未知なる力(2)

 師匠は足元に落ちていた、長く太い木ぎれを拾い上げ、地面に何やら描き始めた。

 先ずは、中に人が三人位は余裕で入れるほどの大きさの円。それから少し距離を置いて、更に外側を二重の円で囲み、できた空隙に意味不明の文字を書き込んでいく。今まで、全く見た事の無い文字だ。もしかしたら人間界の文字じゃないのかもしれない。

 中心にある円の周囲にびっしりとそれらを羅列した後、今度は円の内部に互い違いの三角形を二つ描いた。六芒星ろくぼうせい、というやつだろう。最後に円と六芒星の間にできた六つの隙間にも何か書き込んで、師匠は手にしていた棒を投げ捨てた。


「隼人。こちらへ来い」


 立ち上がり、言われるまま、その図形に近づいた。比較的平らにならされた地面に、濃い土色をした絵柄が浮かび上がっている。


「魔方陣……?」


 無意識に、呟く。漫画やゲームは勿論、映画でも似た形を見た記憶があった。


「ほう、良く知っておるな。いかにも、これは根源元素の一つ、炎を制する魔法の一端、ブレイズを使えるようにする為の魔法陣じゃ」

「ブレイズ?」

「最も基本的な攻撃魔法じゃ。とはいえ威力は相当なものだがな。使い手の力量にもよるが」


 師匠は魔法陣に視線を据えながら、自分の髭を弄っていた。これは師匠の癖だ。何か愉快なことがあると、すぐ自分の髭を触る。


「はっきり言っておくが、契約したからといって今すぐ自在に使えるようになるという訳ではない。使いこなすには、それなりの時間と努力が必要じゃ。しかし、もし習得することができたあかつきには、絶大な力を手に入れることになろう。おまえサンの望む――あるいは、それの力を」


 師匠はずっと、無闇に力を求めたがる俺を諫め続けていた。「力を与えてやる」と自分から言ったのに、今日まで再三の催促にも応じようとしなかった。

 なのに急に協力的になったのは、力を得たいと願った俺の強い思いを感じ取ったからなのだろう。数ある魔法の中から、わざわざを最初に選んだのも。


「ありがとう。師匠」


 頭を下げる。師匠は俺の方を見て、にやりと笑った。


「はて。何のことを言っておるのか。心当たりが多すぎて、わからんな」


 下手な芝居でとぼけてみせる。皮肉めいた言葉の中に、優しさを感じた。


「では、そろそろ始めるか。隼人。円の中心にある図形の上に立て。 ああ、周囲の文字を踏んで消さぬよう、くれぐれも気をつけてな」


 指さされた先の魔方陣に、目をやった。線と線の間には、びっしりと文字が書き込まれているし、文字と文字の間には足を踏み込めそうな隙間なんて無い。つまり飛び込め、ということだろうと理解する。

 小さな助走を経て、丁度六芒星の中心部に降り立った。その姿勢のまま首をまわして後ろを振り返り、自分のかかとを確認する。うん、大丈夫だ。文字はおろか、線すら踏んじゃいない。


「で? 俺は何をすれば良いんだ」

「何もせずとも良い」

「え?」

「ただそこでそうして、立っているのがおまえサンの役目じゃ。何が起こってもその中から出るな。屈みこむことも許されん。そこでずっと、いろ」


 師匠は真剣な表情でそれだけ告げ、聞き覚えのない不思議な言葉を呟き始めた。呼応するようにして、外側の円に書かれた文字が、師匠の前にあるものから順番に、時計回りに輝き出す。


 一字一字、文字が紅く浮かび上がる。同時に、明るかった周囲が徐々に暗くなっていく。日が陰ったのかと上空を見上げるが、太陽はきちんと出ている。ただその輝きが、幾分弱まったようではある。


 円の半分ほどの文字が紅く染まった頃から、少しだけ吹いていた風がぴたりと止んだ。普段なら飽きるほど見られる鳥の姿も無く、木々もさざめきをやめ、師匠の声以外は何の音もしない。何だか他の生き物の気配自体が、全て消えてしまったみたいだ。

 付近一帯には俺と師匠しか存在しないのでは無いか、と思ってしまうほど、奇妙な空気が漂っている。空恐ろしさを感じて、背筋が凍る。


 終に円の周囲全てが紅一色になると、今度は六芒星と円との間にある文字が光りだした。地面が、急に熱くなった気がした。紅い文字の増加とともに、熱も現実味を帯びてくる。根源的な恐怖が湧いて、まだ真剣に文言を唱え続けている師匠を見るが、緊迫した様子で声をかけられない。


 全部で六つあるうちの丁度五つ目が光り始めた頃、足元から小さな炎が噴き出した。驚いて思わず逃げそうになったが、師匠の言葉を思い出して、上げかけた足を元に戻した。地面は、焼けた鉄板のように熱い。拳を握り締め、唇を噛み締めてなんとか堪える。


