狼人-ワーウルフ-(4)

「これはさ。鍵なんだ。俺が目的を果たすための大切な鍵」


 目を細め、オーブを見つめる。その美しさに、目を奪われるように。


「もう半年くらい前、かな。母さんとオバさんが殺されたんだ。俺の、目の前で。突然冥王の手下だかって奴が現れてさ。俺がいた町も、そこに住んでいた人も、何もかも滅茶苦茶にされた」


 本当は、ではないんだけれど。罪悪感にかられた末の訂正は、心の中だけに、そっと留めた。


「お前そんなに強いのに、倒せなかったのか?」


 椅子を引き腰掛けながら、ガルムが不思議そうに問う。俺は口元だけで笑み、目を伏せた。


「その時は、こんな力なんて無かった。普通の、何の力も無い、非力なだった。だからある人に与えてもらったんだ。この手で冥王を倒すための――力を。でも、それだけじゃ駄目なんだ。冥王が住む城は深海にあって、結界まで張ってあるから魔法を使ってもたどり着けない。だからコレを使う」


 持っていたオーブを掲げ、丁度ガルムの目の高さにもっていく。青く透明な球体の中に、縦に長細い、獣の瞳が映る。


「こいつを六つ集めてある場所に持っていけば、任意の場所に転移できるらしいんだ」

「で、冥王の居城に乗り込むのか」

「ああ」


 こころもち身を乗り出し、オーブの中を覗き込んでいたガルムは、ふうんと息を漏らして、再び背を椅子にあずけた。腕を組み、感心するように、何度か深く頷いてみせる。頭の上の両耳が、ぱたぱたとはためいた。


「そんな大それたことをやろうとしてるなんてな。どうりで、俺様が負ける訳だ。人間にしては、やたら強いと思ったんだよな」

「大袈裟だな」


 笑いながらバックパックを手にとり、元通りオーブを仕舞った。それを足元に下ろして、ガルムが注いでくれた二杯目のミルクにようやく口をつけた。冷たい液体が喉を下っていく、清涼感が心地良い。


「冥王の手下らしき変な奴等は、この辺にもたまに出るけどさ。オーブ……だっけ? それのことは全く知らねえ。見たのだって、今日が初めてだ」


 ガルムは腕組みをしたまま、申し訳なさそうに頭を振った。オーブを目にした彼の反応を思えば、予想通りだ。


「そうか。まあ、仕方ないよ」


 頷き、まだ半分ほど中身が残っているコップをテーブルに置いた。表面では笑顔を作ったつもりだったのに、自分でも気付かない、心の奥に潜んだ落胆が滲み出ていたのかも知れない。

 ガルムはテーブルに両腕をつき、再びこちらに身を乗り出した。


「あ、でもさ。探しに行くとしたって、落ち着けるところが無いのは不便だろ? だから見つかるまでは俺様んとこ泊まってけ。な?」

「いいのか?」

「勿論。大体お前、他に行くあて無いんだろ? 金だって持ってないだろうし」


 言われてみれば、その通り。人間界の通貨なんて、ここで通用するはずもない。働いて稼ぐのも、言葉が通じれば不可能ではないだろうが、少しでも時間が惜しい今は、悠長に構えてもいられない。衣食住が保証されるのは、大助かりだった。


「有難う。そうさせてもらうよ」

「へへ。決まりだな。じゃあ、布団調達してきてやるよ」


 立ち上がりかけ、ガルムはふと何かに気付いたように動きを止めた。


「ああ、そうだ」


 ニヤリと笑い、もう一度椅子に座りなおす。落ち着きのない態度に、妙な違和感を覚える。訝りつつ黙っていると、彼はズボンのポケットから何か折り畳まれたチラシらしき物を取り出して、俺の目の前で広げて見せた。


 B5版程度の大きさの紙だった。上にでかでかと赤字で何か書いてあるが、人間界の文字では無いので読むことができない。その下は、一面にカラーイラストが描かれている。屈強な男二人が拳をつき合わせている絵だ。

