事件記者久美子・二十三才6-8
轟音とともに建物が崩落した。
建築中だった鉄筋のビルが、なんの前触れもなく瓦解したのだ。
大小の建築資材が連続して地表に激突。
もうもうとした土煙を、夜目にも鮮やかなほど舞い上げる。
その有様は、紛れもない全国紙レベルの大事故であった。
付近の家屋の窓々から、住民たちが何事かとばかりに顔を出す。
背後で巻き起こった異変に際し、雷牙たち一行もまた、ほぼ一斉に振り向いた。
「何が起きたのッ!?」
鋭い声でシーラが叫ぶ。
と同時に彼女は、崩落の現場がつい先ほどまで自分たちのいたあの場所であることを認識した。
鋭敏なその嗅覚が、咄嗟に作為的な空気を嗅ぎ分ける。
「ひょっとして、さっきの連中が証拠を隠滅したのかしら?」
「いやッ! 違いますッ!」
そんなシーラの推測を、宇宙刑事が否定した。
「あれは、間違いなく──」
その発言が終わるより早く、崩れかけたビルが、今度は内側から膨れあがるように弾け飛んだ。
四方に飛び散った瓦礫の破片が、辺り構わず降り注ぐ。
「危ないッ!」
「キャッ!」
連れ合いのふたりを、雷牙は咄嗟に我が身で庇った。
落下してくる瓦礫を複数、大きな背中で断固阻止する。
まとめて抱きかかえられたシーラと久美子が、つい顔を見合わせ赤面した。
いきなりのことに、声を出すこともできない。
この時のふたりにとって、身に及んだ危険よりも、そちらのほうがはるかに重い出来事だった。
流星雨にも似た無機物の落下は、始まりと同じく唐突に終了した。
「ふたりとも、怪我はありませんか?」
それを見越した雷牙の問いに、ふたりの女性は並んで答える。
「あ……ありがと」
「ありがとうございますッ!」
だがそれに続く感謝の言葉は、まっすぐ彼には届かなかった。
凄まじいまでの雄叫びがビリビリと大気を震わせ、それらのやりとりを問答無用に上書きしてしまったからだ。
臓腑に響く獣の轟吼。
青年の身体越しにその重低音を聞いたシーラと久美子が、びくりとその身を緊張させる。
ふたりを放した宇宙刑事が、振り向きざまに身構えた。
「くッ!」と短く声を上げ、一気にまなじりを険しくする。
そして、寸分も間を置かず彼は叫んだ。
「機界獣ッ!」
そう。
雷牙の視線の先にいた
それは身の丈五十メートルはあろうかという人型の悪夢であった。
真っ赤な双眸が夜の闇にも爛々と映え、サメのそれにも似た歯牙が、その口内には連山のごとく並んでいる。
その様子は、獰猛という表現がまるで子供騙しに聞こえてしまうほどだ。
巨体から吹き出す独特の空気が、見る者すべてを瞬時にして射貫く。
制圧力とは、まさにこのことをいうのであろうか。
図太い腕を左右に開き、天突く魔人が頭髪を振り乱し絶叫した。
夜空を背景に激しく自己を主張するその姿は、人類にとって圧倒的な恐怖そのものですらあった。
「なんだッ、ありゃあッ!」
「バケモンだッ!」
「おかーさんッ! こわいよーッ!」
鉄筋のビルを突き破り仁王立ちする漆黒の怪異。
その存在を目の当たりとした住民たちが、口々に悲鳴を爆発させる。
だが、目を見張り立ち尽くす彼らは、身に受けた戦慄を次の行動に移すことができずにいた。
当然だろう。
まるで悪夢としか思えないいまの状況は、常識というぬるま湯に肩まで浸かっていた彼らにとって、いわばまったく想定外のものであったのだから。
そもそもだ。
おのれが怪獣映画の登場人物になるなどという想定を、あらかじめ準備していろというほうにこそ無理がある。
ただただ茫然自失する住民たちの反応を、いったい誰が責められようか。
「雷牙ッ!」
そんなおり、突如シーラが口を開く。
眼前に立つ宇宙刑事に彼女は尋ねた。
「あれが、まさか機界獣だって言うのッ!?」
「だって、大きすぎるじゃないッ!」という感想を言外に込めた疑問に対し、断言口調で雷牙は答える。
「初動でリザレクトプログラムを起動させたんです!」
吐き捨てるように彼は言った。
