百戦錬磨(1)

 参加者は俺とガルムを入れて、八人だった。予想より随分と少ない。獣人イコール戦闘狂という図式が成り立っていたお陰で、肩透かしを食らった気分だ。


「なんだ。出場する奴少ないんだな」


 司会者らしき男の説明を聞きながら、無意識に呟いてしまう。誰に向かって言ったというわけでも無かったが、 たまたま真横にいたガルムにはしっかり聞こえたようだ。周りには分からないくらいに小さく、肩をすくめて寄越した。


「まあルールがルールだしな。誰だって命は惜しいだろ」


 思わず、顔を上げガルムを見る。

 この大会が、いわゆる御前試合のような、形式だけのものではないことは知っていた。大会のチラシを初めて見せてもらった時、ガルム自身が漏らしていからだ。


――生死無用の戦闘形式だけど、大丈夫。ちゃんと救護班もいるし、実際に死人が出るような事にはならないさ。


 随分物騒なルールだと少し引っかかったが、 ガルムの口調では別段気にするようなことではない、という雰囲気だったから、てっきりそれが獣人大陸での常識なんだと思っていたのに。


「もしかして、今日のって普通じゃない……のか?」

「当たり前だろ」


 何がおかしいのか、ガルムは吹き出しながら否定した。


「お前これが基本的なルールだと思ってたのか?  いくらなんでも、それは無いさ。普通は、な」


 小声で答えて、顔の前で手をひらひらさせる。


「一部の過激派連中が主催してる祭りでなら、わりとあるんだ。 最終的に誰が生き残るか、賭けとかしてさ。けど、街をあげた一般大衆向けの大会ルールで、ってのはまれだ」


 口許に笑みを残したまま、言い切った。しかし内容は、あまり笑えない。

 眉を寄せ不審を顔に出した俺の言葉を遮るように、ガルムは先を継いだ。


「多分儀礼的な戦闘じゃ無い、本物の死闘を見世物にしようっていうんだろ。命がかかるとなれば、誰でも必死になる。戦術も戦略も伝わる緊迫感も、桁違いに変わってくる。出し物としての価値にしたって、きっと比べ物にもならないだろ。だからこれだけの奴等が、金払ってまで見に来てんのさ。でもまあ、心配する事はねえって。ちゃんと救護専門の人員も施設もあるんだから」

「……別に自分の身を案じてるんじゃない」


 小声でぶっきらぼうに返し、元通り司会者に向き直る。

 いつの間にか、正面の壁には白い表が張られていた。歪なあみだくじに似た、何本かの線が引いてある。勝ち抜き戦か、と思う。

 その正面に用意された机の上には、腕が入る程度の穴が一つ開いた箱がある。どうやら抽選で、順番と組み合わせを決めるらしい。紙面に八本引かれた線の下には、それぞれ一から八までの番号と名前を書くぶんの余白が残っている。

 やがて司会者が、想像通りの説明を始めた。時折頷いて見せながら、思考は現実とは違う場所に沈んでいく。先ほどのガルムの解説が気になって、耳から離れない。


――街をあげた一般大衆向けの大会ルールで、ってのはまれだ。


 ならどうして、今回はその形式が採用された?


――儀礼的な戦闘じゃ無い、本物の死闘を見世物にしようっていうんだろ。


 本当にそれだけの理由なのか?


――出し物としての価値にしたって、きっと比べ物にもならないだろ。


 確かに、その通りだと思う。人が大勢集まれば、優勝者に出される賞金は入場料の中で賄える。それに上乗せした利益を出そうともしてるんだろう。興行ならば当然の志向だ。

 ガルムの言い分は、それなりに辻褄が合っていた。本来なら納得できる内容のはずだった。

 それでも、何かが引っかかる。理屈では説明できない。はっきりと言えることは何も無い。自分の命がかかっているのが嫌だとか、模擬戦ではないリアルな戦闘に恐怖を感じるとか、そういった理由では無く。

