泥棒は宇宙人に名前を付ける。

 で、翌日。

 高校生コンビにはちょっと休場願って、とりあえず動き出すことにする。

 引越し関係でこまごまとした手続きがあり、それを午前中に済ませた後、住民票も書き換えなくてはならないし、いよいよ宇宙人の地球生活手続きもしなくてはならない、と意気込んで区役所に行ってみたが、これがもうどっと疲れた。

 

 とにかく宇宙人の名前を聞かれ、名前も分からないというと、まずそこで業務がはっきりと滞る。まあ、確かにそれはそうだ。良く分かる。

 戸籍住民課に行ってみたが、名前が分からなければ戸籍の確認などできるはずもなく、戸籍が存在しない場合は戸籍住民課では対応できないということで、相談窓口を案内される。相談窓口に行くと、戸籍住民課を案内され、すでにそこで手詰まり感はあったが、そこはダメと言われましたと伝えると、保健福祉科の心の相談窓口を案内される。

 心の相談してどうするんだ、と思いながらそちらに行くと、保険証の提示を求められ、ないというと保険年金課の窓口を進められるが、やっぱり戸籍が存在しないので保険証を交付することは難しいと言われる。

 半ばやけくそになって、総務企画課、地域振興課、社会福祉協議会の窓口を立て続けに回っては、こちらでは相談を受けかねますと言われ、まあそりゃあそうですよね、という気持ちになって手詰まりであることが確定する。


 各窓口で数分から数十分待たされ、名前を聞かれ、名前は無いと何度も答え、状況を説明し、場合によっては宇宙人との関係性を疑われ、ということを一通り終えたころには3時間ほど経過していて、閉庁時間も過ぎていたので職員用の出入り口を案内してもらい、そこから出る。

 基本的に区役所の職員は親身になって話は聞いてくれるし、遅くまで働かせてしまって申し訳ないことをしたなとも思うが、しかし話が進展しないことで疲労感が強い。

 そしてとにかく、宇宙人の名前を聞かれるたびに、なんだか分からないが腹が立つような、そんな気持ちになった。


「参ったなぁ。どもならん。とりあえず飯でも食って帰るか」

 宇宙人は黙っている。それに驚いたことに少し驚いた。短い付き合いだが、この子の「はい」という相槌はすっかり定着しているらしい。ていうか、どうした? 

 宇宙人の方に向き直る。真っ赤な顔をしている。良く見ると(良く聞くと?)息も荒いようだ。短くて早い呼吸を繰り返している。しまった、と思った。こんな簡単なことになぜ気づかなかったんだ。


 宇宙で暮らしてきた地球人。初めての地球での生活。昨日の夢を思い出す。たぶん無意識では気づいていたんだろう。宇宙戦争において、人類はどうやって勝利したか。つまり。

「お前あれか、免疫ゼロか」

「めん……えき……、体内に生成された病原体などに対する抗体……」

 答えになっていない。が、どうやらそのようだ。無駄な気もするが、観測しているというなら聞いておけ。異星人め。人間はガキの頃から色々病気になって免疫を作ってから大人になるし、そもそも人類は散々初見殺しみたいなウィルスに殺されて必死にワクチンを作って、それでなんとかやってきてんだよ。そこガン無視して地球に無菌生活していた人間送り込んで観測とか言ってんじゃねえよ。どう考えても無理ゲーだ。

 言ったはいいが言ってる場合じゃない。救急車を呼ぶべきか悩んだがひとまずタクシーを止める。宇宙人はというと、かなりふらついて、立ってるだけで苦しそうだ。


 くそ。くそ。心臓が締め付けられるようだ。嫌な気分だ。頼むぜ。ほとんど抱き抱えるようにして、宇宙人をタクシーに乗せ、「この辺に救急病院はあります?」と尋ねる。時間は18時。普通の病院は閉まっている。

「あー、あの大学病院は空いてると思いますけど…。おねぇちゃん具合悪いのかい」

「そうなんです。とりあえず大学病院まで。で、ちょっと調べるんで、でもとりあえず走って下さい」

 携帯で今日の救急病院を調べる。西の方の病院が開いてるようだ。宇宙人は苦しそうに体を預けてくる。やっぱり救急車を呼ぶべきだったか? 思考がまとまらない。

「あの、西18丁目の病院が今日の当番医みたいなんで、そこまで」

「あいよ」

 幸い方向は同じだったので走行距離は無駄にならずに済んだ。タクシーが移動を始めるが、赤信号を無視するわけにはいかない。信号待ちで停るたびに焦りが生まれる。


「目を閉じてろ。なんなら横になってもいい」

「……はい……」

 宇宙人は素直に目を閉じて、シートにもたれかかる。

「大丈夫だ。日本に降りてきてラッキーだったな。日本の医療は、多分結構凄いし、保険はなくてもまあ払えない額じゃあないからな。いや、何を言ってるんだろうな。すまん。眠っていていい」

