本作の登場人物紹介(4)

 猫美の部屋に入ってゴミ袋を確認する。空と二人なら一往復で行けるな。カードキーを受け取って、ゴミ捨て場に行き、部屋に戻ると猫美がコーヒーを淹れてくれている。

「あれ、そのコーヒーサーバー、買ったのか」

「うん。空さんに聞いてな。しばらく使ってみて、良い感じだったら今さらで悪いが引っ越し祝いに贈ってやろう」

「ああ、いや、祝いは別に。甲冑を贈られるよりはそりゃあありがたいが」

 コーヒーを啜りながら考える。

 この部屋にも随分物が増えた。まず何しろダイニングテーブルなんてなかったし、それどころかカップなんてなかった。



 しばらく喉の調子を整えるように咳払いをする女の子を尻目に、ようし、と意気込んで数袋のゴミ袋を抱える。ゴミ袋を抱えて一階に降りる。正面玄関と反対側にドアがあり、そこを開けるとマンション専用のゴミ捨て場に直通だ。便利なものだ。管理費はいくらなんだろうな。しかし、大した手間でもないのに、筋金入りの引きこもりなんだな。まさかあの娘は吸血鬼かなんかで、日の出ている時間は外出できないとかじゃあないだろうな。


 ゴミ捨て場からマンション内に戻ろうとして、オートロックがかかっていることに気づく。軽く舌打ちをして、正面玄関に戻り、インターホンを鳴らすのも面倒なので『蜘蛛』で鍵を開けてしまう。六階に戻ると、挙動不審な様子で女の子が玄関口でおろおろしていた。

「どうかしたか」

「あ、いや。ええと。君は、どうやって、戻ってきたんだ?」

「どうやって、とは」

「鍵。締め出されたかと、思って」

 なるほど。迎えに下まで降りるか、それともインターホンが鳴るのを待つか、それで困って玄関口で困惑していたという訳か。なかなか心優しい娘じゃあないか。

「ああ。締め出されたけど、まあ」

 たまたま人が出てきたから、それと入れ違いに。

 そう言おうかと思ったが、こんななんていうか虚弱児童みたいな娘に嘘をつくのも気が引けた。そもそもこの娘はこんなにすんなり鍵を開けて、相手が泥棒とか詐欺師とか、とにかくそういう悪人だったらどうするつもりだったんだ。きちんと警戒してもらった方が良いんじゃあないかと思った。だから。

「これでな。鍵が開けられるんだ。ちょちょいのちょいだった」

 そう言って、『蜘蛛』を見せてやった。物珍しそうに女の子は『蜘蛛』を眺める。

「そもそもお嬢ちゃんがゴミを出してないのを知ったのも、こいつでここに忍び込んだからさ。あのな、まあゴミは出してやるけどな、良く考えたらそんなことを言う奴を信用しちゃあダメだよ。世間には悪い奴だっているんだから」

 女の子は瞳を半眼にしてこちらを睨み付ける。ものすごく値踏みされているような気分になる。少しだけ体を引くと、女の子は肩をすくめて言った。

「それを君が言うな。それから、わたしはお嬢ちゃんと言われるほどの年ではない。」

「そいつは失礼した」

「まあ、とにかくだったら、ゴミは捨ててくれ。それから……ちょっと話をしよう」

「はあ」

 何を話すつもりか知らんが、急に饒舌に喋るようになったなと思った。そしてなんだか偉そうな喋り方をする奴だとも。

 女の子はリビングに戻ってぺたんと座り込んだ。自分でも少しはゴミを持って行こうという殊勝な発想はないらしい。まあいいさ。改めてゴミ袋を抱える。

「あ、そうだ。これ、カードキー。君に渡しておく。そのなんだ、ロボットみたいな奴で『ちょちょいのちょい』なのかも知れないが、君は知らないかもしれないけれど、そうやって鍵を開けるのは違法なんだ。ゴミを捨てる途中で通報されても困るしな」

