戦場は即売会!7-2
「ねェ、シーラちゃん。アルバイトしない?」
「セントジョージの金髪姫」がそう背中から声をかけられたのは、二時間目の授業が終了した、ちょうどその矢先での話だった。
唐突極まる問いかけが、なんの前触れもなく少女の鼓膜を振動させる。
発言者は、クラスメートの
短身おさげの眼鏡っ
実は
もちろん、いまどき流行のおしゃれの類やなんかとは、完全無欠に縁遠い。
雰囲気が地味、というよりは、そもそもその種のルートに興味がない──そんな印象を根強く与える、ちょっとマニアックさを感じさせる少女であった。
「いまならバイト代以外に、シーラちゃんの大好きな木村屋の水羊羹をワンセット、大サービスで付けちゃうよ」
不自然なほどの愛想の良さで、彼女は一気に畳みかけた。
何かを企む不穏な目線が、眼鏡の奥から煌々と放たれている。
それは策士というよりも、敵将に謀反を促す軍師の
いまの彼女に軍師装束を着せ白羽扇を持たせたなら、なんとも様になっていたことだろう。
しかしながら、即座に返ってきた金髪姫の回答は、少女の期待を見事に裏切った。
まさに聞く耳持たずと言いたげに、雪姫シーラは一刀両断。
その勧誘を有無を言わせず斬り捨てたのである。
鋭い口調で彼女は告げた。
「悪いけど、もう絶対にベタもトーンも手伝わないからねッ!」
がばっと身体ごと振り向くと、七海に向かってシーラは噛み付く。
「いつぞやは、ほんッッッとうに酷い目に遭ったわ! そりゃあ、
「やだなぁ、シーラちゃんってばァ。それは全然誤解だってェ」
叩き付けるようなシーラの舌鋒を、七海はからからと笑い飛ばした。
「コミケ前の地獄絵図に比べたら、あんなのは修羅場のうちにも入らないよォ。睡眠時間もちゃんと六時間以上はあげられたし、ご飯だってあったかいのを食べさせてあげたじゃない。そもそも修羅場って言葉はね、この業界じゃ完徹三日をドリンク剤のみでクリアしてから初めて使える言葉だよ。シーラちゃんは、ほんッッッとうに常識ってものを知らないんだなァ」
「そんなふざけた常識なんて、一生知らなくて結構よ」
額に手をやりシーラは応えた。
いまのやりとりからもわかるとおり、このおさげの少女は、まさしくヘヴィな「オタク」であった。
しかも、そんな自分を隠し立てしない筋金入りの
広く「お嬢さま学校」と認められているセントジョージ女学院に、いわば場違いとも思える「漫研」、すなわち「漫画・アニメ研究会」が誕生したのも、ひとえにこの
理事長たる松乃は例外にするとしても、闊歩する頑固教師が何かとうるさいミッション系のこの学校に、よりにもよってサブカル系の倶楽部を、それも公式のものとして立ち上げたのだから、その行動力ははっきり言って並ではない。
そんな「学院に潜む隠れオタクの星」にして「学院漫研初代会長」である眼鏡っ
空気を読まないことおびただしい無神経さで、なおも勧誘を続行する。
「でさァ」と前置いてから彼女は言った。
「話は変わって、今回のアルバイトの内容なんだけど」
「わたしいま、『絶対嫌だ!』って言わなかったっけ?」
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよォ。もうシーラちゃんに原稿手伝ってくれなんて言わないから。今回お願いしたいのはね、即売会での売り子の仕事なんだ」
「売り子?」
「うん!」
にぱっと笑って七海は答えた。
「実は今度ね、地元の即売会で個人誌販売することになったの」
「個人誌って、漫画の?」
「うん! 倶楽部活動とは別の奴。でね、シーラちゃんには、その日のブースでお客さんたちさばく仕事をして欲しいんだ。シーラちゃんってさァ、ほら、美人で目立つし、わたしたちみたいなインドア派と違って、人見知りしないじゃない。
ああいった公の会場だとね、売り子次第で集客力が全然違ったりするんだ。だからここは助けると思って、なんとかこの仕事引き受けて欲しいんだよ。お願いッ! 一生恩に着るからッ!」