 やがて六つ目がともり、全ての文字が真紅に変わった時、 先ほどの炎とは比べ物にならないほどの大きなほむらが 地面から噴き出した。


「っ……ああぁぁっ!」


 押し殺そうと、必死で我慢していた悲鳴が出た。耐え切れなかった。

 炎は容赦なく、俺の体全てを包み込んでいく。自分の二の腕を、両手で強く握り締める。しかしそれで収まるような、乗り越えられるような苦痛ではない。


「聞け、隼人! それは実物の炎ではない! おまえサンの精神力がつくり上げた、いわば幻じゃ!」


 呪文を終えたらしい師匠が、大声で叫んだ。

 反射的に強く閉じていた目を、薄くこじ開けて自分の体を見る。

 確かに炎の激しさに比べて、衣服の燃え上がる速度は遅い。くすぶっている、というのに近い。しかし俺が体感している熱さは、目の前で揺らめく影は、まさしく現実の炎そのものだ。

 肉の焦げるような匂いがする。呼吸が上手く出来ない。もはや目も開けていられない。気を抜けばその瞬間に、その場に崩れ落ちそうになる。


「これに耐えられねば、おまえサンはブレイズの魔法を使う事ができぬ! それどころか己の中の炎に焼き尽くされ、死ぬ事になるぞ!」

「……何……だって?」

「わしはおまえサンの先ほどの気迫を――精神力を信じ、あえて今この契約を行った! 最後まで耐え抜け! 隼人! わしを失望させるな!」


 ――死ぬ。これに耐えられなければ、俺はここで死ぬ……? 


 しぬ。シヌ。死ぬ。壊れた機械のように、何度も同じ言葉が頭をまわる。死への恐怖よりも、死ぬというその事実が、心に重く圧し掛かる。

 この旅に出ると決めた時から、自分の命を失う覚悟はできていた。実際エルドに助けられなければ、俺はあの場所で確実に死んでいた。一度失ったはずのその命、今度は復讐のために、捧げようと思った。

 でもそれは、目的を果たすことを前提とした決意だ。冥王とやらの顔を一瞬たりとも拝まないうちに、自分の心の弱さに殺されるために、こんな所まで来たんじゃない! 俺は絶対に死なない! 今ここで、こんな所で――


「死ぬわけにはいかないんだ!」


 絶叫に弾かれるようにして、俺と身体を包む炎との間に、隙間が生まれた。やがて膨張して膨らみ、次の瞬間破裂して、火の粉が周囲に散った。

 突然開けた視界の先、心配そうな表情の師匠が手を差し伸べたのが見えた。それをつかもうとする俺の手は、力なくすれ違い、結果、崩れるように地面に両手をついた。四つん這いの状態で、体を支えるのがやっとだ。

 鼓動は早鐘のように鳴り響き、声に出るほど荒い呼吸は全く治まりそうにない。冷や汗なのか何なのかわからない汗が、こめかみから、首の端から、額から、次々流れて地面に滴る。


 喘鳴と疲労感に苦しみながら、自分の中に生まれた奇妙な感覚に気付いた。体の内部に、何か動物でもいるような気分だ。それも、ウサギやモルモットのように大人しい生き物じゃない。もっと獰猛どうもうな―― 例えるならば野生の虎や狼のようなモノが、ひっそりと息づいているのを感じる。牙を研ぎ、爪を削いで、虎視眈々と暴れまわる機会を狙っている、そんな感覚。


「よくやった」


 四つん這いのまま、声の主を見上げた。どんよりと暗くなっていた周囲はいつの間にか元の昼らしい明るさに戻っている。太陽の輝きが、目に眩しいほどだ。

 まだ呼吸は荒く、吐息は熱を帯びていたが、自分の意思で体を動かせる位には回復したらしいと気付く。少しだけ、安心した。

 師匠は俺の前に立ち、まだこちらに向かって手を差し伸べていた。その表情は、天を覆う青空と同じ晴れやかさだった。


「どうだ、立てるか?」


 ああと短く答え、手足に力をこめて立ち上がろうとしたが、腰が抜けたように上手く下半身に力が入らない。結局、師匠の助けを借りる破目になった。

 引っ張りあげてもらって、何とか立ち上がる。情けないことに、細かに震える膝のせいでまだ歩けそうには無い。両膝に手をつき、体を支えた。

 体力の消耗が酷い。眩暈がしそうだった。心身を酷使した末の倦怠感が、全身を巡っている。


「契約は完了じゃ。これでおまえサンは、ブレイズが使えるようになった。だが、人間は六種族の中で、最も潜在魔力の低い種族じゃ。先ほどのように魔法を具現化するには、言葉という媒体を介さねばならん」