「違法なのは知っている。次はゴミ捨て場のドアに、ドアストッパーでもかけておくさ。カードキーを持って逃げられたらもっと困るとは思わないのか」

「君はそういうことをしなさそうだ」

「信頼してもらってありがたいが、一般に悪人は、悪人のようには見えないんだ」

「ふうん。まあそれならそれでいいさ。持って行けよ」

 ぴっ、とカードを持って腕を伸ばしっぱなしにしている。細い腕だ。伸ばしているだけでもなんだかたわんで折れてしまいそうだ。だからなんとなく気の毒なような気もして、カードキーを受け取った。

 率直に言えばカードキーがあるのはやはり楽だった。四往復くらいして、すべての燃えるゴミを片付ける。時刻は8時42分。ゴミ出しの時間は少々オーバーしているが、収集車が来ている気配はないので、ゆうゆうセーフということだ。


 ふう、と少し伸びをして我にかえった。何をやっているんだ一体。

 見ず知らずの少女の家に上がり込んで、ゴミを捨ててやろうと言う。で、『蜘蛛』まで見せて泥棒だということを告白する。四往復してゴミを捨てる。頭おかしいんじゃあねえか。

 そもそも人付き合いは苦手なのだ。話をしようと言われていたが、話すことなど何もない。だから黙って帰ってやろうかと思ったが、カードキーを持っているからそうもいかない。郵便受けに突っ込んで帰ろうと思ったら、すっかり忘れていたがそうだった、こいつは郵便受けを固定していやがるんだった。


 しぶしぶ602号室に戻り、チャイムも鳴らさずに部屋に上がり込む。

「お疲れ様だったな。ありがとう」

 女の子は言う。

「いや、礼を言われるようなことではない。さっき何をやっているんだろうと我にかえったところだ。帰るよ。ゴミくらいはちゃんと出せ。それから、変な男を信用するな」

「まあそう言うな。ほら」

 女の子がミネラルウォーターのペットボトルを投げてくる。

「うちにコップというのものは今のところないから、それで我慢してくれ。まあ座れよ。話をしよう」

「話すことなんて何もないって」

「そうかな? わたしは君に興味がある。そのロボットはなんなんだ? このマンションに忍び込んで何をしようとしていたんだ? どうしてわたしのゴミを捨てようと思った?」

「これは趣味で作ったロボットで、ここに忍び込んだのはシアタールームでも使わせてもらおうかと思ったからだ。君のゴミを捨てようと思ったのは、君があまりにも部屋から出てこないから、ゴミも捨ててないのかよと柄にもなく心配、というか、何をしている人間なのか気になったからだ。これで満足か」

「わたしは外に出るのが苦手なたちでな。そういう人間なんだ。それで、まあ在宅の仕事をして、それで生計を営んでいるというわけだ。シアタールームが使いたければ、そのカードキーを使っていいぞ。予約をしてやろうか」

