美しき女策士3-5

 時はわずかに遡る。

 新任の同僚である追露慶から頼まれた雷牙は、二十分ほど歩いて下った道端にて、沈黙してしまった彼女の愛車を診断している最中だった。

「たぶん、オルタネーターの故障ですね」

 エンジンルームを眺めながら彼は言った。

「僕じゃあどうしようもないので、業者の方に連絡したほうがいいですよ」

「そうですか。困りましたわ」

 はぁ、とため息を吐きつつ慶が応える。

「それではしばらく、ここで待ちぼうけということになりますのね」

「機械の問題ですから仕方がないですよ。オーナーの責任じゃありません」

 にこりと笑って雷牙は告げた。

「なんならいまから教会に戻って、そこで業者をお待ちになられてはいかがですか?」

「そうね。このままここで無駄な時間を過ごすのもなんだし、轟先生の仰るとおりにしましょうかしら」

 麓のほうから複数のサイレン音が鳴り響いてきたのは、ちょうどその時のことだ。

 なんだろう、とそちら側に顔を向けたふたりの前を、立て続けに二台のパトカーが駆け抜けていった。

 明らかに尼僧院のある方角だ。

 というより、その方向に道を行けば、嫌でもそちらへ突き当たることとなる。

 何か異変が起きたのか──雷牙の胸中に嫌な予感が湧き起こった。

 それは、直感と言うより、むしろ確信に近かった。

「追露先生、すいません」

 雷牙の反応は素早かった。

「僕、ちょっと教会に戻ります。もし何かあったら、先生は安全なところまで避難していてください」

 慶の返事を待つことなく、雷牙はパトカーのあとを追うようにして走り出した。

 オリンピックの陸上短距離代表も顔色をなさしめそうな、凄まじいばかりのダッシュ力だった。

 瞬く間に小さくなっていく彼の背中を黙って注視していた慶は、やがて、にやっと不敵にその口元を綻ばせた。

 丹精でありながらどこか悪魔的な不気味さを孕む、まさにそんな笑顔だった。

「ザクーヤどもが始めたようだな」

 その目に邪な光りを湛えつつ、彼女はそっと呟いた。

「マイナスエナジーの加速も十分だろう。そろそろ次の段階に移るとするか……」

 慶の瞳がぎらりと輝く。

 彼女は、自らの手で作りあげた魔界の使徒に対し、念波を用いて指示を送った。

 ザクーヤA黒島

 ザクーヤB健二

 その忌まわしき真の姿を現すがいい!

 そして、その汚らわしい欲望を存分に満たすがいい!


 ◆◆◆


 雷牙が尼僧院を目視できる位置に辿り着いたのは、それから数分後のことであった。

 強烈な破壊音が突如として空気を振るわし、それを耳にした彼の足が一瞬だけだがその場で止まる。

 そこで雷牙は目撃した。

 見覚えのあるふたりの男が、複数の警官相手に激しく狼藉を働いている光景を、だ。

 一方健二は怪力をもって二台のパトカーを粉砕し、もう一方黒島は足元にうずくまるひとりの尼僧雪姫シーラに襲いかからんとしている。

 彼の見ているさなか、そのふたりの男たちはともに人間の姿を捨て、異形の怪物のそれへと奇っ怪な変貌を遂げてみせた。

 その片割れたるサイの化け物が、身動きの取れないシーラに向かって興奮気味に両手を伸ばす。

 それが何を目論んでいるのかは、まさに一目瞭然だった。

 口に出しては言えないアンスピーカブル行為アクト

 その現実を見て取った雷牙の髪が、音を立てて総毛立った。

「シーラさんッ!」

 曲げた左腕を前に突き出し、雷牙は雄々しく咆吼する。

「龍神変ッッッ!」

 次の瞬間、雷牙の額中央、その一点が目映いばかりの光を放った。

 青白い輝きが周囲を包み、それはたちまちのうちに球体の形に集約する。

 その光球はとてつもない勢いで疾走を開始。

 シーラに身体ごと覆い被さろうとしていた怪物を文字どおり真横から跳ね飛ばすや否や、おのが胎内に抱え込んだひとりの男をその場において解放した。

 そして次の瞬間、尼僧と子供たちは目の当たりにする。

 魔物の前に敢然と立ちはだかる、ひとりの騎士の頼もしき背中を!

