第一章:泥棒は高校生に言い負かされる。

泥棒は男子高校生に言い負かされる。

 気付いたら裸で真っ白な部屋の中にいた。


 ちょっとした体育館くらいの広さだ。窓はないが、ドアらしきものは見える。あと、あれはTVか? なんだこの部屋。手錠で繋がれているとかそういうことはないようだから動き回れるし、体に支障はないし寒くも暑くもないのはいいが、裸なのはちょっと嫌だ。これはもしやアブダクションとやらか。宇宙人がいたもんな。攫われたっておかしくはない、のかもしれない。

 ドアらしきものに向かうと垂直方向にしゅっと開く。SFっぽい。トイレ的な「穴」と、良く分からんレバーがあって、ままよ、と引いてみると水が出た。はあ、シャワーね。これが『SAW』とか『CUBE』だったら硫酸が出てきて死んでるところだ。その先に行けるドアはなく、喉が乾いたらこれを飲めと言うことなのかもしれない。つまりここは言ってみればユニットバス兼水道か。

 体育館的スペースの方に戻るがやることがないので、今度はTVの前に行くといきなり電源が入り、普通に野球中継をやっている。ここはなんか仮面の怪人が出てきて状況説明するところだろうに。野球て。野球なんてあまり見ないが、他にやることもないので、膝を抱えてぼけっとみる。裸で、だ。馬鹿じゃあなかろうか。でも良く考えたら、これまでの生活はこれとそんなに変わらないような気もして、そうか、こんなもんで足りるんだな人生、なんて思うと少し空しいような気もする。誰かがヒットを打った。歓声が上がる。


 それで目が覚めた。


 つまり夢オチだ。すいません。

 夢ついでに自称「宇宙から来ました」どうみても地球人の女の子、長いので暫定で宇宙人に呼称を統一しようと思うが、そいつも消えてなくなっているかと思ったが、残念ながらそれはなかった。宇宙人はベッドの上で、体育座りして朝のスポーツニュースを眺めていた。昨日の野球のダイジェストを見ていたようだ。


「おはよう」

「おはよう、ございます」

 ぎこちない笑顔で宇宙人は答える。一応念のために言っておくが、ひとつのベッドで同衾しているわけじゃあないぞ。別途布団を借りて、その上で寝ていたからな。部屋の借主なのに。あとちゃんと、服も着ていた。

「面白いか、TV」

「はい。背景は、まだ、良く、分かりませんが」

 そうだったな。さて、何がどうしてこうなったのか、説明が必要だろう。無駄に回り道をした気がするが、さっきの続きから話そうと思う。



「えー、あー、その、ごめん。混乱している。えーと、ええ? 宇宙から? 宇宙人? マジか」

 訳の分からん所で、訳の分からん服を着て、訳の分からんことを言う女の子に何を言ったらいいと言うのか。言葉が意味をなさない。宇宙人は無表情でじっとこちらを見つめてきていて、なんだかその瞳に吸い込まれそうになる。つうか全然地球人なんですけど。なんならちょっと綺麗めの普通の女の子だ。見た目は。

「あー……その。じゃあ、なんだ、さっきここに落下してきたのは君なんだな?」

「おそらく、そう、です」

 なるほどねえ。宇宙からねえ。大気圏を突破してねえ。どうやってだよ。

「なんだ、宇宙船的なものはないのか」

「宇宙、船」

「そのなあ……えー、いや、待て。聞きたいことは結構たくさんあるが、何しろここは山の中のさらに藪の中だし、実はさっき知り合った人たちを待たせているので、まずは一旦そっちへ行かないか」

 正直言って考えがまとまらないので現実逃避だった。

「はい」

 宇宙人は表情を変えず、答える。話をきちんと理解しているのか、それすらも不安になるが、しかしまあ理解していると信じて、たぶんこっちの方だと思われる方向に向かって歩き出す。再び藪の中である。突然後ろから刺し殺されたりしないだろうなと、少しだけ後ろに警戒を振り向けて、歩きながら考えをまとめようとするが、「あぅ、うぁ」と、宇宙人が一歩ごとに何か声を漏らすので集中できない。