「あの……はい……いえ……」

「どうした。どこかおかしいなら言ってくれ」

「おかしい……のは身体……ですが……そうではなく……、あの……なにか、話していて、くれると、不快が……少し、減る、ような……」

「なるほど、良くわかった。返事はしなくていいぞ。そうだな。楽しい話をしよう。さっき行ってた区役所の近くにはカレー屋があって、今日はそこで飯でも食おうと思っていたんだが、これがなかなか美味いんだ。サンドイッチとかフレンチトーストとか、パンを食べただろう。あれに似た小麦製品で、名前も似てるが多分由来は全然違うナンという食い物があってな、これでカレーを食うと美味いんだ。というか、そう、カレーと一口に言ってもな、具材とかルーの種類、何で食うかによって物凄いバリエーションがあって、カレーを極めるだけでもまあ一月はかかるんじゃないか? 札幌ではここしばらく、スープカレーというタイプのカレーも流行っているんで、これは愛好家が全国にいるくらい多様なものだから、こっちも加えたらもうとんでもない量だ。しかもこれはカレーだけを食した場合で、実際はそれだと人間は飽きるんで、いや飽きない奴もいるが、他の食べ物を組み込むと……まあだから観測するものはまだまだ沢山ある。だからその」

 死ぬなよ、と言葉に出すのがなんとなく恐くて、言葉を止める。しかし、我ながらくだらないテーマだった。気づけば宇宙人は眠っていた。それはこの話がつまらなかったということかい、と少しだけ憤慨したが、今は許してやることにした。

 

 そして、宇宙人の手を握った。


 今できることはそれくらいしかなかったからだ。そうしないと落ち着かない気分だ、というのもあった。車内では何もできることがないからだ。タクシーはようやく病院に着いた。代金を払い、ドアを開けてもらって、宇宙人を抱き上げる。


「あ……」

 半覚醒で身じろぎする宇宙人だが、

「まだ寝てていい。診察は多分すぐはできないから、それまでは眠っていろ」

「は……」い、とも言えずに、宇宙人は眠りに落ちた。


 ひとまず病院の長椅子に寝かせ、上着をかけてやる。寝相が良いのは知っていたが、なんとなく心配になってもう一つの長椅子を引きずってきて、寝返りをうっても落ちないようにしてから、受付に行く。さて。ここが勘所だ。

「どうされましたか?」

 受付の女性が尋ねる。

「ええとですね。怪しいものではありません。身分証も保険証もあります。なんならつい先日駅前交番でこの件を相談したので、そちらに確認とっていただいても構いません。で、そこで寝てる女性なんですが……ええと、保険証もなくて、身元が良くわからないんです。もしかしたら、BCGとか、すいません詳しくないんですが、そういうワクチンとかも未接種かもしれません。というか多分そうです。それで、彼女はたぶん今熱があって、体調不良のようです。ここまでよろしいですか?」

 よろしいわけがない。

 ないが、さすがに医療従事者は違った。15秒ほど沈黙があり、ここから何を説明するべきか考えはじめたところで、

「わかりました。それではですね、まず無保険診療ということになりますので、医療費がかなり高額になる可能性がありますが、それは問題ありませんか?」

「大丈夫です」

「パスポートとかもないんですね?」

「ないです」

「そちらの女性の、お名前は?」

「それも……いや、少し、考えます」

「はあ。それではですね、念のため警察に連絡を入れます。そちらの対応もお願いいたします。よろしいですか?」

「むしろお願いします」

「それでは、こちらの問診票に、分かる範囲で結構ですので、症状などお書きください。それから、こちら体温計で、熱も測っておいてください」

「ありがとうございます」


 はぁ。安堵のため息が出る。診療拒否をされなくて本当に良かった。深々と頭を下げて、宇宙人の元に戻る。すまん、と内心で詫びて、シャツのボタンを外し、体温計を脇に挟んでやる。問診票を見る。

 名前。名前名前名前。いい加減にしろよ。今日散々尋ねられ、分からないと答え続けて、不審な顔をされて。問診票にも当然のことながら、名前と生年月日を書く欄が存在する。

 いやまあこの情報が診察にはそこまで大きく影響しないとは思うが、参ったな。こいつには、名前も誕生日もないのか。おまけに免疫もない。帰る場所も当然ない。何もないじゃないか。いい加減にしろよ。いい加減に、しろ。


 異星人よ。こいつの命を救ったことは高く評価する。異星人にしては頑張って知識を与えたのもまあわかる。それにしてもだ。もう少しなんかこう、なにかをあげても良かったんじゃないだろうか。

 そう思うと何か頭のどこかがふっと切れたようになって、つまりふっきれて、名前の欄には真城空ましろそらと乱暴に書き、誕生日はこいつと初めて出会った日の日付を書き入れた。ちなみに生年は、仮に20年前にしておいた。成人の方が何かと便利だろうし。

