 できれば他人のふりをしたいが、彼が俺の連れであることは既にばれている。しかも時折話しかけてくるので、開会式が始まるまで、ずっと肩身の狭い思いをしていなければならなかった。

 長い、十分だった。


*  *  *


 ある意味で、待ちに待った開会時間。会場のあちこちについたスピーカーから、熱気のこもった宣言が流れた。


『ただ今をもって、武術大会を開催いたします』


 わあっと、湧きあがった観客が盛大な歓声で応える。

 厚さが一メートルはある、分厚い立方体型の石材を幾つも組み合わせた、灰褐色の舞台の上。茶のスーツに緑のネクタイを締めた、猫型の獣人が現れた。お付きの雌猫と一緒だ。手にはコードレスマイクを持ち、湧き上がる観衆に笑顔で手を振っている。どうやら彼が、この催しの主催者らしい。目をつぶり、開会の辞を聞きながしていると、会場となった街を治める領主だと分かった。


 この手の話は、どうも苦手だった。小学生の頃から、校長先生の話ってやつも真面目に聞いたためしがない。大人しくうな垂れながら、毎週毎週よくそんなに話をすることがあるものだと、半ば呆れの混じった感心はしていたが。


 考え事にふけっていると、突然観客席から、声が上がった。釣られて顔を上げ、その対象――リング上の男に目を凝らす。彼は何かを高く掲げ持ち、それを民衆に知らしめていた。

 ここからでは、少し遠い。それに、逆行に遮られて、輪郭しかつかめない。だが、あれは。


 猫耳の男は脇に控えていた獣人にそれを預け、数歩下がらせると、再びマイクを持ち上げた。


「この様な神秘に満ちた遺物がこの地から発見されたのも、正に天の導きと言えましょう。我々は偶然発掘されたこの奇石も、記念品として賞金とともに優勝者に贈呈する所存です。今までに前例の無い品物ですから、然るべき場所に保存すべきだという方もいらっしゃるでしょうが、 私はこれを優勝者の権威と栄光の象徴と考え、その者の益々の発展を――」

「おい、隼人!」


 いつの間にか、ガルムが隣に立っていた。 腕組みをして、いつになく真剣な表情で舞台上を睨んでいる。


「今の見たか」

「いや、よくは見えなかった」

「そうか。俺様もはっきりしたことは言えねえが、もしかして、あれは……」

「ああ」


 頷き、リングへと視線を戻した。舞台上の男は、相変わらず不毛な演説をぶっている。彼はとりあえず無視して、 背後に控えた獣人が持つ、柔らかそうな布の上に置かれた球体に目を凝らす。


「多分、オーブだ」


 同じ控え室内にいる他の出場者には聞こえないよう、声を落とした。ガルムが、「やっぱり……」と呟きを漏らす。


 無意識のうちに引き込まれるような、奇妙な既視感。太陽光のせいだけではない、内から放たれるような輝き。誰もが目を奪われる、非現実的な美しさ。恐らくあれは、獣人界のオーブだろう。


「ただ、色が違う様な気がすんだよな。お前に見せてもらったのは……確か青だったろ?  でもアレは何ていうか、黄色っぽいような感じがするぜ」

「そうだな。もしかしたら、場所によってオーブの色は違うのかもしれない。俺にオーブの存在を教えてくれた師匠も、『同じ様な形状をしているはずだ』としか言ってなかったから」


 まさかこんなに上手いこと、オーブにお目にかかれるとは。大会に出場したのだって、情報収集の一環くらいにしか思っていなかったのに。驚きと喜び、微かな不安が、顔を出す。


 リングを造る際に発掘されたという、獣人大陸のオーブ。今まで人目に触れることもなく、ずっと地下に眠っていたものが、機を狙ったように発見され、衆目の前に姿を現した。

 本来ならば、ガラスケースにでも入れて、厳重な管理体制の下、しかるべき施設で展示されても良さそうな代物だ。お祭り好きな獣人社会では尚更。正規の使い道など分からなくても、良い客寄せとしての役目は充分果たせるはず。

 なのに、大会に縁のある物だから優勝者に贈呈する、なんて。お陰で図らずも、俺かガルムが優勝すれば自動的に手に入る寸法になったが。こんな偶然があって良いのか? いや、これは本当になのか……?


「俺様に感謝だな!」


 突拍子も無い台詞に驚いて振り向くと、悪戯っ子のような笑みを浮かべたガルムが胸を張っていた。


「だってさ。俺様が申し込まなかったら、お前この大会に出る気無かったんだろ?」


 ここぞとばかりに、得意気に主張を強める。鬼の首でも取ったような心境なのだろうか。


「出たからって、優勝できるとは限らないけどな」


 素直に礼を言う気にはなれなかった。わざと、棘のある台詞を返してやる。ガルムは豪快に笑って、俺の肩を叩いた。相変わらず、力の加減ができていない。


「何言ってんだお前。トランスした俺様を倒すぐらいなんだぞ? 優勝間違いねえじゃん」

「ガルムは自意識過剰なんだよ。世の中は広いんだ。 お前より強い奴なんて、山ほどいるんじゃないのか。例えば……俺とか」


 肩をすくめて冷笑を浮かべてやる。明らかな挑発には、流石のガルムもカチンときたらしい。鼻先で笑うと、自分の方が背が高いのをいいことに、半眼で俺を見下ろした。


「自分のことを引き合いに出すなんて、自意識過剰なのはお前の方だろ。 さっきのお前の台詞。そっくりそのまま返すぜ」

「でもお前より強いのは確かだろ。自分でも認めてたじゃないか」

「さあ、どうだかな。あの時はちょっと、手ぇ抜いてたし」

「嘘つけよ。『人間ごときにやられるとは、俺様もヤキがまわったぜ』とか言ってさ。 殺せだの何だのって、散々わめいてたろ」

「脚色すんなよ。わめいてない。『殺すなら殺せ』って腹くくっただけだ。 そもそも、あれはお前が悪いんだろうが。空間転移の魔法一つ、満足に使えないくせに。 今日だって大失敗やらかしてさ。それともあれは、ワザとだとでも言うつもりか? この変態」

「何だと!」

「何だよ!」

「そこの二人」


 拡声器で増大された、静かな冷たい声が響く。周囲にとどろく余韻の中、突き合せていた顔をリングへ向けた。

 静まり返った場内には、異様な雰囲気が漂っている。控え室内の獣人達の呆れかえった視線も、全て俺たちを向いている。売り言葉に買い言葉で、いつの間にか周囲に響く大声になっていたらしい。

 声の主――舞台上でまだ演説を続けていたらしい主催者は、声に負けない冷淡な視線をこちらに送っていた。汚い物でも見るような目つきだ。相当腹を立てているに違いない。


 流石のガルムも居心地の悪さを感じたようだ。気付けば二人示し合わせたようなタイミングで姿勢を正し、体ごと向き直って頭を下げていた。

 舞台上の男は俺達をつまらなそうに一瞥し、一瞬の空白の後、何事も無かったように演説に戻った。とりあえずほとぼりは冷めたか。


「馬っ鹿みてえ」

「お前がだろ」


 軽く牽制しながら、内心可笑しくて仕方が無い。相手はどうだろうと顔を向けると、ガルムも同じことを考えていたらしく、視線が合った瞬間にお互い察して、同時に吹き出してしまった。それがまた舞台上の男には気に障ったようで、じろりと睨まれたが、気付かないふりをした。




  to be continued...■


 

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