「どうかしたか」

「ええ、あの、歩行が、足に、刺激を」

 歩行が、足に、刺激を。まあ、そりゃあ山だから、多少起伏に富んではいるが、別に針の山を歩いている訳でもあるまいし。

「宇宙では歩くことがないのか。それとも靴を履き忘れてきたか」

 後半は半ば冗談のつもりだったが、

「歩く、経験は、あります。靴は、履物の、一種、ですね。それは、所持、して、いません」

 そう、平坦な声で宇宙人は答える。

 おい。地球のデータ無さすぎじゃないか。履いて来いよ靴ぐらい。

 こいつの星では地面は超ふわふわだったりするんだろうか。

「ええと、取りに帰るというわけにはいかないのか」

「私は、戻る、ことは、できない、ようです」

 なんと。片道で来たのか。しかし、靴がないと、山道を歩くのはまあ、しんどいだろう。ちょっと地上から浮く機能とかも、持っていない様だ。やむを得ない。

「ううん。まあ、ちょっとそのあたりはまとめて後で聞く。とりあえず、そうね、おんぶ、背負う、わかるか?」

「おんぶ。背負う。はい。概念、と、しては」

「じゃあ、それでいこう。首に手を回して……そうだ。良し、行くぞ。体に触るが、すまんね」

「はい」

 てるてる坊主スタイルの衣服は、幸い手を出す穴は備え付けてあったようで、無事おんぶは成立した。宇宙人はめちゃくちゃ軽かったので、運動不足でもなんとかなりそうだ。よし、行くか。手で藪をかき分けることができないので、顔から藪に突っ込んでいくスタイルになり、その点はやや不快だが、なるべく背丈より小さい藪がある道を選んで遊歩道を目指……す……ああ。こいつ、靴どころか下着もつけてないな多分……。

 正直どうしたもんかと思うが、お姫様抱っこモードに切り替えると藪に宇宙人を当てる形になって意味ないし、そのことに積極的に触れて地球人クソエロ星人みたいになっても嫌だし、明らかに地球人女性に見えるが宇宙人と言っているからには、これおっぱ……胸じゃなくて、触手とかなのかもしれないし、なんなら着ぐるみ的なもので中身は虫タイプという線もある。だから気にしないフリを貫くことにするが、正直気になるよ。いやダメだ……落ち着け……無を考えろ……。無を……胸を……あ、ダメだ。男ってダメだね。ダメだ。何もかもが。

 そんなわけで、考えをまとめながら歩こうという当初の目標は全くコースを逸れ、混乱がぐるんぐるんと脳をシェイクするのにもうダメなもんはダメ、と身を任せながら、それでもなんとか遊歩道に戻った。気づくとだいぶ山を登っていたらしい。下方に見える人影がたぶん里見・甲賀コンビだろう。


 大声で呼びかけると、人影がこっちに駆け寄ってくる。途中で一瞬たじろいだ気配を見せるので、たぶん登場人物が増えたことに気づいたんだろう。それでも、手を振ると恐る恐るではあるが近づいてきてくれる。良かった。ちゃんと里見・甲賀コンビだった。訳のわからん事態が生じたので、来てはいいけどのっぺらぼうだったらどうしよう、とか、なんかこうグレイ型の宇宙人形態になってたらどうしよう、とか、そういう懸念を抱いていたのだ。混乱しすぎだろう。

「それがさっきの声の子?」

 里見が問う。

「そうみたいだ。ちょっと待て、ベンチかなんかなかったっけか。まず下ろそう」

 宇宙人を背負いっぱなしだったので、話がしにくい。少し下ったところでベンチを見つけ、そこに宇宙人を下ろす。ちょっと待ってな、と言い、里見・甲賀コンビを呼び寄せ、顔を突き合わせて囁く。

