泥棒と宇宙人は昔話に苦戦している。
夜。
せっかく買い込んで来たので、本を試しに読んでみろよ、と宇宙人に提案する。レストランガイドは強い熱意をもって読み進む宇宙人であったが、児童向けのファンタジーは、どうにも手ごわいようだった。
まあちょっとわかる。昔、ハリーポッターが流行ったとき、それなりに英語だって読んでいたから、しょせん児童文学だろと思って原著を買って、先の話を知ろうとしたのだが、数ページで挫折した。というのは、文法は分かるが、知らない単語が多すぎた。ツタ、だの、雑貨屋、だの、日本語だったら簡単な言葉だけど、英語で見て分かれと言われると無理がある。という訳で一ページ読み進めるのに辞書を滅茶苦茶引くことになり、しかも苦労して辞書をひいたら、それの意味が「ほうき(ちなみに、英語ではbroomというらしい)」だったときのがっかり感ときたら。いやそれで英語力が向上しましたとなれば美談であるがそこまでの熱意もなくって、結局すぐに読むのをやめてしまった。
だからまあ、分かる。そうだよなあ。この宇宙人は、地球のことを何も知らないのに、突然ファンタジー用語がたくさん出てきてもイメージは湧くまい。
「いや、悪かった。お前にはまだ、早いみたいだな」
「はい……。読めなくて、すみません」
「いや、謝ることはない。ゆっくり学習すればいいだろう」
そう言って、頭を撫でてやる。
宇宙人は天気のいい春の花畑で伸びをしているような顔をする。この宇宙人は「なるべく笑顔でいろ」と言ってからこっち律儀に薄い微笑みを浮かべているのだが、やはりまだちょっとぎこちない。でも頭を撫でてやると自然に穏やかな表情になる、気がするが、良く考えるとどこに里見の監視の目があるかも分からず、我に返って手を引っ込める。
「ふわあ。すみません、眠たく、なって、来ました」
「そうかい。だったら寝よう。あ、そうだ。寝物語をしてやろうか」
「寝物語、ですか?」
「うん。地球の子供はさ、寝る前に昔話なんかを聞くんだよ。昔話というのは、まあその、なんだろうか、昔こういうことがあった、というていで、本当ではない話をするんだけど、まあそれはいいや。要するに、お前が眠るまで、近くで話をしてやろうかという提案だ。煩わしくなければ、どうだ」
「ぜひ、お願いします」
二人で歯を磨いたり用を足したり、ようするに寝る準備をして、ベッドに入る。あ、一応再度確認をしておくが、ホテルのツインルームであり、だからそれぞれ別のベッドである。宇宙人宇宙人というが、本質的には地球人の年若い女の子、だから別室をとるのが正しい人間の道、なんだろうが、金銭的に結構違うのと、あとなんとなく宇宙人を一人にしておくのもどうかというところで、やましい気持ちはないんですよ。本当です。あまり言い募ると本当に怪しく見えるので、この辺にしておこう。
「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」
「はい。それが、寝物語、ですね」
「うん。桃太郎、という話だ。相槌は、別にうたなくていいぞ。でだな。おじいさんは、山へしばかりに、おばあさんは、川へ洗濯にいきました」
「はあ、ええと。質問は、しても、良いですか?」
「ん? なんだ」
「二つ、ありますが、まず、しばかり、とは、何ですか?」
「え?」
しばかりって何と言われても。
まあ、しばを刈るんだろう。で、しばは植物、だろうけど、あれか? 芝生のようなことでいいんだろうか。それ、刈ってどうするんだ。
「言われてみれば。ちょっと待ってな」
スマホの明かりが宇宙人の目に入らないようにして、"芝刈りとは"でググろうとすると、"芝刈りとは 桃太郎"がサジェストされ、多くの日本人が疑問を抱いていることが分かり、少し安心する。
「ああ、えっと、柴が思ってた漢字と違ったな……。芝生の芝じゃあ、ねえんだな。明日、教えてやるけど、まあ要するに、小さい木らしい。小さい木を切って持って帰ってきて、燃料とかにするんだろう」
「ほお。今でも、そういうことは、あるのですか?」
「ほぼない。いや、とりあえず全くない。趣味でやる奴はいるだろうが。昔、というのは、そうだなあ、たぶん三百年とかそういう大昔の話なので、文化が大きく違うんだよ。まあそのあたりは映像とかを見ながらいずれ話をしてやる。お前に文明が発達してない、ということを言っても、あまりピンとこないだろうからな」
「はい。そう、ですね。でも、ということは、二つ目の質問は、おおむね、解消、しました。私の知る限り、洗濯は、主に、自宅で、なされる、衣類の、洗浄行為、でしたので、なぜ、川に、出向くかが、分からなかった、のです。文化の、違い、ですね」
「そうだな。文化の違いというか、今はほら、歯を磨く時とか、蛇口をひねれば水が出るし、シャワーも浴びられるし、トイレのあとは水が流れるだろ。こういうふうに、水を色々なところに使いやすく配置されるようになったのは本当に最近のことで、それまではこういう、身近な水場で水を使う仕事をしていた、ということだな」
