泥棒は住みかを失う。
もちろん泥棒なんて仕事がまっとうな仕事だとは言わないし思ってさえいなかったが、しかし、急な方向転換は難しかった。
歳を取ると、急な方向転換は腰に来るからだ。
だからまあ、先のことは後で考えることにして、日々を無為に食いつぶしながら、とにかくただ、生存していた。
あの宇宙人と出会ったのは、そんなある日のことだった。
昼過ぎから馬鹿みたいな台風が来て、いろいろな物が倒れていたらしい。眠っていたから良く知らなかった。自転車が倒れ、自動車も横転し、ポプラ並木が倒れ、それから。
ごうごうと風が吹く音で目覚める。
ぼろアパートの二階に住んでいたから、ひときわ風が強く感じるということを差し引いても、こいつはなかなかの台風だな、と思う。
ただそれ以上の危機感はなく、呑気に寝転んだまま読みかけの小説に手を伸ばして、そのまま読み始める。
しばらくすると、ぐおん、とも、がおん、とも、ちょっと形容しがたい音がして、それからぶつりと何かが切れたような音がする。
昼だったのですぐには気付かなかったがたぶん停電だったんだろう。
おや? と顔を上げた瞬間、
ぐわっしゃあああん。
壮絶な音とともに、窓ガラスが叩き割れる。
窓際においてあったテレビセットが吹っ飛んできて、部屋にガラスの破片が散らばる。
アパートの外の電信柱が倒れて窓ガラスを突き破ったのだった。
いやはや。
これはどうしたもんなのか、と思いながら、風が吹きすさぶ部屋の中、まだ起き上りもせずにスマホで電信柱、倒れる、通報、とかで検索してみるが、ほとんど何も分からない。
仕方ないので警察に電話してみたところ、向こうも困った様子だったがひとまずパトカーをそっちに向かわせると言われる。
何しろ室内にはガラスの破片が散乱しているし、窓が消失したから大風が吹き込んでくるので、だったら外に出ても同じか、と覚悟を決める。
携帯、PC、スマホ、それから『蜘蛛』と通帳、財布なんかをなんとかリュックに詰めて、外に出る。
とんでもない風だった。
小石というか砂というか、なんか固いものがびちびちと顔にあたるので、結構立ってるのも辛いくらいだ。
台風だと勝手に思っていたが、雨は降っていないので、むしろ大風と呼ぶべきなのかもしれない。
部屋を突き破った電信柱は、当然だが電線が切れていて、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でデロリアンがタイムスリップした後みたいな火花が散っている。
階下に降りるとやじ馬が結構集まってきていて、その中の一人が悲鳴を上げる。
それで気づいたが、右腕をガラスが擦っていたのか、それなりにスプラッタな血が出ている。
救急車を呼ばなくてはと騒ぐおっさんもいたが、警察を呼んだし、見た目ほど大した怪我じゃないのでと断っていると、見知らぬおばちゃんが包帯を持って駆け付けてくれる。
ありがたく消毒してもらい、包帯を巻いてもらい、あの部屋の人なの、十何年前にもこういうすごい大風が来てねえ、あのときは子どもがお腹にいたから怖かったわあ。雨が来なかったのだけが救いだったけど、なんて話で盛り上がる。
非日常的な事態の中でその日常的な会話が、少しだけ精神を安定させる。
パトカーが到着し、予想通りといえば予想通りに、来たからと言って事態は特には変わらない。
変わったことと言えば、ひとまず事故の発生時刻を報告し、事故証明を出してもらえるから保険関係で必要だったら連絡をするようにと言われ、そうかそうかと思い出して、管理会社と保険会社に連絡したことくらいだ。
今回の大風でわりとどちらの会社も忙しいようだったが、結局アパートを借りる際に入っていた火災保険で、とりあえず数日のホテル暮らしをしても大丈夫らしいということが分かる。
さっき包帯を巻いてくれたおばちゃんが、部屋に入れないなら少しうちで休んで行ったら、風がおさまるまででも、と提案をしてくれる。
精神の安定にかかわる効能はさっき実感したところであったけれども、知らない人と長時間話すのはあまり得意ではなく、だからこれ以上はおそらくまた、精神の不安定に繋がるだろう。
お礼を言って辞去した後、アパートの駐輪場からホンダのスーパーカブ(ようするに、スクーターだ)を取り出し、風に煽られながら、ゆっくりと適当なホテルに向かう。
この機会にと少し高級な南向きの部屋を取り、先のことはその時考えることにする。
少し部屋でごろごろした後、やることがないことに気づき、小説かなんかを持って来ればよかったと思う。
スマホを眺めるという手もあったが、充電器も忘れてきており、ガラスが散乱するアパートに取りに帰るのも億劫だから、あまり長時間の使用はできないだろう。
手持ち無沙汰で部屋を漁り、聖書を数ページめくってみるが、さほど面白いものでもない。
特に何もあてはないが、部屋を出て、あたりをぶらつくことにする。
駅が近いから、何もなければそこまで行って、何か本でも買ってこよう。
煙と馬鹿は高いところが好きだという。煙ではないのでたぶん馬鹿なんだろう。
ホテルの中を当てもなく散策している途中で屋上に向かうドアを見つけて、少し迷ってから近くの窓を開けて『蜘蛛』を送り込む。
屋上側のドアと、今ここにあるドアの二枚構えだったらちょっと面倒かなと思っていたが、屋上側のドアの下部には通風孔というか、わりと大きめの穴が開いていたので楽勝だった。
スマホを見ながら『蜘蛛』を操作し、サムターンをふたつ回す。
短い階段を昇って、屋上フロアーに出る。
まだ風は強い。
というかますます強くなっている気さえする。
ここから落ちたらシャレにならないな、と思って警戒しながらも、景色を見渡す。
地面はなかなかの壮観だ。
久し振りに煙草が吸いたくなる。
ふと視界の隅に妙な感じを覚える。
うすぼんやりした空気の歪みが自由落下よりも遥かに遅く、西側、日が沈む山の方にゆるやかに落ちていくのが見える。
なんだありゃあ。
この目で見たのに訳が分からない。風がすこしおさまった気がする。
何かしら因果関係があるのかもしれない。
駅に出向く気にもならず、屋上から降りて部屋に戻る。
もちろんきちんと、鍵は掛けなおした。
部屋でぼんやり寝転がりながら、頭の片隅にはずっと落下物のことがある。
蜃気楼の亜種かなんかかと思ってググってみたり、似たような報告がないかツイッターを検索したりしてみたがぴったりくるものはなくて、結局山に向かってみることにする。
アパートに小説を取りに戻るのは億劫だったというのに、一体何をしているんだろうな、とは、少しだけ思う。
けれど、愚かな行為で人生を食いつぶすのはむしろ得意技、だから深く気にすることもなく、なんとなく苛立った街をカブに乗ってちんたら進む。
登山口にカブを停めて、山を眺めるが、特に異常は見受けられない。
仕方がない、とひとつため息をついて、山を登りだす。
何が仕方ないというのか。
深く考えるまでもなく、仕方ないことなんて、何もなかった。
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