宇宙刑事と三ツ星将軍8―5

 鹿威しの音が静かに響いた。

 硬質の音波が空気を震わす。

 涼やかな風が優しく吹き込み、しっとりとした水の香りを柔らかく撹拌した。

 そこは、まさしく絵に描いたような日本庭園だった。

 もちろん、全国の名勝各地と比べられるほどには大きくない。

 しかしながら、錦鯉の回遊する人工池や苔むした庭石、敷地の各所に配された草木などを見るにつけ、これを「日本庭園」という言葉以外で表現するのは無理難題だと思われた。

 高校教師・轟雷牙が教え子衆道七海の手で案内されたのは、そんな空間に隣接する広々とした座敷だった。

 典型的な書院造り。

 広さは余裕で二十畳はある。

 障子戸は大きく開け広げられ、風雅な庭の全景を中から楽しむことさえできた。

 座敷の中央には、幅六尺はあるだろう和風のテーブルが鎮座している。

 脚は若葉で材質は黒柿か。

 パッと見だけでも高級品であることは明白だ。

 そんなシロモノを挟んで座すのは三名の男女。

 一方が男性と女性とがひとりずつ。

 そして対坐するもう一方が男性ひとりという組み合わせである。

 縁側から見て奥のほう、すなわち上座の側に胡坐をかくのは、がっしりした体躯の壮年男性だった。

 年の頃は五十をやや超えたあたりであろうか。

 飾り気のない灰色の作務衣をまとい、腕組みしながら対面の二人を見詰めている。

 相好に刻まれた深いしわと重々しい眼光とが、そのつわものぶりを見る者すべてに保障していた。

 現代的なスマートさとは、まったく縁遠い人物である。

 あえて何かに例えるとするなら、無礼な道場破りを出迎えるベテランの武芸者にそれは似ていた。

 もっと大袈裟に言うなら、万の軍勢を率いる将のごとくとでも言えようか。

 醸し出す空気が、常人のとは明らかに異なっていた。

 積み重ねてきた年輪が、まともな量のではなかった。

 もっとも彼の側としては、狙ってそういう自分自身を表に出しているわけではないようだ。

 むしろ、なるべく職責を相手に見せない、そんな心遣いすらがところどころ垣間見えるようであった。

 にもかかわらず、この威圧感と存在感である。

 少なくとも、平和国家に生まれ育った昨今の若者であれば、委縮すること疑いなしの貫禄だった。

 間違いなく、並大抵の人物ではない。

 コワモテのヤクザが可愛い小僧に見えるほどの風格であった。

 だがしかし、彼と向かい合う眼鏡の若者に尻込みする気配など微塵もなかった。

 轟雷牙──過去どれだけの修羅場を潜ってきたものか知れないSS級の宇宙刑事にとって、この程度のプレッシャーは微風の範疇にも含まれないのだろうか。

 若者は、圧倒的な眼力に晒されつつも、柔和な微笑をいっさい崩壊させなかった。

 これが異星人戦士エイリアンソルジャー・轟雷牙か──…

 その男性、日本国自衛隊統合幕僚長である衆道洋介陸将は、心の中で感嘆の言を漏らした。

 なお感覚を研ぎ澄まし、無言のまま、見えない作業に念を込める。

「そろそろ値踏みは終わりましたか?」

 若者がそう尋ねてきたのは、それからすぐのことだった。

 彼の真横では、衆道家の跡取りである眼鏡娘七海が、我関せずとばかりに熱い緑茶をすすっている。

 座布団の上に正座し、凛とした眼差しで背筋を伸ばす長身の男性。

 見た目だけならおのれの半分ほどしか生きていないようなそんな若人に促され、洋介はやんわりと破顔一笑してみせた。

「気付いていたのかね?」

「ええ、まあ」

 唐突極まる問いかけに、雷牙もまた軽い笑顔で対応した。

「先ほどから何度も、僕のことを斬り付けていらっしゃいましたよね?」

「すまない。初対面の客人に失礼だとは思ったのだがね。どうしても好奇心のほうを抑えきれなかった」

「まずは正面からの唐竹割」

「実にあっさりとかわされた」

「続けざまに横から首に」

「あと数センチで届いたのだが」

「振り終わると同時に片手突き」

「翻すや否や踏み込まれた」

「間合いを取られたのは賢明な選択でした」

「残念ながら、それしか思いつかなかったのだよ」

「お見事です」

「嫌味かね?」

「いえ。本心からの言葉です」

「そうか。では、ありがたく承っておこう」

 同じ空間で展開するおとこ二人の奇妙な遣り取り。

 正直な話、何を言っているのかが理解できず、七海は瞳をくるりと回した。

 さもあろう。

 一介の女子高生である彼女にとって、それを為すのは不可能事とイコールだった。

 ではこの時、七海の父親である洋介は、いったい何をしでかしていたのか。

 端的に言おう。

