宇宙(そら)から来た青年1-5

 は、シーラの視野の中で強力な自己主張を繰り返していた。

 もたらされる恐怖が、彼女の意識を一時的な機能不全へと陥れる。

 それはまるで、ギリシャ神話に出てくる女怪メデューサのごとくだ。

「何……あれ?」

 呆けたようなシーラの口から、不意にそんな言葉がこぼれ出た。

 およそ瞬きすることすら忘れ、彼女はその目を大きく見開く。

 その眼差しの先にあったもの──それは、まさにいま大地を割っておのが身を乗り出そうとしている、異形の「巨獣」の姿であった。

 いや、単に「巨獣」という言葉をもってしては、その全体像を正しく余人に伝えることはできまい。

 それは、身の丈にして五十メートルを超える、文字どおりの「怪獣」だった。

 人々が想像世界でしか目にすることのできなかった畏怖の象徴。

 その外見のディテールこそ、先に雷牙が倒したあのタルタロスとかいう機界獣と酷似している。

 だが、圧倒的なスケールの差が、その類似点をまったく意味のないものとしていた。

 やがてその全身を衆目の前に現した「怪獣」が、地響きを立てて大地の上を踏み締めた。

 腹の底に響き渡る吠え声が、天に向かって叩き付けられる。

 恐ろしいほどの威圧感だった。

 そんな代物が灼熱の突風となって、瓦礫混じりの市街地を爆発的に吹き抜けていく。

「嘘……嘘よね。あんなのが、この地球上にいるわけなんて……」

 ふらりと足元を揺るがせシーラは呟く。

 目の前に広がる光景が、その自我を崩壊寸前にまで追い詰めていた。

 絶望的な戦力の違い。

 圧倒的なまでの禍々しさ。

 そうした現実を、これ以上なく直接的な形で突き付けられてしまったからだ。

 そんな彼女を咄嗟に支えたもの。

 それは、背中から力強くその肩を掴んだ轟雷牙の両の手だった。

「あれはリザレクトプログラムです」

「リザレクトプログラム?」

「はい」

 うろたえるシーラを落ち着かせようとしてか、努めて冷静に彼は語った。

「直前の戦闘データをもとにして倒された生体兵器の肉体を拡大再生する、最新型の戦闘システムです。ブンドール帝国めッ! もう機界獣への実装に成功していたのかッ!」

 ドクター=アンコックの高笑いが大音量で響き渡ったのはその時だった。

『うわははははは。若造ッ! いかに貴様個人の戦闘力が高かろうとも、このタルタロス=ギガンティックには手も足も出まいッッ!』

 怪獣の頭部に設けられたコックピットの奥で、その醜怪な老人は大笑しながら勝ち誇った。

『宇宙刑事警察機構の小賢しい目論見も、我がブンドールの偉大なる科学力の前には蟷螂の斧だったということじゃ。無論、この惑星ほしにある軍隊のごときでは、タルタロス=ギガンティックに傷ひとつ付けること適わぬッ! 敵ではないッ! 敵ではないのじゃッ!