「なるほど」
「よし、続きだ。それでだな。おばあさんが、川で洗濯をしていると、川の上流から、大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと、流れてきました」
「はい。桃、とは、果物ですね」
「そうだな。おばあさんがその桃を持ち帰って、包丁で割ってみると、中から、玉のような赤ん坊が生まれました」
「えっ」
宇宙人のリアクションに笑う。いや、まあ確かに冷静に考えると、超展開も超展開だ。
「まあ、実際には桃から人間は、出てこないけどな。その、なんだろう、原典は確かもうちょっと違う展開なんだけど、それ子供向きじゃあないんだよな。それで、桃からダイレクトに子供が出てくる話になって、冷静に聞くと訳分からないけど、まあ、そういうもんだ、お話し、というのはさ」
「はあ……いえ、私は、大きな桃、といっても、その、そうですねえ。私の、顔、くらいの、大きさの、イメージを、していたので。でも、赤ん坊が、入っているということは、大きさに、かなりの、上方修正が、必要でして」
「そうか。ちょっと面白いな、お前は」
「そう、ですか」
桃のサイズに驚いていたのかよ。まあいい。話を続けるとしよう。
「で、だ。おじいさんとおばあさんは、子供が欲しかったけど恵まれなかったんで、うれしかったんだよな。それで、その赤ん坊を、桃から生まれたので、桃太郎と名付けて、育てるわけだ」
「ふむふむ」
「桃太郎はすくすく育って、立派な青年になりました。すると、桃太郎は、言いました。『おじいさん、おばあさん、今まで育ててくれて、ありがとうございます。これから、鬼退治に出かけます』」
落ち着いて考えると何この話。鬼のこと、一言も言ってなかったじゃん。伏線とかないわけ? そうだな、山へ柴刈りに、とかのあたりで、ちょっと鬼による暴政の描写を入れておくとかさ。
「……え、っと」
「いや、うん。言いたいことは分かる。よく考えると、突拍子がなさすぎるなあ」
「まず、鬼、というのは」
「鬼というのはそうだなあ。これは実在する生物ではない。ええとだなあ、お前に説明するのが凄く難しいが、角って分かるか」
「角というのは、動物に生える、硬質化した、皮膚の、ことですね。サイ、に、生えていたと、記憶しています。サイ、を、近くで見たことは、ないのですが」
「円山動物園に居たっけかな……まあいいや。そう、それだ。その、鬼というのは、でかくて、体が赤かったり青かったりして、角が生えた、人間みたいな形をした、想像上の生物だ」
「…………え、と」
「挿絵が必要だなあ。まあ、明日な。どうする、訳分からんか。やめるか?」
「いえ、興味は、非常に、惹かれます」
「そうか。じゃあもう少し続けようか。眠くなったら、寝ちゃってもいいんだからな。ええと、そう、桃太郎は鬼退治に行くと言った訳だが、この鬼というのは、ううん、これも難しいんだけど、基本的には悪いことをする存在というか、まあその、境界線上に湧くなんか、悪いものの集合、みたいな存在で、ええと、いや、まあ、とりあえずこの話の中では無条件に悪者なんだ。たぶん村を襲って農作物を持っていったり、子供を食べちゃったり、そういうことをしてたのではないかと思うが、詳細は不明だ。とにかく悪い奴だから、やっつけにいく。それで、いいか」
「はい。悪い奴を、やっつける、ですね」
「世の中そういう風に単純にできてりゃあ、いいんだけどな。まあ、そういう話なんだ。それで、桃太郎がそう言うと、おじいさんが昔使っていた鎧兜と刀を、おばあさんが日本一とかいた幟と、きびだんごをくれる訳だな」
これも良く考えるとすげえ状況というか、ってことはおじいさんは元武士かなんかだったのか。おじいさんの過去に極めて興味を惹かれるが、まあそれは誰も知らない歴史の闇という奴なんだろう。当時は物凄い剣豪で、だから無用な争いを避けるために、日本一という幟を立てて周りを牽制していたのかもしれない。そう考えると面白いな、じいさん。
「鎧兜と刀は、武器と、防具、ということですね。幟、というのは」
「ううん……。あ、えっと、ほら。ジャスコに行く途中で、クリーニング屋があってさ。なんかひらひらしてた物があるだろう。あれが、幟。それを背負って歩くんだ。まあ、なんだろう、自分の存在を世に知らしめすものというか……。ファッションの一種なのかな」
「なるほど」
「で、きびだんごというのはそのまんま、きびという植物を使って作った、団子だな。お前、和菓子はあんま食ったことないよな。今度、食べてみよう。今のきびだんごと昔の団子はだいぶ違うと思うが」
「はい! それは、楽しみですね」
急に声が明るくなった。眠気はすっかり飛んでしまったようで、だとしたら、この寝物語全然正しい作用を示してないんだけど、まあ、いっか、別に。