「で、だな。まだほぼなんも聞いてない状態なんだが、その、この子は、宇宙から地球に来たらしい。それで、地球のことをいろいろと教えて欲しいらしい。どうする?」

「服もそうだけど、それ単におかしい子なんじゃないの? どうみても地球人じゃん」

「同意っす」

 高校生コンビは冷静だった。

「まあそうかもしれんが、そうだとして放っといていいわけじゃないべさ」

 思わず方言が出てしまった。

「警察に、捜索願いとか出てないすかね」

「なるほど、甲賀に10ポイント」

「何それ。そのポイントなんの意味があんの?」

「100ポイント貯めるとすべての罪が許される、凄いポイントだ。いや冗談だ。意味はない。すまん、動揺していると思ってくれ」

 実際していた。これ一人じゃなくて良かったな。高校生の方が冷静、という事態は結構悲しいものがあるが。

「じゃ、交番行こう。ね。そこまで連れてってあげればいいんじゃない」

「そだな。それでいいすか?」

 まあ、それが無難なところか。もはや無難とは何か、という感じではあるが。

「良し。いや、待てよ、良くないわ。甲賀、いや、里見の方がいいか。すげえ悪いけど、ちょっとひとっ走り下のスーパーまで行って、そうだな、とりあえず靴と、あと服とその……下着も買ってきてくんないか。どこで着替えるかとかはちょっと後で考えるとして、この格好の奴と下山すると流石にあれな気がする」

「ああ……って、靴? 靴履いてないのこの子?」

「ない。らしい。だから背負ってきたんだ」

「はあ?」

 里見には何かがひっかかったようだった。唇に手を当て、何かぶつぶつと呟いている。急に宇宙人の方に飛んでいき、ちょっとごめんね、と言いながら、てるてる坊主ウェアをまくって足を掴んで観察している。

「ええ?」と何かに驚き、急にてるてる坊主ウェアを膝までまくりあげる。それから「これ、手が出せるの?」なんて言いながら、腕全体をしげしげと観察している。手を出す穴、というか単に布っきれに切れ込みが入っているだけで、さっき感触で分かった通りその下は何も着ていないようだから、それだけで結構肌が露わになってしまう、ので、目を逸らす。気付くと甲賀も同じ方角を眺めていた。

「ちょっとちょっと」と里見が呼ぶので振りかえると、里見は宇宙人の右足を掴んで手招きしていた。宇宙人はされるがままになって、足を触る里見の顔をじっと眺めている。

「あのね、靴を履かずにここに来たなら、少しは怪我でもしてないかと思って見てみたの。で、してないのね。それもすごいんだけど、ほら、ここ見てよ」

 鼻息を荒くしながら、里見は足裏ではなく宇宙人のすねを指さす。

「すね……? がどうした?」

「良く見てって」

 見た。見たが、まあすねだ。細くて、筋肉が全然ついていないような気がするが、しかし異常だといいうほどのこともない気がする。しょうがないのでそう言う。

「違うよ、ほら、毛」

「毛ぇ?」

 思わず笑う。急にどうした。しかし、里見は真剣な様子なので、こちらも真剣にすねを観察する。暗いし、すね毛と言っても細いから、あまり良くわからないが、まあ、生えていることは分かる。

「毛は、生えてるな。それくらいしか思うことはないが」

「そこ。あのね、女の子ですね毛処理してないってありえないよ」

 それはその。言いにくいが、さっきから話題にしている「ヤバい奴」だからではないのだろうか。ていうかありえないのか。大変だな女の子も。

「それにさあ。ちょっと春樹と光太郎に見せたらまずいと思うから見せないけど、脇も処理してないんだよね。『ヤバい』ったって、全く学校とかいかないわけ? 女の子の友達、一人もいないの? でさあ、あたしたちは何かが落ちてきたのは見てるわけじゃない? で、宇宙から来たっていう子がいるんでしょ? あれ? ヤバい! ねえ、あなた名前は?」

「固有の、名称は、所持して、いません」

「ね、ほんとに宇宙から来たの?」

「はい」

「あなた、母星でもその形態? それとも地球人に合わせてトランスフォームかなんかしてるの?」

「母星……というのは、自分が、生まれた、星と」「そうだよ」

「では、たぶん、そうです」

「なるほどね。分かった! あたしに任せて!」

「「何を」」

 数分ぶりのハモりだった。どうしたことか、里見に何かしらのスイッチが入ってしまったようだ。矢継ぎ早に宇宙人と問答し、何かに開眼したらしい。助けを求めるべく甲賀を見たが、視線が合うと、こうなっちゃうと俺にはどうしようもできないので、すいませんがこれも何かの縁だと思って付き合ってくださいという目線を向けられる。あれ、すげえ長文が視線に込められてる気がするけど、何これテレパシー?  