 勿論双方とも獣人で、微笑を浮かべながら互いの顔を睨みつけている。背後に描かれた炎といい、視線の間で飛び散る火花といい、前時代的な特殊効果がふんだんに盛り込まれている。あまり趣味の良いチラシとはいえない。右下端にも小さな黒字で何か書いてあったが、やはり題字と同様、俺には読めそうになかった。


「何だよ、これ」

「ここに書いてあるだろ。ほら。『武術大会開催、出場者募集』って」


 ガルムは小さな子に読み聞かせるように、冒頭の赤字を一つ一つ指で指し示しながら、丁寧に読み上げた。彼の意図を量りかねている俺の方へ視線を戻し、明るく爽やかに、にっこりと笑う。


「出るだろ?」

「な! 何で俺が!」


 勢いそのまま、両手で机を叩く。チラシが風圧で浮かび上がった。ガルムはそんな俺の反応さえ、面白がっているようだ。


「だって。オーブとかいうやつも、そんなすぐには見つからないだろ。良いじゃないか。面白そうだし。なあ、出ようぜー」


 一言一言に力をこめ、ぴしゃりとはね退けた。呆れと軽い怒りが、言葉にも態度にも表れているはずだ。ガルムは何でだよ、と口を尖らせた。


「そんな力があるのに、勿体無いじゃないか。体動かさないと鈍っちまうぞ?」

「そんなことをするために戦闘技術を磨いたんじゃない。体を動かすだけなら他にも方法はある。どうしてもって言うなら、ガルムが出れば良いだろ。充分強いんだから」

「いや、確かに俺も出る。出るけど、確実にするには保険かけとかないと」


 保険てなんだよ。ぼやくと、ガルムは片手を強く握り締めた。その視線は俺の方を向いてはいるがどこか遠く、遥か果ての空を見つめているようにも思える。オーブを見た時とはまた違う目の輝きを映し、深く感情を込めた声で、彼は呟いた。


「優勝賞金、五百万メタルなんだ!」


 ……そうか。目的は、金か。


「生死無用の戦闘形式だけど、大丈夫。ちゃんと救護班もいるし、実際に死人が出るようなことにはならないさ。第一俺様を負かすような奴だからな。絶対優勝できるって!」

「……だから、嫌だって言ってるだろ」

「そんなこと言うなよ。たまには気晴らしも必要だぜ?」

「冥王のせいで世界中が大混乱に陥ってる、 こんな時にか?」

「こんな時だから、だろ。場所によっては壊滅的な被害を受けてる所もある。言ってみりゃ、援助金みたいな要素も含まれてるんじゃないのか」


 何だかもっともらしい説明をしてはいるが、本当のところは獣人という種族自体、お祭り事が好きな連中なんだろう。でなければ、こんないかにもお遊び気分丸出しのチラシで、人が集まるはずが無い。


「じゃあさ。見に行くだけでも良いよ。お前はお前で、町に行ったらやることあんだろ。で、その気になったら飛び入り参加すればいいさ。 当日の開会一時間前まで、申し込みを受け付けてるらしいから」


 ガルムはどうしても、俺を会場まで引っ張り出したいらしい。行った所で突然飛び入り参加する気になる訳は無いが、人が沢山集まると言うのなら、オーブに関する聞き込みをするのに好都合だ。上手いことのせられた気もするものの、利害が一致している分には断る理由も無い。


「じゃあ、見に行くだけ……なら」

「そうこなくっちゃな!」


 満面の笑みをたたえて、ガルムが頷く。そそくさとチラシを回収し、 軽く鼻歌を歌いながら空になっていた自分のコップを手にとって、台所にさげた。


「出るなんて言ってないからな。あくまで、って言っただけだ」


 楽しげな背に、棘のある口調で釘を刺す。ガルムは自分の鼻歌のリズムをとっているのか、頷いたのかすら分からない曖昧さで、首を縦に振っている。

 聞いてるのか、とテーブルに手をつき立ち上がりかけると、それを制すタイミングで俺の方に向き直った。


「じゃあ、ちょっと外行ってくるから。留守番よろしく」


 満面の笑みで手を振り玄関から出て行く彼を、止められなかった。拭い去れない不安が襲う。家主の居なくなった居間で一人、顔を覆って深いため息をついた。




  to be continued...■


  

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