 彼は、目の前に座す若者に対し、イメージを用いた斬撃を仕掛けていたのである。

 それは、達人クラスにのみ可能な、高度極まるコミュニケーションだった。

 相手が相応のレベルに達してなければ、自慰の類ともみなされなかっただろう。

 武芸の心得を持たぬ者であれば、気付くことさえ至難であった。

 だがこの若者は、いともたやすく投げられたボールを受け止めた。

 いや、受け止めただけにとどまらず、見事なフォームでそれを投げ返すことさえしてみせた。

 洋介は改めて感嘆した。

 かつておのれが率いていた猛者たちのうちでも、この域にまで辿り着いた連中は片手で数えられるほどしかいない。

 陸上自衛隊特殊作戦群SFGp

 各隊より選りすぐられた化け物どもを対象にしてそうなのだから、その能力は、衆をはるかに超えているとみて間違いあるまい。

「お見事です、先生」

 先ほどの雷牙の言葉を、洋介もまた口にした。

 「部下に欲しい」という欲望を即座に呑み込み、続いて小さく頭を下げる。

「七海の父、洋介です。お見知りおきを」

「こちらこそ」

 宇宙刑事もそれに応じ、ペコリと頭を垂らして見せた。

「衆道さんの担任を務めさせていただいている、轟雷牙と申します」

「轟先生、とお呼びして構いませんかな?」

「どうぞ、お好きなようにお呼びください」

「わかりました」

 ひと呼吸おき、洋介は大きく口を開いた。

「では先生。早速なのですが、あなたにお尋ねしたいことがあります」

「なんでしょう?」

「あなたはいったい──」

 その出来事が発生したのは、洋介が何かを口にしようとした、まさしくその矢先でのことだった。

「失礼します」

 野太い声と同時に奥の和襖が開かれた。

 「ちょっと! 痛いじゃないッ! 離しなさいよッ!」という女性の声が、勢いよくそのあとを追う。

 合計六つの眼差しが、声のした方向へと集中した。

 その眼差しを掻き分けるように座敷の中へと踏み込んできたのは、堅肥りした悪相の男だった。

 ジーンズにポロシャツ、頭部には帽子代わりに青いバンダナを巻いている。

 年齢は、三十路の半ばかそこいらといったところ。

 左の頬に刻まれているのは銃創だろう。

 雰囲気だけでも、歴戦の勇士であることがはっきりわかった。

 そんな彼に続いて現れたのは、唇の厚い眼鏡の男とまだうら若き女性が二名だ。

 恐らく二十代だと思われる眼鏡の男のほうは、よく言って猿顔。

 丸刈りの短髪がその顔付きを強調していて、不幸にもわずかばかりの気持ち悪さを醸し出していた。

 一方、彼に押されて姿を見せたふたりの女性は、そんな男たちとはまったくアンバランスな容貌だった。

 ひとりは眼鏡をかけた東洋人。

 顔の作りは悪くないが、化粧っ気のなさが徹底的な地味っぷりを構築していた。

 だが男物の服を着たもうひとりの女性は、その金髪と碧眼とが物語るとおり、絵に描いたような西洋人だ。

 それも、端正という表現すらが陳腐に思える人外の美貌と、二次元の中でしか見られないような現実離れしたスタイルの持ち主。

 一度目にしたら二度と忘れられそうにない、それほどのインパクトを見せる美少女であった。

 その両名ともが眼鏡の男に後ろ手を取られ、身動きの取れない状態を強いられている。

「シーラさん! 久美子さん!」

「シーラちゃん! 久美子さん!」

 彼女らの姿を認めた刹那、雷牙と七海のそれぞれの口から、重なるようにふたつの名前が飛び出した。

 そう。

 そのふたりは紛れもなく、雷牙と七海のよく知る女性──雪姫シーラと小山内久美子の両名であった。

 なぜこのふたりがこの場所で囚われの身になっているのか。

 その経緯いきさつが語られるのより早く、宇宙刑事が行動を起こした。

 瞬間的にいきり立ち、弾かれたように立ち上がる。

「おいキサマッ! いますぐそのふたりを開放しろッ!」

 感情的な言葉が雷牙の口腔から迸った。

 それは、七海が知っている普段の彼とは、まったく異なる反応だった。

 少なくとも、天然ボケにそのまま服を着せたような、あの担任教師の行いではない。

 戸惑う少女の姿をよそに、鋭い眼光が堅肥りの男めがけて発射された。

 修羅場を潜った豪の者でも、ひるみかねない熱量だった。

 だがそんな雷牙を、男は静かに右手で制する。

「まあ待ちなよ、兄さん」

 呆れたように男は告げた。

「この娘っ子たちはな、そこの塀乗り越えて屋敷の中をデバガメしようとしてたんだぜ。いわば、立派な犯罪者だ。そいつを現行犯で捕まえた俺たちが、第三者のあんたに睨まれるいわれなんて、これぽっちもないと思うんだがね」

