墓前の花は、獣の臭い4-5

「記者のお姉ちゃんな。せっかく都会から来たんだからさ、俺らのいまの状況をちゃんと巷に伝えてくれよな」

 齢六十を超えた白髪の猟師が、憮然として愚痴をこぼす。

「何にも知らねェ都会の連中はな、すぐ『動物殺すのは残酷だ』とか『麻酔銃で十分だったんじゃないのか』とか『射殺された動物が可哀想』とか言うけどな、たとえこうして銃を持っていたところで、俺ら猟友会の仕事が命がけってのは変わらんわけよ。

 動物園で見るだけなら可愛らしく見えるツキノワグマだってな、でかい奴なら体重百キロ。もし一発で仕留め損なったら、そのままこっちに向かってくることだってしばしばなわけだ。当然、もっとでかい北海道のヒグマだったら、そんなことは言うまでもねェ。知ってるかい? ここ十年の間だけでも、ヒグマに逆襲されて命を落とした猟友会のメンバーはふたりもいるんだ」

「……全然知りませんでした」

「だろう? それはな、あんたたちマスコミが本当のことを伝えてないからだぜ。

 だいたいな、大型の野生動物が近隣住民にとってどれだけ危険な存在かってことを都会の連中はこれぽっちもわかってねェ。それどころか、野生動物と人間とは本当の意味で友達になれる、なんておとぎ話まで仰るくれェだ。

 莫迦言ってんじゃねェよ、まったく。

 いいか、お姉ちゃん。野生の熊に一撃されたらな、人間なんざ一発で吹っ飛んじまうんだ。机上の空論訴える前に、少しだけでもいい、そんなの相手にするこっちの身にもなってくれってんだよ。

 麻酔銃を使えばいいって? 知らねェってことは罪だねェ。麻酔銃の有効射程って奴はせいぜいあって三十メートル。たとえうまく命中したところで、実際に麻酔が効くまでは十分近くもかかるんだ。その間、俺らハンターはどうやって自分の身を守ればいいって言うんだろうな、綺麗事言ってくれてる連中は?

 結局よ、安全なところでぬくぬくしている連中は、現実って奴が見えてないのさ。罪のねェ人間さまの命がかかってるっていうのに、動物はかわいい、だとか、動物が可哀想、だとか、そんなおめでたいことがよく言えたもんだぜ。こっちはもう、ガッカリを通り越して参ったって言いてェくれェだ。

 しかも、そんな俺らが手にする日当ってのは、ただ働き寸前の千円程度。

 たったそれぽっちの報酬で、今回は熊や猪どころか虎を相手にしろってんだからな。まったく嫌んなってきちまうぜ。命がけのボランティアってのは、まさに俺らみてェのを言うんだろうな。ははは」

