宇宙(そら)から来た青年1-2
シーラが青年の目覚めに気付いたのは、翌日の午前八時を回った頃の出来事だった。
かつては父親の寝室だったその部屋。
男物の衣服を両手にそこを訪れた少女の眼が、青年のそれと混じり合う。
「ここは……」と虚ろな眼差しで見詰めてくる彼に向かってシーラは、「気が付いた?」とやや事務的な口調で語りかけた。
「あなた、行き倒れ……っていうか、人気のない駐車場でばったり倒れてたから、とりあえずわたしの家に連れてきたのよ」
彼女は告げた。
「パパのお古でよかったらだけど着替え持ってきたから、これ着たら朝ご飯できてるから食べにいらっしゃいな」
「あ……ありがとう」
幾分かは状況を把握できたのであろうか、青年はむっくりと上体を起こして感謝の言葉を口にした。
その身体に掛けられていたシーツが大きくずり落ちて、否応なく筋肉質の肉体があらわになる。
「莫迦ッッ!」
うっすらと頬を赤らめシーラが言った。
「女の子の前でそんなの見せるなッッ! ちゃんと服着てからにしろッッ!」
青年が彼女のあとを追うように朝食の用意されている
広々として小綺麗な、ざっと十五畳はありそうな板の間。
その中央に設けられていたテーブルには、今日の朝食となる献立が整然と並べられている。
内訳は、ゆず味噌で焼いたサワラの切り身、キュウリの浅漬けに納豆、そして熱々の御飯と豆腐の味噌汁という純和風仕立て。
これを西洋人そのものといった外見のシーラがこしらえたのだとすれば、それはなんとも奇妙な感じの取りそろえだと言える。
だが、そっとのれんを潜ってそれら一連のメニューを目の当たりとした青年にとって、そのような違和感などまったく無意味なものであるようだった。
「わあ」
青年は、その双眸を大げさなほど丸くした。
「なんて美味しそうな料理なんだッ!」
「お世辞はいいから、さっさと席について」
そんな彼をすぱっと切り落とすように一喝すると、シーラはどこか不機嫌そうな面持ちで青年を自分の向かいに着座させた。
テーブルにセットされた椅子の数はふたつ。
卓の大きさからすれば随分と少ない数だ。
青年が椅子に座るのと前後して腰を下ろした彼女は、続けざまに両手を合わせ、祈りの言葉を唱え始める。
父よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。
ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。
対面する少女の行為を、青年は戸惑いながらぎこちなくトレースした。
当然のことながら、その意味するところなどまったくわかっていない様子だった。
されどシーラは、そんな青年の態度などにはほとんど関心を示すことなく、ひとり黙々と食を進める。
なんとも刺々しい雰囲気だった。
そんな気難しい彼女に威圧されてしまったものか、青年はしばしの間身を固め、箸を取ろうともしなかった。
「どうしたの? 食べないの?」
箸先で器の中の納豆をぐりぐりと混ぜながら、見かねたようにシーラが言った。
「別に毒なんて入ってないわよ」
「あ……はい、ありがたくいただきます」
誠実そうな相好をいささか恐縮したようにしかめつつ、青年は応えた。
釈明の言葉がそれに続く。
「ただ、どうして見ず知らずの僕にここまでしてくれるのかなって思ったもので」
「理由が知りたい?」
青年の質問にあっけらかんとシーラが答えた。
「理由なんかないわよ。そんなものがあったら、わたしのほうが聞きたいくらいだわ」
言いながら、彼女はたっぷりと糸を引いた納豆を御飯の上にとろりとかけた。
ひょっとして好物なのだろうか。
今度は両者の混合物を、そのまま口の中へと掻き込み始める。
それを見た青年もまた、目の前にある箸をとって食欲の充足に勤しみだした。
一度だけ不思議そうな眼差しでその先端部を見詰めた彼は、少々不器用とも思える箸使いでもって御飯をつまむ。
「美味いッ!」
白米を口の中に運び咀嚼した彼の、まさにそれが第一声だった。
「なんという美味しさだッ! こんな美味しい食べ物は、いままで口にしたことないぞッ!」
「わざとらしい」
グルメ番組のレポーターさながらの態度を取る青年にじとっとした視線を送ったシーラが、たしなめるようにそう告げた。
「洗い物あるんだから、さっさと平らげてくんない?」
「はいッ! 遠慮なくッ!」
はきはきとそう宣言するや否や、青年の行動は見る見るうちに勢いを増した。
見ているほうが惚れ惚れするようなスピードで、食卓上の料理がその体積を減らしていく。
なんなのよ、こいつ。
まるで漫画のキャラクターみたい。
全然現実感がない。
テーブルの上に頬杖を突き無言でその様子を眺めていたシーラは、完膚なきまでに呆れかえった。
正直な話、この青年の有様は、自分と同じ社会、自分と同じ文明に生きてきた人間と見なすには大いなる抵抗を感じざるを得ないものだ。
