狼人-ワーウルフ-(2)

 楽しそうに言い放ち、人狼は俺の方へと一歩を踏み出した。すかさず、足元の砂を蹴り上げる。相手がひるんだ隙を狙って、呪文を唱えた。


「『吹き渡る風よ! 我が呼びかけに応えその翼を広げろ!』ブラスト!」


 突如巻き起こった風に乗って、俺の体は地を離れて空中へと舞い上がった。地上までの距離は、たっぷり十メートル近くある。

 砂を払い落とし、敵の姿を上空に発見した人狼は、如何いかんともしがたい状況に攻めあぐねている様子だ。即座に追って来ないところを見ると、やはり彼は飛行の魔法を使えないらしい。というより、魔法全般を使えないのかも知れない。初めから直接攻撃ばかりだったし、距離を置いた後再度攻めてこようとした時も、魔法を使う素振りは一切無かったから、もしやとは考えていたが。どうやら一か八かの勝負に賭けた、俺の勝ちだ。

 空に体をあずけたまま、眼下の人狼に向かって真っ直ぐに右手を差し出す。魔法の併用は体力と精神力に過度の負荷をかけるが、一発ぐらいなら大丈夫だろう。そもそも多少の無理をおさないと、彼には勝てそうに無い。

 目をつぶり、意識を心の深層へと沈めていく。同時に、甲高い音が耳に届き始める。耳鳴りに似た、凍える響き。手のひらに収束する、冷気の音。


「『全てを閉ざす氷よ! つぶてとなりて敵を討て!』フリーズ!」


 呪文とともに具現化した、無数の微細な氷。眼下で佇む人狼めがけて、あられのように降り注ぐ。


「ふん。こんなの痛くも痒くも……」


 自分の顔の前に左腕をかかげて庇いながら毒づいた人狼は、途中で言葉を失った。霧にも似たその氷に触れた瞬間、体が凍りついたとあれば当然だ。冬に極度の氷点下地点で水をぶちまけた時のように、肌に接した部分から次々に、氷が体中に広がっていく。

 終いには首から上を残して両手両足も全て凍りつき、彼は全く身動きが取れなくなっていた。


「勝負あり、だな」


 俺はブラストの効力を調節し、ゆっくりと地面に降り立った。体から生じる微小な風に乗り、砂が微粒子となって足元で舞い踊る。地に足をつけた瞬間に眩暈がしたが、倒れるまではいかない軽さで済んだ。それでも良い気分だとは言えず、はっきりしない頭を振って、平静を取り戻す。


「くそっ! 人間ごときにやられるとはな。俺様もヤキがまわったぜ。まあいいさ。久しぶりに、結構楽しめたからな。さあ、殺すなら殺せよ」


 俺が近づくと、人狼は手負いの獣そのままに吠えた。外見からすると、その感想もあながち間違いではないだろうか。


「何言ってんだよ。そもそも俺がアンタの上に落ちてきたからいけないんだろ? 許してもらえればそれで良いんだ。俺には最初から、あんたを殺す気なんて無い」


 ついでに言えば、戦う気もなかった。心中でぼやきながら、砂の中に半ば埋まっていた剣を拾い上げた。どうやら自分の体が凍りついたのに驚いて、手を離してしまったらしい。軽く手で払って、付着している砂を落とす。粒子が細かいせいで、なかなか落ちない。苦し紛れに剣を左右に振っていると、まだ氷に動きを阻まれている人狼が不服そうにぼやいた。


「でも俺様は、お前を殺す気で――」


 ため息をつき、剣を勢い良く鞘に納めた。まだ残っている砂はあるが、今は諦めるしかない。案外小気味良い鍔鳴りが響いたのに安心して、人狼の方へ向き直る。


「結局死ななかっただろ。ほら、こうして生きてる。 お陰で傷は痛むけど、こんなの放っとけばそのうち治るさ」


 肩をすくめ、もう一度息を吐いた。殺すの殺さないの、随分と極端な話だ。俺は彼を敵として認識していた訳じゃないし、今相手に抵抗する気が無いなら、それ以上手を下す理由は無い。獣人ってのはみんな、こう短絡的なんだろうか?


