戦場は即売会!7-6
「耳を貸しちゃ駄目よッ!」
鋭い美声が空を切り裂く。
若い女の叫声だ。
老人の甘言とはまったく異質なその響きに、辺りの耳目が否応なしに集中した。
その眼差しの先に佇んでいた者──それは、この世のものとも思えない光り輝く美少女だった。
純白の衣装をまとった、見目麗しい
黄金色の長髪と混じり気のない青い瞳が、見る者すべてに本能的な感嘆を呼ぶ。
数秒後、その類い希なる存在感が、厚い人混みを見る見る左右に断ち割った。
それはまるで、
「おまえは、いつぞやの小娘ッ!」
暗黒医師の瞳孔が、驚きの余り拡大する。
「なぜじゃッ! なぜおまえがこのようなところにおるッ!?」
「あんたなんかに答える義務なんてないわッ!」
斬り捨てるように少女は叫び、同時にダッと床面を蹴った。
自然発生的に出現した回廊の中を、美貌の主が一気に駆ける。
金髪がたなびき、豊かなバストが大きく揺れた。
そんな彼女が向かった先には、ひとりの若者が唖然としたまま立っていた。
リュックを背負ってバンダナを巻いた、いかにもといった風貌の男性。
言うまでもなくそれは、ついいましがた皆に向かって啖呵を切った、あのオタクの青年そのひとであった。
もっとも、その全身を覆っていた理不尽なまでの憤懣は、いまはきれいさっぱり消え失せてしまっている。
こちらめがけて走ってくる異次元の存在、およそ画面の向こうでしか見たことのない女性美の塊に、その注意力のことごとくを奪い取られていたからだ。
間を置かず、そんな青年の真向かいに注目の対象が滑り込んできた。
視界のすべてがその美貌に占められるのと同時に、鼻腔に流れ込んできた甘い香りが彼の神経を鷲掴みにする。
若い娘に特有の、男を悩ます魅惑の
そんな物騒な代物に背筋をぞくりと刺激され、青年は思わず生唾を呑む。
彼と至近距離で向かい合う碧眼の美少女──「セントジョージの金髪姫」こと雪姫シーラがその桜色の唇から言葉を発したのは、それから一秒も経たぬうちの出来事だった。
「耳を貸しちゃ駄目ッ!」
青年の両手を自分のそれで掴み取り、シーラは目付きを険しくした。
青い瞳を憤らせ、おのれの意志を叩き付ける。
「あんな連中の言うことなんて真に受けちゃ駄目よッ! ご覧なさいッ! あの、いかにもを通り越した、完全無欠で非の打ち所のない百点満点の悪人面をッ! あなた、あれほど怪しい連中が本当にあなたとの約束を守るだなんて、本気の本気で思っちゃってるわけッ!? だとしたら、冗談は顔だけにしてってくらいのお人好しだわッ! その頭蓋骨の中にせめて人並みの知性と教養とが詰まってるんなら、いますぐこの場で目を覚まして、ひととしての正道に立ち戻ってらっしゃいなッ!」
「かッ……顔は関係ないじゃろうがッ! 顔はッ!」という怪老の抗議など、きれいさっぱり馬耳東風。
彼女はなおも言葉を続ける。
「そもそもあなた、
「い……いや、でも……」
生の美少女が放つ怒濤の迫力に圧倒された青年だったが、それでも彼は、必死に自説を貫こうとした。
しどろもどろになりながらも、自分の論理を口にする。
「
「はァァッ!?」
それを聞いた少女の口調が、一瞬にして変化した。
コンマ一秒も経たぬうちに、怒りの炎が燃え上がる。
「それって、このわたしがいい加減なことを言ってるって意味ィッ!?」
鋭利極まる舌鋒が、青年の喉元に突き付けられた。
詰め寄るシーラの鼻先が、相手のそれに急接近する。
瞬間湯沸かし器という表現は、まさしくいまの彼女にこそ相応しい。
歯をむき出しにした金髪姫が、噛み付かんばかりに肉迫した。
「言うに事欠いて、何よそれッ!」
般若の顔付きで彼女は叫び、その両の手が青年の胸倉を掴みあげる。
「あなたッ、よりによってこのシーラさんより、あーんな怪しい連中の言うことのほうを信じちゃうってわけッ!? 冗談じゃないわッ! 侮辱よ、侮辱ッ! 撤回しなさいッ! ほらッ! わたしの目を見て、いますぐにッ! い・ま・す・ぐ・にッ!」
「あわわわわ……」
青年は狼狽した。
美形の異性に噛み付かれるという人生初の経験に、これ以上もなく狼狽した。
無論、ネット上においてなら、この程度の反発を受けることなど彼にとっては日常茶飯事の出来事だった。
むしろ、自分に立ち向かってきた抗議者を感情的に煽り返し、相手からの反論を待たず一方的に
だが哀しいかな、現実とはそれほど甘いものではない。
目で、耳で、肌で感じる人間同士のぶつかり合いは、およそ文字だけのやりとりに終始するネット世界のそれなどとは、まさしく行って帰ってくるほどの大違いだった。
否応なしに唇が震え、宛所もなく目玉が泳いだ。
金髪姫の言うとおりに彼女と目線を合わせることなど、とてもではないができる相談ではなかった。
そんな青年の視線がほぼ一点でまとまったのは、それからおよそ数秒後のことだ。
なんとも数寄者らしい眼差しが、少女の胸元をせきららに捉える。
こ、これがッ、音に聞こえた七十五のKッ!
