墓前の花は、獣の臭い4-2

「没」

 ためらいの色など微塵も見せず、「週刊スマッシュ」編集長・斉藤さいとうじゅんは単刀直入に言い切った。

 手中の原稿と写真とをデスクの上に放り投げ、椅子に座ってふんぞり返る。

 改めて正面に視線を投げたその髭面の中年男は、続けざまに止めの言葉を口にした。

「おまえさんの熱意自体は認めるが、ウチでこのネタを扱うことはできねェ!」

「なぜですッ!」

 そんな上司の態度に激高したのは、まだ年若い女性の記者だ。

 ぴしっとしたスーツをまとったその全身から、いまにも炎を噴き出さんばかりにして彼女は噛み付く。

「このネタは、ネットじゃとっくに大騒ぎになってる奴ですよッ! それがなんで誌面に載せられないんですかッ! 読者の求める内容を、どこよりも早く、どこよりも深い切り口で記事にするってのがウチの雑誌のモットーだったじゃないですか! それとも、そいつはあたしだけの誤解だったとでも言うんですか!?」

「言いてえことはわかる。痛ェほどわかる」

 苦虫を噛み潰したような表情で斉藤は応えた。

「だが、駄目なもんは駄目だ!

 確かに俺らはジャーナリストの肩書きでおまんま食ってる立場だが、だからこそ自分から食い扶持をなくすような真似をするわけにはいかねェ。ましてや、そいつが上から下まで会社のことごとくを巻き込むってんならなおさらだ!

 いいか小山内。おまえも一人前の社会人になったってんなら理解できるだろう? 俺らはな、しょせん一介のサラリーマンなわけよ。なんだかんだ偉そうなこと言ってみたところで、会社からお給料もらってる身なわけよ。だからな、上が駄目だというネタを、勝手な判断で記事にするわけにはいかないわけよ。残念ながら、俺もおまえもそういう立場にいるってわけよ」

 そんな有無を言わせぬ物言いに、その女性記者──写真週刊誌「スマッシュ」の専属記者である小山内おさない久美子くみこは、ぎゅっと唇をかみ締め押し黙った。

 悔しさが、そのまなじりを次第次第に吊り上げていく。

「……圧力ですか?」

 彼女がふたたび口を開いたのは、それから数秒ほど経ってからのことだ。

「例の怪獣とロボットとの格闘戦。目撃情報は、もうこれで三件目ですよ。あれだけあからさまな大事件を、我が国の政府は公の目から隠し通せるとでも思ってるんですか? 本気ですか? 正気ですか? 情報媒体があふれかえって海になってるこの時代に、霞ヶ関の政治家連中はこんなわざとらしい情報統制がうまくいくとでも思ってるんですか? だとしたら、あたしらジャーナリストも我が国の国民も、どちらも随分と舐められたもんですね。そう思いませんか? ねェ、編集長!」

「ばかたれ。いまの日本の政治屋どもにそんな度胸があるわけねェだろ」

 深々とため息をひとつ吐いてから、編集長は久美子に告げた。

「おまえさんの言ったとおり、この情報社会のご時世に大事件や大事故を隠しきることなんかできやしねェ。仮に霞ヶ関の連中が力に任せてそういうことをやろうとしてもだ。いい歳こいていまだに市民運動家気取ってるような大新聞のブン屋どもが、『はいそうですか』なんて気安く従うわけもねェ。

 そうなったら最後、この『表現の自由』が認められてる法治国家・日本で憲法二十一条が保証する『国民の知る権利』を弾圧しようとした政府も議員も役人も、その日のうちに雁首そろえて討ち死にだ!

 能なしぞろいで有名なウチの国の政治屋どもだが、さすがにそこまで莫迦じゃねェ。見え見えの隠蔽行為が結局は自分らの首を絞めるってことぐらいきっちり理解していらっしゃる」

「じゃあ、なんで?」

「詰まるところ、もっと上のほうからの指示があったんだろうさ」

「もっと……上?」

「そうだ」

 久美子の疑問に斉藤は答えた。

「相手の足引っ張るためなら漢字の読み間違いにまで突っ込み入れてくるダボハゼみてェな野党議員が、なぜかこの件に関しちゃそろいもそろってダンマリだ。ありえねェだろ? これだけせきららな政府与党のオウンゴールなんだぜ?

 要するに、だ。今日日、あの怪獣とロボットの情報についてマスメディア各社にかかってる有形無形の圧力は、断じて霞ヶ関の意向なんかじゃねェってことだ。早い話、ウチの国の政治屋どもも、どこかの誰かに首根っこ押さえ付けられて無理矢理言うこと聞かされてるってわけよ」

「その『どこかの誰か』って、アメリカでしょうか?」

「知るか」

 吐き捨てるように斉藤は言った。

「だが、たぶん違うな。それが証拠に、あそこと仲の悪い系の外国メディアも同じように沈黙してる。そいつらの母国が政治的にいまの状況を利用しようとしてる素振りもねェ。

 俺はイルミナティの陰謀論みてェな与太話は大嫌ェだが、今回に限って言えば、一ミリ程度は信じていいとも思ってる。少なくともだ。俺らの見えないところで得体の知れない何かがうごめいてるってのだけは確かなようだ」