 自嘲気味にそう笑う老ハンターの傍らで、小山内久美子は愛想良く相好を崩すことしかできなかった。

 同意の言葉を送ることすらできない。

 自分たちメディアに働く者たちへの密やかな皮肉を、ささやかな自尊心が阻んでみせたからだった。

 雑誌記者である彼女がこの山狩りに同行したのは、言うまでもなく取材のためだ。

 そのテーマは、大きく分けてふたつある。

 ひとつは、高齢化と人数の減少に歯止めのきかない猟友会の現状について。

 そしてもうひとつは、この山狩りそのものについてである。

 地元の猟友会を総動員する形で行われている今回の騒動は、ありきたりな害獣駆除の絡みなどでは決してない。

 その目標が、猿や鹿、熊や猪などという在来種の生き物などでなく、よりによって体長二メートル越えのアムールトラであったからだ。

 危険度においてそれは、前述した動物たちなどとは比べものにすらなるまい。

 いまのところ人的・物的被害こそ生じていないが、大衆向けの三面記事としては、まず格好の対象であると考えられた。

「いくら人里を離れているからといって、手をこまねいているわけにはいかない。事態は一刻を争うのだ」

 サーカスを経営している法人から真っ先に報告を受けた警察の動きは、だからこそ思いの外に早かった。

 地元の猟友会のみならず配下の警察官までもを数十人体制で動員して、虎が逃げ込んだとされる水神山へと分け入った。

 もちろん、その迅速な対応には社会的なアピールという側面もあっただろう。

 だが、その包囲網の目はあまりに荒く、しかも近隣住民に対する危険周知も一向に行き届いてなどいなかった。

 シーラたちがなんの警告もなく現地であるはずの教会に辿り着いたという事実が、その杜撰さを見事なまでに物語っていた。

 平和ボケ。

 まさにその表現がふさわしくさえ感じられた。

 まったく。

 警察も交通違反取り締まるくらいの熱意で取り組んで欲しいものよね。

 疲れた足を引きずりながら、久美子もまた愚痴をこぼした。

 ただし、言葉に出すような真似はしない。

 それぐらいのTPOはわきまえているつもりだった。

 十匹近い犬を連れた猟友会の猟師たちとともに延々と山林を歩いてきた彼女の疲労は、ピークを迎えてからかなりの時間が経っていた。

 持ち込んだ荷物こそ少ないものの、慣れない山地での行軍は、都会育ちの女性記者にとって想像以上の難行だった。

 落ち葉で滑る緩んだ地面が、久美子の体力を容赦なく奪っていく。

 足取りが重かった。

 知らず知らずのうちに顎が出てしまう。

 老齢の男性がほとんどを占める猟師たちは、そんな彼女に気を利かせて若干ペースを緩めてくれているのだろうが、それでもまだ久美子にとっては受け入れがたい歩速であった。

「お姉ちゃん。ここいらでちょっとひと休みするかい?」

 久美子が同行する猟友会のチーム六人。

 その猟師たちのリーダー格が、見るに見かねてそう言った。

「とりあえず腹に何か入れとかないと、そんな調子じゃこれから先、あんたの身体が保たないぜ。無理すんなや」

「あ……ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」

 リーダーから促されたとたん、彼女はへなへなと地面の上に座り込んだ。

 リュックサックの中からコンビニおにぎりを取り出し、許しも得ずにかぶりつく。

 空腹が体面を凌駕した。

 周囲からの視線など、まったく気にならなかった。

 猟友会の面々も笑顔とともにそれに続き、自前の携行食を口にし出す。

 間食を始めたのは人間たちだけではない。猟師たちの相棒である犬たちもまた、主から与えられた餌を喜び勇んでむさぼっている。

「しっかしまあ、オンナのくせにいい根性してるわな」

 手製の握り飯をかじりながら、猟師のひとりが素直な賞賛を久美子に捧げた。

「昨日からいろんなマスコミが取材に来てるけどよ、カメラ片手に俺らと山に入ってきたのはあんただけだぜ」

「そうなんですか」

 水筒のお茶で喉を潤した久美子が、文字どおりひと息吐きつつ彼に応じた。

「あたし、こういうのがあたりまえのことだと思ってたんですけど」

「まさかまさか」

 右手を振って猟師は笑った。

「あんた以外の連中は、いまごろ麓のホテルでたむろってるよ。空調効いた部屋で美味いメシ食いながら、俺らが帰ってくるのを待ってるのさ。適当なインタビューして、それをてめえらの都合のいいように継ぎはぎする準備をしながらな。

 さっき鉄っさんも言ってたろ? マスコミの連中はな、初めっから俺らを叩きたくて叩きたくて仕方がないのよ。虎を仕留めりゃ、『なんで殺したんだ』『生け捕りにできなかったのか』『残酷だ』って責め立てて、仕留め損ねりゃ、今度は『市民の安全も守れないのか、この能なし』ってわめきさくる。

 マスコミはいつだってそうさ。無責任だからよ。てめえのやったことに責任とらないで済むから、いつまでたっても自分勝手に好き放題言っていられる。

 羨ましいぜ。机の上で適当に文章こねくり回してりゃ、それだけでお給料もらえるあんたらみてェなブン屋がな──おっと、気を悪くしないでくれよ。年寄りになると、つい口が悪くなっちまっていけねェや」

「いえ。率直なことを言ってもらって、かえってためになります」

 久美子はしかし、瞳を輝かせながら彼に応えた。

「仰るとおりだと思います。ここ最近、あたしらメディアが市民意識と乖離しているって空気は、強くなってることはあっても弱くなってることはありませんから。本来なら、あたしらメディアは市民目線で下から上を見上げてなきゃいけなかったのに、いまじゃ一部の同業者は偉そうに上から下を見下ろしてますからね。内側にいると、そんな既得権を守ろうときゅうきゅうしてるのがいっぱいいるってわかりますよ」

「わははは」

 年老いた猟師が豪快に笑った。

「正直なお姉ちゃんだ。あんたみてェに生きのいいのがもっと増えてきたら、ブン屋の世界もいい方向に変わっていけるんだろうな。それはそれで、また別の意味で羨ましくなっちまうぜ」

