宇宙刑事は女子校教師!2-4
なんでなんで、なんでこんなことになったのよッ!
誰もいない更衣室のロッカー前。
好奇の渦から逃げ出した先のその場所で、白いキャミソール姿となったシーラは奥歯を噛み締めそう思った。
知らず知らず右の拳に力がこもり、もやもやとした怒りが腹の底から込み上げてくる。
あいつめェ~。
どうやってお祖母ちゃんに取り入ったのか知らないけど、帰ったら絶対にお仕置きしてやる。
そう、折檻よ、折檻!
徹ッ底的に折檻してやるんだからッ!
思い出すたびに身体が震えるあの瞬間。
だったらわざわざ思い出さずばいいものを、シーラは幾度となくその時を反芻し、ぎりぎりと歯軋りを繰り返すのだった。
「今日から君たちと一緒にこの学校で勉強していくことになりました、轟雷牙と申します」
彼の宇宙刑事がそう言ってのけた時、シーラはぱくぱくと口を開閉させながら、ひと言も発することができずにいた。
まさかまさか、まさか
何度か彼が自分めがけて手を振ったような気もする。
だが、そのアクションが実体験として心に届くようなことはなかった。
はっきり我が意を取り戻したのは、たっぷりひと呼吸たってからのことだった。
「じゃあ、何か質問があったら受け付けます。僕の答えられるようなことであれば、なんでもどうぞ」
きっかけは、雷牙の放ったその言葉だった。
当たり障りのない質問と回答とがいくつか繰り返されたのち、遂にその問いかけが彼に対して向けられた。
「先生! お住まいはどちらですか?」
席の最前列にいた悪戯好きの生徒からだった。
「僕ですか?」
それまでと同じように、微笑みながら雷牙は答えた。
「実は僕、そこにいる雪姫シーラさんのお宅で居候させてもらってるんですよ」
一瞬の沈黙がクラスを支配したのち、わあっという声が爆発的に湧き起こった。
「うそッ!」
「先生、シーラと一緒に暮らしてるのッ?」
「びっくりーッ!」
「やるじゃん、雪姫!」
「勘違いしないでよッッ!!」
少女たちの視線を一身に浴びた金髪娘が、どかんと机を叩いて立ち上がった。
ぎん、と強い眼差しで周囲を威嚇するや、「事情があって、たまたま同居してるだけなんだからッ!」と自分の立場を主張する。
ただし、「事情があって、たまたま同棲してるだけなんだからッ!」と思わず言い間違ってしまったのはお約束どおりのご愛敬だ。
「きゃ~ッ、同棲だってェ!」
「事情ってどんな事情よ? 説明してみ」
「先生ッ、シーラとはどこまで進んでるんですかァ」
火に油とは、まさにこのことだった。
渦巻く好奇の只中で、もはや手の打ちようもなくなった少女がうろたえながら立ちすくむ。
「静かになさいッ!」
そんな彼女たちを一喝したのは教頭だった。
彼女は、きっ、とシーラを見据えると、「雪姫さん。いま轟先生の仰ったことは本当ですか?」と異端審問官もかくやと思わせる口振りで質問を発した。
「轟先生。あなたにもお尋ねします。いまのお言葉は真実ですか?」
「私が許しました」
その問いかけにふたりが答えを返すより早く、ゆらりと松乃がそう告げた。
「教頭先生。轟先生が彼女と共同生活を送ることは、以降、理事長である私の許可があるものとして考えてください。よろしいですね?」
「い、いやしかし、理事長先生」
「何か問題でも?」
「いかに理事長先生のお言葉とはいえ、肉親でもない若い男女がひとつ屋根の下で一夜をともにするというのは、やはりいかがなものかと思います。ましてや、その一方が我が校の教師ともなれば、他の生徒や保護者に対して示しというものが付きません。ふたりの間に何か間違いがあった場合、いったいどのようにして責任をお取りになるおつもりですか?」
「問題はありません」
なお食い下がろうとする教頭に対し、松乃は強く断言した。
「たとえこの世の殿方がことごとく過ちを犯すという状況にあっても、この方だけは決して女性の信頼を裏切りません。それは、彼が男性としての資格を有していないからではなく、むしろ誰よりもその資格を有しているからにほかなりません。
彼は、騎士であり紳士です。私が自信をもってそれを保証いたしますし、もしふたりの間に何か問題が生じた場合には、この私が自らの進退をもってその責めを負います。
よろしいですか、教頭先生、その上でもう一度確認いたします。何か問題でも?」
「いえッ、何も問題はございませんッ!」
そうした、およそこの世のものとは思えない遣り取りがまぶたの裏に浮き上がるたび、シーラの身体を羞恥の火酒が駆け巡った。
体温が一気に上昇し、白い素肌が桜色に火照る。
ああッ──頭を抱えてシーラは思った。
明日っから、どんな顔してみんなの前に出ればいいのよッ!、と。
