異能を繰る者(1)
翌日。ガルムが用意してくれた寝床で目を覚ますと、何やら騒がしかった。
「……ガルム。外で何かあったのか?」
あくびを噛み殺し、寝ぼけた目をこすりながら、何気なく窓の外を見る。そのまま、目を見開き、固まった。
窓という窓、それにドアから、嵐のように注がれる視線。半端な数じゃない。どこを向いても、必ず誰かと目が合う。集まった人々の圧力で、家が壊れるのではと危ぶむほどの獣人が、周囲にひしめき合っている。
一体何人いるのか。正確に数え上げるのすら困難だが、少なくとも、四、五十人はくだらない。彼等は時に囁きあい、なじり合いながらこちらを見ている。いや。こちらを、と言うのは語弊がある。
家の周囲に群がった、老若男女。その全ての興味は、間違いなく、俺個人に向けられていた。
「う……わっ! お、おい、ガルムっ!」
一気に覚醒し、慌てて立ち上がってガルムの姿を捜す。彼はこの異様な状況の中、何食わぬ顔をしてキッチンに立ち、呑気に調理の真っ最中だった。
「よう、起きたのか隼人。お前朝弱いんだなー。もう昼近いぜ?」
「何が『よう』だ! 何だよこの人込みは!」
顔はガルムへ向けながら、山のような人だかりを指差す。ガルムは一瞬手を休め、きょとんとした表情で俺を見つめた。
「いや、お前を見に来たんだろ?」
「だから何で!」
話が噛み合わない。完全に俺一人で空回りしている。冷静になれないせいだろう。そりゃそうだ。起きた途端に晒し者になっていれば、誰だって落ち着いて状況整理などできないに決まっている。
「人間自体珍しいんだよ。その上、ここらじゃ百戦錬磨のガルムとまで称される、常勝無敗の俺様を負かしたって言うんで、みんな興味津々さ」
手に持ったフライパンの中身を上手くひっくり返しつつ、ガルムが応じる。
「それにしたって……」
それにしたって、非常識過ぎるだろう。完全に見世物扱いだ。動物園のパンダでも、今はここまで注目されていない気がする。
「ま、気にすんな。空気だと思え」
「無理だ」
「わがまま言うなよ。ほら、飯できたぞ」
ガルムは笑って、焼いていた何かの肉を、皿に盛り付ける。
食うだろ? と鼻先に持ってこられれば、素直な腹が空腹を訴えた。悩んだ末、首を縦に振ることしかできず、結果、大人しく椅子に座らされ、出された食べ物をほおばった。
* * *
食事が終わっても、見物人の姿は途絶えなかった。気のせいでなければ、増えてさえいるようだ。
出て行きたくても、行けない。ドアの縁にまでびっしりいる。下手に近づけば何をされるか分かったものではない。空間転移で逃げようにも、適当な行き先など思いつかない。
「ガルム」
不機嫌もそのまま、ベッドで寝そべり雑誌を読みふけっているガルムに声をかける。
「何だよ?」
ガルムは起き上がることすらせず顔を仰がせ、テーブルに頬杖をついている俺へ視線を向けた。逆さまになった彼の顔を見つめながら、深い溜息をつく。何でこいつは、平然としていられるんだろう。
「この状況、どうにかしてくれよ」
「そんなこと言われてもな。みんな、お前を見に来てるんだし。それに、こんなに人が集まってるなら好都合じゃないか。オーブのこと、聞いてみたらどうだ?」
「ここまで混乱してる場所で聞けるか! ますます騒ぎが大きくなるだろ!」
俺見たさの人だかりに加えて、オーブ見たさの野次馬まで増えては、収集がつかなくなる。まさしく、火に油を注ぐだけだ。万が一、混乱に乗じて知らない間にオーブが何処かに消えました、なんて事態に陥ったら、
「大体、元はと言えばお前がいけないんだろ」