「お褒めいただきありがとうございます」

「さて。みんなも一服したことだし、もうひと踏ん張りするとするか」

 「よっこらしょ」という掛け声とともに、彼はその場で立ち上がった。

 ほかの猟師たちも続々とそれに続く。

 久美子もまた、リュックサックを担ぎなおして膝を伸ばした。

「いいか、みんな。虎ってのは夜行性の生き物だ」

 おそらく既に周知済みのことだったのだろうが、あえて気を引き締めるためか、猟友たちに向かってリーダーは告げた。

「だから、昼間は茂みやなんかに身を隠してる可能性が高ェ。死にたくなけりゃ、不意打ち食らわねェよう犬どもの動きに注意しとけよ。わかったか?」

 予期せぬ異変が生じたのは、彼の言葉に他の面々が応えを返した、まさにその瞬間の出来事だった。

 なんとしたことか。

 唐突にすべての犬たちが、歯をむき出しにして威嚇の唸りを上げ始めたのだ。

 ターゲットである虎の存在を嗅ぎつけたのだろうか?

 いや、そうでないことは明白だった。

 それは、続けざまに彼らが、ある一定の方角にではなく、ほぼ全周に向かってけたたましい吠え声を放ちだしたからである。

「なな、なんだ? どうしちまったんだ?」

 猟師のひとりが狼狽の声を発した。

 まるで自分たちが何か敵対する勢力から包囲されているような、そんな感触を得たからだった。

 そしてその感触は、次の刹那、現実のものとなって彼らの眼前に現れた。

 どこからともなく出現した全身タイツの怪人どもが、彼ら猟師たちを四方八方から取り囲んだのだ。

 その数は、軽く十人を超えている。

 とりあえずひとの形を成してこそいるが、実際には人間であるのかすらどうか定かではない、そんな違和感を覚えさせる集団であった。

「なんだ、こいつらは!?」

 猟師たちは、この見たこともない怪人どもの登場に立ちすくみ、その表情をことごとく引きつらせた。

 当然であろう。

 このような常軌を逸した姿の連中、それも明らかな銃器を手にした戦闘員に有無を言わせず囲まれては、それ以外の反応をするなと言うほうに無理がある。

 だが、久美子はこの連中を知っていた。

 いや正確に言えば、この連中が映った映像を知識としておぼえていた。

 だからこそ、この場にいる人類種のうち、彼女だけが判断力の結果を言葉にしてみせることができた。

 「こいつら──」と唇を震わせ久美子は叫んだ。

「八月に街を襲ったテロリスト!」

「ほほう。よもや、我らのことを見知っている者と出くわそうとは思わなんだわ」

 久美子の叫びと前後して進み出てきた怪老が、嫌味たらしくそう言った。

 極めて短躯な老人だが、その存在感には特筆すべきものがある。

 おそらくは、この集団のリーダーなのだろう。

 耳障りな声を用いて彼は続けた。

「だが、我らはおまえたち原住民が言うテロリストという存在などではない! 我らは偉大なる総統エビルさまの配下、大ブンドール帝国の栄光あるしもべであるぞ!」

「総統エビル? ブンドール帝国……?」

 質の悪い冗談を言われているとしか思えない久美子は、必死に自分を奮い立たせながら抵抗の意志をあらわにした。

「な、何を言っているのか全然わかんないわ! あんたたち、そんなコスプレまでして頭どうかしてるんじゃないのッ!? 厨二病でもこじらせてるつもりッ!?」

「残念だが、おまえのような下等生物に頭の都合を心配してもらう必要はない」

 鼻で笑って老人は言った。

「おまえたちこそ、何用があってこの地へ足を踏み込んだ? このミナカミヤマ一帯は、我らブンドール帝国が既に領土として掌握したのだ。ここはもう、おまえたちのように下等な原住民がみだりに訪れて良い場所ではない!」

 老人が顎を振って怪人どもを促した。

 一糸乱れぬ統率で行動を開始した全身タイツの怪人どもが、猟師たちと久美子の身体をたちまちのうちに拘束する。

 それはまったく容赦のない動きだった。

 肩が外れそうなほどの力で無理矢理両腕を捉えられた彼女らは、そのまま地面にねじ伏せられた。

 抵抗の余地などどこにもなかった。肩と肘とを否応なしに激痛が襲う。

「狂ってるわ!」

 うつぶせに押さえ付けられたまま、かっと目をむき久美子は吼えた。

「あなたたちはまともじゃない! 第一、そんな自分勝手な領土宣言が国際法的に認められるとでも思ってるの!」

「おまえたちのいう国家とやらが我らの主張を認めようが認めまいが、こちらとしてはどっちでも構わぬ。それらが我らブンドールの意に従わぬと言うのなら、力尽くで従わせるだけの話じゃからな」

