墓前の花は、獣の臭い4-4
なんでこんなところに「虎」がいるのよッ!!
仰天の余り目を見開いたシーラが、声にならない叫びを上げた。
思ってもみなかった存在の出現に、思わずその全身を硬直させる。
彼女の眼前に登場したそれは、間違いなく成獣の「虎」そのものだった。
体長は余裕で二メートルを超えている。
おそらく、体重も百キロを軽く上回っていることだろう。
戦えば、人間などはひとたまりもあるまい。
そんな巨獣が、やや上目遣いな視線をこちらに向けつつ、のしのしと自分のほうへ迫ってくるのである。
とてもではないが、生きた心地のする状況ではなかった。
さすがのシーラも足がすくみ、ともすれば奥歯がガチガチと音を鳴らしかねないほどだ。
宇宙刑事・轟雷牙が遠間から「シーラさん、どうしたんですか?」と呼びかけながら戻ってきたのは、まさにそんなおりの出来事だった。
まるで平然とした顔付きを浮かべたまま少女の側に歩んできた青年は、状況を把握するや否や、開口一番こう言った。
「やあ、これは大きな猫だ」
「惚けてんじゃないのッ! これは『虎』ッ!!」
激高してシーラは叫んだ。
「あなた、宇宙刑事なんでしょッ! だったらさ、この状況をなんとかしてみせたらどうなのよッ!」
「なんとかしてみせなさいって言われましても」
暢気ささえ漂わせる口振りで雷牙が応える。
「別にどうという状況ではないような気が──」
「あなたね! か弱い乙女が徒手空拳で大型肉食獣と向かい合ってるこの有様を、どこをどうやったらそんな風に受け取れるのよッ! 雷牙ッ! あなた、もしかしてわたしのこと嫌いだったりするッ!?」
「いやいやまさか」
美少女からの詰問を軽く流しながら青年は言った。
「とりあえず落ち着いてください、シーラさん。その子、あなたに対する攻撃の意志は持ってないみたいですから」
「えッ!?」
予想外の指摘に瞠目するシーラをよそに、雷牙は虎の頭に右手を置いた。
それは、なんとも無造作に過ぎる行為だった。
しかし虎は、目を細めつつそんな青年のアクションを受け入れた。
その見るからに嬉しそうな顔付きは、あたかも人慣れした飼い猫のごとくである。
「どういうこと?」
驚きから回復した美少女が、雷牙に続いて虎の頭に手を伸ばした。
虎は、彼女の指先をもまた拒もうなどとはしなかった。
それどころか、自ら大きく顎を上げ、その喉元を差し出すような素振りさえ見せる。
「シーラさん。ここってちなみになんていう名前の土地ですか?」
唐突に発せられた雷牙からの質問にシーラは、「水神山だけど」と即答する。
「ああ、なるほど」と青年が柏手を打ったのは、その直後でのことだ。
彼は言った。
「今朝のニュースでやってました。サーカスを逃げ出したメスの虎がN県の水神山って場所に逃げ込んだって」
「サーカスの虎かァ。なるほど。妙に人懐っこいのはそれが理由かァ」
気が付けばシーラは、両手でもって虎への愛撫を開始していた。
そんな女子校生に向かって虎が鼻先を押し付けてきたのは、それから数秒後のことだった。
ふんふんと、縞模様の彼女は興味深そうに鼻を鳴らす。
その次の瞬間、虎は少女めがけて一発の頭突きを放った。
さほど勢いのあるものではない。
攻撃が目的というわけではなさそうだった。
しかし体重百キロを超える虎が放ったその一撃は、金髪娘を転倒させるには十分以上のものだった。
「きゃッ!」と短く悲鳴を上げて、シーラはどすんと尻餅をついた。
続けざまそこに覆い被さってきた猫科の獣が、ざらざらした長い舌で彼女の頬を舐めあげる。
それは素人目にもわかる、なんとも直接的な親愛の情にほかならなかった。
ただし、受け取る立場の少女にとって、それはありがた迷惑以外の何物でもない。
先方は単に可愛がっているつもりなだけなのかもしれないが、彼女の側からしてみれば、それは腕尽くで陵辱されている状況と大差ないのだからだ。
「ぎゃ~ッ」と奇声を上げて身悶えるシーラに向かい、前置きなしに雷牙は告げた。
「シーラさん。どうやらこの虎、母虎だったみたいですよ」
「母虎……って、それどういう意味?」
顔全体を唾液でべとべとにされながら少女は尋ね、その質問に青年が答える。