苛立ちのままに吐き捨てると、ようやくガルムが体を起こした。持っていた雑誌をベッドの上に放り投げ、不服そうに呟く。
「何でだよ」
「あの時周りには、誰もいなかったんだぞ。本当なら、俺がガルムと戦ったなんて、誰も知らないはずなんだ。お前昨日出先で、他人に俺のことを喋ったな?」
途端に、表情が変わった。 悪戯が見つかってしまった子供のような、焦りの色が浮かぶ。
「だ……だって、その布団借りてくるには、きちんと事情を説明する必要があるだろ?」
「戦闘の事実と結果を報告する必要は無いよな?」
淡々と切り返すと、ガルムは微かに呻いた。今度こそ、完全に言い負かされたと観念したようだ。
俺が無言で玄関を指し示すと渋々立ち上がり、重い足取りでドアの方へ向かった。途中、面倒くせえなあ、と小さく呟くのが聞こえたが、自業自得なのだから同情の余地は無い。
牛歩の末、玄関にたどり着いたガルムは、深呼吸をしてから外の獣人たちに向かって声を張り上げた。
「おーい! みんなちょっと聞けー!」
呼びかけに反応し、周囲のざわめきが、徐々に静まっていった。百戦錬磨かどうかはともかく、ガルムが人々から一目置かれているのは本当らしい。きっと強さは勿論、人柄の良さの面でも慕われているのだろうと、少し感心して見守っていた。
――が。
「どうしても見たいって言うなら、一時間二百メタル……」
「『全てを閉ざす氷よ。
「わーっ! ちょっと待て! 隼人っ!」
視線はテーブルの上に据えたまま、手だけをガルムの方にかざして呪文を唱え始める。どうしようもないお調子者も、流石に慌てた様子で振り向いた。
「冗談だよ、冗談。そうすぐにむきになるなよ。大人気ないぜ?」
「大人気なくて結構。あいにく、まだ未成年だ」
ため息交じりに、ガルムを横目で睨む。
「朝起きてからずっと珍獣扱いされて、こっちは気が立ってるんだ。悪ふざけも程々にしないと」
「わかった。わかったから勘弁してくれ」
降参とばかりに両手を上げ、ゆっくりと首を横に振る。その表情は、弱りきっている。それでも黙って睨みつけていると、ガルムは何度か頷いてみせた。なんとかするからと、
「すまねぇな。どうやらアイツ、ご機嫌斜めみたいなんだ。悪いけど、今日の所はとりあえず帰ってくれ。でなきゃ俺様が氷漬けにされちまうよ」
人々は、ざわついた。
「氷漬け……?」
「まさか、魔法?」
一部で起こったその小さなさざめきは、あっという間に全体に広がった。呟くように発せられたはずの声が、やがて大きな歓声へと変わる。油をたっぷり染み込ませた紙に、火を放ったかのごとく。燃え上がった人々の心は、簡単に治まりそうに無い。
初めの頃の
「ガルムッ!」
ご丁寧に余計なことを言いふらしてくれた張本人に、冷たい視線と怒号を投げかける。しかし、これには彼も困惑しているようで、犬耳をたたんだ上から手で押さえ、助けを請うような目つきでこちらを見つめ返してきた。
周囲からの、無遠慮な視線と、止む事の無い
「分かった! もういい! やれば良いんだろ! やれば!」
途端に拍手と、嵐のような大歓声が巻き起こった。吹き鳴らされる口笛も、期待を込めた視線も、
完全に見世物でしかない状況下で魔法を使うなんて、腹の底から不本意だった。だけどこれで大人しく帰ってくれるのなら、易いもんだ。とかなんとか、自分を納得させ、椅子を引いて戸口へ向かった。
出る途中、ドアの前で苦笑いを浮かべているガルムに、 覚えてろよ、という気持ちを込めて
態度で不機嫌を撒き散らしていたせいか、未知の生物だからなのか、玄関先でひしめき合っていた獣人たちは、こぞって道をあけた。彼等の表情は、興味が半分と、恐怖が半分。目が合った者は慌ててそっぽを向き、首を巡らせ違う方を見ればまた、俺と視線を合わせまいと、顔をそむけて目を泳がせる。散々はやし立てておきながら、失礼極まりない。