がらっと音を立てて更衣室の扉が開いたのは、次の刹那の出来事だった。
そこからひょいと顔を出したのは、此路春香を初めとするシーラのクラスメートたちだ。
人数は四名。
春香に加え、
「おー、いたいた」と、どこかわざとらしい笑顔を浮かべた彼女たちは、警戒心をあらわにする級友をよそに、ずかずかと更衣室の中へ足を進めてくる。
「なんの用よ?」
きつめの口調でシーラが尋ねた。
「からかうつもりなんだったら出てってちょうだい」
「きっついなァ」
そんな彼女に春香が応える。
「あたしたち、ただ単に約束を守りに来ただけなんだけどなァ。ねェ、みんな」
「そうそう。じゃ、さっそく準備しよっか」
「約束……って、ちょっと! あんたたち、いきなり何始めるつもり?」
シーラの両目が驚きのあまり見開かれた。
それは彼女の眼前で、少女たちがおもむろに身に着けた衣服を脱ぎ始めたからだ。
「何って」
あっという間に下着姿へと変身した春香が、あっけらかんと返事した。
「着替えに決まってるでしょ。これから小礼拝堂の掃除するんだから」
「そそ」
春香の言葉を支援したのは、朋という少女だった。
「友達だもんね。苦労はみんなで分かち合わないと」
「苦労もそうだけど、秘密もね」
にやりと意味ありげに笑ったのは、美希だった。
「シーラは何かと水臭いから、あたしらのほうから歩み寄らないと相談事もしてくれないのよね」
「だから、取りあえず服を脱いでみたのでした」
そして、えりかという娘が微笑みながら締めを演じた。
「女同士の裸の付き合いじゃないけど、お互いに露出大きいほうが言いにくいことも言えちゃうでしょ?」
「結局はそこに行き着くんじゃない!」
きっ、と眉を吊り上げてシーラは怒鳴った。
「別に改めて白状しなきゃなんない秘密なんて、これぽっちもないわよ。勘ぐるのもいい加減にしてッ!」と、両手を腰に吐き捨てる。
「あっれ~」
じとっと目を細めた春香が、シーラの顔を覗き込む。
「そんじゃあさ、朝っぱらから入浴剤の香り漂わせてたのは、いったいどう言い訳するつもりなのかな~?」
「わ、わ、わたしが朝にお風呂入ったのって、そんなにおかしい? 別にやましいことがあったからってわけじゃないし。わたしだって、たまにそういう気分になったっていいじゃない!」
「ふ~ん。あのめんどくさがりだったシーラがわざわざ、ねェ」
春香の口元が、にーっと綻ぶ。
「あたしはてっきり、こーんな感じだと思ってたよ」
直後、四人の少女たちによる挑発的な即行劇が始まった。
「シーラ……今夜もまたふたりきりだね」
「雷牙さん……わたし、いまとっても幸せよ」
「僕もだよ、シーラ。ところで、今晩も美味しく君をいただいて構わないかい?」
「全然OKよ、雷牙さんッ! わたしのナイスバディ、あなたが心ゆくまで味わってェ!」
「ああッ、素敵だ、シーラ。明日から新学期だけど、今日は朝まで君を寝かさないからねッ!」
「大丈夫よ、雷牙さん。わたし、ばれないように、朝お風呂に入っていくからッ!」
「なんて気が利く
「いいわ、雷牙さんッ! そしたらわたし、立派な赤ちゃん産んじゃうから、その時は雷牙さんのお嫁さんにしてくださいねッ!」
「シーラーッ、愛してるよォーッッッ!!!」
「雷牙さァん!、わたしもよォーッッッ!!! むっちゅぅぅぅ──…なーんちゃってね。あーはははははは──…は、は、は……はッ、殺気ッ!」
少女たちの背中に電撃的な怖気が走ったのは、まさしくその瞬間の出来事だった。
見えないところからから吹き付けてくる圧倒的な
身も凍らんばかりのそれを咄嗟に感じた彼女らは、文字どおり肩をすくませ振り向いた。
直後、その各々の脳内で、某ハリウッド映画のテーマ曲が大音量で響き渡る。
だだっだっだだ──…
だだっだっだだ──…
ちゃらら~──…
そして、四人の娘たちはそこで見た。
腕組みしたまま仁王立ちする、ひとりの阿修羅の存在を、だ。
その者は、菩薩の笑顔にも似た柔和な微笑みを浮かべてはいた。
しかし、その表情を額面通りに受け取った者は、少なくともこの場にはひとりたりともいなかった。
豊かな金髪は蛇のように怪しくのたうち、宝石のようだった青い瞳は、いまや「キュピィーン」という電子音を放ちながら真紅の灯火を爛々と輝かせている──…
少女たちの目に、彼女、すなわち雪姫シーラの姿はそんな風にさえ映っていた。
漫画的表現が許されるのであれば、その背景には「ごごご……」という擬音が力強い筆致で描き込まれていたことだろう。
上下左右前後ろ。
およそどの角度から観察しても、その溢れかえるどす黒いオーラは、堪忍袋の緒をぶち切らせた少女から吹き出す憤怒の情にこそほかならないものであった。
しまったッ! 調子に乗りすぎたッ!