 驚くべき胆力であった。

 常人レベルのそれではない。

 言いながら彼は眼鏡の男に目配せをする。

 仲村、と、その名を呼ばれるや否や、眼鏡の男はふたりの女性から手を離した。

 解放され、つんのめるようにして座敷の中に進入を果たす両名。

 ふたりともがその場でストンと膝を突き、なんともバツが悪そうにニヘラと相好を崩してみせた。

「加藤君」

 落ち着いた声色で洋介が言った。

「どうやら彼女たちは、七海や先生の知り合いのようだ」

「そのようですな」

 加藤と呼ばれた堅肥りの男が、不敵に笑ってそう答えた。

「で、どうなさいます、このふたり? 自分らとしましては、陸将のお心のままに、としか言いようがありませんが」

「そうだな」

 苦笑しながら洋介は応じた。

「お嬢さんたち。我が家に何用かをうかがうまえに、まずお名前のほうを聞いておこうか?」

「雪姫……シーラ」

「小山内久美子です」

「雪姫さんに小山内さんか」

 言いながら洋介は苦笑いを浮かべた。

 片手で雷牙に着座を促し、その完了を見届けると同時に柔和な口調でふたりに尋ねる。

「で、おふたりは我が家にいったい何の御用がおありですかな?」

「御用って言われても……ねえ?」

「そう改めて尋ねられると……」

「おやおや。屋敷の塀を乗り越えてスパイ活動を敢行しようとした勇者の台詞とは思えない勢いだ」

 とは言いつつも、シーラの名前を聞いた瞬間、洋介はふたりの抱いた魂胆を電光石火に理解していた。

 なるほど。

 彼女たちは、轟氏の動向をうかがいたくて仕方なかったのだな──と。

 雪姫シーラとは、確か宇宙刑事エイリアンソルジャーと同居している協力者の名だ。

 と同時に、娘・七海のクラスメートとも聞いている。

 おそらくだが、自衛隊高官洋介相棒雷牙との接触がどのような推移を辿るものかを、その目で確かめたくなったのだろう。

 確かに納得できる動機ではある。

 ある意味それは、他人事で済ませられるような出来事ではなく、我が身の未来にも関わってくる重大な邂逅に違いないのだからだ。

「ふたりとも。まあ、こちらに座りなさい。座布団はないが勘弁したまえ」

 膝を突いたままの両名に向け、手招きしつつ洋介は告げた。

「私と轟先生の会談に興味があるのなら、落ち着いて、存分にそれを聞けばいい。君たちには、そうするだけの権利がある。ただし──」

「ただし?」

「ここで聞いたことは他言無用であることを約束したまえ。そうでなければ、家宅侵入の罪で君たちふたりを警察に突き出す。轟先生も、それで構いませんな?」

「この国の法律がそうなっているのなら、僕が何かを言う権利などありません」

 洋介からの確認に、雷牙ははっきりそう答えた。

 続けざま、二人の女性に苦言を呈する。

「シーラさんも、久美子さんも、なんでこんな莫迦な真似をしでかしたんです?」

 強い口調で彼は言った。

「余所さまのプライベートゾーンに土足で踏み込むなんて、不誠実極まりない行いですよ。反省してください」

「ご、ごめんなさい……」

「ましてや、久美子さんは学生じゃないんですから、もっと責任の自覚を持ってもらわないと困ります。わかりましたか?」

「はい……」

「すみません」

 謝罪の言葉を口にして、高校教師は屋敷の主に頭を下げた。

「この場は僕に免じて、なにとぞ穏便に済ませてください。お願いします」

「お気になさらず、轟先生」

 右手を上げて洋介が笑った。

「子供の悪戯のような行為に、いちいち目くじらを立てたりはしませんよ。ははは」

「陸将」

 そんなふたりの会話の途中に、堅肥りの男が割り込んだ。

「自分たちはどういたしましょう?」

「そうだな」

 洋介が応えた。

「とりあえず同席してくれたまえ。不測の事態があったら困る」

「わかりました」

 頷きながら男は言った。

「屋敷の周囲は他の特戦群が固めています。ご安心ください」

「ありがとう」