「生まれた直後、すぐ離ればなれにされた赤ん坊がいたみたいですね。たぶんですけどこの虎は、その引き離された自分の子供を探すためにもといたところを脱走してきたんじゃないでしょうか」
「わかるのッ!? そんなことまでッ!?」
「わかる、というより、感じる、とでも言うべきなんでしょうが──まあ大体は」
雷牙は応え、続けて説いた。
「シーラさん。そんなわけでこの虎は、いまのあなたのいずこかに母性の持って行き場所を見出しちゃったようなんです。もちろん言葉を理解できるわけじゃないんで、それが具体的ななんなのかまではわかりかねますけど」
言いながら雷牙は虎と美少女との間に割って入った。
一瞬だけ、「こいつ! 邪魔をするな!」と言わんばかりに双眸をぎらつかせた虎であったが、青年の目がその奥底を一瞥するや否や、すべてを納得したように体を放して座り込んだ。
「死産……だったんだと思います」
「えッ?」
声を潜めて雷牙が言った。
「あるいは、この母虎はそれをわかっていて、その上でなおあなたに自分を注ぎ込もうとしているのかもしれません。亡くしてしまった母親としての義務を、あなたを相手に果たそうとしているのかもしれません。
いわば動物として持って生まれた本能ですね。そこにあるのは理屈じゃない。それは非合理的かつ非論理的な、おそらくは何物をも生み出すことない自己満足の集合体に過ぎないでしょう。
でも僕は、そんな彼女を滑稽だとは思いません。
たとえそれが誤解に基づくものであったとしても、大切な誰かに対するその想いは、変わることなく純粋で、そしてきっと誰の目に眩しいものだと確信してますから」
わずかばかりの沈黙が、ふたりの間を通過した。
「ねえ、雷牙」
シーラが口を開いたのは、それからひと呼吸置いてからのことだった。
ハンカチで顔を拭いながら彼女は告げる。あまりにも唐突なひと言を。
「この子、ウチで飼おうよ!」
「はいッ?」
絶句する青年をよそに、少女は続けて熱弁を振るう。
「このままだとこの子、間違いなく処分の対象にされちゃうと思うんだ。この国のルールだとさ、この子みたいな
「なんてことだ」
目を丸くして雷牙は言った。
「それは、実施された行いに対してではなく可能性に対して罰を与えるということでしょうか?」
「そうなるわね」
シーラが応える。
「でも仕方がないとも言えるわ。だって、もし実際に被害者が出たらって考えると、とてもじゃないけど甘い見方でいることなんてできないもの。もしわたしがその立場であっても、やっぱりそうした決断をすると思う」
「……」
「だからこそね、自分がそれを阻止できる機会があったら、責任持ってなんとかしたいとも思うのよ。さすがにお花畑の考えだと自分でも思っちゃうんだけどね」
「いえ、その志は立派なものだと思います」
青年は言い切った。
「及ばずながら、僕もシーラさんの考えに同意させてもらいます」
「アリガト」
頼りになる、ということについては人後に落ちない居候から支持を得て、少女はぱっと相好を煌めかせた。
お座りしたままの虎のほうへと向き直り、大きな頭を両手のひらで挟み込む。
「よし!」と前置きしてから彼女は告げた。
「いいこと、いまからあなたの名前は『トラ』よ。このシーラさんが付けてあげた名前なんだから、忘れたりしちゃ駄目なんだからね。わかった?」
「でも、シーラさん」
そんなシーラに雷牙が言葉を投げたのは、その直後のことだった。
肩越しに振り向いた少女に向かって、宇宙刑事は深刻そうな表情を浮かべる。
「いまふっと思い付いたんですけど、僕たちがいざその子を匿うとなった場合、いささか重大な問題が生じますね。そのことについて、シーラさんはちゃんと認識できてますか? これはあなたの未来にとって、とても大きな影響を与えることになると思われるのですが……」
真剣そのものといった顔付きで、じっと腕組みをしながら見詰めてくる雷牙。
その、あたかも戦に臨む武人のごとき眼差しを見た金髪娘は思わずごくりと息を飲み、不安に裏打ちされた質問を青年めがけて差し向けた。
「じゅ……重大な問題って何よ? もったいぶってないで、はっきり言いなさいよ!」
「そうですか。では、率直に申し上げます」
極刑を命じる異端審問官を思わせる口振りで雷牙は応えた。
