泥棒は問題を解決する。
深夜まで待って、地下鉄駅に『蜘蛛』で入る。
役所は深夜に婚姻届けを受け付けたりする関係上、終日警戒の目が厳しいが、地下鉄駅構内にある、住民票なんかの出張発行所は、地下鉄駅自体が終電で閉まるので、駅構内の警備員にだけ警戒すれば、発行所自体の警備は緩い。
実を言うと、以前別の『仕事』でやむをえず侵入したことがあった。監視カメラだけ一応避けて、発行所に入る。PCを立ち上げて、適当な職員のアカウントでログインする。以前の『仕事』の時に調べたものなので、職員自体が退職していたり、パスワードが変わっていたりしたら面倒だな、と思ったが、三か月以上パスワードが変わっていませんので、変更を推奨しますというダイアログが出てきて、ログインできた。ものぐさな職員で助かった。
証明書の「発行」は確実に記録される。だから発行はせず、閲覧だけにしておく。別に証明書が必要な訳ではなく、必要なのはそこに書かれている住所だけだからそれで良い。閲覧についても記録自体はされると思うが、たぶんわざわざ調査はしないのではないかと思う。前回の『仕事』の時も、特にニュースなんかにはなっていなかったはずだ。
ただ、深夜の不審な閲覧に気づかれてはいたものの、内々にもみ消したのだとしたら、このものぐさでありがたい職員の立場が悪くなってしまうと思い、その点は気の毒だと思ったので、泥棒の存在は匂わしてやろうと思う。
高級住宅街の中でも、ひときわ金持ちで目立った家(たとえば、門があってそこにインターホンがついているとか、そんなだ)の表札を思い出し、そのあたりをまずは検索する。『ABC殺人事件』の理屈だ。そしていよいよ、問題の英清子だ。生年月日と名前を入力しているのは英だけなので、目立つといえば目立つだろうが、仕方がない。
市外に転出していたらそこから先はその市にいかないと分からないが、幸いなことに、市内にいて、しかも3年前に住民票を移していた。よし。新しい住民票の住所をメモしてあとは適当にまた何人かの住所を検索して、PCからログアウトし、鍵を掛けて回って家に帰った。
ほとんど眠れないまま、朝、ぎりぎりこの時間に訪問しても通報はされないかな、という時間に英の家に行く。
英は疲れた顔をしているが、メイクもしており、派手な服を着ている。空に似ているか、と言われると、正直わからない。
「これから仕事ですか」
「今終わったところよ。あんた、誰?」
「十六年前の大風の日の話を聞きたいんですが」
英の動きが止まった。
「あんた、誰?」
「真城光平と申します。まあ、その、なんでも屋をしています。話を聞かせてもらっても、いいですか」
英は不承不承家に上げてくれた。これまでの話をする。おそらく英の娘であろう赤ん坊が、宇宙人にさらわれた、ということも悩んだが話した。
「そんな馬鹿な話って、ある?」
「あったんだからしょうがないでしょう。まあ、宇宙人に納得いかないなら、変わり者に育てられたでもなんでもいいです。あなたが、その、……赤ん坊を捨てた、というのは、事実ですか」
英は、ふーっと長い溜息をついた。そして、細身の煙草に火をつけた。
「事実、だと思うわ。もう昔のことだから、忘れかけていたけど。あの後しばらくは、誰かが赤ちゃんを見つけて、それで捕まったりするんじゃないかって思っていて。でも、何も起こらなかった。全く、何も。だから、そう、その……何年かするうちに、夢なのかな、みたいに思ってた。でも、本当にあったことなのね。そりゃあ、そうよね。私が、産んだんだから」
「そう、ですか」
英は何かを思い出すかのように、いや実際思い出しているんだろうけれど、天井を見上げた。その横顔は、どこか空に似ていて、ああ、この人が空の母親なんだな、と思う。
英は、あまり健全な家庭で育ったわけではなかったようだった。あまり言いたくはないが、必然と言うべきなんだろうか。高校に入ってから、「悪い仲間」とつるんで遊びまわっていたようだ。
そんな中、英は自分に子どもが出来たことに気づいた。仲間たちは、そんな英のことを家に住まわせてくれたりと、「大事に」してくれた、らしい。それが、本当に英を大事にしていることなのかは、良く分からない。
「変な話だよね。結局、誰も私のことを真剣に考えている訳じゃないんだけど、でも、大事な仲間だって、そうは言ってくれた。だから私もそれに甘えちゃったのね」
「父親は、分からなかったんですか」
「そうだね。その……。『そういうこと』をするのが、仲間だって思っていたから。誰が、っていうのは分からなかったし、誰も、俺が父親になる、とは言ってくれなかった」
それはそうだろうという気もするし、なんだか残酷な話だという気もする。
「それで、臨月になってね。救急車を呼んでもらって、病院で子どもを産んだのはいいんだけれど。お金もないし、親に連絡もできないし。困って、仲間に連絡をしたの。そしたら」
お前は仲間だから、助けたいよ。でも、金はないし、赤ちゃんを育てるのは難しいよ。なあ、今ならえいちゃんの身元もわかんないだろうしさ。このまま逃げちゃって、赤ちゃんはどこかに置いていけば、元通りなんじゃない?