 体温計を取り出してみると、とっくに計測は終わっていて、39度7分だった。うわ。しんどいだろうな。問診票と体温計を渡して、ついでに自販機でスポーツドリンクを買っておいた。そうしたら何もすることがなくなったので、仕方なくもう一度、宇宙人の、いや、真城空、の手を握ることにした。他に何もできることはなかったからだ。それ以外の理由は、たぶんない。


 と思ったができること、というかやるべきことを思い出して、手を離す。まず、ある程度金をおろしてこないといけないし、警察が来るそうだからその対応をしている間、空に付き添ってもらう誰かがいる。人間関係は基本的に不得意、などと言っていないで、人付き合いの輪を広げておくべきだったな。

 すぐに思いついたのは里見・甲賀コンビで、まず高校生に頼るのかよと情けなくなるが、それとは違う理由で却下した。警察沙汰に巻き込むことになるのはさすがに高校生には荷が重いだろう。引越しの保証人の件で久しぶりに電話をしたから、そのついでに親父に頼んでも良かったが、しかし親父は隣の市に住んでいるので、ちょっと車でも時間がかかる。しかたがない、いきなり厚意に甘える形になるが、猫美に頼ろう。

「分かった。ただ知っての通りわたしは基本引きこもりだから、そこまで歩くのはしんどい。タクシーを使わせてもらうぞ」

「全く構わん。むしろそう頼もうと思っていた」

「それから、アレか? 無保険なんだろどうせ。当座の資金を貸してやろうか」

「それはめちゃくちゃ助かる。明日には返すよ。あと、悪いが着替えも持って出てきてくれないか」

「んう?」

 お。こいつが驚くのは割と珍しい。

「いやその。今晩は泊まりになるかもわからんから、付き合ってもらいたかったんだが、そこまでは迷惑か?」

「いや、そんなことは全く完全にない。少し予想外だっただけだ。ちょっと待ってくれ。服は最低限はあるんだが、下着が、いや、うむ。い、急ぐよな?」

 こいつまさか換えの下着を持ってないのか。まあ引きこもりというかPCの前からほぼ動かない奴だから、それもありえるのかもしれん。いやしかし最近は随分女性下着のことで悩まされる。こんな日がこようとは思わなかった。

「とりあえず金銭の問題が解決したから若干余裕はあるが、でもまあ早く来てもらえると安心する。なんだ、その、足りないものがあるなら後でジャスコでも寄ろう」

「わ、わかった。向かう。18丁目の救急外来で良いのだね?」

「察しが良くて極めて助かる。待っている」

 電話を切る。ふぅ、と溜め息をついて病院内に戻る。まだ診察順は来ていないらしいが、空は薄く目をあけて天井を見ていた。少し症状は落ち着いたらしい。


 少しだけ息を吸い込んで、宇宙人に、いや――空に、言う。

「あのな。名前をやるよ。気にいるかはわからないけど」

「名前、ですか」

「お前はさ。なんもないんだよな。だから名前くらいはあげたいと思うんだ。ま、当座でもいい。そのな」

 少し恥ずかしい。

「空、というのはどうだ」

「空は、屋外に、おいて、頭上に、広がる、空間のことですね……。すでに、現存する、事象と、同一の、名称を、持つことは、可能、なのですか?」

「可能だ。それどころか、空はお前のものになるんだ」

「空の、所有権を、持つ、という、意味ですか?」

「事実とは異なるが、概念的には、そうだと言っていい」

「そうですか」

 そう言って、少し微笑む。

「一応領空があるから、実際はそれぞれの国家が空の所有権を持っている。……と思う。今度誰かに聞いてみよう。でもそういうことじゃなくて、なんだろうな。概念としての空だ。それはお前のものなんだ」

 空はふっと気づくと、空を見上げている。そんな時、さみしい、とも眩しい、とも違うような、なんだか消えてなくなってしまいそうな、そんな顔をしている。本人に自覚はないだろうけれど、こいつは生まれてすぐにまっとうに生きる権利を盗まれて、辛うじて生き延びたと思ったら、今度は地球の監視だか観測だかという役目をもって地球に「帰って」きた。

 でも帰ってきたというのは、その事象の外側から見たときの話で、こいつの主観では、地球に「訪れた」だろう。で、宇宙が、空が、こいつの本当の故郷なんだ。でもその故郷に帰ることはもうできない。こいつは何一つ悪くないのに色々なものを盗まれてきて、最後にはふるさとまで盗まれている。なんだかそれが悲しかった。

 空を見上げるときのこいつの顔を見ていると、なんだか胸が痛むような気がする。腹が立つ。だから、名前くらいはこいつに与えてもいいんじゃあないかと思った。

「……良く、分かりません。ごめんなさい」

「そうか。謝らなくていいし、分からなくていい。どうだ、空。響きは気に入ったか」

「ええ、問題ないと、思います」

 そうか。それならいいさ。


 泥棒につけられた名前なんて、いつかどこかでぶん投げてしまえばいい。

 ただ、今はこいつに名前をつけて、その名前を呼んでやりたかった。

 ただの、それだけのことだった。

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