「その子をあの家でお世話した場合、食費の額が凄いことになると思われるのですが、そのことについてシーラさんはきちんと覚悟ができているのでしょうか?」
「……相変わらず、心配の論点がずれてるわね、雷牙」
◆◆◆
「トラ」と安直に名付けられた猫科の大型肉食獣を連れたふたりがいったん身を隠す先として選んだのは、教会の裏手に広がる広大な山林の只中だった。
水神山と呼ばれるこの界隈の土地は、さいわいとでも言うべきか、まだひとの手が入っていない地形の起伏が至るところに存在している。
さすがに秘境と称するほどのものではないが、それでもひとふたりと虎一匹が身を隠す場所に不足を感じる地域ではなかった。
シーラたちが取りあえずの安息地、作戦会議の現場として見出したのは、傾斜地の横っ腹に穿たれた天然の洞穴だった。
高さは、百八十センチオーバーの雷牙が余裕で立って入れる程度。
奥行きこそ十数メートルしかないが、入り口付近に草木も茂り、外側から内部状況をうかがうことを効率的に妨げていた。
「さて、これからどうするかですが」
ややひんやりとした空気を斬り裂き、雷牙は短く切り出した。
「シーラさんの話を総合するに、おそらくは
「うん。それについては間違いないと思う」
「であればですね」
その場で胡座をかきながら、宇宙刑事は断言する。
「どう逃げ隠れしても、僕たちが彼らの哨戒線に引っかかるのは時間の問題ということです」
「だから、そこをなんとかしようと知恵を絞っているんじゃない!」
いらつき気味にシーラが吼えた。
「あなた、仮にもSS級の宇宙刑事なんでしょ? 歴戦の勇士なんでしょ? 何か良い考えは浮かばないの?」
「そりゃあ、強行突破するのは簡単ですよ」
その問いかけに雷牙は答える。
「でもそれじゃあ根本的な解決にはなりません。できれば穏便に、そして平和的にトラの立場を確立しなくては駄目です。そうしないと、後々やっかい事が湧いて出ますよ。いまの状況を抜け出すのより、むしろそちらのほうが重要です。力業では、その場限りの対応にしかならないですよ」
「う~ん」
腕組みしながら美少女は唇を歪める。
「言われてみればそのとおりよね。仮にここからトラを連れ出したところで、いつまでも隠し通せるわけでもないし──… う~んう~ん」
「よし! じゃあこうしましょう」
ぱん、と柏手を打ちつつ雷牙が言った。
「外部から援軍を呼ぶんです」
「援軍?」
「はい」
彼は応えた。
「この件に松乃さんを巻き込むんです」
「お祖母ちゃんを?」
「ええ」
青年が言い切る。
「あの方であれば、何か良い方策を示してくれるに違いありません。このままここで無い知恵を絞っているより、そちらのほうがよほど建設的な選択ですよ」
「そうね……そのほうがよさそうよね!」
大きく頷き、金髪娘も同調する。
「よし! だったら善は急げだわ! さっそくお祖母ちゃんに連絡入れてみる!」
喜色満面のシーラが、いそいそとケータイを取りだし操作を開始。
それを認めた雷牙とトラが、まずはひと安心とばかりに互いの顔を見合わせる。
その時だった!
痛覚にも似た鋭利な何かが、彼らのこめかみを瞬時にして撃ち抜いたのだ。
それを受けた宇宙刑事と肉食獣は、ほとんど同時に洞穴の外へと視線を投げる。
目付きが険しかった。
少なくとも、友好的な何者かに送るそれでは決してない。
「何? どうしたの?」
空気を察しケータイの操作を中断したシーラを「静かに!」と声を潜めて一喝した青年は、そっと洞穴の入り口付近へ忍び寄った。
息を潜め、慎重に外の様子に注意を払う。
その口腔から「なんということだ!」といううめき声が漏れ出したのは、その直後の出来事だった!
彼がそこで見たもの──それは、漆黒のマントを羽織った醜悪な容姿の老人と、彼に率いられた全身黒タイツの集団だった。
骸骨のようなヘルメットで頭部から右目にかけてを隙間なく覆ったその怪老は、傍らに人間ともサボテンとも付かない異様を持つ不気味な怪物を従えている。
間違いない!
それは、悪の帝国ブンドールの大幹部、ドクター=アンコックとその手下どもにほかならなかった!
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