 何故だろう。何故か、妙に、気乗りしない。


「隼人?」


 反射で、弾かれるように顔を上げる。隣のガルムが、不思議そうに正面を指差していた。


「呼ばれてるぞ。早く行って来いよ」

「あ? ああ、ごめん。ぼーっとしてた」

「何だよ、珍しい。お前らしくも無いな」


 苦笑するガルムに、そうだよなと笑みを返し、前へ進み出た。不機嫌そうな司会者に頭を下げ、抽選用の箱に腕を差し入れる。


 抽選の結果は上々だった。ガルムは一回戦、俺は四回戦が初戦。 参加者は八人だから、この組み合わせなら、ガルムとは決勝戦まで当たらない。勿論両方がそこまで順調に勝ち進めばの話だが、早い段階で潰しあいになるよりはずっといい。

 と言うより、これ以上の組み合わせは望めないだろう。理想を形にしたかのようだ。しかし、いや、だからこそ、ラッキーだなと指を鳴らすガルムに、諸手を挙げて賛同できなかった。

 確かに嬉しい。嬉しいが、いまひとつ喜べない。何かおかしいと、頭の中で冷静な声がする。それに応えるように、顔を上げて対戦表に視線を預ける。既に司会者の姿は無く、机ごと抽選箱も撤去されているお陰で、白い紙面がよく見える。


 何故こうも都合良く、事が運ぶのか。賞品となった獣人大陸のオーブ。この上無いと言える対戦カード。誰かが裏で操作でもしているのではと疑いたくなる幸運な偶然。あまりにも出来すぎている。

 ただ、怪しんだところで、結論は出ない。俺に都合の良い状況を作り出す必要など、何処の誰にも無い。ガルム以外に知り合いと言える相手がいないこの大陸で、珍獣あるいは目の上のたんこぶ扱いをされることはあっても、他者から懇意にされる理由も心当たりも無い。


 それでも気になった。胸騒ぎが、なかなか収まらなかった。ざわつく胸が、何かを知らせようとしている。根拠もないのに、何故か確信に近い奇妙な感覚があった。

 その勘を信じるならば、これは、というよりも、むしろ。


「……いや。考え過ぎだ」


 ほとんど声には出さず呟く。根拠の無い自分の中の警告を、無理やり打ち消すために。


「何か言ったか?」


首を傾げるガルムに、何も、とだけ告げて、対戦表から目を引き剥がした。


*  *  *


 一回戦のガルムの相手は、アクエリアという名の女性だった。若い。俺とあまり歳が変わらないように見える。

 肩につくかつかないか、という長さの水色の髪を掻き上げた先。一見華奢に見える身体の背中部分には、魚のひれが大きく変化したようなものがついていた。よくは分からないが、翼、だろうか。 左右一対となった半透明のそれは、 彼女の体を支えるにしてはあまりにも小さく繊細過ぎるが、トランスによって大きく変化するとなれば、納得出来る。

 飛行タイプか。だとしたらガルムには不利だなと、それとなく相手を観察していると、勢い良く顔をこちらへと向けた彼女と目が合った。


 アクエリアは、誤った空間転移で更衣室に入ってしまった時、丁度その場にいたうちの一人だった。全くの誤解だとしても、彼女にとって俺達は痴漢以外の何物でもないらしい。嫌悪と軽蔑が、刺々しく突き刺さる。


「何よ」


 最初から喧嘩腰で、釈明すら通じそうになかった。諦めて大人しく謝ろうとすると、ガルムがそれを遮るタイミングで彼女の方へ進み出た。どうするのかと覚えば、無防備に右手を差し出している。


「俺様、次の対戦相手なんだ。宜しくな」


 思わずガルムを仰ぎ見た。表情を窺う限り、これといった考えもなさそうだ。ただ単に、試合前の挨拶をと思っただけだろう。

 しかし当然、受け入れられるはずも無く。アクエリアはますます不快をあらわに、数歩後退った。


「寄らないでよ! 変態!」

「何だよ。あの時のこと言ってるのか? だから、あれは事故だって」

「何が事故よ。いい加減なこと言わないで」

「いや、本当だぜ? 大体、俺様だって、どっちかっつうとだ。元はと言えば」

「ガルム」


 静かに、肩を叩く。ガルムの背中が震え、固まるのが分かった。恐る恐る振り返り、俺の顔色を窺おうともしている。気付いてはいたが、 わざと正面を向いたまま無視を決め込む。