久美子が漏らした最高機密をどこかで側聞したのだろうか。
青年の脳裏に轟音とともに
美貌の少女の上半身で、たわわに実る水蜜桃。
白いドレスのその下で、敢然と屹立する一対の膨らみ。
それはまさしく噂どおりの物体、男の妄想そのものだった。
なんてこったッ!
リアル巨乳も
これは、なんという収穫ッ!
間違いなく今後に活かせるッ!
荒々しさを増す鼻息とともに、青年の目が輝きを増した。
間を置かず、それを見知った少女の顔がリンゴのように紅潮する。
ましてや、その持ち主が性的な堅物で、かつ自分の体型にコンプレックスを抱えていた者であるなら、それはもうなおさらのこととも言えた。
どこの誰とも知らない異性が、自分の身体のそんな部分を生々しい目で見詰めている──…
シーラにとってそれは、到底耐えられる出来事ではなかった。
刹那ののち、押さえきれない羞恥心が気持ちのすべてを刷新した。
入れ替わるようにして現れた別種の新たな衝動が、その肉体を突き動かす。
コンマ数秒の時も経ずして、耳をつんざく絶叫が、その口腔から迸り出た。
「どこ見てんのよッ! このッ、へんたーいッッッ!!!」
有無を言わせず金髪姫は、おのが右手をひと降りした!
シーラ必殺のトルネードビンタが、青年の頬を直撃する!
ぱっしーん!!!
殴打の音が響くや否や、やや肥満気味の彼の身体は床上めがけてなぎ倒された。
当然である。シーラのビンタは、かつて
インドア主体のオタク青年が、それに耐えうるわけなどない。
観衆たちの間から、みるみるざわめきが湧き起こった。
固まりつつあった場の空気が、その一事をもって崩れ立つ。
愚かな真似を、と暗黒医師はほくそ笑んだ。
シーラのアクションがいかなる結果をもたらすのかを、迅速に予測したからだ。
翻意を促している相手の身体に刹那的な一喝を加える。
それは、彼の者の意志を望む方向とは真逆のそれへと追い込む行為に相違ない。
ククク……これはまた、とんだ援護射撃を得たものじゃて。
頬を緩ませ彼は思った。
これをもってあの男は、我らの側に属する意志を心に刻んだことじゃろう。
仮にも一人前の成年男子が、小娘ごときにおのれの意向を否定され、それどころか大勢の前で隠せぬ恥までかかされたのじゃ。
あやつの中に自尊心というものがあるかぎり、意を翻すことなどありえまい。
「無駄な説得じゃったのう。金髪の小娘」
肩を揺すらせ怪老はうそぶく。
「じゃが、すべてはそちの軽率が招きし結末。恨むなら、儂らやその男ではなく、おのれの誤断をこそ心の底から恨むがいいわ」
転倒した青年が新たな反応をみせたのは、それからすぐのことだった。
顔面に真っ赤な
フーフーといまだ興奮冷めやらぬシーラのそれとは対称的に、その表情からは感情の色が綺麗さっぱり消え失せていた。
端から見れば、まるで白昼夢の中にいるのでは、とさえ思わせるほどだ。
そんな青年の目が、ふたたびシーラの姿を捉えた。
そのままで、たっぷり数秒が経過する。
「決めた」
氷の
「いまの一発で俺は決めた」
「そうじゃ、言え! 言ってしまえ!」
歯をむき出しにしたアンコックが、目を見開いて彼を促す。
「我がブンドールに従う旨を、満場の者どもにも聞こえるよう、声高らかに謳いあげよ!」
だが次の刹那、その顔付きは予期せぬ方向へと覆った。
青年の発した言の葉を、直接聞いてしまったからだ。
青年は叫んだ。
聞き間違いなど決して起こらぬ明確さで、おのれの意志を宣った。
「俺はッ……ジークリンデさまのお言葉に従うッッッ!!!」
「なッ……なんじゃとォーッ!」
仰天した暗黒医師が、発言者めがけて一目散に駆け寄った。
「おぬし、正気かァッ!」
怪老は、両手を回して青年に噛み付く。
「我らの側に身を置けば、今後いっさい労することなく生きられるのじゃぞ! おぬしらを莫迦にしてきた者どもを見返し、足下に虐げることさえできるのじゃぞ! その最良たる選択を、いったいどうして拒絶するのじゃッ!? 目を覚ませッ! 目の前に差し出された栄光の果実を、なぜにしていま投げ捨てるのじゃッ!?」
「ふっふっふ……」
それを聞いたオタクの青年は、不敵に身体を震わせた。
眼鏡の奥の双眸が、妖しい光をギラリと浮かべる。
「ブンドール帝国だかなんだか知らんが、アンタら、俺らオタクを舐めすぎだッ!」
彼は言った。
「いいかよく聞けジジイ! 俺らモテないオタクはな、危険をともなう大金より、確実に手に入る小金の側を狙う人間なんだよッ! 努力の果てに得られる
「ぐぬぬ……」
「ジジイッ! 本気で俺らを仲間に引き込みたかったのなら、単なる口約束なんかじゃなく
「なんでわたしの個人データが知れ渡っちゃってるのよッ!」
美少女からの抗議をよそに、次々と放たれる無数の
その勢いに直撃されたアンコックの両足が、ふらりと数歩後退る。
怪老は歯ぎしりした。
オウ・タクどもめッ!