 怪老は喉奥から低く嘲笑の声を響かせながら久美子に応えた。

「どのみちおまえたちの軍隊が我らの科学力を前に手も足も出ないことぐらい、先だっての戦闘で明らかとなっておるわ。そもそも恒星間航行の技術すら持たぬ下等な知的生命体のごときがこの宇宙に冠たるブンドール帝国に刃向かおうなどということ自体、無謀を通り越して笑い話の類いにしかならぬ」

「恒星間……航行……?」

 混乱した久美子は、ふたたび先の台詞を繰り返した。

「あなた、いったい何を……言ってるの?」

「まだ現実を認識できんと見えるな、小娘」

 誇らしげに怪老は言った。

「だがそれでよい。しょせんおまえたちのような下等な生き物には過ぎた知識じゃ。いずれは我らブンドールによって滅ぼされる立場。それが早いか遅いかの違いに過ぎん。弱肉強食と優勝劣敗は宇宙のさだめ。たとえ何人であっても、その摂理をねじ曲げることなど叶わぬゆえな」

 まさか──その発言を耳にした途端、久美子の脳内に自分でも信じられないような回答が電光石火に舞い降りてきた。

 まさか、まさか、こいつら異星人エイリアン

 そんなことが、そんな嘘みたいなことが──…

「あ、あたしたちをどうするつもり?」

 現実と非現実の狭間に落ち込んだ彼女は、必死になってその前者の袖にすがりついた。

 それが狂った相手であったとしても、ひととして会話を続行していないと自分がどうにかなりそうだったからだ。

 だから彼女は噛み付いた。

 懸命に人間としての言葉を発した。

 そんな久美子に怪老は答えた。

「そうさのう。とりあえず、おまえたちにはこのドクター=アンコックの研究材料となってもらおうか」

 平然とした口振りで彼は告げた。

「いまだこの惑星ほしの原住民についてはわからぬことが多すぎるでな。実験のためのモルモットは常に品不足じゃ。安堵せい。簡単に使い捨てとはせぬ。場合によっては、我らブンドールの同胞はらからとしてエビルさまにお仕えする道を与えてやれるやも知れぬぞ。どうじゃ? 身に余る光栄であろう?」

 ドクター=アンコックと名乗ったこの老人が口にしたそのおぞましい計画。

 それを聞かされた久美子と猟師たちの背中に、冷たい汗が滝のごとく流れ落ちた。

 この自分が人体実験の材料とされる!?

 全身が総毛立つとは、まさにこのことにほかならなかった。

「連れて行け」

 そんな彼女らの反応を無視したドクター=アンコックが、従えている全身タイツの怪人ども──ブンドール帝国の下級戦闘員・ザッコスどもに命を下した。

 それは「イーッ!」という奇声をもってこれに答えると、ふたり一組となってこの哀れな男女を立ち上がらせる。

 他の者どもは、主を助けんと懸命に吠え立ててくる犬たちに向け躊躇なく発砲。

 数匹を射殺したうえで、残った彼らを木々の向こうへ追い散らした。

 甲高く響く銃声が、久美子の耳に響き渡った。

 力の差から来る諦観と絶望とが、彼女の心を折りにかかる。

 裂帛の叫びが久美子の頬を殴打したのは、まさにその時のことだった!

 はっと顔を上げた彼女の意識が、猛々しく放たれた若い男の声を認識する!

「そこまでだッ!」

 久美子の、猟師たちの、そしてドクター=アンコックを名乗る怪老とその配下の怪人どものすべての視線が、一斉に声の主へと集中した。

 その視線の先に立っていた者──それは、雄然と屹立する凜々しきひとりの青年だった。

 彼は、怒りに燃える熱い眼差しを指先に乗せ、ためらうことなく言い放つ。

「ドクター=アンコック! ここで何を企んでいるのかは知らないが、この僕が来たからには、もうおまえたちの好きにはさせないッ! さあ、いますぐそのひとたちを解放するんだッ!」

「おまえはッ……轟雷牙ッ!」

 狼狽した怪老が、青年の名を口にした。

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