って、それもそうか──だが、彼女はすぐさまその思いを訂正する。
よく考えるまでもなく、深夜の駐車場に裸のままぶっ倒れてるような男が、あたりまえの
「ねえ」
思い出したようにシーラが尋ねた。
「あなた、名前はなんていうの?」
箸を持つ手を休めた彼の「名前ですか?」という確認に「そう」と短く答えた彼女は、こちらから名乗りながら回答を促す。
「わたしの名前は雪姫シーラ。何か訳ありなのはわかるけどさ、こっちはちゃんと名乗ったんだから、あなたのほうもきちんと名乗るのが礼儀ってもんなんじゃないの?」
「あ、はい。そうですね。これは失礼しました」
落ち着いて茶碗と箸をテーブルに置いた青年は、きちんと背筋を伸ばして一礼したのち、対面するシーラに向かって明快な口調で名乗りを上げた。
「僕の名は
「宇宙……刑事ィィ……?」
「はいッ!」
堂々と応えつつ、雷牙と名乗るこの青年は胸を張った。
「この銀河系の秩序を乱す連中から人々の平和と安全を守るのが、いまの僕に与えられた任務です!」
「ふ~ん」
白々しい生返事を送りながら、シーラは改めて青年の表情を注視した。
とても冗談を言っているようには見えなかった。
だからといってデタラメを言っているようにも思えない。
それくらいに純真で、まっすぐで、大真面目極まる顔付きだった。
その瞳の奥に、綺羅星の輝きを見出すことができるほどだ。
失敗した。
そんな彼を認識したシーラは、反射的にそう思った。
こいつ、訳ありなんじゃなく、初めっから電波受信してる危ない系の奴だったんだ。
大体、宇宙刑事って何よ、宇宙刑事って。
特撮ヒーローじゃあるまいし、ありえないにもほどがあるじゃない。
続けざまに、「まずい」という危機感めいた思いが心の中に満ちてくる。
それは、不安や恐怖の感情と言うよりは、むしろ後悔の念にこそ近かった。
いや、間違いなくこの時、彼女は自分の行いを激しく悔いていたと言えるだろう。
決して面には出さぬよう、シーラは自問を繰り返す。
なんでこんな危ない奴わざわざ自分の家に連れ込んだんだろ。
思えばあんまりにも軽率過ぎる行為じゃないか。
もしかしたら、貞操の危機が訪れてたかもしれないってのに。
失敗した。
失敗した。
なんでこんなことしちゃたんだろ。
どうしよう、どうしよう、どうすればいいんだろ……
「あの、シーラさん──」
青年──轟雷牙がそんなシーラに向かって声を掛けたのは、彼女の頭脳が「とりあえず警察を呼ぼう」との結論に達した、まさにその瞬間の出来事だった。
びくんと身体を震わせて「えッ? 何ッ?」と聞き返すシーラに対し、彼は改まって感謝の言葉を口にした。
「一夜の宿を貸していただいただけでなく、こんなに美味しい食事までごちそうになって……いま僕は、あなたからもらったひととしての優しさに心から感動しています。ぜひ、僕にできることであなたに御礼を差し上げたいのですが、何か僕にして欲しいことはありませんか?」
それは仰々しいほどの謝意の表れだった。
ともすれば、時代錯誤的とすら評し得る発言だと言えるかもしれない。
「う、うん。そうね」
とりあえず彼との間を置こうとしたシーラが、あまり深く考えることなくその申し出に返答した。
やや引きつった口元が、かろうじてまともな台詞を紡ぎ出す。
「あなた、悪と戦う宇宙刑事なんでしょ? だったらさ、まずはこの
「わかりました」
本気度などこれぽっちも感じられないその回答を、しかし雷牙は即諾した。
聞き間違いなど起こりえないくらいの明確さで、彼は自分の意志をシーラに告げる。
「約束します! この星の平和とあなたの未来は、この僕が命に代えても守り抜いてみせます!」
「あ……そう。よろしくね」
気の抜けた炭酸飲料のような声でそれに応じたシーラが、おもむろにテレビのリモコンを手に取った。
このままでは自分のペースが雷牙のそれに流されてしまうのでは、と危惧した彼女が、何はともあれ場の空気を変えようと目論んだ最初のリアクションがそれだった。
意識して雷牙のほうに目を向けず、部屋の一角に備え付けた液晶テレビを起動させる。
平日の朝、本来なら毒舌で有名なベテラン司会者の仕切る報道番組のなれの果てが放送されているはずの時間帯だった。
だがしかし、唐突に六十インチの液晶画面へと映し出されたその映像は、シーラの想像をはるかに越えるものだった。
悲鳴を上げて市街地を逃げ惑う人々。
そんな彼らに向かって浴びせられる無数の銃弾。
至るところで炸裂する爆炎を背景に、見慣れない形の武器を手にした黒い全身タイツの連中が、あたかも獲物を狩る肉食獣のごとく人々の群れに追いすがっている。
そのさらに後方に続くのは、身の丈三メートルを超えるのではないかと思われる異形の怪物だった。
一対の腕を持ち二本の脚で歩行する、グロテスク極まる人体のカリカチュア。