「要するに、呪文を唱えなきゃ、いけない、ってことか」


 喘ぎながら相槌をうつ。少しずつ回復してはいるが、まだ本調子には程遠い。


「そうじゃ。とは言え、一定の呪文が定められておる訳ではない。そもそもこの場合の呪文とは、自らの精神力を極限まで高め、それを制御する媒介として用いるのに過ぎぬ。自分に合った言霊を、おまえサン自身で考えるが良い」


 呪文を、自分で……? まさかそんな仕組みだなんて、思ってもみなかった。動揺する。考えろ、と言われても、思いつかない。

 意味が良く分からない言葉を丸暗記するよりは使い易いかも知れないが、咄嗟に言われてすらすら出てくるものでもない。


「短すぎても長すぎても良いとは言えん。前者は精神集中が甘くなるし、後者は発動までに時間がかかり過ぎる。とはいえ一番の問題は、それが自分に適しているかどうかじゃ」


 頭を悩ませながら、身を起こす。膝の震えは、なんとか治まってくれたらしい。背筋を伸ばして立てる程度には、回復した。呼吸も落ち着きを取り戻している。

 師匠が満足そうに、頷きを返してきた。


「さて、準備が整ったら、試してみるがいい。なるべく直感で選んだ方が良かろう。発動もしやすい」

「そう言われても、思いつきそうにない。やっと、満足に立てるようになったところなんだ。最適な呪文を考える余裕なんて、無いよ」

「決めかねているなら、に尋ねてみてはどうじゃ」


 確信にも似た笑みが、こちらを向いた。俺が感じている、自分の中の奇妙な感覚に、気付いているらしい。

 軽く頷き、静かに目を閉じた。自分の内に眠る力に焦点を合わせ、今は閉ざされている扉をゆっくりとこじ開けていく。


 錆び付いた音を立てて開かれた扉の中には、一匹のが繋がれていた。薄闇の中で光る双眸は鋭く、柔らかそうな毛並みに身を包んだ大柄なその姿は、今まで見たどの動物とも違う。

 ただ、強いてたとえるなら、獅子に似ていた。鱗に覆われた後肢を持つ、深紅の獅子だ。言葉が通じるかどうかは、分からない。とりあえず簡単に懐いてくれそうにないことだけは、確かだ。

 そいつは俺の存在をみとめて、唸り声を上げた。自由にさせる気は無いと、牽制する。恐怖に足を止めたくなった。だがそれではいけないと、気付いてもいる。怯む心を押し隠して、用心しながら、歩を進める。一歩。また一歩。慎重に、でも確実に、奴に近づいていく。

 あと一歩というところまで距離が縮まった頃、今にも飛び掛ってきそうな相手を手なずけるようにしながら、そっと手を差し伸べる。 俺の手が獣の毛並みに触れた、そう感じると同時、気がつけば実際に右手を前に差し出していた。言葉が、自然と零れ出る。


「『紅蓮ぐれんの炎よ! 我が障害となるものを焼き尽くせ!』ブレイズ!」


 俺の中に均等に分散していた何かが、差し出された右手の辺りに収束した。紅いイメージのそれは徐々に熱を帯び、意思を持つかのように膨れ上がる。手のひらがじわりと汗ばみ、内にこもった力が外に向かってほとばしりそうだと自覚した、その刹那せつな

 呻りをあげていた獣が、毛並みに触れた俺の手に、激しく噛み付いた。


「痛っ!」


 妙にリアルな痛覚とともに、意識が現実に引き戻される。閉じていた目を開けると、真っ直ぐ伸びた自分の右手の人差し指から、血が流れ出していた。

 第一関節から指の付け根にかけて、穿うがったような穴が二つあいている。俺の中の獣に噛まれたのと、全く同じ場所だ。徐々に鮮明になる傷の痛みと対照的に、感じていた熱の方はきれいに消え去っていった。


「惜しかったな」


 魔法の発動を考慮してか、いつの間にか脇に避けていた師匠が、俺の前に進み出た。


「なかなか良い所まではいったが。まあ、契約したてでここまでできれば上出来じゃ」

「どう、なったんだ? 今」

「平たく言えば、暴発じゃな。極限まで高まった精神力が魔力へと変わり、外へと放たれる瞬間、膨大な力を制御することができなかったため、有り余ったそれで自身を傷つけたのじゃ。しかし案ずることは無い。万全な体調ではない状態でこの段階まで到達できたとあれば、自在に操る事が出来るようになる日も近い」


 自分の手のひらを見つめ、そうかな、と呟いた。指から血が滴り落ちていること以外、見た目では別段変わった様子は無い。

 けれど――目をつぶっている時に感じた熱。何かが充実し膨れ上がった感覚。そしてこの手に噛み付いた、ブレイズの化身ともいえる獣。間違いなく、俺の中に宿っている。新たな力が。

 あとはあの獣を手なずければいい。自分の中に生まれた力を上手く消化して、俺自身の意思で自由に操れるようにすればいい。

 湧き上がる不思議な高揚と充実感を胸に、血の滴る手を強く、握り締めた。

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