旅立ち(2)

 薄暗くなり始めた路地に街灯が灯りだす時間帯になっても、まだ家に帰りつく事が出来ずにいた。流石にこれはおかしいのではないかと、微かな不安が胸に湧き上がる。

 そもそも、生まれた時からずっと変わらず暮らし続けている街で、知らない道などあるはずが無いという事実に、もっと早く気付くべきだった。らしくない失態に歯噛みして、立ち止まり周囲を見渡す。


 道行く人に聞くことが出来れば一番早いのに、どういうわけか、通りには猫一匹見当たらなかった。

 両側には相変わらず、何処にでもあるような特徴の無い民家が立ち並んでいる。その窓には分厚いカーテンがかけられ、外界との接触を頑なに拒んでいるように見えた。

 半ば無意識に時計を見ると、遮光カーテンを引くには、まだ早い時間帯だった。

 何となく腑に落ちない。少なくとも、見渡す限り全ての家々のカーテンが下ろされねばならないほど、外は暗くなっていない。


 一瞬、気味の悪さを感じて、背筋を冷たいものが走る。しかし、留守の家と気の早い主婦のいる家が、たまたま並んでしまったのかもしれないと、無理矢理な理由をつけて自分自身を納得させた。

 話し声はおろか夕餉ゆうげの香りすら漂っていない、その奇妙な事実には、気付かないふりをした。


 生の気配が無い町並みに、学校指定の革靴が奏でる音だけが響く。沈みかけの夕日が作りだした自分の影を力強く踏みつけ、心の奥に潜んだ恐怖心を押さえ込みながら歩いた。

 ここは一体何処なのか。何故こんな事になってしまったのか。

 考えても答えは出ないと分かっていたけれど、他の何かで頭を埋め尽くしておかないと、足が先へ進みそうに無かった。

 立ち止まろうとも周囲を見渡そうともせず、俯いたままで真っ直ぐに伸びた道をひたすらに歩いた。途中幾つかの分かれ道があったが、どういう訳か曲がろうという気がおきなかった。

 黄昏の空へと垂直に伸びる電柱を数え、茶色の植木鉢が置かれた家々の簡素な門構えを追い越し、灰色のくたびれたアスファルトの上、薄汚れてところどころ剥げ落ちている、ひび割れた白い太字の道路標示を尻目に、道路と平行に走る電線が落とす影を足早に辿った。


 どれだけ歩いただろう。

 いい加減、両足にだるさと鈍い痛みを感じ始めた俺は、久々に顔を上げた先の路上に、微かな光が灯っていることに気づいた。

 高さから言って、電柱に付いた街灯の明かりとは違う。薄闇に光るぼんやりとした明かりは、心にも小さな希望の灯をともした。

 自然と小走りになる足取りで、遠く揺れるように光る灯を追う。


 救いの手に見えた光の正体は、古ぼけたゲームセンターの看板だった。

 道路に直置きの四角い看板には、郊外にある大多数の小さなゲームセンターの例にもれず、原色の赤や青で書かれた幾つかの文字が躍っていた。アクション、テーブル、シューティング、レース、リズム、格闘、シュミレーション。

 最上部にあっただろう店名はギザギザに欠けて、アルファベットとおぼしき文字の欠片しか見えなかった。安っぽさを強調するような薄いプラスチックの中、茶色く焼けた裸電球が規則正しく並んでいる。

 入り口は自動ドアではなく、昔懐かしい引き戸だった。ドアを含む一面のガラス壁には、各種ゲームのポスターが雑然と張られていたが、どれも破れたり色焼けしたりで、まともな代物が一つも無かった。

 内容は、一番新しいもので四、五年前。

 続々と新作が出され、今や二桁に届こうとしているシリーズものの、七作目のイラストが描かれたポスターの端に、せた蛍光オレンジの文字で「新商品入荷!」とある。


 ポスターの隙間を縫って、汚れで黄色く濁りきったガラス越しに中を覗いたものの、薄暗い空間のところどころにポツポツと光の円が見えるだけで、よく分からなかった。営業していない訳では無さそうだが、確実に繁盛はしていないと断言できる。『開店休業』という言葉が、ピタリと当てはまる。

