泥棒は高校生と宇宙人に出会う。

 何も仕方のないことなんてなかったが、山を登ってみることにした。

 煙と馬鹿は、高いところが好きなのだ。


 山の中腹に向かって登山道、というよりははるかに整備された道を歩く。山頂を目指してみよう。たしか展望台があったはずだ。運動にもなるし。

 えっちらおっちら歩いて、山頂の公園に辿り着く。

 この街を短時間で二回見下ろすことになることは思わなかったが、相変わらず下界は大したものだった。

 とりとめもないことを、ぼんやりと考える。


 がさ、と後ろで音がして、「うわおう」と間抜けな声を出してしまう。


 熊だったら死ぬかなとか思いながら、恐る恐る振り向く。

 そこにいたのは、ショートヘアのメガネの女の子と坊主頭の男の子だった。

 短髪コンビだな。二人して揃いのジャージを着ているところを見ると、同じ高校のクラスメイトと言ったところか。人間であったことに少し安心する。


 メガネは遠慮会釈なしに懐中電灯を照らしてくる。メガネっ娘にはもう少しおしとやかにしていて欲しいものだが、特に何も言うことはないので黙っていた。懐中電灯の光が目に飛び込むので辟易する。


 「あんた何者?」

 メガネが言う。坊主頭が何か言おうとしたようだが、メガネはすっと手を伸ばしてそれを遮る。坊主頭はガタイが良くて目つきも悪く、しかも坊主頭なのに、草食系とでも言うべきか、ムッとする様子も見せず、おとなしく黙ってこちらを見て目で会釈するだけだ。

「何者というほどのことはない。なんだろう、登山をしている一般人だ」

「なんで? 何か理由があって登ったんじゃないの? この山に。台風の日に。わ・ざ・わ・ざ」

「なんだろうな、何か、目に見えないものが落ちてきた気がして」

 そう答えた途端、メガネが弾かれたように飛び跳ねる。

「それ! やっぱりあったんだ! ほら、言ったでしょ春樹はるき

「まあ、そうみたいだな。良かったな。分かったから俺を懐中電灯で照らさないで」

 坊主頭は苦笑しながら答える。メガネは喜びを抑えられないというように、懐中電灯をぶんぶん振り回して、だから言ったじゃない、とか、来て良かったでしょ、とか、そんなことを嬉しそうに言っている。暗くて良く見えないが、笑っている女の子は可愛らしいな、という気持ちになる。なかなか微笑ましい光景だった。


「それで?」

 急にメガネが向き直る。

 懐中電灯を顔にびしっと突きつけるのはやめて欲しい。眩しい。

「それでも何も、残念ながら何もないから、まあ帰ろうかなというところだ」

 そっか、とつぶやくように言って、メガネは唇に手を当て、

「頂上に行けばなんかあるかなと思ったけど甘かったね。しょうがない、やっぱ山の中に入るしかないかあ。おじさん、ありがと。一緒に探す?」

「「山の中に入る?」」

 坊主頭とハモってしまった。顔を見合わせて、お互い曖昧な笑みを浮かべる。

「いやいや、暗いし、ここ熊もいるんだぞ。危ないだろ」

「声出してれば大丈夫じゃない?」

「「じゃない」」

 まただ。


「正直気になりはするが、こんな夜中に山に入るってのはやっぱり危ない。ていうか昼間だって登山道を逸れるのは危ない」

「ええー。大丈夫だって、懐中電灯もあるしさ」

 明らかに不満げなメガネである。坊主頭の方が戦力にならなそうなので、仕方なく山を舐めると本当に危険なんだ、ということをこんこんと話す。別に登山家でもなんでもないが、そのくらいのことは分かる。

 なかなか納得しないメガネに業を煮やし、これも何かの縁だし、下まで一緒に行こうと宣言する。坊主頭もこの機を逃すまいと、それに追従する。

「分かった分かった。はぁーあ、でも残念だな」

 大げさにため息をついた後、行こ、と言って、メガネは振り返って歩き始めた。しばらく何を話すでもなく山を下る。メガネは諦めきれないようで、あちこちに懐中電灯を向けて闇を照らしている。


