第六話:事件記者久美子・二十三才

事件記者久美子・二十三才6-1

 正体不明の武装テロリストによる会場襲撃。

 表立ってそう発表された前代未聞の異常事態こそ発生したものの、日本を舞台に開催されたサミットは、ほぼ日程どおりの終幕を迎えた。

 開催国日本の警備の甘さが国内外から非難を呼んだが、その一方、そこからの立ち直りの速さと迅速な被害極限ダメージコントロールは海外からの瞠目を受け、少なからず「国家」としてのステータス向上にひと役買う格好となっていた。

 最終日、参加した各国首脳は、改めてテロリズムとの対決姿勢を国際社会にアピールした。

 集まった報道陣を前に、共同文書が発表される。

「我々は、国際秩序を暴力でもって覆そうとする者たちに対し、断固たる決意をもって臨むことをここに宣言する」

 日本国首相・矢部新蔵氏によって読み上げられたその内容は──一部の平和運動家たちや反政府的メディアを除いてだが──おおむね好意的な評価をもって受け止められた。

 雨降って地固まる。

 サミット初日に発生した武装集団による襲撃は、むしろ国際社会の一致団結、その一助となったかのようにさえ思われたほどだ。

 しかし、それらサミット参加国が水面下で見せた動きをひとたび知れば、大多数の者たちは、それが上辺だけのものであったという事実を思い知ることとなっただろう。

 彼らは、あくまでも「国家」であった。

 「国家」とはすなわち、おのれと、そしておのれに属する人間たちへの利益誘導のために存在している。

 いわゆるボランティア精神とはもっとも縁遠い位置にある組織とさえ言えた。


 ◆◆◆


情報部CIAからの報告はまだかね?」

 アメリカ合衆国の首都であるワシントンD.C.中心部。

 ペンシルバニア通り1600番地に存在する白い建物ホワイトハウスの執務室で、同国大統領、バルク=オズマ氏は苛立ち気味に部下へと尋ねた。

「サミットが終わって丸一日。毎年膨大な予算を費やしている割には、随分と暢気な仕事ぶりではないか。子供の使いではないのだぞ。国庫から潤沢なサラリーを受け取っている優秀なスタッフたちは、あの極東の島国の中でいったいいつまで手をこまねいているつもりなのだ」

「申し訳ございません、ミスター・プレジデント」

 半ば叱責にすら近い質問を受けたその人物──大統領補佐官は、それでも表情ひとつ変えることなく仕える主人に相対した。

 彼は謝罪の言葉を述べつつも、緩やかに情報部擁護の論陣を張る。

「しかしながら情報部は、これまでまったくノーマークだった人物との接触にはやはり相応の段取りを要するものだという立場を表明しております。また人道的な観点におきましても、あえて国外で強圧的な手段を採ることは得策ではないと考えられます。ましてや、舞台は同盟国の国内です。選択できる方策が限られたものとなることは、ある意味、必然のことと申せましょう」

「わかっている」

 補佐官の言葉に大統領は応えた。

「だが、事が一刻を争うのもまた事実だ。あのふたりの人物──トドロキ=ライガという若者と彼と行動を共にしていたシーラという少女。あれらは間違いなく、異星人国家エイリアンネーションとの繋がりを持つ者たちだ。安全保障上、あのような重要人物を日本という無責任な国家に預けてはおけない。危険極まる! 彼らの身柄は、我々のように人類全体に責任を持つ国家にこそあるべきだ!

 そして、彼らの後ろ盾となることによって初めて、我がアメリカ合衆国は星空の彼方にいる友人たちより、『この惑星上における唯一正統な政府機関』としての立場を認められることになる。その栄誉ある地位を、他の国々に先んじられるわけにはいかないのだよ」

「仰るとおりです、ミスター・プレジデント」

「大きな利益を得るためには、時として危険な賭をすることも必要だ」

 難しい顔で大統領は補佐官に告げる。

「情報部には、強硬手段という選択肢も考えさせねばなるまい。

 何、その結果、日本政府がうるさいことを言ってきても、別のあめ玉をなめさせることでいくらでも口封じはできる。あの国は、民主主義国家とは名ばかりの官僚国家だ。それも営利企業と根本で癒着した、な。だからその大本たる企業体さえ手懐けておけば、彼らが勝手に自国の政府を圧迫する。あれらが欲しがるのは利潤だけだ。それを得るためであれば、母国の滅亡すら厭うまい。