「くそッ! ブンドールめ。なんて無茶をッ!」
やがて、瞳を持たない魔人の両目が
あまりにも邪悪なその眼差しが、業火のごとく宇宙刑事にまとわりつく。
『見付けたぞ……』
口の端を吊り上げ魔人は言った。
『誰にも譲らん……我こそが無双、我こそが無敵……我こそが最強なり……』
殺気がその全身に群がり湧き、絶対零度の上昇気流が発生する。
一般人なら即座に失神してしまいそうな、そんなレベルの恐るべき気圧。
雷牙はしかし、一歩も引くことなくそれを受け止めていた。
いまの彼には、その手で守るべき者たちと守るべき使命とがある。
敵を前に踵を返すことなど、およそ考えもつかない選択だった。
魔人の眼光をはね除けるように、青年は堂々と胸を反らした。
相手の顔をはるか足元から睨み付け、それを押し退けるべく
だがそんな彼をもってしても、この時、頭上からあたりを見下ろす六つの視線を察することはできなかった。
◆◆◆
戦場の上空、百メートル余り。
その場に浮かぶ不可視の球の中心で、その者たちは、じっと下界を眺めていた。
ひと組の男女と一羽の鴉。
怪しげな鳥をその内訳に含めるのなら、あわせて三つの知性体がそこにいる計算となる。
「ドクトル」
それらの内のひとり、ショートカットの妖艶な美女が腕組みしながら口を開いた。
「おまえの思いつきは、どうやら実を結んだようだな」
「ネオ機界獣化した原住民の命脈をその場にて絶った時、果たしてリザレクトプログラムが正常に起動するかどうかはまったくの未知数でありましたが、なんとかうまくいってくれたようです」
美女の語りかけに、人語を解する鴉が応えた。
「まずは満足すべき結果と言えましょうな、参謀閣下」
「正規の機界獣でこの手の実験を行うことはできぬからな。それだけの余裕と権限とを、私たちは総統エビルより与えられておらぬ」
どこか悔しそうにその女──ブンドール帝国の幹部・オイロケー参謀は吐き捨てた。
「あの方にとって、しょせん我らも捨て駒なのだ。いささか不愉快ではあるが、残念なことにいまは納得するしかない。山の頂を征服するには、まずその麓に一歩を示さねばならないのだ」
そんな
範刃。
「地上最強の人類」を父親に持つ、無類の実戦格闘家。
おそらくだが、同年代の者たちの中で、彼に比肩できるような強者は皆無と言っても良かっただろう。
しかしながら、その最強クラスの少年は、いま自分を保つことだけで精一杯の有様だった。
何が起こっているのかがわからない。
何が起きたのかを理解できない。
彼の中に培われた常識というものが、襲いかかる現状を完膚なきまでに拒んでいた。
「あれが……親父なのか……」
はるか眼下で轟吼する漆黒の魔人を見詰めながら、範刃は茫然自失してそう言った。
「あれが……『王餓』の成れの果てだっていうのか……」
信じられないことだった。
あり得ないことだった。
いかに達人とはいえしょせんは
「受け止められぬか? 少年」
だらだらと脂汗を流し、凍り付いたように立ちすくむ若き武人。
そんな彼に向かってオイロケーは、たしなめるよう語りかけた。
「だが、あれこそが真実だ。この宇宙にあるものは、ただ可能性という名の数式のみ。約束された未来も、予定された結末も、それらに等しい停滞も、その一切合切が端から存在していない。
そなたは実に幸運な男だ。この狭い牢獄に生まれ育っておきながら、その末端に直接触れる機会を得たのだからな」
言い終わるや否や、妖女は視線を下方に向けた。
その先端に捉えているのは、巨大な魔人と対峙する、宇宙刑事の様相だ。
艶めかしい唇が、急な角度で吊り上がった。
「さて、裏切り者の宇宙刑事よ……この状況にどう立ち向かう?」
なんとも楽しげに彼女は呟く。
そして小さく笑い声をあげたのち、鋭い声で命令を達した。
「ネオ機界獣グラップラ=ギガンティック! おまえに与えた新たな力を、その者相手に思う存分発揮するがいい!」
◆◆◆
「シーラさんッ! 街の皆さんを安全なところへッ!」
