戦場は即売会!7-3

 宇宙刑事警察機構のSS級エージェント・轟雷牙の担当授業は、ひと言でいうと「科学」の分野に相当する。

 もっとも、単純に「科学」の授業と言ってはみても、「物理フィジックス」や「化学ケミストリー」といったような内容ごとの区別などは、あえていっさいなされていない。

 ぶっちゃけ言うと、それらすべてを一緒くたに雷牙ひとりが受け持っているのだ。

 端から見れば、随分異様な割り当てと言える。

 だが、これをいったん別の角度から眺めてみれば、それはある種の必然でもあった。

 いまの地球と比較すること数百年、いや下手をすれば数千年は進歩している宇宙刑事の世界にとって、いわゆる現代文明が持っている科学技術など、最先端の研究所から見た小学校の立ち位置未満だ。

 言い切ってしまっていいなら、それは小僧の手習いにすら及ぶまい。

 突如現世に出現した、生きて話せるオーパーツ。

 その知識の一部を少し表に出すだけで、ノーベル賞のひとつやふたつ、獲得するのは容易だろう。

 技術的ブレイクスルーに至っては、両手の指では収まるまい。

 早い話、この青年から見た高校レベルの科学など、初歩的すぎて専坦化の必要性を感じない代物に過ぎなかったというわけだ。

 例えるなら、世界レベルの数学者が児童相手に算数を教えるようなものか。

 もちろん、彼がそうしたアバウトな坦務を与えられた理由はそれだけではない。

 シーラたちの通うセントジョージ女学院は、よほどの問題がない限り高等部から大学部までエスカレーター式に進学できた。

 要するに、同校に籍を置く三年生の多くにとって、受験という名のハードルは、その目の前に展開していないも同然なのである。

 そしてその事実は、講義の消化試合化とほぼストレートに直結した。

 点取りゲームのテクニックが生徒側から求められていない以上、その帰結は、ある意味当然のこととも言える。

 公的な教師としての資格を持たない轟雷牙が新任教師としていち学年いちクラスを任されている、その真の理由がこれだった。

 受験講師としての役割を、彼は端から期待されていないのだ。

 その代わり、というわけではないのだろうが、学校サイドから望まれた雷牙の授業内容は、単位の取得にともなうそれではなかった。

「いわゆる知識と教養というものは、似たように見えて、やはり大きく異なるものです」

 初めての講義に臨む彼に向かって、学園理事長たる雪姫松乃は微笑みながらそう告げた。

「知識を得るということは、いわば手に入れた本を本棚に整理して並べるようなもの。それに比べて教養を得るということは、その並べた本の内容を他の誰かに自分の言葉で伝えられるようになるということ。私は、そんな風に思っています」

「全然同意します」

「今回、私はあなたに、本校の生徒たちがこれまで並べた本棚の本を自分の意志で手にとって、そして自分の意志でページを開くよう、その手助けをしていただきたいと思っているのです。そしてこれは、生業として教育の手段を学んできた人間には、おそらく決してできないこと──…」

「……」

「轟。私は本校の理事長として、あなたのすべてを信頼します。私の可愛い生徒たちを、どうかよろしくお願いしますね」

「ご信頼に背かないよう、全力を尽くします」

 かくして、理事長鳴り物入りの新任講師・轟雷牙が誕生した。

 そんな彼の授業は、生徒たちからの評判も極めて上々だ。

 なんといっても、野暮ったい黒縁眼鏡と地味な白衣で武装した宇宙刑事が、最先端の研究成果も裸足で逃げ出す新事実を、さも世間話のように繰り出してくるのである。

 探究心溢れるこの年代の少女たちにとって、その時間は、まさしく宝箱にも等しかった。

「先生!」

 この日の授業でも、クラスの少女たちは自ら積極的に質問の手を上げてきた。

 活発さで鳴るひとりの少女が、その評価を裏切らない勢いでもって雷牙に向かって問いかける。

 甲高い声で彼女は言った。

「この宇宙で暮らすのに、先生が一番大切だと思う才能ってなんですか?」

「才能ですか」

 教壇に立つ臨時講師が、微笑みながら即答する。

「それはですね、『物事の答えを自分で見付ける才能』なんじゃないかと、僕自身は思っています」

「物事の答えを自分で見付ける才能、ですか?」

「はい」

 黒板を背に雷牙は語った。

「宇宙には、唯一絶対に正しい法則なんて存在しません。例えば、君たち地球人がいろんな技術の前提としているさまざまなことわり──『質量保存の法則』とか『エネルギー保存の法則』とか、そのあたりの基本中の基本的な決まり事だって、宇宙全体から見たらほんの一部でしか通用しない物凄く狭い範囲の正解なんです」

「でも先生」

 質問した生徒が、彼の言葉に反論する。

「私たちのテクノロジーは、いま先生が仰ったそんな法則が正しいものとして運用されてます。それなのに『その法則は正解じゃない』なんて言われても、納得するだけの理由がありません」