 一方里見は、

「ふうん。ふうううん。そっかそっか。なるほど」

 なんか一人で納得している。怖い。

「とりあえず靴ね。あと服ね。いいよ、行って来る!」

 そう言うと、脱兎のごとく駆け出そうとした。まあ何をどうするにせよ靴は最低限いるだろうし、行ってくれるならありがたい。ただテンポが急すぎる。それに二人で行った方が安全だろう。里見を呼び止める。

「ちょっと待ってくれ。良く考えたらここに三人残ってもしょうがないから、二、二で別れよう。甲賀と二人で行って来い。あと、これ」

 紙幣を数枚財布から取り出して渡す。まあ、仕方ないよなあ。高校生に払わせるわけにはいかないし。

「お、光平さすが! 大人! 行ってくるね、あ」

 今度は甲賀の手を引いて駆け出した里見は、すぐさま取って返してくる。暗い中でもメガネの奥の瞳が燃えているのが良く分かる。うう。これは結構怖いぞ。怪奇! 猫娘! みたいな。

「ねえ。大人ついでに頼みがあるんだけどさ。光平って一人暮らし?」

 大人ついでとは。そんな日本語ないぞ。でもまあ、そうだ。それがどうかしたか。

「お、ラッキー。じゃあ、この後光平の家で宇宙人ちゃんの話聞いてもいい?」

「あ? ……ああ、いや、実は台風でガラスをやられてな、今はホテルに避難している」

「ますますラッキーじゃん! じゃあその部屋、みんなで入れるよね? 急いで戻ってくるから、あんまり面白いこと聞かないで! 世間話でお願い!」

 人の不幸をラッキー扱いするな。なぜホテルに集合しなきゃならん、と言おうとしたが、

「宇宙人ちゃん、ちょっとごめんね! 下着もいるんだったよね」

 そう言うと、里見は突然宇宙人に抱き着き、離れたかと思うと服の隙間から宇宙人の胸を揉みだしたのでまた目を逸らさざるを得ない。「え、あ」と声を漏らしているところを見ると、さすがの宇宙人もやや動揺しているようだ。

「ごめんごめん! 一応目測はつけたくって。でもマジでなにも着けてないのね。うふふっ」

 終わったか、と振り返ると里見は不気味に笑っていた。いや状況が伴わなければすごくなんか女の子らしい、聞いてる方がくすぐったくなるような笑い方でかわいらしいんだけど、この突然のテンションについていけていないのでやっぱり不気味だった。

「結構いい感じだったよ! じゃ、行くね。行こ、春樹!」

 引っぱれるままになっている甲賀は、もはや無、といった表情で頷き、頷いている間に里見が走り出すので、なんだかがくがくしながら遠ざかって行った。なんだったんだ今のは。今日の大風を思い出すような大回転だった。はあ。どうにでもなるといい。流されるのは得意技だ。宇宙人の隣に腰を下ろす。面白い話はダメだったか。世間話、なあ。なるべく差しさわりのない話。できればこの子の「ヤバい」とこには触れないように。

「うーん。さすがに寒くないか、その恰好。布一枚だろ」

 いきなり触れてしまった。いや、これは、仕方がないよな。

「恰好に、よって、気温は、変動、しますか」

宇宙人は真顔で答える。何言ってんだ、こいつは。

「するだろ。いやえっと、環境は……まわりの気温は変動しないが、体感……自分が感じる、暑さ寒さは変わる。そりゃ宇宙のどこだろうと一緒じゃないのか」

「すみません」

「いや、謝る必要はない。寒いのか」

「恰好に、よる、ものかは、判断、困難、で、先ほどの、質問に、対する、返答は、現時点では、不可能、です。ですが、そうですね、私の、今まで、いた、ところ、よりは、遥かに、気温が、高い、ようです。だから、寒くは、ありません」

「ま、夏だからな」

「夏。夏は、気温が、高い、のですね」

 夏を知らないのか。夏とか四季とかない星ってあるんだろうか? 地軸が完全に太陽に対して水平? 垂直? ならそうなるのか? そもそも太陽的な星がないところで生まれ育った? こいつの住んでいた場所が、その星の熱帯とか寒帯とか、あんまり季節がないところだった? それとも、宇宙人は滅亡の危機に瀕していて、みんな地下シェルターで暮らしているのか? 完全に人工の都市とかだったら、靴は地球の知識としては知っているけど履く必要がないというのも分かるし、居住可能な惑星を探していて母星には戻れないというならば、「片道」というのも分かる。そういうことか? 

