別世界(4)

 とりあえず、自分の部屋に戻ってきた。受けた衝撃は、そのまま恐怖の余韻として残っている。

 ぼんやりとしたままの頭を勢いよく振って、正気に戻そうとするが、効果はなかった。ただ目が回っただけだ。情けない思いに駆られながら、反動でそのままベッドに倒れこむ。


 天井には、の地図があった。俺にとってはユーラシア大陸、しかし母さんや他の皆にとっては、人が住む唯一の大陸。

 認めるしかない。そう思った。足掻こうにも、逃げ場は見つからなかった。それなら、事実を事実と受け止めたうえで、どうすべきかを考えた方が良い。

 先ずは今自分が置かれている現状からだ。

 地球上にいることは、どうやら間違い無いらしい。事典の中に、という単語が含まれていたから。

 地図にしても、形は全く同じ。唯一違うのは、その名前だけ。母さんは当然のように知っていたから、知らなかったのは俺だけ、と考えた方がいいだろう。

 次は、周りの人々が「俺が二年間居なかった」と言っている問題について。

 これは、何処からどう手をつけていいのかわからなかった。最初は周りがおかしいのだろうと思っていたけれど、どうやらおかしいのは俺の頭の方らしい。

 じゃあ、何故。どうしてこんな状況に陥ってしまったのか。

 それについては、答えが出そうになかった。考えても、見当さえ付かない。まるで俺一人だけが、違う世界に放り出されてしまったみたいだ。

 知っているようで知らない。知らないようで知っている。紙一重の矛盾が積み重なって出来た、違う世界。


「違う、世界……」


 浮かんだ言葉を確かめるように、口に出してみる。引っかかるような、違和感がある。衝動のままに、体を起こした。


 思えば今日は高校を出てから、おかしなことばかりだった。歩き慣れた地元の道に迷い、生きた気配の感じられない街を歩き、寂れきったゲームセンターで謎の男と遭遇し、激しい眩暈のようなものを感じて気を失った。

 家に帰れば二年間行方をくらましていたと心配され、地図には見たことも無い大陸名が並んでいた。

 噛み合わない歯車が連動して狂うように、全てが少しずつずれている。

 知っているはずで知らない街。常識と信じたものが非常識である現実。

 自分の知っている世界と同じ、しかしどこか違っている世界。

 。―ーパラレルワールド。


 酷く奇妙な、それでいて突飛な考えだが、何かの拍子に、隣り合った違う世界へ迷い込んでしまったとすれば、とりあえず置かれた状況には納得がいった。

 SFなんかでよく耳にする現象に、まさか自分が巻き込まれるとは思ってもみなかった。今でも、心の底では信じていない。

 それでも、地球上であること、地形が全く同じこと、自分の家が記憶と同じこと。

その他幾つもの符号を総合すると、そう結論付けるしかなさそうだった。


「冗談だろ」


 自分の思考に、悪態をつきたくなる。馬鹿馬鹿しい、そう一笑に付してしまうことが出来れば、楽だった。

 しかし事実は堂々と存在を主張し、俺の常識を真っ向から否定し、きっとそれと同じぶんだけ、奇妙な考えを肯定していた。


 何故だ、なんでこんなことになった。頭を抱えて、ベッドの上で縮こまる。

 全く、訳が分からない。分からないが、考えられる中で最も決定的な原因は、やはりあのゲームセンターでの一件だ、と思う。

 埃だらけの、誰もいない店内。なのに、煌々と輝きを放っていたいくつもの筐体きょうたい。そこに突然現れた、見知らぬ男。

 あの奇妙なオッサンは関係があるのか。彼を探すべきなのか。しかし俺が気づいたとき、既に彼は周囲に居なかった。そもそもあのゲームセンター自体が、夢幻ゆめまぼろしのごとくに消えている。

 だったら、どうすればいい。とりあえず目が覚めた時に居た空き地を探索してみるべきなのか。何もない、ただ草だけがまばらに生えているだけで、ゲームセンターはおろか人の手が加えられた片鱗さえ無かった、あの場所を。


「くそっ」


 悪態をつきながら、再びベッドに倒れ込んだ。

 何で俺が、こんな面倒に巻き込まれなくちゃいけないんだ。天井に張られた地図を睨み、大きなため息をつく。俺がユーラシア大陸として認識している地図。しかしここでは、人間大陸という名前を冠した世界地図。

 そのまま見ている気になれず、逃げるように寝返りをうつ。


 今度は視界の端に、鞄が転がっているのが見えた。部屋に入った時、無造作に放り投げて、そのままだ。

 丁度ベッドとドアの最短距離を結ぶ、直線上に落ちている。あんな所に置いてあったら、きっと起きた時に寝ぼけて踏むだろう。

 残念ながら、極端に朝は弱い。起床から、たっぷり一時間は意識が朦朧もうろうとしている自信がある。下手をすれば、ひっかけて転ぶかもしれない。

 軽く息を漏らしながら体を起こし、ベッドから下りて鞄を手に取った。何冊かの教科書とノートが入っているお陰で、結構重い。

 一先ず机の脇に置いて、ふと思った。結局俺のやるべき事なんて、元の世界となんら変わりないんじゃ無いのか、と。


 世界レベルで見れば自分の知っている場所と違う所があっても、とりあえず身の回りでの大きな変化は見られない。恐らく学校や予備校、そんな俺のいた場所で当たり前だったものだって、ここでも同じように機能しているのだろう。