「……」

「なぁ、小山内」

 斉藤の口振りが一転した。

 デスクの上に両肘を付き、神妙な面持ちで彼は説く。

「俺らブン屋はな、てめえから好きこのんで権威だの権力だのに噛み付いてく。その課程で危ねェ橋を渡ることだってしばしばだ。

 それでもあえてそういった危険を冒すのは、なんでだと思う? それはな、一部の連中が情報の管理を独占しちまうってことが極めてマズいことだってのを知ってるからだ。限られた層の意向に情報の流通が左右されるってのが社会全体にとんでもない害悪をもたらすもんだと知ってるからだ。

 だからこそ俺らブン屋は、それこそ雨が降ろうが雪が降ろうが、そういった連中が必死になって隠そうとしてる真実を靴底減らしながら集めて回って表に晒す。為政者だの権力者だのが持ってる重要な情報を一般市民が逐一共有することこそ、成熟した民主主義社会のあるべき姿だって信じてるからだ。

 だがな、小山内。世の中にはな、例外って奴もいくつかあるんだ。おまえ、『パンドラの箱』って知ってるか?」

「そりゃ知ってますよ。ギリシャ神話のアレでしょ? 禍の詰まった箱をパンドラが開けちゃったら、最後に希望だけが残ってたっていう──でも、それがいったいなんだって言うんですか?」

「おまえ、もしこの国のお偉方がなりふり構わず情報の流れを統制しようとしてたら、『こいつら、何か重大なことを隠してるんじゃねェか』って疑ったりしねェか?」

「もちろんです」

「だろう?」

 斉藤は言った。

「小山内。いまから俺の言うことは俺の勝手な推測が大半だから、まずはそのことを念頭に置きながら聞いてくれ。

 もし誰かが何かの情報を隠匿しようとしてる場合は、だ。少なくともそれを隠そうとしてる連中は、自分たちの持ってる情報のなんたるかを多かれ少なかれ把握してるってのが常識だ。そりゃそうだわな。それがてめえの知らないネタだったら、そもそもそんなものを隠し立てする必要性もなければ必然性もない。

 だがよ。連中が本当に知られたくない事実って奴が、実は『自分らもそのネタについて何にも知らない』ってことだったらどうよ?」

「!」

「まあ、未知の病原菌とかと同じだわな。『治療法がない』『手の打ちようがない』ってのを社会全体に知られるくれェなら、『治療法はあるが、そのことを卑劣な政府や金持ちが自分たちの利益のために隠し通そうとしてるんだ!』って非難されたほうが為政者としちゃあ百倍マシって寸法さ。後者なら、世論に叩かれて息の根止められるのは政府や関連機関の連中だけで収まるが、前者なら、社会秩序全体がいっぺんに崩壊しかねねェからな。

 逸話じゃあ禍の抜け出たパンドラの箱に残ってたのは光り輝く『希望』だった。見上げる空にお星さまがあれば、人間って奴はしぶてェもんさ。なんだかんだ言いながらも、未来に向かって歩いて行ける。

 だがひとたびそういう指針が見えなくなっちまったら、人間はまず心のほうが折れちまう。何もかもがどうでもよくなる。ひとたび社会全体がそうなっちまったら、国としちゃあ一巻の終わりだ。そしてウチの国の偉いさんどもも、そのことを嫌って言うほど理解してるんだろうよ。

 だから奴らはわざと疑われるような真似をしてまで、そのあやふやな『希望』って奴を演出しようとしてるんじゃないか、と俺は思ってる。てめえらの評価を地の底に落とすその行為が奴らの意志によってのものかそうでないかは、まったく別の話ではあるがな。

 小山内。おまえさんがいま追っかけようとしてるのは、要するにそれだけヤバいネタだってことだ。ウチみてェな中小はともかく、クオリティペーパークラスの大新聞や大手メディアまでもが文句も言わず上からの圧力に屈したのは、このネタに関わることの危険性をめざとく察したからに違いねェんだ。

 これはな、俺個人としての忠告だ。悪いことは言わん。この件からは手を引け。『ペンは剣よりも強し』とは言うがな、長ドス構えたヤクザ相手にペンしか持たねェブン屋風情がいったいどうやって立ち向かおうってんだ? 何事もな、命あっての物種だ。俺はまだ死にたくねェし、若いおまえにもまだ死んで欲しくねェんだ」

「……わかりました」

 力なく、久美子は頭を縦に振った。

「編集長の言うとおりにします」

 それを聞いた斉藤の表情が、たちまちのうちに弛緩する。

「そうか……わかってくれたか」

 心底嬉しそうに彼は言った。

 深々とひと息吐いてから、さらに言葉を続けていく。

 その内容は、雑誌編集長としての紛うことなき業務命令だった。

「じゃあ早速だが、いまからおまえさんはN県に飛んでくれ。サーカスで飼育されてたアムールトラが一頭、引っ越し中に脱走してN市郊外の水神山みなかみやまってとこに逃げ込んだそうだ。明日、地元の警察と猟友会とが共同で山狩りに入る。そいつの取材が、今回おまえさんにやって欲しい仕事だ。頼んだぞ」

 そう斉藤は久美子に告げ、彼女は無言でそれを了承した。

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