 彼の言葉が終わるのを待って、洋介からの顔繫ぎが始まった。

「君たちに紹介しよう。こちらは陸上自衛隊の加藤かとう大輔だいすけ二等陸尉と仲村なかむら政徳まさのり三等陸曹だ」

 「加藤です」と堅肥りの男が会釈し、「仲村です」と眼鏡の男が頭を下げた。

「ふたりとも私の元部下でね。いまも、私のためにいろいろ働いてくれている。信頼できる者たちだよ。口は堅い。安心してくれたまえ」

 かつての上官から目配せされ、加藤と仲村の両名は、女性陣のあとを追うように移動した。

 シーラたちが座ったのは、雷牙たちから見て右手側のテーブル辺。

 一方、加藤たちのそれは、洋介から見て左後方の壁際という位置だ。

 着座するや否や、ふたりの陸上自衛官はおのおの数度目を巡らし、周囲の状況をリサーチする。

 その眼光は軍人の範疇を大きく超え、熟練のボディーガードを思わせるほどのものであった。

 だがしかし、仲村個人の注意力が高レベルであったのは、極々最初のうちだけだった。 

 残念ながら彼の目線は、視界に入った金髪姫を、ついついロックオンしてしまったのである。

 若さ溢れる女性美の塊。

 まあ健康な男子であるならば、注視するなと言うほうにこそ無理がある。

 だが仲村の場合には、ただ引き寄せられたというだけにとどまらなかった。

 豊かなバストは言うに及ばず引き締まったウエストから絶妙すぎるヒップラインまで、それこそ鑑定士が品定めするかのような執拗さでもって、シーラの身体をサーチライトのごとく這いまわったのである。

 眼差しに含まれた濃厚な色欲が、素人目にもうかがい知れた。

 第三者視点でも不快感を禁じ得ない、そんな嫌らしい目付きだった。

「改めて見ると……やっぱスゲエな」

 間を置かず、日本人離れした分厚い唇が、そんな言葉を紡ぎ出した。

 ゴクリと生唾を嚥下しつつ、仲村は下劣な思いを独り言つ。

「あんなでけえオッパイ、一度でいいから揉みまくってみてえ」

 あからさますぎるセクハラであった。

 あたりまえだが、それを聞き逃すようなシーラではない。

 鼓膜の振動が言語として認識された刹那、彼女の右のこめかみで何かが音を立ててブチ切れた。

 瞬時に顔面を紅潮させ、美少女は激昂の余り口の端を震わす。

「このッ!」

 変態がーッ!、と続けながら、身体を捻ってとこを蹴るシーラ。

 そして次の瞬間、彼女必殺のトルネードビンタが仲村の頬を見事一撃──するかに見えた。

 だが現実は、そうした予想を完膚なきまでに裏切った。

 なぜなら、シーラが仲村を殴打するより一手早く、その真横にいた加藤の拳が彼の顔面を直撃したからである。

「このボケッ!」

 真横に吹っ飛ぶ猿顔に向け、堅肥りの罵声が豪雨のごとく降り注いだ。

「か弱き乙女に欲情するとは、キサマ、それでも日本男児かッ! 恥を知れッ! このクズッ!」

 加藤の手による私的制裁は、シーラの怒りを拍子抜けさせるのに十分以上の効果があった。

 ひっくり返る仲村を尻目に美少女めがけて向き直った加藤は、その場で深く頭を下げる。

「申し訳ありません、お嬢さん。この莫迦には自分があとでじっくり言って聞かせますんで、どうか許してやってください。不憫な野郎なんです」

「え、ま、まあ、そういうことなら」

 有無を言わせぬ自己完結に、さすがのシーラも圧倒された。

 体育会系を上回る超体育系の存在に、度肝を抜かれたのだと評してもいい。

 これがいわゆる「可愛がり」って奴なのね、と、なんとなくだが納得した。

 誤解を恐れず言葉を選べば、無理やり自分を納得させた。

 だからだろうか。

 加藤の背中に突き刺さる私怨の意思を、彼女はまったく気付けずにいた。

 クソ……いつか殺してやる。

 仲村の口内では、言葉にならない恨み節が何度も何度も繰り返されていた。  

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