「う~ん、そこまで熱心に誘われたら手伝わないわけでもないけどさァ」
困ったようにシーラが応じる。
「正直わたしって、接客関係に向いた性格だとはとても思えないんだよねェ」
「ああ、それわかる気がする」
それを聞いた七海の笑顔が、すかさずレベルアップする。
「確かシーラちゃん、あの制服の可愛いフェミレスでバイトしてた時に、しつこくナンパしてきたお客さんの頭に熱々のスパゲッティぶちまけちゃったんだよね。一時期、話題になってたよ」
「言っとくけど、悪いことしたとはこれっぽっちも思ってないから」
シーラはきっぱり言い切った。
「昼の日中から酔っ払ってくだ巻いてるような、見るからに下品でやらしいスケベオヤジの三兄弟だったわ。どいつもこいつもいい歳こいた大人のくせに、店内で若い
もっとも、たとえTPOわきまえてみたところで、あ~んな性欲まみれのモンキー野郎相手に愛想のいい接客してやるほど、当時のわたしは人格者じゃなかったんだけどね。
だいたい何よ、あの変態ども! いっきなりひとのスカートめくっておいて、『おう金髪ネーチャン。随分とまた色気のねェパンティ履いてやがんなァ。アンタ、そのでかいオッパイ見せびらかして遊べるオトコ探してんだろ? なんなら俺ら日本男児が、今晩たっぷり、身体で国際交流してやろうか? へッへッへ』だってさ。
まあったく。一体全体どうやったら、あんなウジの湧いたキモい台詞を恥ずかしげもなく口にできるんだか。オツムが腐ってるにもほどがあるって思わない? 断言しちゃうけど、わたしにはあんなの、未来永劫、完全無欠に理解不能だわ。そもそも理解したいとすら思えないけどね!」
「あはは。で、初日にしてそこのバイトはクビになっちゃった、と」
「働いてくれってお願いしてきたのは店側のほうなのにね。勝手なもんだわ」
肩をすくめてシーラは笑う。
「ところでさ、その七海の個人誌っていうのはどんな内容の本なの? 去年研究会で出したのは、確かホラー絡みのオムニバスだったよね。それと同じ系統?」
「えへへ~、見たい?」
「そりゃもう」
「じゃあ読ませたげる。はい!」
告げながら七海が差し出してきたのは、オフセット印刷された一冊の「薄い本」であった。
色付きの表紙に描かれているのは、精悍な顔つきの若者と、なんとも野武士然とした初老の男が各一名。
おそらくはダブル主人公なのだろう。
そのどちらもが、派手さのない質素な鎧と薄汚れた着物とを身にまとっていた。
どうやら作品の舞台は、戦国時代かそのあたりの日本国であるようだ。
「へェ~、今度のは時代物かァ」
本を受け取ったシーラが、小さくその目を見開いた。
「でも七海の作品にしては、ちょっと変わった題材だよね。いつもなら、もっとオーソドックスな漫画描くのに」
「だって個人誌だもん」
すぱっと七海は言い切った。
「倶楽部のみんなを気にしなくていいから、今回は思い切って、むかしから大好きだったテーマにチャレンジしてみたんだ」
「ふぅん。七海って、実は『歴女』だったんだ」
「そういうわけじゃないけど、とにかく読んでみてよ! シーラちゃん、絶対コレ気に入っちゃうから!」
「随分と自信作みたいね。じゃあ遠慮なく。どれどれ──」
◆◆◆
『弾正……なぜ俺を助けた……?』
『理由が聞きたいか? それはな、この手でひとの命を奪うことに飽いたからじゃ……』
国を捨て隠遁した名将・真柄弾正は、負傷した敵国の兵・八郎に戦死した部下の面影を見て、思わずこれをかくまってしまう。
憎むべきかつての敵将に反発しながらも、次第に心惹かれていく八郎。
だがこの時、国からの追っ手は、ふたりの潜む廃村へと着実に迫りつつあったのだった──…
◆◆◆
「ほー。時代物は時代物でも、七海のオリジナルワールドかァ。でも、なかなかドラマチックな筋書きでいいじゃない。面白そう!