そう、言ったそうだ。
何が、元通りだ。
そう思ったが、今そう思ったところでどうにもできない。
なんて言えばいいかもわからない。
「赤ちゃんは病院に置いていけば、とも思ったんだけど。そうしたら、後でえいちゃんが見つかっちゃうかも、って言われて。私もなんだか良く分からなくって。それで」
仲間の手引きで赤ん坊を連れ出し、そして、あの山に登って。登山道では見つかってしまうかもしれないから、少し離れた藪の中に赤ん坊を置き去りにして。それから仲間たちの家に戻って、しばらく寝込んだ後は、まるで何もなかったことのようになったそうだ。
体調が戻ってからは、みんな元通り、楽しく暮らした。
めでたしめでたしだ。
もう少しまともな奴はいなかったのか。少し考えれば「元通り、楽しく」なんて無理に決まっているだろうが。
そう思うが、これも今さら言っても詮無いことだ。しかも、事実上、「元通り、楽しく」こいつらは暮らしていたらしいし。
多分病院も警察も、多少は英のことを探したんだろうけれど、結局その手が届くことはなかった。長く高校も休んでいたから、そのまま退学をした。そして、沢山の不幸せなことと、いくつかの幸運があって、今は小さなスナックの店長代理みたいなことをしている、という。
結局気の利いたことは何一つ言えないままだ。
少し強く息を吸い込んで、俺は言う。
「良く、分かりました。それで、その、あなたの娘さんには俺が勝手に名前を付けました。空、と呼んでいます。それで、空の母親を探している理由なんですが、結局この地球に空の身元はないんです。それを作ってやるためには、母親の存在が必要だって言うんですね。裁判やなんかで多少ご面倒はかけると思いますが、協力してもらえませんか」
「ええ。もちろんよ。私もね、忘れかけてた、なんて言ったけれど、気にはなっていたの。空、って言うのね。空とあんたかな。親の顔を知らない、生まれてすぐどこかに連れていかれた、身寄りのない女の子の親を探している人たちがいるって話も聞いてね。ああ、やっぱりそうなんだ。まさかとは思ったんだけど、私の赤ちゃんだったりして、なんて思って。それで、知り合いの子に、その子の写真でも撮ってきてくれないか、って頼んだりもしたの。結局、なんだか分からないけど、やくざみたいな奴に脅されたって言ってたから、それは諦めたんだけど」
なんだかどこかで聞いたような話だった。スマホに保存してある、例の男の免許証の写真を開く。
「もしかして、それって、こいつだったりしますか」
「あれ、
マジかよ。おばちゃんに引き続き、ちゃんと話を聞いてればこんなに遠回りしなくて良かったパターンだ。もっと人間関係を大事にしよう。
人生はゲームではない、なんて思っていたが、ゲームの基本は有効だった。つまり、人の話はきちんと聞こう。
「そりゃあ、その、済まないことをしました。実は、その、」
免許証を見て改めて名前を確認する。
「
「そうなんだ」
くす、と英が笑った。少しだけ、綺麗な音楽を思い出す。
「空は、大事にしてもらっているのね。良かった。すみません、ええと、真城さん、でしたっけ。空のこと、お願いします」
「ああ、いや、ええ。まあ、とりあえず、顔を合わせることもあるでしょうから。その時に、直接本人と話してください」
お願いされたところで、もう空と一緒にはいられない。
でも、今それを説明して話をややこしくする必要もないと思った。ところが、英は、きっぱりと、
「会えないよ」
と、そう言った。
「え?」
「だって、私は空を捨てたのよ。その、なんていうか、本当に、ごみでも捨てるみたいに。会う資格なんてない。だから、お願いね、真城さん」