まさかこれほどッ!
これほど性根が腐っておったとは思っても見なんだわッ!
「よく言ったッ!」
「巨乳は俺らを裏切らねえッ!」
「ジークリンデさま、バンザイッ!」
「ジジイは帰れッ!」
そんなアンコックとは裏腹に、異様な盛り上がりを見せる男性陣。
突き上げられた無数の拳が彼らの頭上に林を作る。
その一方で、七海や久美子、会場にいる女性たちはことごとく、それらの態度にどん引きの様相を呈していた。
「何よそれッ!」
「オンナを莫迦にしてるわッ!」
「同じオタクだからって一緒にするなッ!」
「あんたたちサイテーッ!」
そうした流れは、時を経ずして内乱の状況にまでステップアップしつつあった。
過激な主張を繰り返す一部の男性参加者たちに、頭に血が上った一部の女性参加者たちが過剰な文句を叩き付ける。
彼・彼女らの行動は、たちまち男女間抗争の体を成し始めた。
数寄者たちの視界からは、もはや侵略者どもの存在など雲散霧消してしまっている。
その非理性的な有様に、シーラはくらりとめまいを起こした。
「いったいなんなのよ、こいつらッ!」
よろめく身体を気合いで支え、彼女はぽつりと独り言つ。
「いまは、そんなことやってる場合じゃないでしょうがッ!」
だがこの時、そんな混乱をあえて収めようと試みたのは、オタクの側の人間ではなかった。
あろうことか
「この、ふざけた劣等民族どもめがッ!」
こめかみに血管を脈打たせ、暗黒医師は手下に命ずる。
「こちらの手駒に収まらぬというなら、敵の手駒にさせぬだけの話よッ! ザッコスどもッ! 此奴らオウ・タクどもを、ひとり残らず捕獲するのじゃッ! 無理矢理にでも連れ帰り、洗脳してでも我らの駒にしてくれるわッ!」
「イーッ!」
十数人のザッコスどもが、奇声を上げて一斉に動いた。
会場にいる面々が誰ひとりとして逃げ出さぬよう、ぐるりと包囲態勢を取る。
ここに至って、さすがに自分勝手な連中もおのれの立場をわきまえた。
もはや仲間内で争っている場合ではない!
それより先に、競って成すべき事柄がある!
男場を初めとする数人の若者たちが一団の中から進み出て、自らの身で壁を作った。
危機に際する男の義務を、まっとうしようと試みたのだ。
秋月チェリーその他の女性が、その意を汲んで身を寄せ合う。
にじり寄る黒尽くめの怪人ども。
その最前列に立ちはだかったのは、黄金の髪も艶やかな美貌の少女そのひとだった。
「はんッ! ざーこが百人集まったって、わたしを止められるもんですか」
ケモノの笑みをにやりと浮かべて、雪姫シーラが片手をあげる。
その手の甲には、ルビーのような
「悪いけど、今回は初っぱなから行かせてもらうわね。覚悟しなさいッ!」
怪しい老爺と対峙する白一色のエルフの姫が、大きく一度息を吸い、続いてそれを吐き出した。
宣言が一気呵成に口火を切る。
「龍神──」
されど、その宣言は不意に中途で阻まれた。
疾風にも似た勢いで飛び込んできた何者かが、彼女をその背に匿ったからだ。
それは、文字どおり漆黒の剣士だった。
長い手足が一閃し、周囲にいたザッコスどもを数名一気に打ち倒す。
「シーラさんッ!」
振り向きもせず彼は告げた。
凜々しい瞳が音を立てて煌めく。
「ここは僕が引き受けます! あなたはみなさんの脱出を先導してくださいッ!」
宇宙刑事・轟雷牙が、いま戦場に到着したのである!
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