 いやそういうことの訳はない。この子はようするに自分を宇宙人だと思い込んでいる地球人の女の子だ。地球のことを何も知らない、という設定で話しているんだろう。設定が甘いから、他の星で普通に生活していれば分かるはずのことも分からないみたいな詰めが甘いところが出てきて、結果会話がおかしいことになる。SFだったら30点だ。まあいい。靴と服が届くまでの我慢だ。付き合ってやろう。

「このあたりは夏がきわめて短いから、たぶんすぐ涼しくなって、そんで寒くなるよ。だから、暑いのを楽しむのがおすすめだ」

「はい。楽しむ、とは」

「……君の星では感情とかないのか」

「おそらく、ありますが、良く、理解していません。快、不快、は、わかります。先ほどの、足への、刺激は、不快です。光平の、おんぶは、快でした」

「ああそう。それは光栄だ」

 しまった。里見が光平呼ばわりするものだから、呼称として定着してしまった。直接名乗った訳でもないのに、物覚えがいい奴だ。しかしなんか恥ずかしい。とはいえ、わざわざ真城と呼べというのも、さんをつけろというのもなんだかおかしい気がして、だから何も言わなかった。


 ともあれ、宇宙人の母星には感情はあるが、こいつは理解していない。ということは、宇宙人集団の中では劣等生で、島流しというか能力に合った程度の星、ということで地球が選ばれているパターンもなきにしもあらずか。もちろん真剣に考えているわけではない。単なる時間つぶしというか、本当に宇宙人説を成立させるとしたら? というゲームみたいなものだ。

「それで」と宇宙人が催促する。

「ああ、楽しむ、なあ。感情には快不快軸の他にたぶん覚醒非覚醒軸があって……三次元なのかもしれないけれど、まあとりあえず二次元でいうと、快と覚醒側でどちらも極端に高くない状態が楽しい、かな」

「やや、理解、困難、です」

「だろうな。じゃあ楽しそうなときに、それだって教えてやるよ」

「はい。先ほどの、里見は、楽しむ、ですか」

「ああ、さっきの里見は、そうだなあ。『楽しむ』にしては、快も覚醒も、特に覚醒の方が、高すぎる。なんだろうなあれは。基本感情の名称で言えば、『喜ぶ』で、個人的な印象で言えば、狂ったように喜ぶと書いて『狂喜』だな」

「なるほど」

「とまあこういうのがさっき里見が言っていた世間話だ。天気とか、気候とか、そういう話が無難で、野球、人間関係あたりになると少し相手のことを知らないと話せなくて、政治とか恋愛になってくると、かなり打ち解けないとできないから、世間話にもいくつかのレベルがある。今のはレベル1だな。にしては難易度高かったけど」

 なんの解説をしているんだろう、と思ったが、そもそも世間話なんてあまりしないものだから、そういう形で話を打ち切ろうとした。黙って里見・甲賀コンビを待とうと思う。ところが、宇宙人は返答を続けた。

「なるほど。野球、わかります。良く、見ていました」

 へえ。宇宙人は野球好き。って、うん?