 それをいまから証明するため、この儂自らがここら一帯にある原住民どもの住処をことごとく灰燼に帰して進ぜよう。

 小癪な宇宙刑事よッ。貴様はそこで、おのれの無力さをとくと味わっているがいいッ! うわはははははッ!』

「あんなのに勝てるわけ……勝てるわけなんてないよ」

 神経を逆なでするドクター=アンコックの嘲笑を否応なしに聞かされたシーラが、ゆっくりと首を振りつつ呟いた。

「小さい時の怪獣だって自衛隊がやられちゃうほど強かったのに、あんな大きなのが相手じゃ太刀打ちなんてできるわけないッ!」

 彼女の見せた恐慌は、如何ともしがたい自然の驚異、例えば台風や地震、火山の噴火、あるいは隕石の落下のようなものに直面した者たちが等しく抱く、率直極まる反応だった。

 本能に近かったとさえ言える。

 普通に考えれば、そう易々と収まりを見せるようなものではなかっただろう。

 だが、それに対する特効薬は思いがけないほど近くにあった。

「大丈夫ですッ!」

 絶望に半ば足首を掴まれつつあったシーラをその寸前で救出したのは、雷牙の放った力強いひと言だった。

 溢れる自信に満ち満ちた表情で、少女に向かって彼は告げる。

「僕はあなたと約束しましたッ! この惑星ほしの平和とあなたの未来とを、命に代えても守り抜いてみせると!」

「えっ?」

 シーラは、この青年がいったい何を言わんとしているのかを、とんと理解することができずにいた。

 いや確かに、彼が何を言いたいのか、そして何を言っているのか頭ではわかる。

 わかるのではあるが、その一方で、青年が自ら口にした意気込みをいったいどうやって現実のものにしようとしているのかがさっぱりわからずにいるのであった。

 もしかして、その場しのぎの大言壮語を口にしただけ?

 とりあえずわたしを安心させるため、わかりやすい気休めを言ってみただけ?

 そんな当惑と疑惑とが混じり合った視線を送ってくる少女の眼前で、黄金の鎧をまとった宇宙刑事は空を仰いで絶叫した。

「ドラゴニックブラスターァァァァァァッッ!」


 ◆◆◆


 最初の変化が生じたのは、この地よりはるか離れた海の底でのことだった。

 いわゆる「七つの海」と呼ばれる大洋の深み。

 その深淵で、長きにわたって沈黙していた鋼鉄の意志が、それぞれ同時に目覚めの刻を迎えたのだ!

 それは、神話で語られし名を持つ合計七体の「巨人」たちであった。

 大西洋からは「ファフニール」が、

 地中海からは「レビヤタン」が、

 カリブ海からは「ケツアルクアトル」が、

 メキシコ湾からは「ウンセギラ」が、

 太平洋からは「オウリュウ」が、

 インド洋からは「ヴリトラ」が、

 北氷洋からは「ミドガルズオルム」が、

 波打つ海面を突き破り、秒速三十万キロの光の帯となって上空高く駆け登って行く!

 秒を経ずして、それらの「巨人」は、おのが主轟雷牙の膝下に集結。

 次々と合体変形を繰り返し、我が身をもってひとりの「巨神」を形作った!

 逞しい腕。

 太い脚。

 重厚な胸板と引き締まった腹部。

 その形容は、戦う「おとこ」、「戦士」のそれを模したものだと断言できる!

 雄々しい表情を湛える「巨神」の頭部。

 その額には、エメラルドカラーのクリスタルが燦然とした輝きを放っていた。

 それを認めた宇宙刑事が、掛け声一閃、大地を蹴る!

 軌跡を残して飛び込む先は、煌めく宝珠の中心だ!

 クリスタルから伸びる導きの帯が、彼の身体を胎内に誘う!

 融合が完了!

 透明感ある緑の光がルビーの赤へと一変した!

 上部に伸びた一本角が扇のごとく左右に展開!

 フェイスガードが勢いよくクローズ!

 後頭部に燃え上がった紅蓮の炎が、深紅のたてがみとなって風にそよいだ!

 両の拳を腰の高さで不敵に震わせ、はがねの武神が天に向かって轟吼する!


『翔龍機神ッ! ゴゥッ! ラィッ! ガァァァァァァッッ!!!』


 ◆◆◆


『莫迦なァッ!』

 その姿を目の当たりとしたドクター=アンコックが、コックピットの中で狼狽した。

『全宇宙に十六人しかおらぬSS級エージェントが、何故こんな辺境の星にィッッッ!』

『ブンドールの手先めッ!』

 鋼鉄の指先を突き付けながら、断固たる決意とともに「巨神ゴーライガー」は宣った。

『この星で何を企んでいるのかは知らないが、このゴーライガーがいる限り、おまえたちの好きにはさせないッッ!!』

『ぬうう……おのれ、おのれ、言わせておけばッ』

 醜怪な老人が、身を震わせつつ歯軋りする。

『タルタロス=ギガンティックよ! あの若造におまえの力を見せてやるがいいッ!』

 命令一下、魁偉な巨獣タルタロス=ギガンティツク眼前の巨神ゴーライガーに向かってまっしぐらに突撃した。

 図太い両足が地面を踏み締めるたび、周囲を揺るがす地響きが発生する。

 受けて立つゴーライガーと機界獣とが、がっぷり手四つで組み合った。

 押し合いを始める双方の関節が、音を立てて軋む。

 その渾身の力比べは、当初、頭ひとつ分大柄なタルタロス=ギガンティックに優位な状況かと思われた。

 事実、その最初のひと押しに接し、ゴーライガーの膝はわずかに屈したかのようにうかがえた。

 だが、それはまったくの錯覚だった!