「そうか。納得したよ。シアタールームは、まあ、もう別にどうでもいいよ。じゃあな」

「待てって」

「なんだよ」

「……そんなに嫌そうにするなよ」

 そう言って女の子は露骨にしゅんとする。ずるいだろ、それは。

「別に、嫌ってわけではないんだよ」

「いやわたしもな、さすがにここまで誰とも話をしない生活をすると、少しばかり人情に飢えていたらしい。君と話して、人と話すことへの関心を思い出したんだ。ま、座れよ」

 そうかい。そう言われてしまっちゃあ、なんだか気の毒にもなる。

 仕方なく腰を下ろし、ペットボトルの蓋を開ける。


 それから、ぽつぽつと、女の子の話を聞いた。

 女の子は桐生猫美きりゅうねこみという、なんだか妙な名前の子だった。

 実家が時代錯誤で男尊女卑で家父長制で四角四面で、とにかく四字熟語っぽくて煩わしいので、大学在学中に貯めたお金でこのマンションを買って、卒業と同時に家を出た。

「ちょっと待て。大学を出たってことは、え、嘘だろ?」

「なんだ。そんなにわたしは愚かに見えるか」

「いやそうじゃあなくて。せいぜい高校生くらいにしか見えないから」

「ふん。ほめ言葉として受け取っておこう。どこを見て言っているかにもよるが」

「どこって、その、全体像だよ。君は随分細っこい。ちゃんと飯を食ってるのか?」

「それなりには。まあ、全体像というなら許してやろう」

「なんだったら許さないんだ」

「デリカシーのない奴だ。そんなこと、言うもんか」

「そうかい。なんだかわからんがデリカシーがなくて失礼した。それから、このマンション買う金を貯めるって、それはすごいな。ベンチャー企業でも興したのか?」

「まさか。株だよ、株」

「それだって十分まさかの範疇だ。大したもんだな」

「ふふん。君になら、教えてやってもいいかな。ちょっとこっちに来い」

 君になら、って。今日ついさっき会ったばかりで、しかも泥棒だぞ。どういう回路で信用を決定しているかは知らないが、ちょろすぎないか、こいつ。大丈夫か。

 隣の部屋に案内され、入ってみると、そこもだだっぴろい部屋で、で、その部屋に所狭しとPCとモニタが置かれていた。なんていうか、悪の組織の司令部みたいな部屋だ。

「なんじゃあこりゃ」

「これでな、『検索ワード』を収集しているんだよ」

「『検索ワード』? それはその、googleとかのか?」

「そう。それで、重要な端末からの検索情報をフィルタリングしてピックアップする。そうすると、これから何が売れるのか、どういうものが注目されているのかが良く分かる」

「はあ。なんだか良く分からない話だ」

「分からないか? ふうん。だったら、これを読んでみろ」

 技術書でも手渡されるかと思ったが、それは小説だった。ベストセラー作家の著作だ。名前だけは聞いたことがある。

「はあ。いずれな。それで、まあ、とにかくそのパソコン群を使って株で儲けているわけか。大した奴だな、桐生さんは」

「ううん。わたしはあまりその苗字が好きじゃあないんだ」

「そうか。大した奴だな、猫美さんは」

「君の方が年上だろう。いいよ、『さん』なんてつけなくったって」

「そうかい。すげえよ、猫美は」

 むふん、と満足げに笑い、猫美はPCデスクにすっぽりと収まった。ものすごく収まりがいい。たぶん、ほとんど四六時中ここにいるんだろうな、という感じがした。


「なあ、その、少しは外に出たらどうだ」

「なぜだ? 外に出たって、面白いことなんて何もないぞ」

「そんなことはない……と思うけど」

 そうかなぁ、と言って猫美はPCを何やら操作しはじめる。

「少なくとも、少し外の世界に触れて、なんていうか耐性を付けた方がいい。今日さっき出会った男を、こんななんていうか、秘密の部屋に連れ込んでっていうのは、信用しすぎだよ。つまりそれは、人間と触れ合っていないからだ。ちっとは経験を積んでおかないと世の中、何があるかわからんぞ」

「ほう? 君は、わたしをどうかしようと言うのか?」

「そうは言ってない」

「だろう? そのくらいは判断できるつもりさ。まあ、せっかくの機会だ、仲良くやろう。君はわたしのゴミを捨てる。代わりにわたしはカードキーを貸してやるから、シアタールームでもジムでも好きなところを使えばいい」

 勝手なことを言う奴だ。ゴミを捨てたのはただの気まぐれにすぎなくて、継続的にゴミを捨ててやるつもりなんてなかった。大体これだけ金があるというのなら、ゴミが溜まった段階で業者を呼んだりすることもできるんだろう。つまり余計なお世話だったということだ。

 ただ、なんというか、少し気の毒な娘ではあると思った。家族とうまくいかなくて家を飛び出す。外に出るのが苦手だから友達もいない。だからコミュニケーションの取り方が全か無かの法則みたいなことになっている。ちょっと優しく声を掛けたらもうすっかり仲良しみたいになって、偉そうな口をきく。この娘をほったらかしにするのが果たして良いことなのかどうか、判断するのは難しかった。


 だから判断を放棄した。猫美が言うんだからそうしようと思った。猫美のゴミを捨ててやる。カードキーを借りてシアタールームで映画を見る。そうしろというなら、そうしようと。