「ルールは同じなのか?」

「同じ。何と、ですか」

「地球の野球と、君が言っている野球」

「同じ、ものを、指していると、思われます」

 野球ってそんな宇宙規模に普遍的なスポーツなのか。結構特殊な形態のスポーツのような気もするが。WBCの優勝チームと、宇宙人の星の代表チームとで、宇宙クライマックスシーズンというのはロマンがあふれる話であるが、もう設定を考えるのを放棄したくなった。いや全然放棄していいんだけど。靴を履かない、季節の概念もない、感情も分からない、それで野球は良く見ている。どうすんだよ、この話。まとまらねえよ。

「この地点の、ホーム・チームは、北海道日本ハムファイターズ」

「宇宙人にしちゃすげえ詳しいじゃないか」

「はい。野球の、映像は、良く、見ていましたので」

 なるほど。つまり、衛星放送でも傍受して、それを見ていたということだろうか。ということは、かなりこいつの星は近い設定になるが。第一そんなもんの受像範囲に人間型宇宙人がいれば流石に地球人だって間抜けじゃないんだから気づくもんじゃないかね。あとなにより野球選手はスパイク履いてるじゃないか。靴の必要性にくらい、気づけよ。

「ちゃんとNHKとかBSの受信料を払っているのか」

「それは、なんですか」

「いやすまん。冗談だ」

「冗談」

「そう。冗談は何が面白いか解説すると悲しくなるのであまりしたくないが、今のは、宇宙人が受信していることなんてNHKが把握しているわけがないから、そんなわけないでしょう、という突拍子もない発想の意外性によって、笑いを誘おうとする技法のひとつであって。いや、やっぱ忘れてくれ」

「はい」

 真剣な眼差しで言う。そして、

「今のは」

「んん?」

「今のは、レベル2、ですか」

「おお、本当だ、そうだな。レベル2だ。さっそくレベルアップした。おめでとう」

 怪しい。それは間違いない。

 間違いないが、なんだか真剣な様子でいうのでおかしくなって、笑顔を向ける。それを見た宇宙人は、口角を上げ、目を細める。やや不自然な気もするが、笑顔だった。素敵な表情だった。

 怪しい。それは間違いないが。

「いい顔だな。特段理由がなければ、そうしているといい」

「はい」

「あ、目は開けていい。口をこう、まあ笑顔だよな。笑顔が一番だよ、何事も」

「はい」

 優しい目で微笑んでいると、本当に印象が違うな。だいぶ、「ヤバい奴」警戒度が低下してきた。服装が目に入るとちょっと我に返ってしまうのが玉にキズであるが。

「しかしなあ、地球の人間は確か生理的微笑とかいって、わりと生まれつき笑ったり泣いたりできた気がするんだが、宇宙人はやっぱ違うわけか」

 ちょっと意地悪な質問をしてみる。このへんはあまり設定を考えてなかろうと思ったからだ。

「私も、小さいころは、泣いたり、笑ったり、していた、記憶が、あります」

「へえ?」

「ただ、そのあと、笑うような、ことは、あまり、なくて。学習の、機会が、ありません、でした」

 じゃあやっぱ劣等生説はなしか。となると滅亡に瀕した宇宙人説が現実味を、帯びてこないな。帯びてこないです。だって野球見てるんだろ? なんでそこだけ設定甘いんだ。

「そりゃあ気の毒に。野球を見ていて、手に汗握ったりはしないのか」

「球が、遠くに、飛ぶのは、素敵だと、思いますが。背景が、いまひとつ、わからなくて」

 そうかい。聞きたいこと、というか突っ込みたいことは山ほどあったが、里見に怒られそうなラインになってくるので、それからは仕方なく野球談議に花を咲かせることにした。宇宙人は、普段はみんなが静かにしているのに、小さな球が打ち上げられると声が上がり、まるで時間が動き出すかのような風景が好きらしい。そういうもんか。

 そうこうしていると、里見・甲賀コンビが帰ってきた。まずは里見が猛ダッシュで。甲賀は両手に袋を抱えながら、ひいひい言いながらついてきている。

「ただいま!」

「おかえり。ありがとな」

 甲賀はたどり着くなり座り込んで、ぜえぜえ言っている。

「甲賀もありがとな。というかすまんな」

 何か喋ろうとしたようだが、息が上がって声が出ないようで、結局気にしないでください的に手を振っていたので、もう喋るな、休んでろ、と声を掛けてやる。一方の里見は元気いっぱいで、袋をがさがさとあさって、