 まあ、そのことに関してはこちら側としても同じことだが、それは後々に約束された莫大な利益で十分以上に説得できる。特に軍産複合体の連中は、目を血走らせて私の選択を支持するだろう。そうなれば、国内世論も押さえ込める。民衆というものは、正義の御名と生活の安定さえ保証されるのなら、他国に対する政府の悪手ごときで文句を言うような生き物ではない。それはそれで、いささか哀しい現実かもしれんがな」

 執務室に据えられた電話から呼び出し音が迸った。

 ともにぎょっとした表情で、オズマ氏と補佐官とがそちらのほうへと目を向ける。

 それは、内線からの呼び出しではなかった。

 外線からのものだ。

 つまり、この部屋の主人たる大統領への直通回線、すなわちホットラインが繋がったということである。

「どこからだ?」

 オズマ氏は訝しげに電話機のディスプレイをのぞき込み、そして次の瞬間、その場で全身を凍り付かせた。

 驚愕の余り、顔全体から表情というものが消失している。

「ミスター・プレジデント?」

 血の気を失い青ざめた大統領を心配し、補佐官が駆け寄るように声を掛けた。

 だが、当の本人にその声が届いている様子はない。

 大統領は受話器を取り、その向こうにいる何者かと一方的な会話を始めた。

 補佐官は、おのれの主が何を言われているのかをうかがい知ることはできなかった。

 されど、それが対等な交渉事でないことぐらいは容易に想像が付いた。

 「はッ、はッ」と短く了承の声を上げる大統領の顔色は、まるで悪戯を強面教師に咎められたジュニアスクールの学生のごときだ。

 やがてそんな拷問から解放されたオズマ氏が、そっと受話器を本体に戻した。

 その表情があからさまな苦渋の色に満ちている。

 額に脂汗を滲ませ、ぎりっと奥歯を噛み締めたのちに、彼の唇は眼前の忠臣に向け新たな指示を紡ぎ出した。

「情報部への命令は全面的に撤回する」

 オズマ氏は告げた。

「我々アメリカ合衆国は、本件から完全に手を引く」

「いったい何があったのですか? ミスター・プレジデント」

 唐突な態度の変化に戸惑った大統領補佐官が、思わず左様問いかけた。

「いまの電話の主は、いったい誰だったのです?」

「『薔薇十字団ローゼンクロイツ』だ」

「『薔薇十字団ローゼンクロイツ』?」

「そうだ」

 拳を握り締めつつオズマ氏は答えた。

「『薔薇十字団ローゼンクロイツ』がそのことを望んだのだ。我が合衆国は、彼女らの意向に逆らうことはできない。逆らうことはできないのだ!」

「閣下。ローゼンクロイツとはいったい……」

 あまりに異様な主の姿に、つい補佐官は尋ねてしまった。

「窓口だ」

「窓口?」

「ああ、窓口だ」

 大統領はそれに応えた。

「ローゼンクロイツとは、この宇宙に君臨する広大な異星人国家、その一方の勢力に対する正規の窓口なのだ。我々人類は、あの者たちからの統制を受けつつ、これまで近代文明を発展させてきた。その点で言えば、あれらこそがこの惑星における真の支配者と言い切っても過言ではないのかもしれない。そう、そもそもこのアメリカ合衆国の成立自体が、あれらの意向に基づくものに過ぎないのだから!」

「……」

「補佐官。我々は彼の者たちの動向からいっさいの手を引く。

 私は偉大なるアメリカ合衆国の大統領として、愛する母国に衰亡への道を歩ませるわけにはいかない。たとえそれが何者かの思惑に沿った仮初めの栄光であったとしても、その栄えある光輝を私の代で亡失するわけにはいかないのだ!