爬虫類の一種を思わせるその頭部には、人間などひと吞みにできそうな大きさの口が、ずらりと並ぶ鋭い牙とともにその存在感を主張している。
「何これッ! 怪獣映画ッ? こんな時間からッ?」
画面の向こうで支離滅裂な報告を口走る女性レポーターの姿を目の当たりにしたシーラが、驚きの余り声を荒げた。
反射的に椅子を蹴って立ち上がり、しばしの間、じっと画面を凝視する。
続いて、呆然とした呟きがその唇から漏れ出した。
「ちょっと待ってよ。これって、うちの近くじゃないッッ!」
彼女の正面に座していた雷牙が音を立てて席を立ち、そのまま身体ごとテレビ画面にかじりついたのは、およそ次の刹那の出来事だった。
疑問符とともに突き刺さるシーラの視線を顧みず、青年は絞り出すような声で独りごつ。
「これは……ブンドールの機界獣」
「えっ?」
「シーラさんッッ!」
振り向きざま、叩き付けるように雷牙が言った。
「これはいったいどこの光景ですかッッ? いまからあそこに行くことはできますかッッ?」
「え……ええ」
その勢いに押されてシーラは応えた。
「たぶん、うちの近くだから、行くことはできると思うけど……」
「じゃあ、連れて行ってくださいッッ!」
駆け寄ってきた雷牙が、シーラの両肩をがしっと掴んでそう迫った。
「僕はあそこに行かなくちゃならないッ! なんとしても……なんとしても、あそこに行かなくちゃならないんですッッ!」
「わ、わかった。わかったから、わかったから力を抜いてッ! 痛い痛いッ!」
雷牙の膂力で激しく前後に揺さぶられたシーラが、思わず苦痛を訴える。
その歪む表情を見て「す、すいません」と謝罪しながらぱっと彼女から手を離す彼は、なお必死になって少女の前で懇願した。
「お願いです!」
真剣な眼差しを湛えた雷牙が、シーラの両目を見詰めながらまっすぐ言った。
「無関係のあなたにこんなことをお願いできる筋合いじゃないのは承知してます。でも、いまの僕にはあなたしか頼れる人間がいないんです! お願いです! お願いです! 僕をあそこまで連れて行ってくださいッッッ!」
「もう、人の話を聞いてるの?」
いまにも土下座しそうな勢いの青年に向かって、叱るようにシーラは言った。
「わたし、いまあなたに『わかった』って言ったよね。一度口にしたからには、必ずその約束は守る。それがね、わたしのわたしであるためのルールなの。だからわたし、あなたに付き合うわ。いったい何が起きているのかはわかんないけどさ、行く途中でその説明はしてもらえるんでしょうね?」
「もちろんです!」
それを聞いた雷牙は明答し、同時に最敬礼に近い角度で深々と腰を折った。
シーラの自宅に併設されたガレージで彼女自慢のスポーツカーにふたりが乗り込んだのは、それから数分ほど経過したのちのことだ。
持ち主の手からクルマの鍵を奪い取るようにして借り受けた雷牙が、軽快な身のこなしでひらりと運転席に着座する。
そして、激しい不平を口にしつつ助手席に乗り込む少女のことなどお構いなしにエンジンを始動。
数回アクセルをあおったのち、一気にスポーツカーを発進させた。
後輪が勢いよくホイールスピンし、耳障りなスキール音が周囲に轟く。
テンポのいいシーラの案内を受けながら、雷牙はスポーツカーを目的地に向かって走らせる。
それは、凄まじく巧みな運転テクニックだった。
たとえプロドライバーであっても、ここまではいくまい。
速度計はとっくに右へと振り切れていた。
それなりに交通量の多い主要道の只中を、彼の操るスポーツカーはまるで無人の野を行くがごとく突き進んでいく。
当初は左右前後に次々と襲いかかるGに短い悲鳴を上げ続けていたシーラだったが、十分も経つ頃には落ち着きを取り戻していた。
運転席の雷牙に向かって、彼女は質問を投げかける。
「ねえッ!」
吹き込む風の音に負けないよう、意識して大声を出しシーラは尋ねた。
「テレビに映ってたあの連中って、いったい何者なの? ほかの国の軍隊? あなた、あいつらが何者か知ってるんでしょ? わたしには、それを知る権利があると思うんだけど」
「ブンドール帝国の戦闘部隊です」
「ブンドール帝国?」
「ええ」
シーラの質問に雷牙が答えた。
「この銀河系を力で支配しようとしている、総統エビル率いる悪の帝国。あれは、生物兵器・
「ブンドール帝国? 機界獣?」
たっぷりひと呼吸の間、ぽかんと口を開けたままだったシーラが、非難するような口振りで雷牙に言った。
「それってなんのSF? なんの特撮番組? そんな夢みたいな話、信じられるわけないじゃないッ!」
「信じようと信じまいと、それが歴然とした事実です」
青年は真剣な顔付きでそう断言した。
「僕は、あの連中の野望を阻止するために、この惑星へやって来たんですからッ!」
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