 そういう形で、猫美とのあまり一般的とは言えない交友関係が始まった。月(燃えるゴミ)・火(容器プラスチックゴミ)・金(ペットボトル・ビン・カン)を月に1回ずつのペースでゴミを捨てに行く。

 余計なお世話であるのかもしれないが、たまには外に出た方がいいと思って、シアタールームに誘うとすんなり部屋から出てきた。じゃあゴミも自力で捨てろよ。

 映画の好みがどんぴしゃに一致するとは言い難かったが、何しろ映画なんて見たことがないというからいわゆる名作を見ていればそれで良かったので、映画のチョイスは楽だった。

 ジャージを買わせて、一度だけジムにも誘ってはみたが、ルームランナーの速度を時速5 kmにしただけでへばってしまうし、ダンベルも持ち上げるのは辛そうだったしで、これは一度でおじゃんになった。せめてバランスボールにでも乗れと言ったら、自宅にバランスボールが増えたが、これも1週間くらいでトランクルームにしまい込まれることになった。このとき買ったジャージは後に空が寝巻にしていたらしいから、完全に無駄使いをさせただけということではなかったらしいが。


「しかし、体力が無さすぎるだろう。いくらなんだって。少し散歩くらいしたらどうだ」

「目的の無い行動は苦手なんだ。すぐに飽きてしまう」

「じゃあ買い物を自力でするとか」

「通販で事足りるし、だいいちわたしはダンベルも持ち上げられないんだぞ。買い物袋を持って歩けると思うのか」

「だったら買い物袋は持ってやる」


 売り言葉に買い言葉というか、そういう訳でシアタールームで映画を見た後は、外に出かけて外食をしたり、買い物をして調理をしたり(調理器具と名がつくものは電子レンジしかなかったので、最初は結構な大荷物になった)、そんな感じで過ごすというルーチンが出来ていた。


 ちょうど季節は夏で、だから専門学校も大学も長い夏休みに入っており、仕事が無かったというのも一つの大きな要因だった。そういう交友関係が二か月くらいは続いたが、もうすぐ十月になる、つまり大学なんかの新学期が始まる時期が来たので、そう呑気にはしていられなくなった。


「ま、そういう訳で、どうしてもゴミが溜まったら捨てには来てやってもいいが、仕事があるからな。今までのように映画を見てのんびりしたりはちょっとできなくなる。雪が降ったら出てくるのも面倒だし。シアタールームももう十分満喫したし。まあ、風邪でもひいたら連絡しろ。看病くらいには来てやるから」

「……そう、か。たまには、遊びに来いよ。ゴミも、溜めておくから」

「ゴミ捨てが趣味という訳じゃあないんだ」


 それで少し猫美とは疎遠になって、また日々を黙々と過ごす生活に戻った。

 猫美からはたまに連絡があった。ゴミが溜まったということもあるが、そうでなくて用も無く電話を掛けてきて、結局お互い話が得意な訳ではないので沈黙が続くということもある。それだけならば別に良いのだが、どうも卑猥な画像・動画を探そうとしているときにタイミング良く電話が掛かってくる気がして、いろいろな意味で萎えてしまう。

 なんでこうも嫌なタイミングで電話してくるんだろうな、と最初は偶然で片付けようとしたが、何度目かの時に、なぜ今電話を掛けてきたのかを尋ねると、すんなり種明かしをしてくれた。そのときばかりは本気で絶交しようかと思った。


 そんなふうに過ごしているある日のこと。ぼうっと寝転がってテレビを見ていると電話が鳴った。猫美からだった。エロ動画を探しているわけでもないのに、どういうことだろうと思った。寒くなってきたし、風邪でもひいたのか?


「もしもし。どうした。体調でも崩したか」

「いや、そういう訳ではないが、ちょっと相談がある。君の、『蜘蛛』の使い道について。どうだ、今晩時間があるなら家まで来ないか。ゴミも溜まってきていることだし」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

泥棒は宇宙人に振り回されている。 雅島貢@107kg @GJMMTG

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