「いや、その。良く分からない事態ですからね、なんとも言えませんが、でも、空は結果生きているし。うまそうに飯も食ってます。そりゃあ、子どもを捨てるのが良いことだとは口が裂けても言えませんけど、でも、親子は親子でしょう。会うのに資格だなんだは、いらないんじゃあ、ないですか」
「そう、なのかしら」
正直良く分からなかった。
なんだかもやもやしたまま、連絡先を交換し、英の家を出た。それからすぐ、長内に連絡し、母親らしき人が判明したと伝える。
「有能ですねぇ、真城さん。おめでとうございます。それじゃあ、私も頑張りますねぇ。ひとまずこっちで書類関係はばりばりっとやっちゃいますからぁ、裁判所の召喚日程決まったらまたご連絡しますぅ」
ばりばりっとやっちゃってくれ。頼んだぜ、長内。
それから、少し迷って石持に電話を掛ける。
「あ、もしもし」
「もしもし。先日その、そちらに『遊びに行った』者だが」
「ひっ! あ、え、その、あの、お、おれは、おれは何もしてないです! 本当です」
怯えさせてしまっている。申し訳なかった。
「いや、実はな、英さんにお会いしたんだ。結論から言うが、英さんが石持さんがその、連れて行った、女の子の母親だった。今のところ、『おそらく』だが。だから、石持さんに任せておくか、少なくともゆっくり話を聞けば、もっと早く解決することだった。やくざまがいのことをして済まなかった」
「あ、そうなんですか? 姐さんに会ったんですね。そ、そうですかあ。いや、こちらこそ、その、説明もせずに、というか、その、無理やり連れて行っちゃってすみませんでした。その、警戒されちゃうと思って、連れてくしかないって思いこんじゃって」
「やり方は良くなかったな。普通に訪ねてきてくれれば……いや、追い返したかもな。とにかくそういうことだ。雑誌の記事とやらはいらないし、もう石持さんのお宅に『遊びに行く』ことは、まあ、まずない。それだけ伝えたかった」
「わ、分かりました。あの、姐さんをよろしくお願いします。それから、その、姐さんの、娘さんなんですかね? その、娘さんのことも。あ、あと、おれのことは、石君って呼んでもらっていいですから」
もう呼ぶこともないだろうよ。そう思ったが、分かった、とだけ言って電話を切った。
最後に。ちょっとだけ手に力を入れて、空に電話をする。コールが長い。なかなか出ない。仕方ない、メールか、と思ったところで、ようやく声が聞こえた。
「あ、あの。光平?」
「おう。久しぶりだな。空、お前の母親が見つかった。まだ、たぶん、だけど、ほぼ間違いないだろう。これから裁判やらがあって、そしたらお前の身元を作れるだろう。良かったな。一度、長内……先生、弁護士さんだな。その人のところに連れて行った方がいいだろうから、どこかで会えないか」
「光、平……」
空の返事はぼんやりしている。
お前も俺のことを、怖がっているんだろうか。
「大丈夫だ。取って食いやしないから。なんだったら、猫美にでも、里見と甲賀にでもついて来てもらえ」
「あ、いえ。あの、ちょっと、まだ、時間が。でも、光平には、いえ。あの」
「落ち着け。心の準備が必要か。そうかもな。まだ長内先生からは何も言われていないから、空を連れてこいと言われてからまた連絡する。すまん、気が逸って連絡しちまったが、急がなくていい」
空に会いたかった。顔を見て話したかった。たぶんそうだったんだろう。
遅ればせながらそのことに気づいて、急に恥ずかしくなる。
じゃあな、と言って電話を切った。
これで大体、問題は解決だ。
俺はひとつ長い伸びをして、それからしばらく、まだ昇っている途中の太陽を眺めていた。
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