 母さんもオバさんも、勘違いとは言え歓迎してくれているようだし、暫くはこのままでも良いのかも知れない。

 一種諦めにも似た感情に、引きずられる。

 どうせゲームセンターがあったはずの荒地に行ってみたところで、収穫なんてありはしない。他にどうしようもないのだから、当面はこの状況を大人しく受け入れるべきなのでは。

 この世界にずっと住んでいたふりをし、学校へ行き、予備校へ行き、本来なら知らないはずの友人達と言葉を交わし、笑顔を浮かべる。

 いくつか不都合な点はあっても、ちょっとした記憶障害、ということで白を切り通せる気がした。

何といっても、だったのだ。それぐらい、おかしくは無――。


「あ」


 声が出た。肝心な事を忘れていたと、気付く。

 二年前家を出て以来行方不明だという、この世界の俺。彼がもし、この家に帰って来たら、どうなるか。

 多分、母さんもオバさんも驚く、なんて生易しいものでは済まない。同じ顔の同じ人間が二人、目の前に現れれば、どんなに冷静な人間でも正気を失うはずだ。

 深い、重い、ため息が出た。一瞬前の自分の安易さに、失望した。

 もしかしたら平和に暮らせるかもしれないなんて、考えなければよかった。元々俺はこの世界に居るはずの無い存在なのだから、安穏と過ごせるなんて考えること自体、間違っていたのだろう。


 出て行くしかない、か。覚悟を決めて、鞄を机の上に引っ張り上げ、中に入っている教科書類を取り出した。

 実行は、なるべく早いほうが良い。この世界の俺は、いつ帰って来るか分からない。

 しかし今手元にあるものと言えば、バックパックの中身くらい。財布と筆記用具と勉強道具、それにポケットティッシュでほぼ打ち止めだった。

 当てもなく家出するには、装備が心もとなかった。いくらこれから夏に向かうとはいえ、 防寒具や小さめの毛布くらいは用意しておいた方がいいだろう。できれば着替えも、幾つか欲しい。


「仕方ないよな」


 誰に言うでもなく呟いて、クローゼットの扉を開け、中を物色した。泥棒でもしているような気分だが、実際俺の物には違いないと、自分を納得させ、必要なものを引っ張り出した。

 普段持ち歩くには大きめの鞄は、すぐに必要最低限の生活用具で一杯になった。ぱんぱんに詰まった荷物を見下ろし、とりあえず当分は大丈夫だろうと一人頷く。

 金銭面で不安が残るが、流石に自分の物ではない貯金に手を出すのは気が引けた。手持ちの金を確認すると、百円のパンなんかで食いつないでいけば、一、二ヶ月はもちそうだった。

 その間に、住み込みの仕事でも見つければいい。この不景気な世の中で、身寄りも無く保証人もいない奴が住み込みで働ける場所なんて、あるかどうかわからないけれど。

 混乱から立ち直れない頭では、考えれば考えるだけ、悪い方向にばかり行ってしまうようだった。大きく頭を振って、必死に気持ちを切り替える。

 四の五の考えたって仕方が無い。腹のうちで、繰り返し自分に言い聞かせる。


 出発は、明日の朝に決めた。もう夜遅いし、流石に疲れた。母さんに怪しまれないようにするためにも、明日の朝学校へ行くふりをして家を出るのが、一番いい。

 残された母さんが気がかりではあるけれど、案じたところで俺にできることなど何も無い。

 母さんの淋しげな笑顔が、浮かんだ。懐かしそうに目を細め、痛みを堪えるような表情で俺を見る視線が痛かった。

 ぬか喜びさせておいて、次の日に俺の姿が消えていると知ったら、母さんはどうするだろう。

 狂ったように俺の名を呼びながら、探し回るかもしれない。食事を摂ることすら忘れて、泣き明かす日々を送るかもしれない。

 なににせよ、微かによみがえった笑顔が消えてしまうのは確実だった。

 想像だけでも耐え難くて、奥歯を噛む。一瞬、事情を話そうかと迷った。

 しかし、自分でも信じられないような話を、他者に信じてもらえるとは思えなかった。例えそれが、唯一の肉親だとしても。

 話してどうなる、という思いもあった。結局俺は、母さんが待ち望んでいるではないのだ。


「……仕方ない、事なんだ」


 自分で生み出した罪の意識に言い訳をして、着替えを済ませベッドに横になった。布団の中にもぐりこむと、精神的な疲れのせいか、すぐに瞼が重くなり始める。

 もう簡単に答えの出ない問題で悩むのはやめておこう。明日のことは、また明日考えればいい。今は体を休めるべきだ。これから暫くは、落ち着いて寝られるかどうかさえ危ういのだから。


 すっぽりと布団をかぶり、うずくまった頭の上、青いカーテンが掛けられた窓の外では、少々気の早い虫達が、訪れる夏を告げていた。



 to be continued......■|

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