「わかったわ!」
阿吽の呼吸で動き出す
久美子もまた、踵を返した金髪娘に呼応してその背中を追おうと駆け出す。
しかしそのわずかあと、何かを思い立ったように足を止めた彼女は、振り向きざまにカメラを構えた。
心はブルブルと震えていても、肉体は慣れた動きでファインダーを覗く。
報道人としての、それはまさに本能だった。
機械を通して存在を認めた
ファインダー越しに映る長身の若者が、鋭くひと言張り上げた。
「龍神変ッッッ!」
◆◆◆
解説しよう。
轟雷牙がバトルスタイルに龍神変するタイムは、わずか百分の五秒に過ぎない。
では、その変身プロセスをスローモーションで再現する。
◆◆◆
「龍神変ッッッ!」
曲げた左腕を突き出しつつ青年がそう叫ぶと同時に、彼の額に埋め込まれた宇宙刑事の力の源・ドラゴクリスタルが共鳴を開始。
銀河中央で宇宙刑事警察機構を統括するミラクルコンピュータ・ギャラクシーと、時間差なしでのリンクを果たす。
地球最高の電子頭脳が一兆年かかる計算をコンマ一秒以下で完了するそれは、完璧なリアルタイムでもって状況を把握。
彼我の戦力を瞬時に判断・分析し、封印された雷牙の力、その解放要求をためらうことなく受け入れた。
『承認。ぶーすとあーまー、戦闘もーど起動シマス』
一瞬も間を置くことなく、ギャラクシーからの認可を得たドラゴクリスタルが異次元スペクトルによるフィールドを形成した。
フィールド内部を亜空間と直結させることで、平衡時空に待機している装甲強化服・ブーストアーマーを使用者のもとへ召喚するためだ。
強力な力場の発生が青年の着衣を分子レベルで粉砕!
空間を強引に引き裂きつつ出現した無数のプロテクターが、全裸となった雷牙の肉体を覆い始める!
青年の額に輝く青白い光が赤い宝石状の物体となって凝固!
その直後、閉じられていたまぶたが音も立てよとばかりに見開かれる!
そして次の刹那、その精悍な眼差しで眼下にたむろう悪の心魂を射貫きつつ、轟雷牙は裂帛の気合いとともに雄々しく名乗った!
それこそが、銀河系の平和を守護する宇宙刑事の、何物にも代えること適わぬ決意と矜恃との証であったからだッッ!
◆◆◆
「宇宙刑事ッッ! ライガァッッ!」
閃光とともに現出した黄金騎士が、全身でもって見得を切る。
その勇壮な姿に血流を滾らせたものか、漆黒の魔人が傲然たる吠え声を上げた。
大きく拳を振り上げるや否や、黄金の騎士に振り下ろす。
「トゥッ!」と掛け声一閃、跳躍した宇宙刑事がそれを躱した。
巨大な鉄拳が地表を抉り、すり鉢状のクレーターを作る。
飛び散ったアスファルトの破片が、カメラを構える久美子の側にも容赦なく飛来してきた。
その中には、拳サイズのそれもある。
幸いにして、彼女との直撃コースを描いたものはひとつとしてなかったが、もし命中していたなら、久美子はただではすまなかっただろう。
だが、ファインダー越しの世界に没頭しているこの女性記者は、そんな自分の状況に少しも関心を示さなかった。
ただただ無心にシャッターを押す。
機械的に積み重なっていく「彼女の世界」が、断続してデーターファイルに記憶されていった。
宇宙刑事が魔神の腕に飛び乗ったのは、まさにそんなおりでの出来事だ。
「雷光剣ッ!!!」っとひと声叫んで輝く剣を抜き放った彼は、振り下ろされた敵手の腕を疾風のごとくに駆け上がっていく。
慌てた魔人が右腕を振る、その動きすらも利用して雷牙は相手の顔面に躍りかかった。
「おおおッッッ!」
雄叫びを上げつつ、振りかぶった雷光剣を敵の眉間に叩き付ける。
鋭刃が皮膚を斬り裂き、緑色の体液が噴き出た。
しかし、深手と言うにはほど遠い。
怒りに燃えたグラップラ=ギガンティックは、まだ中空にいた宇宙刑事をその掌で払い除けた。
ゴツゴツした巨大な平手に殴打され、
「グゥッ!」
背中から大地に激突し、雷牙は苦悶の表情を浮かべた。
受けたダメージが思いの外大きいのだろうか。
身を起こす動作がわずかに遅れる。