「君らは高校生か?」

 つい、沈黙に耐えかねて、なんとなく話の通じそうな、坊主頭の方に話しかけてみる。

「あ、そうです。あ、すいません、俺、甲賀こうがといいます」

「甲賀? 伊賀甲賀の、忍者の、甲賀?」

「あ、それです。なんか地名のほうは「こうか」っつって濁らないらしいんですけどね。ふつーに「こうが」っす。瞳術とか忍術は使えねえんですけど」

「高校で山田風太郎が流行ってるのか。結構古くないか、あれ」

「漫画の方っす。バジリスクです」

 ああ、なるほどね。それだって若干古いが。

「実力的には甲賀忍の方が圧倒的に上だったのに残念だったよな」

「それ、歴史の話すか? 漫画の話すか?」

「歴史の話は良く知らねえなあ」


「何の話してるの?」

 メガネが割り込む。お前は闇を照らしていればいいのに。さみしがり屋か。

「甲賀の名前の話かな。そういや君はなんて言うんだ」

「人に名前を尋ねるときは先に名乗ったら? まあいいけど。あたしは里見さとみ

「それ名前か? 苗字か?」

「苗字。南総里見八犬伝の里見ね。名前は紘子ひろこ。でおじさんは?」

「ああ、すまんすまん。真城光平ましろこうへいだ。真実の城に光る平和で真城光平」

 普通に本名を名乗ってしまったが、まあ別に良かろう。とにかくこれで短髪コンビの名前が分かった。メガネは里見紘子。坊主頭は甲賀春樹か。


「それで、里見・甲賀コンビはあれなのか? カップルなのか?」

「それセクハラだからね」

 里見は言う。そうなのか。それは失礼した。

「えーっと、ちょっと誤解を招くかもしれませんが、俺の家って使用人がいるんすよ」

 なんだと。使用人って実在するのか。甲賀は金持ちのボンボンなのか。

「うーん、ボンボンというか一応なんか家柄がそれなりにあるらしくて見栄張ってるというか……。まあ、でもまあ、そうですね、俺んち、結構金持ちです」

「はあ。それで?」

「あ、それでですね、ひろ……里見は使用人の娘で。結果幼馴染みたいな」

 で、結局付き合ってるのか、とかじゃあいざ結婚みたいな話になったら家柄の違いで苦労しそうだな、とか、そしたらこの二十一世紀に駆け落ちとかありえんのかな、とかの質問が頭に浮かぶが、また里見に怒られそうなのと、もともと人間関係はさして得意な方ではなく、だから深入りするつもりもなかったので、気の抜けた声を出してとりあえず話を終わらせた。


「真城さんは何されてるんですか?」

「されてると言われるほどのことは何もしていない。そうだなあ」

 個人的には『怪盗』と呼ばれたいところだが、ちょっと高望みすぎだろう。なんにせよ、泥棒仕事を生業にしているというのは初対面の高校生コンビに話す内容ではない。ただ、嘘は嫌いだった。

「まあ、なんでも屋ってところかな」

 ぎりぎり嘘ではない。依頼を受ければだいたいなんでもする。

「えっ何それ。胡散臭い。光平いくつなのよ」

 おい里見よ。いきなり呼び捨てか。胡散臭いて。

「この間三十になった。さっきもそのことをしみじみと考えていたところだ」

「うわ、それでそんなフリーターもどきみたいなことしてるわけ? 大丈夫なの?」

「何をもって大丈夫とするかによる。生存のレベルでは大丈夫で、社会的にはどうだろうな」

「大丈夫じゃないと思うな」

「おい、やめろって」

 甲賀が止めると、里見はだって本当じゃん? と口を尖らせる。

 少し気まずいと言えば気まずい空気が流れたところで、里見が立ち止まり、すっと手を伸ばす。どうした?


「何か、聞こえない?」

 あたりを見渡す。確かに何か、いや、何かというか、これは。

「女性の声、ですかね?」

 甲賀が言う。どうもそうらしい。つまり馬鹿は三人だけではなかったということだろうか。それとも比較的まっとうな人間が、何かまっとうな目的で山に登ってきて、遭難でもしたんだろうか?