 バキバキッという骨の砕ける音とともに、ゴーライガーの太い指がタルタロス=ギガンティックの手を握り潰していく!

 凄まじいばかりの握力だった。

 抵抗の間もなく左右の手を粉砕され、タルタロス=ギガンティックは悲鳴を上げながら後退した。

 文字どおりの力勝負から、一目散に逃走を図ったのだ!

 距離を置くのに成功した巨獣は、間を置かず、そのおどろおどろしい口腔から青白い業火を吹き出した。

 天然石すら気化させる、摂氏三万度の超火炎だ!

 およそ地球上に存在する大概の物質が堪えきれないほどの高温プラズマ!

 しかしながら、それほどのものをもってしてもゴーライガーの装甲表面には焦げ目ひとつ付けることができなかった!

 『そんな莫迦なッ!』と、コックピットの中で目をむく敵を鼻で笑い、鉄の巨神は突き出すように胸を張った。

 『どうしたッ、それまでかッ?』と、まったく無傷の自分自身を強調しつつ、『ならば、今度はこちらから行くぞッ!』と、叩き付けるがごとく宣言する。

 鳩尾の前で向かい合わせたゴーライガーの両の掌。

 その中間に、突如としてバチバチという破裂音をともなう電光が出現した。

 瞬く間に抱えきれない大きさへと成長したそれを高々と頭上に掲げ、ゴーライガーは雄々しく叫ぶ!

『ジュラシックサンダーァァァァァァッッ!』

 全身を躍動させながら、巨神の両手がその電光を投擲した!

 目映いばかりの光の槍と化したそれが、巨獣の腹を真正面から貫く!

 タルタロス=ギガンティックのコックピット内部におびただしい量のスパークが走り、それを受けたドクター=アンコックの喉の奥から『ぎゃああッ!』というわめき声が迸った!

 だが、ゴーライガーは追撃の手を緩めない!

『雷神剣ッッッ!!!』

 真上に向かって突き上げられた鋼鉄の拳から、光の球が天空高く放たれた。

 時を経ずして上空に濃密な黒雲が巻き起こる。

 黒雲はすぐさま重厚な雷雲へと変化。

 地上にいる巨神めがけて目も眩まんばかりの轟雷を降らせた。

 そのいかづちを受け止めたゴーライガーの手中に、一本の長剣が現れ出でた!

 剣というにはあまりに分厚く大雑把すぎる、見てのとおりのはがねの塊!

 その鉄塊を肩口に構え、巨獣めがけてゴーライガーは突進したッ!

『おおおおおおおおおおおおォォォォォォッ!』

 雄叫びを轟かせ、鉄の巨神がおのれの剣を振り下ろす!

『ファイナルッ! エクスプロージョンッッッ!!!』

 斬ッッッッッッ!!!

 すれ違いざまに落下した雷神剣の切っ先が、勢い余って地表を穿った!

 タルタロス=ギガンティックの体表に、輝くひと筋の線が走る!

 次の瞬間、超新星の光が煌めき、小山のような機界獣の巨体が跡形もなく消し飛んだ!

 面積を急速に増した光の筋が、内側から噴出するエネルギーの奔流をいざなったのだ!

 轟音とともに真っ赤な火柱がそそり立つ!

 熱風がッ!

 圧力がッ!

 閃光がッ!

 それらすべてがあたり一面を鳴動させ、同心円状の衝撃波を大地の上に出現させた!

 タルタロス=ギガンティックの最期だ!

 その凄まじいばかりの衝撃波を、鉄の巨神ゴーライガーは、おのが背中で受け止めた!

 紅いたてがみが激しくなびき、風切り音が容赦なく鳴り響く!

 だが、逆手に持った雷神剣を地に突き立てたまま仁王立ちするゴーライガーは、その勇姿を微動だにすらさせない!

 それはまさしく勝利を掴んだ武神の偉容ッ!

 この惑星ほしの守護神たるに相応しい、堂々たる風格そのものであったッッ!