「まずこれ。靴ね。ちょっと似合わないかもしれなけど、柔らかいのがいいかと思ってバレエシューズにしといた。履ける?」

「さあ。試して、みます」

「いいよいいよ、履かせてあげる。ちょっと失礼しまーす」

 楽しそうだなあ。風景だけ見てると姉妹みたいで微笑ましい(宇宙人が姉だ)。ただ、姉妹のどっちにも異常性があるので、素直に微笑んではいられないんだけど。

「どう? サイズ合ってる? 宇宙人ちゃん、ちょっと立って!」

「はい」

「ちょっと足踏みしてみて。きつかったり脱げちゃったりしない?」

「はい」

 宇宙人は素直に従う。動きはぎこちないが、とりあえずこれで自力で歩けるようになったみたいだ。

「おっけー。ちゃんとしたのは今度光平に買ってもらってね」

 なんでだよ。

「じゃあそのまま立っててね。えっと次は」

 また袋をあさりだし、白いロングスカートを取り出す。それ、今の恰好と変わらなくねえ?

「いいのいいの。スカートだったら、巻けば履けるから。よいしょっと。ほら、上下セパレートになればちょっと印象違うでしょ」

 なるほど、確かに。ちょっとだけ服っぽくなった。

「それで、手は出して。じゃあ、ちょっと暑いけど、これ羽織って」

「はい」

 今度はカーディガンを取り出す。宇宙人がそれを羽織る。おお。服だ! 服を着ている(ように見える)!

「やるなあ。さすが女子高生」

「うーん、ややセクハラ」

 なぜだ。どこがだ。しかし、手腕は確かだったので見逃すことにしておく。

「下着はここでつけるわけにいかないから、光平のホテルでつけたげる。さ、行こ!」

「ちょっと待ってくれ」

 ふたたび宇宙人を残して、里見・甲賀コンビを呼び寄せ、顔を突き合わせて囁く。

「さっき交番に連れて行くことで合意したと思ったんだが、なぜホテルに来るんだ」

「え、だって宇宙人だよ? 興味ない?」

「なぜその確信に至ったんだ。どうみても地球人だろう。すね毛だの腋毛だの、生やそうと思えば生やせるし、服はおかしいがおかしすぎるというほどでもない」

「それね、実は聞き込みもしてきたの」

 里見が言うには、あの衣装はさすがに目立つだろうから、近くの地下鉄・スーパー・コンビニを一回りして(主に甲賀が。気の毒なことだ)、変わった白い服を来た女の子を見なかったか、と聞き込みをしてきたとのことだった。誰も見ているものはいなかった、という。

「そりゃあ、どこも寄らずに来ることだってあるだろうさ。というかむしろそうなんじゃないか?」

 彼女には、そうだな、友達がいないとか、親が自分に厳しいとか、とにかくこの世の中、地球が嫌になることが沢山あった。面白いものといえばTVで見る野球くらいだ。それで、自分は本当は宇宙人だと思い込む。よくあるかどうかは知らないが、本当に宇宙人が降りてくるよりはありそうな話だ。そんな最中、彼女は落下する透明な何かを見る。あれが自分を迎えに来た宇宙船だと思い、自分なりの宇宙服を見繕って山に登る。家はこの近所で、だから人目を避けて山に登るルートも確立していた。もしかしたらこの山で、時々宇宙と交信する真似事でもしていたのかもしれない。残念ながら、宇宙人は見つからなかった。けれども、暇人は見つかった。彼女はその時、これだと思ったんじゃないか。このオッサンに、自分が宇宙人だと名乗れば、自分は宇宙人になれるって。

「だとしたらね」

 里見が反論する。それがどこにせよ、自分の住んでいる家から裸足で山に入っている訳で、だったら足にけがの一つもあるはずだ。それに、本当に宇宙人に迎えに来てもらおうと思ったんだったら、一緒に宇宙船を探そう、という提案をするはずだ。なにせ千載一遇のチャンスなのだから。さらに言えば、地球に住んでいて、しかし自分が宇宙人だと思い込んでいるのなら、今の姿とか、今の名前はかりそめのもの、という認識があるはずだ。でも彼女は、今の姿は認めたし、名前はない、と言った。姿はともかく、名前がないはおかしい。思い込みだとしたら、「地球では、絵入杏えいり あんと呼ばれています」くらい言ってもいいだろう。