で、磁石のように惹かれ合うふたりのオトコは、やがて……やがて……やがて……やがてェ?」
ページをめくるシーラの右手がぴたりと動きを止めたのは、それからほどなくのことであった。
小さく二、三度瞬きしたのち、彼女はゆるりと口を開く。
「ね……ねェ、七海ィ」
「何、シーラちゃん?」
「なんで……こ、この元将軍のおじさんと、しゅ、主人公の負傷兵とが、その、その……キ、キ、キ、キスしちゃってんの? それも、は、は、裸で抱き合って……」
「え? 何かおかしかった?」
「お、おかしいに決まってるじゃないッ!」
真っ赤になってシーラは叫んだ。
頭の中がこんがらかっているせいか、言葉遣いがしどろもどろになっている。
幾度も舌をかみそうになりつつ、それでも彼女は持論を説いた。
「か、か、仮にもちゃんとした、お、お、男同士が、せ、正当な理由もなく裸で抱き合って、ディ、ディ、ディープキスしちゃってるだなんて、世間一般的に考えて、お、お、おかしくないわけなんてないじゃないのよッ!」
「え~ッ」
それを聞いた眼鏡娘が、すかさずくちばしを尖らせる。
「愛し合うふたりがセックスするのって、極々あたりまえのことだと思うんだけどなァ」
「はァァッ!?」
シーラの口から奇声があがる。
「それって、いったいどこの世界の『あたりまえ』よッ!?」
「わたしの世界の『あたりまえ』に決まってるじゃない」
こともなげに言い切る七海。
豊かとは言えない胸を張り、さも平然と彼女は告げた。
「だってこれ、BL漫画だもんッ!」
「ビッ……BLですってェ!?」
目を丸くしてシーラが尋ねる。
「七海! あなた、ひょっとして腐女子だったの!?」
「うん!」
悪びれもせず七海は答えた。
◆◆◆
解説しよう!
BLとは、言わずと知れた「ボーイズラブ」の略語である。
そしていわゆる「腐女子」とは、そんなボーイズラブの世界、すなわち男同士の同性愛を妄想し興奮するのを止められない、精神的な女性戦士たちのことを指す。
そう。
この瞬間までシーラは与り知らぬことだったが、ここにいる「セントジョージのオタクの星」たる眼鏡娘は、あろうことか重篤なディレッタントである以上に、もはや回復不能なハイレベル「腐女子」だったのである!
◆◆◆
おのれの感性ではさっぱり理解できない、「オトコ同士のまぐわいを好む女性」
左様忌まわしき業に捕らわれた存在の出現に、シーラは思わず絶句した。
宝石にも似た碧眼をきょどらせつつ、薄くリップをひいた唇を金魚のようにぱくぱくさせる。
そんな美貌の同級生に対し、次の瞬間、眼鏡娘は魔王のごとき微笑みを送った。
ウキウキと弾んだ口調で七海は告げる。
「わたしねェ、シーラちゃんには、いつかいつかぜェ~ッたいにカミングアウトしようって思ってたんだ。だってわたし、ずっと前からシーラちゃんにはBLに関する類い希な素質があるはずだって見込んでたんだもん」
「それ、お門違いもいいところだわ」
金髪娘がこめかみを押さえる。
「だいたいさァ。同性愛って、
「シーラちゃんってば、考えが古いよッ!」
あからさまにわざとらしい仕草で、七海が怒りの感情を示す。
「男性同士の愛の行為は、ギリシャ時代から連綿と続く、由緒正しき人類文化なんだよ。教会だって、『同性愛者は敬意と憐み、そして思いやりをもって受けいれられねばならない』って公に主張してるじゃない。わたし、そんな偏見に満ちた汚らわしい目線でこの美しい流れを見て欲しくない。BLはね、人類史に燦然と輝く高尚な文化であって、立派な芸術のひとつでもあるんだよッ!」
「はいはい。ご高説至極ごもっとも」
シーラの利き手がひらひらと振られた。
まるで「莫迦負けしました」とでも言わんばかりの態度だ。
しかしそれでも彼女は言った。
それが
「そこまで力説するんなら、その芸術性とやらを確かめてあげるわ。要するに、最後まで読めばいいんでしょ。読めば」
「うん!」
きっぱり言い切る七海を尻目に、シーラはふたたびページをめくった。
その端正な顔付きには、あえて意識したものか、「嫌々なんだけど」という周囲に向けてのメッセージが貼り付けられている。
しかし七海の眼力は、この美少女のささいな変化を見逃したりはしなかった。
半ば以上は投げやりだった金髪娘の眼差しが、確実なレベルで真剣さを帯びてくる。
目にするページの内容に気を取られている何よりの証左だ。
大理石のようだったシーラの頬が、徐々に赤みを増してきた。