素早く現状を認識した春香が、残る三名に進言する。
「み、みんなッ、土下座の準備よッ! 手遅れにならないうちに早くッ!」
「土下座って……そこまですること?」
「そ、そうよ! 軽い冗談だったじゃない。軽い冗談」
「いっくらあの
「みんな、シーラがどんな女かわかってないッ!」
春香が、拳を振りつつ力説する。
「大激怒モードに入ったシーラに、『冗談だった』なんてつまんない言い訳は通用しないよッ! みんなは知らないだろうけどさッ、あの
「そんなことは最初に言ってよーッッ!!」
「あなたたち──」
感情を持たないシーラの言葉が、少女たちの耳に冷たく届いた。
それは彼女らにとって、
「そろそろ小田原評定はお済みかしら?」
ゆっくりと一歩踏み出すシーラの足が、ズシャッと重々しい音を立てた──ような気が春香にはした。
「ひぃ~ッ」と身を寄せ合う下着姿の女子校生が、白州に引き出された罪人を思わせる
俎上の魚、まな板の上の鯉とは、まさにこのことであると言えた。
だが数秒後、そんな彼女たちに予期せぬ救いが差し伸べられた。
第三者の手が、更衣室の扉を外からがらりと引き開けたのである。
その音が唐突に双方の間を走り抜けた時、春香たち四人の顔に、ぱあッと希望の光が差し込んだ。
安堵の情が、瞬時にしてその全身を支配する。
た、助かった~
四人が四人とも同じ思いを胸に抱き、ほとんど同時に扉の方へと目を向ける。
その眼差しが、一瞬にして凝固した。
それは、視線の先に立つその者が、彼女らにとって全然予測不可能な人物であったからに相違なかった。
「ああ、シーラさん。こんなところにいたんですか?」
そこに立っていた人物──それは紛れもなく、今日、学園に赴任して来たばかりの臨時教師、轟雷牙そのひとだった。
にこにこと人好きのする笑顔を浮かべた彼は、実に平然とした足取りで更衣室の中へと足を踏み入れてくる。
そして、自分の行動にまるで問題など感じていない口振りでもって、室内のシーラに向けて語りかけてきた。
「実はですね。このチラシを見てたら、近くのスーパーで豚肉が安売りしてるんですよ。ですから、今宵の晩ご飯は酢豚にしようと考えたんですが、一応、シーラさんのご希望も聞いておきたいと思──」
鋭い悲鳴が雷牙の鼓膜を貫いたのは、次の刹那の出来事だった。
「きゃぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」っという耳をつんざく金切り声が、音波の鉄槌となって周囲を揺るがす。
発生源はシーラを除く四人の女子校生たちだった。
八本の鋭い視線が、雷牙の身体を真正面から串刺しにする。
「なななッ」
うろたえながら雷牙は尋ねた。
「皆さん! いったいどうしたんですかッ! 何が起きたんですかッ!」
「何がどうしたじゃないわよッ!」
両腕でがっちり胸を隠し、真っ赤になってしゃがみ込む下着姿の少女たちが、抗議の言葉を口走る。
「先生ッ! ここ、どこだと思ってるんですかッ!? 女子更衣室ですよッ!」
「う……うん、表に書いてあったからそれはわかってるけど」
きょとんとしながら青年は言った。
「それが、どうかしたんですか?」
「ハァ?」
少女たちの目の色が一変した。
臨時講師の発言を、体のいい開き直りだと感じたからだ。
されど、その感情が侮蔑をともなう怒りのそれに変貌することはなかった。
まるでこの場にいる少女たちを代表するかのように、雪姫シーラがその会話のあとをきっちり受け継いだからだった。
「雷牙……ひとついいことを教えてあげる」
ゆらりと振り向いた金髪娘が、その眼差しを青年へと向けた。
それを受けた雷牙が、「はゥッ!」とひと声発して青ざめた。
思わず後退ろうとする両足をかろうじて踏み止め、「あ、あのう……僕、何か悪いことでもしたんでしょうか?」という問いかけの言葉を口にする。
「知らなかったんだから、まあ今回は仕方がないわ」
機械のごとき冷徹さで、その発言にシーラが応えた。