「そろそろ時間だろ。行って来いよ」


 押し殺した声で言うと、ガルムは曖昧な返事をしてそそくさと舞台に上がった。アクエリアも怪訝そうに、こちらを気にしつつ後に続いた。

 ああいう、考え無しでお調子者の部分さえ無ければ、本当に良い奴なんだけどな。独り溜息をつきながら、出場者二人の背中を目で追った。


*  *  *


 観衆は、初戦の二人を盛大な歓声で出迎えた。舞台上には向かい合って立つガルムとアクエリア、そして先ほど抽選を行っていた司会者の男が見える。どうやら彼が審判役もこなすらしい。

 マイクを手にした司会者が、選手の簡単な説明を始めた。その内容が湧き上がる観衆に届いているかは、疑わしい。耳には届いても、頭に入ってないのではないかと思うほどの熱狂ぶりだ。

 石舞台の外に出る、あるいは死亡を含む戦闘不能状態に陥れば敗北。ただし上空エリアは会場内であればある程度の移動は自由とする。

 最早儀礼的と言える注意事項の読み上げと、互いへの意思確認が終わると、司会者の片手が真っすぐに天を指し示した。徐々に鎮まる歓声、代わりにじわりと膨らむ緊張感。

 やがて司会者の腕が振り下ろされるのと同時、開始の合図が告げられ、いかにも格闘戦に似つかわしいゴングが、高らかに鳴り響いた。


 先にトランスを始めたのは、アクエリアだった。彼女の背についていた、魚のひれなのか翼なのか曖昧だったものは大きく広がり、数秒もしないうちに、身長ほどもある翼となった。

 さながら天使の降臨といったところか。日に透けて七色に光る翼の美しさに、目を奪われる。客席からは、溜息が漏れている。

 当の本人は構わず、即座に上空へと飛び上がった。建物換算で三階分程度、見守る観客の顔がほとんど上向きに近くなる辺りで上昇をやめ、くるりと身を翻してこちらに向き直った。

 優雅に羽ばたき、舞台を睨む。機を狙っているのか。何か考えているようだが、わからない。その間ガルムは何もせず、ただ一部始終を見ているだけだった。


 ガルムには、飛行能力がない。つまり、アクエリアのいる場所まで上がるすべを持たない。 実際俺と対峙した際も、飛行魔法であるブラストを使ったが最後、あっけ無く倒された。

 二の舞を演じる奴では無いとは思うけれど、アクエリアが空に逃れてしまった今、ガルムがトランスをしたところで勝機があるのか。最悪、一回戦敗退? あのガルムが? まさかとは思うが、浮かぶ不安を拭い去るのは難しい。


 目立った動きの無いまま、数十秒。上空を見上げ、様子見に徹していたガルムが、ようやくトランスを開始した。肩回りの筋肉が盛り上がり、ふさふさとした体毛に覆われる。爪や牙が、鋭く尖り、光る。文字通りの瞬く間に、一ヶ月前剣をあわせた屈強な狼男が、姿を現した。

 目にするのは、これで二度目だ。相変わらずの気迫。生物としての本能か、総毛立つ感覚を覚える。今まで俺が相対してきた魔物たちでさえ、ここまでのプレッシャーを放つ個体は稀だ。町や村一つを壊滅させる力を持った相手にさえ抱かなくなった恐れを、今、感じている。やはり、強い。確信して、生唾を飲む。


 ガルムが唸るように牙を剥いて目を眇めた先、太陽の中に居るアクエリアが、大きく羽ばたいた。逆光を避けながら見上げて、ようやく理解する。機を狙っていたのではなく、飛翔しつつ密かにを生成していたのだと。