 補佐官。これよりすぐCIA長官に伝えてくれたまえ。我々は彼の者たちの動向からいっさいの手を引く。これはアメリカ合衆国大統領としての正式な命令である、と──」

「はッ!」


 ◆◆◆


「ひとは皆、それぞれが『分』というものを持ちます」

 静かに受話器を置きながら、セントジョージ女学院理事長・雪姫松乃はそう言った。

「『分相応』 『分をわきまえる』 『分に応じる』

 これらの言葉が示すとおり、人間が持って生まれた『分』というものには自ずから定められた限界があるのです。理想論者は人間の持つ無限の可能性とやらに言及しますが、しょせん、ひとはひと。決して『神』にはなれません。

 ゆえに、たとえひとがその『分』を越えたものに手を伸ばそうとしても、それはおそらく奈落の底への一里塚。暴挙、と言い換えても構わないその決断が実行者に良い結末をもたらすようなことは、まず間違いなくないでしょう。

 ですが、そのことを理解していない方が多々おられるのもまたこの世の真実。

 いつの時代であってもひとがひとである限り、自身に都合の良い願望に魅せられた者たちが危険な橋を渡ろうとする可能性を排除することはできません。それが、数多の人生を地獄の業火に巻き込むことになろうとも、です。

 あるいは、教理にあるひとの原罪とは、そのことを言うのかもしれません。

 ただ、そうした無謀な行いが世の中を動かすひとつの原動力となっているのも、否定できないもうひとつの真実です。

 頑迷な秩序による世界の停滞。それを打破するための、混沌という名の必要悪。

 その見え見えの悪手なくしては、この世の中も随分とつまらないものに成り果ててしまっていたことでしょうね。

 追露先生。あなたなら、その現実をどのようにお考えになられますか?」

「仰っておられる意味がよくわかりませんが」

 回答を求められた養護教諭──追露慶が冷たく応えた。

「むしろ、なぜそのような質問をこの私に?」

「純粋にあなたの意見が聞きたかったからよ、追露先生──」

 マホガニーの高級机を挟みつつ、対峙する美女に向かって松乃は告げた。

「──いえ、この場ではブンドール帝国の大幹部、オイロケー参謀とお呼びしたほうがよろしかったかしら?」

「すべてはお見通しだったということね。さすがだわ」

 追露慶ことブンドール三大幹部のひとり・オイロケーは、動揺する素振りも見せずそう言って笑った。

 彼女がこの部屋、すなわちセントジョージ女学院の理事長室へ呼び出されたのは、午後の授業が始まってからすぐのことであった。

 直接的な指示関係のない理事長からのダイレクトな召喚。

 そこに何か特別な事情があるのだろうということは、考えるまでもなく明らかだった。

 しかも高級な絨毯が敷き詰められた室内には、いま松乃と慶のふたりきりしかいない。

 分厚い木製の扉がぴたりと閉め切られているこの状況下では、中でどのような会話が行われているのかを外界に勘付かれる心配もなかった。

 いわば密談を行うには最適な環境であると言える。

 およそひと息で飛びかかれるほどの間合いを維持しながら、ブンドール帝国の女幹部はまっすぐ本題へと突き込んだ。

 言葉を飾らず彼女は尋ねる。

「で、お堅いローゼンクロイツの首領さまは、この私ごときにいったいなんの用があるのかしら?」

「特に何か用があるというわけではありませんことよ」

 柔和に微笑み松乃が答えた。

「ただね、あなたという人物がどれほどの器なのか、一度言葉を交えて確かめてみたかったの。あなたにとって、それでは理由にならないのかしら?」

 内々で身構えていた慶の緊張が一気にほぐれた。

 莫迦負けしたとばかりに肩をすくめ、ふふっと鼻を鳴らして破顔する。

 彼女の中で、ある種のモードが切り替わった。

「大した度胸ね。感心したわ」

 美女の唇が会話を繋ぐ。

「敵の重臣と知っていながらわざわざこのオイロケーを懐に招いた理由が、まさかそんな他愛ないものだったとはね。正直、予想もしていなかったわ。それって、もしかして自信過剰? それとも、単に私があなたに舐められているだけなのかしら?」

「それはまた、随分心外な物言いですこと」

 舌鋒を受け流し松乃は言った。

「ひとつだけ事実誤認があるようなので訂正させていただきますが、私はあなた方ブンドール帝国を強力な対立勢力として認めることはあっても、打倒すべき敵として認識したことは一度たりともありませんよ」