「でも、これからはちゃあんとおぼえておいてね。この国の女の子にとって、好きでもない男の人に身体を見られるってことは、それはもうとってもとっても恥ずかしいことなの。もちろん、その逆もそうよ。好きじゃない男の人の身体を見ることも、女の子にとってはすっごくすっごく恥ずかしいことなの。だからね──」
「なるほど、わかりましたッ!」
ぽん、と柏手を打って雷牙が言った。
「つまり、それだからこそ、この国では、ここみたいにわざわざ別室を設けてまで着替えのスペースを分けているってことなんですね!」
「そうよ。わかってもらえて嬉しいわ」
「そうかァ~、なるほどォ~」
青年は唸りながら、幾度も幾度も頷いてみせた。
「やっぱり世の中には、いろんな文化があるもんなんだなァ。シーラさん、こんな僕にその真実を教えてくださって心より感謝します! これで、またひとつ賢くなることができました! ありがとうございます!」
「そう……」
応じてこちらも頷きを返し、笑顔のシーラは雷牙に告げた。
「……んで?」
「……『んで』?」
前後の繋がりを持たないシーラの疑問符に、雷牙もまた複数のクエスチョンマークを頭上に掲げる。
「いや、シーラさん。『んで?』とは?」
「んで──それを知ったあなたは、なぜまだこの室内にいるのかしら?」
シーラの口元がひくつきながら吊り上がった。
びきっと音を立てんばかりに、そのこめかみに血管が浮かぶ。
もし春香たちがいまの彼女を直視していたなら、まず間違いなく悪魔の実在を信じてしまったことだろう。
だが、雷牙はそういった微妙な機微を、少しも理解しようとしなかった。
彼は当初目論んでいた自分の目的、すなわち「今宵の晩ご飯を酢豚にしていいものかどうか」をシーラに尋ね、その根本理由としたのだった。
たっぷりひと呼吸分の沈黙があたりを包んだ。
嵐の前の静けさとは、まさにこのことだった。
「ごめんなさい」
軽くため息を吐きながら、シーラは雷牙に謝罪する。
「あなたには、初めからもっとストレートに伝えるべきだったわね」
「はァ」
「じゃあ、いまからわたしの言いたいことを、とぉっっってもわかりやすく直球ど真ん中で教えるから、そのつもりでいてね」
ニコリと笑って彼女は告げた。
「とっとと出てけェェェェェェッッッ!!!」
言うが早いか、シーラ渾身の前蹴りが雷牙の土手っ腹に炸裂した。
「どひゃあッ!」と声を上げつつ、派手に吹っ飛ぶ轟雷牙。
そして次の刹那、ごろごろと廊下まで転がり出た彼のすぐ後ろで、更衣室の扉が音を立てて閉ざされる。
無様にひっくり返ったまま青年は、涙を浮かべてひとりごちた。
「ひどいやシーラさん……何も暴力に訴えることはないと思うんだけどなァ……トホホ」
やがて、とぼとぼと肩を落として新任講師はこの場を去った。
その背中を扉の隙間からじっと眺めていた春香たち四人娘が、呆れ顔を隠すことなく、各々その感想を口にする。
「もしかして、轟先生って帰国子女?」
「それも、かなり残念な……」
「天然通り越してるわよね……あれでまともな社会生活歩めんのかしら?」
「もう、地球人じゃないみたい……」
そんな彼女たちめがけて雪姫シーラがびしっと声を掛けたのは、それから数秒が経過してからのことだ。
「さぁて皆さん」
わざとらしく手拍子を打ちながら、有無を言わさず彼女は告げた。
「そんなところで油売ってないで、さっさと服着て掃除の準備してちょうだい。さいわい今日は人手も確保できたことだし、隅から隅までぴっかぴかにしちゃうわよ。夕方まで、そりゃあもうみっちりとやっちゃうから、あなたたちもそのつもりでいてね」
「ふぁい……」
力なくうなだれつつ、少女たちはそれに応えた。
応えるしかなかった。
哀しいかな、自業自得とは、まさにこのこと以外の何物でもなかったからだった。
◆◆◆
校舎を揺るがす爆発音が発生したのは、それからおよそ数分後の出来事であった。
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