「あっちかな」

 里見は元来た道からやや逸れた藪の中を指さす。うん。確かにそのようだ。ただ。

「なんか、この声、変な感じしないすか」

 そうなんだよ。話声ではない。じゃあ誰かに呼びかけているのか、というとそうでもない。歌っているわけでもない。平坦な声が、あー、あー、あー、と途切れ途切れに聞こえてくる感じだ。なんとなく背筋がぞくっとする。

「おいちょっとこれは怪談な感じだな。夏だけに」

「リアルに徘徊老人とかじゃない?」

 ううむ。それにしては声が若い気もするが、まあなんにせよあまりいい気持ちはしない事態の予感がひしひしとする。しかたない。年長者の務めだ。

「ううん、徘徊老人とか認知症とか、なんかそのあたりで明日ニュースになっても後味が悪いからちょっと見てくる。が、君らはここに居ろ。で、なんかあったら大声を出すから、そしたら逃げて、可能なら警察かなんかを呼んでくれると約束してくれれば少し安心できる」


 二人は沈黙している。それがいいのか、はたまた全員で行った方がいいのか、迷っているみたいだ。甲賀はガタイは良いのでついてきてくれれば正直ちょっと心強いが、そうなると里見を置き去りにする形になるし、全員で行って全員で遭難したり熊に食われたりというのは最悪だ。何より迷っているとだんだん怖くなる。そんなわけで、頼んだぞ、とふっきるように声を掛け、意を決して藪の中に飛び込む。


「あー、えーっと、誰か、いますか?」

 そりゃあいるだろうから間抜けな質問だった。


 ああー あー ああああああ 


 返事のような声。おい、ちゃんと返事してくれよ。怖いよ。


「えー、あの、なんか丑の刻参りとかで、姿を見られたくないとかだったら言ってくれれば、あの、まだ何も見てませんから呪いの件は問題ないので」


 あああ ああああああ ああ


 声はやまない。

「えー、それは、そっちに行ってもいいってことですかね? 行きますよ」


「はい」


 そこだけやけにはっきりした返事。ちゃんと返事をしてくれたことだし、よし、分かった。行こうじゃないか。


 その後も続く、ああ、ああという声を頼りにがさがさと鳴る藪をかき分けて進む。台風一過晴れていたこともあり、遊歩道はそれなりに明るかったが、一歩木々の中に分け入ると、とにかく暗い。里見に懐中電灯を借りてくるべきだった。

 スマホを懐中電灯代わりにするが、ほとんど意味はない。耳元で虫が飛ぶ音がして少し声が漏れる。動悸が上がる。呼吸も上がってくる。なんなんだ全く。なんとなく声がする方向を目指してはいるが、本当にこの道が正しいのかわからない。


 参った。かなり嫌になってきたところで、暗闇に光――というほどのものでもないが、やや明るいところが見えた。ひとまずそこに向かおう。正の走光性だ。

 何故そこが明るくなっていたかというと、その場所に生えていた木が放射状に薙ぎ倒されていたからで、良く考えるとそれはかなりの異常事態だった。でもそのときはそのことに気づく余裕はなかった。なぜなら。


 そこに彼女がいたからだ。


 暗い星空だ。

 でも眩しそうに空を見上げる彼女の横顔は、わずかな星の明かりに照らされて、なんだか消えてなくなってしまいそうで、だから目を離すことができなかった

 今度のこの子は何のためにここにいるんだろうか? 

 そんなことを考えながら、声もかけずに立ち尽くす。

 こちらから話しかけられなかったのは、彼女の美しさに見惚れていたから、ではなくて、単に息があがっていたのと、何を話せばいいかわからなかったからだ。


 彼女は顔をこちらに向け、じっとこちらを見る。大きな瞳だと思った。

 真剣な眼差しだ。正直に言うといくつかの意味で恥ずかしい話だが、この瞬間まで彼女の顔しか見てなかったので、ふいに体の方に目を落としてちょっと驚いた。


 スーパーナイスバディだったとか、足がなかったとかではない。

 適切な用語が見つからないが、彼女の服装は、てるてる坊主のような、ようするにただの白い布に穴をあけて、顔だけを出したようなものだったからだ。


 早く気づけよ。超異常事態、というかこれはヤバい奴に出くわしたのでは? 

 遅まきながら警報が鳴るのを感じる。落ち着きかけた動悸が再び激しくなる。そこにダメ押し、彼女の言葉。



「はじめまして、私、宇宙から、来ました。地球のことを、どうぞ、いろいろと、教えて、ください」




 宇宙から来ました? 宇宙から?

 いわゆる貧乏くじというやつを引いた予感が、ひしひしとした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る