「宇宙刑事ッッ! ライガァッッ!」


 ◆◆◆


 解説しよう。

 轟雷牙がバトルスタイルに龍神変するタイムは、わずか百分の五秒に過ぎない。

 では、その変身プロセスをスローモーションで再現する。


 ◆◆◆


「龍神変ッッッ!」

 曲げた左腕を突き出しつつ青年がそう叫ぶと同時に、彼の額に埋め込まれた宇宙刑事の力の源・ドラゴクリスタルが共鳴を開始。

 銀河中央で宇宙刑事警察機構を統括するミラクルコンピュータ・ギャラクシーと、時間差なしでのリンクを果たす。

 地球最高の電子頭脳が一兆年かかる計算をコンマ一秒以下で完了するそれは、完璧なリアルタイムでもって状況を把握。

 彼我の戦力を瞬時に判断・分析し、封印された雷牙の力、その解放要求をためらうことなく受け入れた。

『承認。ぶーすとあーまー、戦闘もーど起動シマス』

 一瞬も間を置くことなく、ギャラクシーからの認可を得たドラゴクリスタルが異次元スペクトルによるフィールドを形成した。

 フィールド内部を亜空間と直結させることで、平衡時空に待機している装甲強化服・ブーストアーマーを使用者のもとへ召喚するためだ。

 強力な力場の発生が青年の着衣を分子レベルで粉砕!

 空間を強引に引き裂きつつ出現した無数のプロテクターが、全裸となった雷牙の肉体を覆い始める!

 青年の額に輝く青白い光が赤い宝石状の物体となって凝固!

 その直後、閉じられていたまぶたが音も立てよとばかりに見開かれる!

 そして次の刹那、その精悍な眼差しで眼下にたむろう悪の心魂を射貫きつつ、轟雷牙は裂帛の気合いとともに雄々しく名乗った!

 それこそが、銀河系の平和を守護する宇宙刑事の、何物にも代えること適わぬ決意と矜恃との証であったからだッッ!


 ◆◆◆


「雷牙ッ!」

「轟先生ッ!」

 シーラと春香が口々に叫ぶのを耳にしながら、宇宙刑事は眼前の魔獣を睨み付けた。

 その目の中に、轟々と怒りの炎が燃え盛っている。

 魔獣もまた、真っ赤な目線でがんを合わせた。

 だが、まったく勝負にならなかった。

 視殺戦での敗北を認めたサイの化け物が、じりじりと後退を始める。

「大丈夫ですか?、シーラさん」

 振り向くことなく、しかし力強い確かな声で雷牙は尋ねた。

「大丈夫じゃないけど……大丈夫!」

 けほけほと咳き込みながらシーラが答える。

「雷牙、あいつらはいったい?」

「たぶん、ネオ機界獣です」

「ネオ……機界獣?」

「はい」

 小さく頷き雷牙は告げた。

「知性体に寄生することで、宿主の心と体を機界獣に準ずる存在へと作り替えてしまう、生物兵器の一種です。僕も噂でしか知り得ませんでしたが、どうやらブンドールはその実戦投入に成功していたようです」

「シーラッ!」

 尼僧たちのもとを離れた春香がふたりのもとへ駆け寄ってきたのは、ちょうどその時のことだった。

 鳩尾を打たれた痛みでまともに立ち上がることもできない親友シーラを、彼女は肩で支えて立ち上がらせる。

「歩ける? 息できてる?」

「そこまで酷くないけど……ちょっと無理……」

 宇宙刑事は、そんな春香にシーラを託した。

「此路さん。彼女のことをお願いします!」

 「了解!」という少女からの返答を受け取るや否や、彼は改めて眼前の怪物どもと対峙した。

 ぐっと腰を落とし、力を溜めて身構える。

 ネオ機界獣どももまた、開き直ったようにその血走った目をぎらつかせた。

 一瞬ののち、戦端が切られた!