 「ほぅ」と興味深げに視線を向ける妖女を前に、この老婦人は教え子たちに対する時と変わりない口調をもって話し続ける。

「もちろん、私は帝国の振る舞いが正しいなどとは微塵も思っておりません。ことに、暴力をもって無関係の人々に恐怖と諦観とを植え付け、おのが意のままにその意思を左右しようとするあなた方お得意の遣り口については、これを唾棄すべき行いだと確信すらしております。

 ですが、それはあくまでも手段の是非を問うものです。用いられた手段自体が断罪すべきそれだからといって、目指す目標そのものが否定される謂われはありません。

 そうではありませんか、追露先生?

 私はね、時々こう思うのです。場合によっては──そう、もし建設的な話し合いによってそちらとこちらとの間にある種の同意が得られるのであれば、あなた方と私たちとの関係に新しく『共存』という選択肢が開かれるようになるのではないかと」

「まるで虚けの夢物語のよう」

 にやりと笑って慶が応じた。

「でも、実現すれば確かに面白いことになりそう。気に入ったわ」

 そして、「そう。お気に召していただいて私も嬉しいわ」と頬を緩める老婦人に向け、険しさを帯びた視線を放つ。

 彼女は言った。

「天秤教徒……まさか、こんなところでお目にかかれるとはね」

「それはこちらの言う台詞」

 慶の気迫をさらりと流し、顔色ひとつ変えず松乃は応えた。

「節度ある秩序と、制御された混沌。ローとカオスのどちらが正しいというのではなく、どちらも正しく、そしてどちらも間違っている。

 燃えさかる炎は、家を焼き、ひとに火傷を負わす恐ろしい存在ですが、使い方さえ誤らなければこれほど有用なものもありません。また、流れる水は、その周辺に命を育み、ひとの身に多くの恵みを与えてくれますが、時として荒れ狂う濁流となってたくさんの幸せを押し流す脅威ともなります。

 ことの善悪、ことの是非を定めることができるのは、ただ天におわす我らが主のみ。その主の御心をすら満足に理解できぬ人間風情が、この世の何が正しくて何が間違っているのかを正しく見定めることなどできようはずもありません。そう、そのような『分』は、初めから限りあるひとの身になど与えられていないのですから。

 賢明なあなたであれば、もうおわかりのことでしょう? だからこそ、私たち人間は運命の天秤を自らの意志で大きく傾かせるわけにはいかないのです。

 すべての審判は、いずれ全能たる神の御手にて成されます。いえ、成されなくてはならないのです。

 そして、その時になって改めて神の御心を煩わせぬよう、私たちは為すべきことを為し続けなくてはなりません。それこそが、我らキリスト者が主より与えられし第一の責務なのだと、私は心から信じております。

 追露先生。今日、直接あなたとお話ができて、とても嬉しく思います。私のほうこそ、帝国上層部にあなたのような同志の方がおられるとは夢にも思っておりませんでしたから。これぞまさしく神の采配ですわ。あまりに見事なその目論見に、いまは感謝のしようもありません。

 そこでひとつ、この出会いを記念して私からあなたにささやかなお願いがあるのですけど、宜しく聞いていただけますかしら?」

 そんな老婦人の申し出を、慶は無言で受諾した。

 なんとも鷹揚な態度で頷きつつ、口元を不敵に綻ばせることで回答に代える。

「ありがとう」

 感謝の言葉をひとつおき、両目を細めて松乃は言った。

「実はね、私、今後ともあなたとは互いに力を合わせ、仲良くやっていけるところは仲良くやっていきたいと思っているの。もちろん、連邦が、とか、帝国が、とかいう小難しい関係ではなく、あくまでも私とあなたの間の個人的なお付き合いで、っていう限定的な意味合いではあるのだけど」

「結構な話だこと」

 そう返しながら美女は、わざとらしく片方の眉を吊り上げた。

「対立勢力の中に意を通じる相手を持つということは、政略上もっとも大切なこと。そんな魅力的な申し出を断るだけの材料はこちらにはないわ。謹んでお受けいたしましょう、雪姫松乃──いいえ、薔薇十字団長・クリスチアーネ=フォン=ローゼンクロイツ殿」

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