ときおりこくりと喉が鳴る。
作品に没頭する自分自身に気が付いてないのだろう。
その口の端からは、「うわ」「何これ」「すっご」などといった微妙極まる感嘆符が、ぽろりぽろりとこぼれだしていた。
そんな数分間が過ぎ去ったのち、シーラは突然その手を止めた。
誌面としては、おおよそだが中盤の山場が終わったあたりでのことか。
作中では、すでに数回の濡れ場が経由されている。
無論、ここまでの展開で女性キャラクターの登場はない。
悪魔の微笑みを浮かべるクラスメートが、ふっとその表情を緩めてみせた。
「ねェ、七海ィ」
そんな彼女へ、ためらいがちにシーラが言った。
「あのさァ……ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど、いいかな?」
「なぁに、シーラちゃん」
「うん。そのォ……これ、純粋に疑問に思っただけなんだけどさァ」
身動ぎもせず彼女は尋ねる。
「お、お尻で
「え……?」
無機質な沈黙がふたりの間に横たわった。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
止まってしまった時計の針がふたたび挙動を開始したのは、それから十秒以上も経ってからのことだ。
甲高い七海の声をトリガーとして、凍った時間が一気に弾ける。
彼女の叫びが向かった先は、少し離れたところで談笑している、クラスメートの集団だった。
芝居がかった声色で、眼鏡娘が大声を出す。
「春香ちゃーん! シーラちゃんがァーッ!!!」
「わァァァァァァッッッ!!!」
その呼びかけに奇声を被せ、存在自体を亡き者にしようとするシーラ。
しかしこの時、彼女の努力は髪の毛一本ほども報われなかった。
好奇心旺盛な女子高生たちが、あっというまに
その有様は、砂糖に群がるアリにも等しい。
そして、それらを率先する人物は、七海が直接その名を呼んだシーラの親友・此路春香そのひとだった。
きらきらと輝く瞳もそのままに、彼女は七海ににじり寄る。
「どーしたの七海ィ。ひょっとして、シーラがまた何かやらかしちゃったのォ?」
「うん! 実はね、いまさっきシーラちゃんが……ごにょごにょごにょごにょ」
「わーッ! わーッ! わーッ!」と大音量でわめきながら、金髪娘は両手を激しく振り回した。
それは間違いなく、全身全霊を賭けた制止の合図だ。
だがそんな彼女を意にも介さず、おさげの腐女子は耳打ちを止めない。
およそ他人には知られたくない情報が、シーラの意向をまったく無視して知人の耳へと注がれた。
「えーッッ! うそォーッッ!」
春香の叫声が教室全体に響き渡ったのは、次の刹那の出来事だった。
にま~ッと嫌らしく笑った黒髪の少女が、棒読みにも近いわざとらしさで驚きの声を張り上げる。
「シーラがァ、お尻でするエッチにィ、興味持ったってェーッッ!? マジでーッッ!?」
「えーッッ!」
それを聞いたクラスメートたちの口々から、各々勝手な感想が爆発的に噴出する。
「やるじゃんッ! シーラ!」
「生粋のヴァージンの分際で、いきなり上級コース突入ってかーッ!」
「ふッ……ふしだらですわッ! 雪姫さんが、そんな破廉恥な方だったなんてッ!」
「いやいや、委員長。これってさ、シーラ独自の深謀遠慮なのかもしれないわよ」
「そーそー。貞操の危機に遭遇した時、後ろを犠牲にしてせめて前の純潔は死守しようっていう、なんとも健気な戦略なのかも」
「わはッ! それ、ありうる~ッ!」
「ちッ、違うッ! 違うッ! 違うんだってばーッ!」というシーラ必死の弁明も、炎上極める乙女の世論を前にしては、石壁にぶつける生卵以下だ。
もちろんこの状況下で、いつぞやのようにブチ切れてみせるのも論外だろう。
なんといっても、発端は自分自身の失言なのだ。
ここで感情を爆発させても、それは理不尽な逆ギレでしかない。
無責任極まる発言がひととおり繰り出されたあと、それを締めくくったのは教室全体を破裂させんばかりの大爆笑だった。
結局のところ、このたっぷりと愛情のこもったらんちき騒ぎの終結は、次の授業の担当教諭──轟雷牙の来訪を待たねばならなかった。
「みなさん、何か面白そうな話してますね。よかったら僕も混ぜてくれ──」
「きゃあァァァァァァッッ!!!」
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