 ◆◆◆


 そんな巨神の背後に太く濛々と立ち上る黒煙の柱。

 その只中から一機の飛行物体が飛び出していったのは、爆発による衝撃がひと段落したと思われた、まさにその瞬間の出来事だった。

 それは、タルタロス=ギガンティックに搭載されていた小型の脱出機であった。

 戦いの敗北を悟ったドクター=アンコックは、おのが身の安全をその小さな航空機に委ねていたのである。

「おのれおのれ、ゴーライガー……」

 醜怪な老人は手前の操縦桿を巧みに操りながら、その場で激しく地団駄を踏んだ。

 狭いコックピットの中で醜い顔を歪ませつつ、憎悪もあらわに呪詛の言葉を吐き捨てる。

 忌々しげに彼は叫んだ。

「おぼえておれッ! この屈辱は忘れんぞッ! 次に会った時こそ、この儂の新たな作戦で、貴様を地獄に送ってやるッ!」


 ◆◆◆


「宇宙からの侵略者……そんなものが本当にいたなんて……」

 マンションの屋上ですべてを見届けた雪姫シーラが、呆然とそんな言葉を口にした。

 実際にこの目で見ても信じられない現実。

 でもそれは同時に、目を背けてはいけない絶対のリアルでもあった。

「事実です」

 混乱のさなかにあったシーラの背中を整合に向かって後押ししたのは、いつのまにかその真横へと歩み寄ってきていた宇宙刑事轟雷牙のひと言だった。

 黄金の鎧を脱ぎ去った彼は、染みひとつない逞しい素肌を陽光に晒しながら、シーラに向かって優しく告げる。

「でも安心してください。この僕が、必ずあいつらの野望を砕きます。そのためにこそ、僕はこの惑星ほしに遣わされたのですから」

「雷牙……」

 素に戻った宇宙刑事にさわやかな笑顔を向けられたその時、少女の心に暖かい何かが音もなく舞い降りた。

 安心感というか、それとも信頼感というか。

 具体的な何かとは言えないけれど、確実にそれらの感情に類する想いが、シーラの胸中を穏やかに満たしていく──…

 が、次の瞬間、唐突に彼女は気付いた。

 あれ? なんでわたし、このひとの胸板を生で見ているのかしら? と。

 嫌な予感がシーラの背筋を電光石火に貫いた。恐る恐るといった風情で、少女は視線の先を下げていく。

 逞しい胸板から、引き締まった腹部へ。

 そして、そのさらなる下方へ。

 彼女の口の端が、思わずひくっと痙攣した。

 そこに至った眼差しが、本来ならモザイク越しでしか表に公開してはならない物体を、ものの見事に捕捉してしまったからだった。

 ぼん、と音でもするのではないかと思うほどの勢いで、少女の顔面が朱に染まる。

 もしこの場に感熱センサーがあったなら、その頭上に発生したおびただしい陽炎の存在をも映像として捉えることができたかもしれない。

「だ、大丈夫ですか、シーラさんッ!」

 その急激な相好の変化に、雷牙は本気で動揺した。

 彼女の両肩をはっしと掴み、気遣いの声を紡ぎ出す。

「やっぱりどこかお怪我でもなさって──」

「ら・い・がぁぁぁぁぁ──……」

 そんな彼に向かって、シーラは身を震わせつつ言葉を返した。

 その全身から湧き起こる怒りのオーラが、背後の空間をぐにゃりと歪ませてさえ見せる。

 目の前の少女が放つただならぬ様子に、「な、な……」とたじろぎつつ後退する雷牙。

 そしてその次の瞬間、シーラは、まったく状況を掴めぬままうろたえるしかない宇宙刑事に向かって勢いよく口舌のハンマーを叩き付けたのだった。

「可憐な乙女になんてモノ見せつけてくれんのよッ! 莫迦莫迦莫迦莫迦ァーッ! このへんたーいッッッ!!!」

 バッチーン!

 身体中のバネをフル活用したシーラのトルネードビンタが雷牙の頬に炸裂した。

 顔面に真っ赤な手形を刻みつけられた宇宙刑事が、身を捩らせながら後方に吹っ飛ぶ。

「ぐはァッ!」

 この時、空中に華麗な放物線を描きながら彼は思った。

 ああ……機界獣よりシーラさんのほうがずっと怖い──と。

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