 まず、雄叫びを上げたサイの化け物ザクーヤAが怒濤の突進を開始した。

 小細工らしきものなどいっさいない、ただ力任せなだけの正面突撃だ。

 その不躾な挑戦を、しかし雷牙は真っ向から受けて立った。

 掴みかかるネオ機界獣の懐に飛び込みつつ、ジャンプ一閃!

 右膝で、相手の下顎を電光石火に突き上げた。

 カウンターの跳び膝蹴りだ!

 痛烈な逆撃を被ったザクーヤAが、たまらず仰向けに転倒した。

 地に横たわる敵の巨体を、宙を舞う黄金騎士が軽々と飛び越す。

 そして続けざま、着地の隙を狙い襲いかかってきたもう一方の相手ザクーヤBに、竜巻のごとき旋風脚跳び後ろ回し蹴りをヒットさせた。

 強かに顔面を蹴打され、なぎ倒されるザクーヤB。

 蹴りの勢いをそのまま利用し、雷牙は背中のアタッチメントから煌めく長剣を抜き放った。

 「雷光剣ッ!!!」という叫びが、その口腔から放たれる。

「おまえたちは哀れだ!」

 鋭い切っ先を二体の魔獣に差し向けた彼は、叩き付けるような憐憫の情を語り始めた。

「『力』に魅入られ、望んで悪魔に魂を売り渡したおまえたちのような輩を、いまの僕では救ってやれないッ! 救う術を持たないッ!

 ならばせめてその命だけは、銀河を守護する宇宙刑事の名において剣技を尽くし黄泉に送ろうッ! おまえたちが、その忌まわしい『力』でもってさらなる罪業を積み重ねるその前にだッ!

 いくぞッッ!」

 雷牙の足が勢いよく大地を蹴った。

 閃光のごとき斬撃が、二体の魔獣を正面から圧倒する。

 双方の戦闘実力が違い過ぎた。

 まるでプロと素人との戦いだ。

 数では二倍の優勢であるにもかかわらず、ザクーヤどもは追い散らされるようにして後退した。

 宇宙刑事が追撃に移る。

 雷光剣が翻り、ザクーヤBの左手首が一刀のもとに斬り落とされた。

 かつて名うてのチンピラだったその存在は、甲高い悲鳴を張り上げ地面の上をのたうちまわった。

「お姉ちゃん。あれ、お菓子のお兄ちゃんなんだよね?」

 さっきまで大声で泣き喚いていた子供たちのひとりが不意に落ち着きを取り戻し、すぐ近くにいるシーラに尋ねた。

 それは、まだ幼児と言っていい年頃の男の子だった。

 きらきらと瞳を輝かせながら彼は言う。

「お兄ちゃん、ぼくたちのために戦ってるんだよね。悪い奴をやっつける、正義の味方なんだよね!?」

「そうよ!」

 彼女はすぱっと断言した。

「あのお兄ちゃんはね、いま、あなたやわたしやほかのみんなを、あの怪獣どもから守るために戦ってくれているのよ。あのひとは、そのために宇宙そらの彼方からやって来た、絶対無敵の宇宙刑事なのよ!」

 シーラたちの見守るなか、雷牙とネオ機界獣どもとの戦いは、徐々にその成り行きを決しつつあった。

 素人目に見ても、もはや宇宙刑事の優勢は揺るがない。

 ヤクザとチンピラとの成れの果てと言える二体のザクーヤは、これまでブンドールが送り込んできた機界獣どもと比べて、明らかに格が落ちる存在だった。

 粗製という表現がこれほどよく似合うケースも少なかろう。

 外から見て、ついそんな風に思えてしまう程度の相手であった。

 しかし、好事魔多しとはよく言ったものだ。

 ザクーヤB健二に深手を負わせ、その戦意に致命的な一撃を与えたと判断した雷牙がいまだ十分な戦闘力を残しているザクーヤA黒島に向き直ったその時、あろうことか片手を失ったばかりの妖猿が彼の背中に組み付いたのだった。