 そんなの一つも証拠にならない。絵入杏だけちょっと笑えるが。

「それを言うなら光平の話だって別に証拠はないでしょ」

「ない。ないけど、確かめることはできる。交番に連れて行けばいい。宇宙人思いこみ説が正しければ、家庭かそれに準ずる何かはあるはずで、だったら交番に届けて、捜索願とかが出ていれば、そこに送り返してもらえばいいだろう」

「じゃあですね」

 甲賀が割り込む。いたのか甲賀。

「ひどいっす。俺結構走ってますからね? いや、俺も基本的には真城さんに賛成です。でも、もし仮に本当にあのお姉さんが宇宙人だったとしますよね」

「かなり確率は低いと思うが」

「でも、だとしたら、交番に連れて行っても、向こうだって困りますよね」

「そりゃあ困るだろうが、しかしそれも含めて仕事だろう」

「仕事してない奴が偉そうに」

 これは里見だ。ひどい奴だ。してはいる。まっとうではないかもしれないが。

「それでですね。真城さん、時給っていくらですか?」

 はあ? 時給? なんの?

「いや、なんでも屋なんですよね。一時間いくらで働いてるんじゃないんですか? それとも、作業内容で総額が決定する感じですか?」

 急に何を言い出すんだ。というか、そこまで考えてなかった。だから嘘は嫌いなんだ。一度嘘をつくと、こうやって後をひく。嘘をつかないようにした結果こうなった気がしないでもないが。しかし、時給なあ。泥棒仕事での収入を思い出す。

「時給まではわからんが、日給にすると二万くらいか?」

 変に真面目に計算してしまった。

「なるほど」そういうと、甲賀は財布を取り出して、紙幣を差し出してくる。

 おい。舐めんなよ高校生。悪いがこっちはごろつきでもなんでもない。二万円ぽっちで買収されるほど、安くないんだ。少し怒ってやろうかと思う。使用人がいる金持ちのぼんぼんめ。なんでも金で解決できると思ったら大間違いだ。

「依頼です」

「買収のつも……依頼? 依頼って?」

「いやだから、なんでも屋なんですよね? で、日給が二万円なんすよね? 正直時給でお願いしたかったですけど、まあそういうくくりなら、いまから24時間とりあえず俺らの依頼に沿って動いてもらえませんか? そしたら、『それも含めて仕事』ですよね?」

「な……。いや、それは……」

 ふざけるなよ、ダメだ、屁理屈だ。上げ足をとりやがって。言うのは簡単だったし、実際、そう言うべきであったんだろう。

 ただ。依頼を受けて仕事をする。これはほとんど唯一の、泥棒仕事のルールだった。つまり、私利私欲では動かないこと。逆に言えば、誰かの責任で動くこと。このルールを破ることは、これまでの生活を否定するも同然だった。いや、否定されるのが嫌だったわけではない。否定されて当然の生き方だったとも思っている。ただ、年を取ると保守的になり、急な方向転換は腰に来る。時間をかけてじっくり考えて、やはりまっとうな生活をしよう、泥棒なんてやめようと覚悟してのルール破棄だったらした方がいいと思うが、今ここで、甲賀の「依頼」を無視することで、今後心にひっかかりを持ったまま仕事をすることになるのは避けたかった。納得することが大事だったからだ。それに。

「いや、なるほど、分かった。依頼内容を聞こう。話はそれからだ」

 そう。依頼を聞いたうえで、断るのはなんらルール違反ではない。何を言うつもりかは知らんが、そんな依頼は引き受けられない、と言ってやればいいのだ。無駄に悩んでしまった。

「じゃ、詳しくは真城さんのオフィスかなんかあればそこでお話しします。なければ、ご自宅が台風でダメになったとさっき聞きましたので、ホテルのお部屋、お邪魔してもいいですか?」

 そうきたか。そうきたかあ。なるほどなあ。

「まあ、うん、わかった。いいよ。行こう。くそ、今のお前みたいな奴をなんて言うかわかるか、甲賀」

「いや、わかんないっす」


「小賢しい、だ」

 まったく腹が立つガキだった。

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