その間隙を突いて、グラップラ=ギガンティックの追撃が始まった。
庭ほどもある足裏が、雷牙を踏み付けようと襲いかかる。
間一髪、それを逃れる宇宙刑事。
だが、積極的な反撃に移ろうとはしない。
この時の彼は、もう少し時間を稼ぐ必要があると思っていた。
付近の住民たちが安全な場所への避難を終えるまで、この戦いの場を極限しなければならない。
それが、SS級宇宙刑事である雷牙の下した判断だった。
もちろん、そんな彼の心中をシーラが察しているわけもない。
にもかかわらず、彼女の取った行動は、騎士の意向を見事なまでにトレースしていた。
「皆さんッ! 急いでここから離れてくださいッ!」
凜とした涼やかな声が、夜の住宅地に響き渡った。
剣道と居合道で鍛えられたシーラの喉が、見事なまでの大音量を発生させたのだ。
鼓膜を鋭く刺激され、住民たちが茫然自失から立ち直る。
それはまるで、カンフル剤を投与された傷病患者のような反応だった。
彼らの視線が向いた先では、冠に「絶世の」という表現を戴く金髪の美少女が、青い瞳を煌めかせながら必死に避難を主張していた。
その存在感は、屹立する黒い魔人に劣るものでは決してない。
嫌が応にも、彼女の言葉は住民たちの心を捉えた。
真っ暗闇に現れた、鮮明極まる星の輝き。
困惑した住民たちが右往左往せずその導きに従ったのも、ある意味当然の帰結と言える。
人々は、そんな彼女に指示されるまま、秩序を保った移動を始めた。
金髪の美少女に先導される民衆の群れ。
それは、どこか異様な状景に見えたかもしれないが、この時、誰もその現実に異を唱えたりはしなかった。
数分後、複数台のパトカーがサイレン音も高らかに来訪を果たす。
市民からの通報があったものか。それとも、発生した異常事態を独自のルートで察知したものか。
車内から厳しい顔付きの警官たちがそれぞれ降り立ち、見事な連携でもって人々の統率をシーラから受け継いでいく。
それはまさしく、プロフェッショナルとはかくあるべし、と膝を打つほどの練度であった。
その青い瞳の向けられた先では、地球を守る黄金騎士と異界から這い出てきた奇怪な魔人との戦闘が繰り広げられている。
この場所から見る限り、雷牙の苦戦は明らかだった。
当然だろう。
いかに宇宙刑事の戦闘力が高かろうとも、巨大化した機界獣が相手では、その体格の差が圧倒的すぎる。
「雷牙……」
少女が雷牙の意図を見て取ったのは、この瞬間のことだった。
彼は、住民が避難するための時間を闘いながら稼いでいる──…
それを悟ったシーラは、きゅっと唇をかみ締め、弾けたように走り出した。
人々の待避が軌道に乗ったことを、一刻も早くあの青年に知らせなくてはならない。
それさえ叶えば、今度はこちらの反撃ターンだ!
だが、ほとんど勢いだけで危険地帯へと舞い戻った彼女は、そこで思いがけない光景を目の当たりとした。
とうに逃げ出したものと思っていた小山内久美子が、物陰に身を隠すこともせず、一心不乱にカメラのシャッターを押し続けているのである。
「久美子さんッ! 何やってんですかッ!」
怒りを覚えてシーラは叫んだ。
それを聞きつけ久美子が振り向く。
はた、と正気に戻った──そんな感じの顔付きだった。
そんな彼女めがけて大きな影が落下してきたのは、まさにその瞬間の出来事だった。
戦闘に巻き込まれて空高く跳ね上げられた一台の乗用車が、重力に引かれて夜空に放物線を描いたのだ。
終着点は完全無欠の直撃コース。
あたりまえだが、久美子はただの人間である。
そんな代物を受けて無事でいられるわけもない。
「久美子さんッ!」
「えッ!」
絶叫するシーラ。
迫る危険に久美子も気付くが、身を翻すには至らない。
咄嗟のことに足がすくんで、悲鳴すら上げられずにいるのだ。
見かねた少女が、彼女に代わって反応する。
「りゅーじんへんッッッ!」
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