俺の動きに連動して、周囲の動きも変化した。どこかの国のお偉いさんに民衆が道をあけるように、人だかりが一斉に移動して、視界が少しずつ開けていく。見えなかった地面が、一瞬後、足元に姿を現す。ただ事実はそんなに輝かしくもなく、猛獣は見たいけれど近寄りたくは無いという、野次馬根性の結果だった。
お陰で気分は最悪だ。
「なあ、どうせなら俺様が見たこと無いヤツ、やってくれよ」
湖岸付近まで来ると、背後で能天気な声がした。苛立ちを
俺が通ったことでできた人垣の道の終着点、戸口に立っているガルムが、満面の笑みを湛えて手を振っていた。俺の心中を知らないはずはないけれど、何より彼自身の興味が勝った結果だろう。
獣人とは、本当にお祭り騒ぎが好きな連中らしかった。昨日大会のチラシを見た時の読みは外れていなかったと、呆れに近いため息が漏れる。
応えることなく、視線を湖面へ戻した。いいだろう。望みどおりやってやるさ。どの道パフォーマンス性の低い魔法じゃ、誰も納得しないんだろう?
目をつぶり、周囲のざわめきを自分から遠ざける。耳に聞こえてはいるそれが、俺の中枢に影響を与えないように。意識の閉鎖空間を自身で作り出し、ゆっくりと深層へと意識を沈めていく。
深淵には、長く続く廊下があった。 暗く荘厳な雰囲気の中、左右向かい合わせて幾つかの扉が並んでいる。ブレイズの化身が眠る扉、それを横目に通り過ぎ、また違う扉の前で立ち止まる。扉は見るからに重々しい。中にいる獣の凶暴さが、にじみ出ているようでもある。
手をかけ力を加えながら、慎重に開けていく。それだけで、肌が軽くしびれるように痛む。少しだけ開いた隙間から覗く瞳に、笑みを浮かべてみせつつ息をのむ。
コイツ相手では特に、油断していると痛い目に合う。今自在に使える魔法の中で言えば、コイツが一番、扱い辛い。
「『
対岸に生えている高い椰子に向かって、真っすぐ右腕を差し出した。慎重に、一言一言、確かめるように呪文を唱える。
晴れ渡り雲ひとつなかった空に暗雲が広がり、人々が声を漏らす間もなく上空の光が閉ざされた。獣の咆哮にも似た、低くくぐもった雷鳴。黒雲の中を、青白い稲光が走り回っている。
「――全ての力を解き放て!』サンダーボルト!」
深淵から意識を浮かび上がらせた先、現実の視界で焦点が合ったのを合図に、耳を覆わずにはいられない轟音と、目の眩む閃光が辺りを包んだ。暴力的な雷の奔流。空から放たれた電撃が、対岸の目標物を焼く。
瞬間、落雷地点とは遠く離れている俺の腕にも、電気が走ったような痺れと痛みが襲う。大気が震え、衝撃の余韻が、耳鳴りとなって残った。
そうして、人々は見た。無残に焼け引き裂かれた、高木だったものを。
天に向かって伸びていた椰子は、原型を留めていなかった。頂部から根に近い部分にかけて、縦に真っ二つに切り裂かれていた。不規則な切り口からは、未だ音を立てて電流のようなものが走る。乾燥した空気のせいだろうか。一部で火花が上がると、あっという間に炎が全体へ燃え広がった。
魔法の発動を終え、暗雲は役目を果たして既に消え去っていた。元通りに降り注ぐ眩しい陽光の下、赤々と燃える炎は勢いを増したようにも見えた。
風に乗り、生木を焼いた匂いがぷんと鼻をついた。上げていた手を下ろし、後ろを振り返る。
「これで良いだろ。さあ、帰ってくれ」
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