 トランスで肥大化した翼に、鱗のようなものが生えていた。尖った鱗はびっしりと密着して、七色の翼を埋め尽くしている。アクエリアは一度大きく身体を反らせ、渾身の羽ばたきで眼下のガルム目掛けてそれらを弾き飛ばした。


 膂力りょりょくに加えて俊敏さをも誇るガルムのこと、一跳びで全てかわしきり、残像にかすりさえしなかった。それでも、ぞっとする。

 少々叩いた程度ではひび一つ入りそうに無い、巨大な石のリングに、何本も突き刺さった鱗。陽光を反射して虹色にきらめくそれは、形も大きさも、鋭利なナイフそのものだった。刃渡りにして十センチ程度。それが、標的めがけてひょうのように降って来る。


 ガルムは上手く避けていた。右へ左へ、前へ後ろへ。ろくに足元も見ずに、必要最小限の動きで、掻い潜るように飛び回る。優雅でさえあった。実際、余裕が窺えた。

 ただ、彼自身も分かっているはずだ。受身にまわるだけでは、勝てない。アクエリアが舞台付近に下りてこなければ、有効な攻撃はできないし、舞台上を埋め尽くされれば、最終的には足場が無くなって終わりだ。


 そのまま一方的な攻防が続いた。気付けばリングの半分以上が、足場として使えなくなっていた。光に照らされて、キラキラと反射する床面は、美しくも凄惨だ。割れたガラスが撒き散らされている光景にも似る。

 アクエリアが翼に生えた鱗を発射し、ガルムが避ける。もうずっと、その繰り返しだった。戦闘開始から二十分は経過しただろうか。いわゆる膠着状態で、初めは圧倒されていた観客の顔にも、飽きが見え始めた頃。


 突然、アクエリアの攻撃が止んだ。どうしたのか。訝りながら見上げた先、遥か上空で舞う彼女は、大きく肩で息をしていた。羽ばたきも、いくらか弱々しく変化している。翼に無数についていた鱗は、目視で数えられるほどに減っていた。どうやら弾切れと体力の限界が、同時にきたらしい。

 それでも必死に飛翔を続けるアクエリアを、舞台上から見上げるガルム。こちらは驚くほど静かだった。様子を伺っているようではあるが、緊張感がほとんど無い。今日の天気を気にする程度の呑気さで、手でつくった庇の端から空を覗いている。

 軽く首を傾げ、頷くと、今度は奇妙な動作を始めた。床と彼女とを、交互に見比べている。何か考えがあるようだが、分からない。何度か繰り返した末に、片足でばんばんと床を踏み鳴らしたりもしている。


 そうして、大きな破裂音が響いた。

 何が起こったのか、認識する前に視線が姿を追っている。翼も無い飛行魔法も使えないはずの狼男が、空高く舞い上がっている。

 観客から、一瞬の歓声があがった。俺は言葉すら失い、ただ目で追った。軽々と宙を舞う、屈強な狼男の姿を。

 補助も何も無く、単なる跳躍だけで追いすがって来たガルムに、アクエリアは反応出来ていなかった。他の人々と同様、ただ彼の姿を視界に納めるだけで精一杯。逃避や反撃はおろか、みじろぎさえしない。その腹に、あらかじめ腰に引き付けてあったガルムの拳が、めり込む。


 まさに一撃。それだけで、勝負は決まっていた。

 意識を失ったらしいアクエリアと、重力に逆らえない狼男が、舞台めがけて落ちてくる。落下の途中で、ガルムが腕を伸ばし、アクエリアを抱え込むのが見えた。お陰で少しバランスが崩れた、かと思いきや、器用に身体をねじり、しっかりと地に両足をつけて着地する。

 跳び上がった瞬間と同等か、それ以上の衝撃音が上がり、突き刺さった破片が散乱した。砂煙に混じり、粉々になった虹色が舞う。うっすら煙ったリングの上、着地地点から放射状に、大きな亀裂が走っているのが見えた。

 破壊の中心に立つ狼には、怪我一つなかった。息すら上がっていないように見えた。やれやれとばかりに首を傾げ、ただ、腕の中の少女を気遣わしげに眺めていた。

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