「そう、それ。いまあなたが口にした『僕の主張に納得できない』というその気持ち。それこそが、この宇宙で最も大切な才能なんだと、いまの僕は考えます」

 そんな少女に雷牙は応えた。

「この宇宙で生きるために本当の意味でやっちゃいけないことは、それまで正しいとされてきたことをただ黙って鵜呑みにすること。そんな従属的な心構えを持ってしまうことなんじゃないでしょうか」

「従属的?」

「はい。実のところ、その時々で絶対に正しいとされてきた事柄だって、ちょっとしたきっかけでいくらだって覆るものなんです。この惑星ほしの歴史においても、そうした事実は探せばたくさん見出せるはずです」

 凜とした講師の声に、クラスの皆が傾聴する。

「いまを遡ること千年のむかし。高名な医師にして冒険家のC=H=ゼン船長が特殊探査船『デスクリムゾン』号でブラックホール『レッドドア』に挑んだ時、僕たちの科学は、この宇宙に存在するありとあらゆる物理法則が超重力の世界においては文字どおり雲散霧消してしまうのだという現実を、実地で観測することに成功しました。そうした異常な環境下においては、時が過去から未来に流れるという一見揺るぎなさそうに思えるルールでさえも、決して不動のものではなかったんです」

 雷牙の語りが、次第に熱を帯びてきた。

 少女たちの双眸に、好奇心の輝きが蛍のごとく舞い降りる。

「つまりです」

 宇宙刑事が締めにかかった。

「物事の正しさというものは、その場その場の状況においていくらでも変化しうるというわけです。もちろんこれは、科学の分野だけに留まりません。ひとそれぞれの立場、経験によるものであっても同様のことです。とある立場にいるひとにとっては正しかった判断。とある何者かにとってなら正しかった選択。でもそれは、あなたがたにとっても等しく正しいというわけではないんです」

「……」

「ひとという存在は、どうしても成功した前例をトレースしようとする傾向があります。なぜならそれが、ほとんどの場合において成功へと向かう近道にほかならないからです。

 だけど同時に、その道筋は万人に等しく正解をもたらしてくれるわけではありません。時には、その道を行く人々をまるごと破滅に導く、そんな結果をもたらすことさえあるんです」

 集中する視線を意識したものか、雷牙が小さく咳払いをする。

 そして自身の教え子たちをひととおり見渡したのち、微笑みながら畳みかけた。

「だからですね。皆さんは、自分にとっていったい何が正解なのかを他人の判断に委ねるたりせず、あくまでも自分自身の目と心でもって決めるようにしてください。そしてそのために、いまよりもっともっと多くの知識と経験を蓄積して、もっともっと広い視野を持てるよう一生懸命に自分を鍛えてください。

 研ぎ澄まされた正しさは、普通のひとにとってとても素晴らしいものに見えるかもしれません。皆さんの目にも、それが人生の最適解として映るかもしれません。

 でもそれは、あなたたちが無条件で自分の未来を託していいものであるはずがないんです。かつてその道筋を行った成功者は、あなたたち自身ではありません。立場も経験も違う他の人物の行く道は、その先々までずっとあなたたちの人生と重なり続けているはずなどないのですから。

 皆さん。どれだけ周りから無駄だ無駄だと言われようとも、自分の知識欲に貪欲であってください。それは、その無駄と言われている知識の中にも、あるいは未来の正解が隠れているかも知れないからです。

 もう一度言いますけど、この宇宙には絶対の正しさなどひとつもありません。何が正しく何が間違っているのか。その答えを見付けるのは、あくまでも皆さん自身であるべきです。そして皆さんが精神的な奴隷としての道を選ばないのであれば、その自分自身の応えに対し、きちんとした自信と責任とを持ってください」

 どこか哲学的な雰囲気を醸し出す宇宙刑事のその語り。

 それを耳にした少女たちの口から、「ほぉ~」っといった感嘆の声が漏れ出してきた。

 単なる理想論に聞こえかねないその説教を前に、皆が皆、ついいましがた言われたばかりの宇宙の禁忌──何が正解なのかを他人の判断に委ねる──を思わず犯してしまいそうになる。

 そうした独特の空気の中、シーラはそんな同居人の言動を微笑みながら眺めていた。

 頬杖を突きつつ、どこか頼もしげに見える眼差しを相手に向かって送り続ける。

 彼女の下に小さな密書が届けられたのは、それから間もなくのことだった。

 後ろの席の女生徒からそっと差し出されてきたメモ用紙。

 声を潜めてシーラは尋ねる。

「誰から?」

「七海から」

「七海から?」

 密書を受け取った金髪娘は、すぐさまそれを手中で開いた。

 目線を落とし内容を確認する。

 その紙面には、眼鏡娘からの要求が短い文で記されていた。

 ねェ、シーラ。良かったら、例の即売会に轟先生も連れてきてくれないかなァ──と。

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