 それは、まったく予期せぬ反撃だった。

 がっしりと後ろから羽交い締めにされた宇宙刑事の顔色が、一瞬だけだがはっきりと曇る。

 「しまった!」と自身の失策を悟った騎士がおのれの油断を悔いると同時に、それまで及び腰だったザクーヤAの闘争心が、いきなりめらめらと再燃を始めた。

 弱者と見ればめっぽう強く、強者と見れば腰が退ける。

 そんな腐りきった彼の性根が、この場においてむくりと鎌首をもたげたのである。

 なんとも喜ばしげにひと声吼えたザクーヤAが、地響きを立てつつ一直線に突っ込んできた。

 その鼻先に伸びる鋭い角で、雷牙の身体を串刺しにしようというのだ。

 ザクーヤBはそんな兄貴分の思惑を察し、両腕により一層の力を込める。

 宇宙刑事を包む黄金色の鎧が、みしみしと不気味な音を立て始めた。

 怪力で締め付けられた雷牙の顔に、苦悶の表情が浮かび上がる。

「雷牙ッ!」

「轟先生ッ!」

「お兄ちゃんッ!」

 三者三様の悲鳴が上がった。

 ザクーヤAの角が直前に迫る。

「おおおーッ!」

 雄叫びが雷牙の口から迸ったのは、その瞬間の出来事だった。

 自身を束縛する妖猿のクラッチを力任せに引き千切り、黄金騎士は高々と真上に向かって跳躍した。

 その絶大なる腕力が、ザクーヤBのそれを完全無欠に凌駕したのだ。

 制動しきれなかったザクーヤAの巨体が、ザクーヤBと真っ正面から激突した。

 二体の醜いネオ機界獣が、立ったままもつれ合うように身を重ねる。

「プラズマブレードッッッ!!!」

 身を捻りつつ軽やかに着地するや否や、轟雷牙はザクーヤAの背後に立った。

 裂帛の気合いとともに、光り輝く切っ先が魔獣の背中に突き立てられる。

 雷光剣は、ネオ機界獣の肉体を二体まとめて貫き通した。

 黄金の鎧を煌めかせつつ騎士は宣う。

 彼は叫んだ!

「欲望に溺れ、ひとである身を捨てたおまえたちのような輩がッ、人間の魂を持つこの僕に勝てるわけがないッッ!」

 狂ったように悲鳴をあげるザクーヤどもの身体から一気に刀身を引き抜いた宇宙刑事が、手中の剣を改めて構え直した。

 額のクリスタルが紅く輝き、雷光剣の発する光がぐんぐんとその明度を増す。

「ライトニングッ! エクスプロージョンッッッッッッ!!!」

 叫ぶや否や、黄金戦士は頭上に構えた光の剣を勢いよく振り下ろした。

 その切っ先が、空中に縦一文字の軌跡を描く。

 ネオ機界獣どもの頭頂から股下にかけて、ひと筋の煌めきが雷光のごとく発生した。

 それはたちまちのうちに面積を広げ、遂に対象の存在をそれぞれ分断するにまで至る。

 ネオ機界獣どもの肉体が左右に分かれて地に堕ちた。

 そのそれぞれが、真っ赤な炎を噴き上げて爆発する!

「お兄ちゃんが勝ったァッッ!!!」

 きらきらとした目で戦いの成り行きを見守っていた子供たちが、弾けるように歓喜の気持ちを声にしだした。

 いまだ幼い少年少女にとって、初めて目にするホンモノの「ヒーロー」とは、その純粋な感情を爆発させるに足るだけのインパクトを持つ存在だったのだ。

 興奮を抱えていたのは子供たちだけではない。

 樹を初めとする尼僧たちも、そしてシーラと春香の両名も、心中にこんこんと湧き上がる感情を隠そうとせず、背筋を伸ばして屹立するひとりの騎士をまんじりともせず眺めていた。


 だがこの時、仮初めの勝利者たる彼の姿をじっと注視していた存在は、彼女たちだけではなかった。

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