「とにかく、俺が悪かった。ごめん。今度からあの魔法使う時は、足元に気をつけるよ」


 頭を下げ、肩からずり落ちそうになっていたバックパックを、小さな跳躍で元通り背負った。今度からは、荷物を背負ったままの戦闘はごめんだ。動きにくいし、バランスもとり辛いし。良いことなんてひとつも無い。


 張り詰めていた、精神の緊張を解いた。それを合図に、人狼を包んでいた氷塊は霧散した。溶けるのではなく、蜃気楼のように一瞬で消え失せる。急に支えを失った彼は、少しよろけた。


 魔法が完全に解けたのを見届け、じゃあこれで、という呟きを最後に、きびすを返して歩き出す。着いて早々、大変な目にあったもんだ。でもこれで間違いなく獣人大陸にいるらしいことは分かったし、言葉も通じるみたいだから、町で聞き込みをすればそのうちオーブの情報も手に入るだろう。

 砂の中に沈み込みそうになる足元に落としていた視線を、ふと前方へと投げる。そのまま足を進めつつ辺りを見回して、自然とひそめてしまう眉間に手を添えた。

 問題は、どっちへ行けば町なのか、分からないところなんだ。


「なあ」


 ほとんど行かないうちに後ろから呼び止められ、振り向いた。そこにいたのは、もはや人狼ではなく、最初に会った犬のような耳と尻尾を持った青年。


「お前、イイ奴だな!」

「は?」


 開口一番に吐かれた予想外の台詞に、つい眉をよせてしまった。同時に向けられた屈託の無い笑顔にも、どう反応していいのやらわからない。相手は俺のいぶかる視線を気にもとめず、自分で投げ捨てたTシャツを拾い上げ、ばさばさと砂を揺さぶり落としていた。


「お前、名前は?」

「椎名隼人……だけど」


 いまいち相手の言動が読めない。それでも聞かれたことには、反射的に答えていた。男は満足そうに頷くと、まだ少し土色をしているTシャツを頭からかぶった。


「よし、隼人。俺様とお前は、今からダチな。俺様はガルム! 宜しく頼むぜ!」


 俺に向かって、真っ直ぐ差し出される右手。当の俺は呆けたように、振り向いたままの姿勢でその場に立ち尽くした。

 ちょっと待て。何でそうなるんだ。ついさっきまで死闘を繰り広げていた相手に向かって、『今からダチ』だ?  一体、どういうつもりなんだ。思いつきで行動してんのか? 

 頭の中に横一列に並んだ疑問符を消化しきれないまま、それでも青年――ガルムへ向き直った。


 元は俺が悪いとはいえ、有無を言わさず攻撃してくる。仕方なく相手をしているうちに、明らかに怒りはどこかへ行ってしまった様子なのに、全くやめようとせず楽しそうに向かってくる。自分が負けた途端に自虐的とも潔いともとれる態度になったかと思えば、殺す気が無いと分かったら急に友好的になって、こうしてにこやかな笑みを見せる。

 はっきり言って、変な奴だ。考えてるんだか考えてないんだか、全く分からない。でも、この天真爛漫な無邪気さは、嫌いじゃなかった。


 口許に、諦めに似た笑みが浮かんだ。どうせ、行く当ては無い。情報を求めて町に行こうにも、何処にあるのか見当もつかない。だったら一人くらい、話せる仲間がいたって、いい。

 風に巻かれて吹き抜ける砂塵の中、耳と尻尾をはためかせるガルムは、手を差し伸べたままでいた。浮かべる笑みも、ずっと変わらず。少し前に拳を交えたことさえ、すっかり忘れているんじゃないのかと、呆れるほどの無防備さだった。

 やっぱり、変な奴。苦笑しながら歩み寄り、差し出された手を強く握り返した。


「ああ、宜しく」

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