 普段なら一瞥いちべつもくれずに通り過ぎるような、これ以上無い程うらぶれた店だが、今は贅沢を言っていられない。明かりがついて営業しているということは、中に人がいる可能性が高い。客はいないにしても、どんな店だって防犯の為に管理人か従業員一人くらいは置いておくはずだ。

 微かな期待を胸に、白に黒字で入り口と書かれたプレートが添えられた、ガラス戸の取っ手に手をかけた。


* * *


 案の定、客は一人もいなかった。というよりも、残念なことに人間の姿自体が無かった。

 雑誌をめくりながら暇そうにタバコをふかす管理人も、モップを握り嫌々ながらに掃除をする従業員もいない。

 照明の消えた、がら空きの店内には、最近ではあまり見なくなった型の対戦台と、レースやシューティング専用の大型のゲーム台が並んでいるばかり。台と台の間を仕切る、白い植木鉢に植えられた南国育ちの観葉植物は枯れかけ、どの葉もぐったりと頭を垂れている。

 整然と並べられたゲーム機十数台のうち、光を放っているのは二、三台だった。儚く点滅する光に照らされて、ところどころ塗りの剥がれ落ちた白いまだらの壁が、赤に黄、青に紫、それ以外のどれでもない色に次々と染まる。


 人がいなかった時点でもう用は無いはずなのに、俺は何故か店の奥へと足を踏み入れ、一番近くで光っていた台に座っていた。背中のバックパックは、数え切れない靴の裏の形ぶんだけクッキリと土色に染まった、元は濃緑色らしき床の上にそっと置いた。

 眩しさに目を細めつつ見た画面上には、見覚えのある文字と映像が浮かんでいる。ゲームにうとい人間でもタイトルを耳にしたことはあるくらい、名の知れた格闘ゲームだ。

 気付いた時には財布から百円玉を出し、右上隅の投入口にそれを放り込んでいた。ぼんやりした頭に、小銭の跳ねる音がやけに鮮明に響く。


 そうして、単調な電子音しか流れていなかった店内に、レバーとボタンを操作する乾いた音が響き渡った。

 面白いとも思わないのに、画面内のキャラクターがやられそうになると、必死で抵抗してしまう所為でなかなか終わらない。あれよという間に一人倒し、二人倒し、コンピュータ制御の敵キャラクターはどんどん強くなっていった。

 三人目は僅かな余裕。四人目は辛くも撃退。五人目で手詰まりになり、自分の選んだキャラクターの上に表示された体力を表すゲージが、鈍い打撃音と共に大きく減る。

 レバーが折れそうなほど激しく応戦するが、一度劣勢になった画面内の状況は揺るがなかった。一回戦を終え、すぐに始まった二回戦も同じような展開になり、終に力尽きたキャラクターは断末魔の叫び声を残して土色の地面に倒れ伏した。

 敵キャラクターの高笑いが響く中、深紅の文字が刻まれる。


『YOU LOSE!!』


 どんなことでも、負けるというのは気分の良いものじゃない。


 背もたれの無い回転式の椅子に座ったまま視線を何気なく腕時計に移すと、丸い画面内に日付と曜日、秒単位で変化する数字がデジタルで表示されていた。不意に予備校のある日だったことを思い出したが、だからと言って何の意味も無かった。

 今から行っても遅刻だし、それ以前に自分が今何処にいるのかが分からない。情け無さにため息を付いて、うっすらと埃が積もった台の上にうつ伏せた。

 組んだ腕の下から眩い光がこぼれて、俯いた顔を色とりどりに照らす。きっと壁に負けないくらいボロボロの天井には、原色のバックライトに混じって、俺の馬鹿でかい影が品無く映し出されていることだろう。

 視線の先でお椀形に広がった光の柱が揺れるのを眺めながら、下校途中に歩きながら考えていたことをぼんやりと思い浮かべた。


 このままずるずると引きずられるようにして、人の敷いたレールの上を真っ直ぐに歩いてゆく人生。勿論何の疑問も持たず、辿り着いたその先で自分なりの幸せを手にする人は多くいる。

 それでも俺は、自らの手で選び取った未来が欲しかった。何処に着くのかさえ分からぬ果てしなき道のりを往きたいと、願っていた。

 望まない道をただひたすらに歩かされた先にあるのは、少なくとも俺の望む光景ではない。きっと、ぬるくて味気ない白湯さゆのような、他人が作り上げた偶像のシアワセ。

 そんな人生――……


「つまらない、か?」

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