「それで、桃太郎が鬼ヶ島――これ、鬼の住んでるところの名前な――に向かって歩いていると、突然犬が現れる。そんで、こう言う。『ももたろさん、ももたろさん、おこしにつけた きびだんご、ひとつ私に、くださいな』。それを聞いた桃太郎は、『あげましょうあげましょう、これから鬼の征伐に、ついてくるならあげましょう』と答える」
「犬は、その、人間、ではない、動物、ですよね。その、犬、が、話すというのは」
「まあ、それは物語では良くあることだ。本当はしゃべらないけどな。アニミズムというか……、いやまあどうでもいい。そういうもんだ、と思ってくれ」
「はい」
「で、同じようにサルとキジも仲間にする」
「キジ、は、ちょっと、わかりません」
「ええと、鳥だ。今度図鑑でも見てみよう」
「はい」
どんどん宿題が増えていく。たった一人地球で暮らすことだって楽ではないというのに、こいつを地球で暮らさせるなんて依頼を引き受け、それにタスクを重ねていくような真似は自殺行為のような気もする。
「それで小舟を借りて鬼ヶ島に向かう。鬼ヶ島にはこう、でかい門があるんだが、えーっとサルかな? たぶんサルが、門を上って内側から鍵を開けるんだ。で、鬼と決戦が始まる」
「戦う、のですね。暴力で、ということでしょうか」
「そうなんだよなあ。まあ、一応桃太郎は正義の味方だから、たぶん話し合いで説得しようとはしたと思うんだけど、でも不法侵入してるのは桃太郎の方でもあるから、どうなんだろうな」
特に不法侵入癖がある泥棒にしてみれば、そりゃあ、急に鍵を開けて入ってこられたら、そこの住人が底抜けの善人だとしても、撃退されるだろう、とも思う。そう考えると、どこかで鬼の暴政についての伏線が必要だよなあ、やっぱ。
「まあともかく、犬はかみつくし、サルはひっかくし、キジは目つぶしをしたりして、最終的に桃太郎は鬼の大将、ようするに一番偉い奴をやっつける。そうすると、鬼は、『金銀財宝をあげるから、勘弁してください』と言って、宝を持ってくる」
「……なんとなく、ですが、鬼、の方に、気の毒さを、感じます」
「まあ、昔の話だから。今はこういう解決方法は良くないと思うが、シンプルな時代だったんだな。この時代に生まれてなくて良かったということにしよう。それで、その財宝を持ち帰って、桃太郎は、おじいさんとおばあさんと、犬とサルとキジと、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、という話だ」
「ふうん。非常に、なんというか、興味深い、お話しですね」
「なんか、考えることが、色々あるよなあ」
「むかしむかし、に、該当する、時代の、知識が、必要ですね」
「とは言えだな。世の中の子供は、特に疑問を持たずにこの話を聞いて、それで育つわけだから、前提知識が必須という訳でもないと思うんだが……。まあ、中途半端に世の中のことを知っていると、逆に不便だということだな。あ、責めてる訳じゃあ、ないぞ。大丈夫、これから学んでいけばいいさ。お前の質問は、凄く新鮮で、面白かったから、きっと大事なことだと思う。その、お互いにとって」
「はい」
宇宙人はそう答えて、くすりと笑い、「ありがとうございます」と続けた。
無表情だった宇宙人に、笑っていた方がいいと伝えて、それから律儀に微笑んでいることに不平不満はないというか、言われたとおりにしていて偉いと思うが、しかし少し押しつけがましかったかと心配していたこともあって、こいつの笑い声を聞くと、ちょっと安心する。
「お前の笑い声はさ、ちょっとした、音楽みたいに聞こえる」
「そう、ですか」
「そうだ。だから、……いや、なんでもない。そうだな、まだ眠くないのだったら、宇宙から来たであろう、女の話をしてやろう」
「はい。私と、境遇が、似ていますね」
「そう、かもな」
そう言って、かぐや姫の話をはじめて、それで少しだけ、不安になる。
こいつもいつか、月に帰って行ったり、するんだろうか?
いや、帰るなら全然帰ればいいと思うけど、どうなんだろう。こいつにとっては、地球で暮らしていくことと、宇宙に「帰る」こと。どっちが幸せなんだろう。
かぐや姫自体は結構実は複雑な話で(構造は単純なんだけど、アイテムと登場人物が多いよな)、宇宙に帰る問題について考えつつ、しかも宇宙人の質問に答えながらする話は結構難しく、最後の方は投げやりになってしまう。
「まあ、それでなんやかんやあってだな、かぐや姫は月に、帰ってしまうんだ」
「そう、ですか。かぐや姫は、月に、帰りたかったのでしょうか?」
「どうなんだろうなあ。育ててくれたじいさんとばあさんに、恩を感じていたのは、確かだろうけど。不老不死の薬というのを、くれたらしい。かぐや姫のいない世界で生きていたってしょうがないというので、富士山で焼いた、というか、そこらの山で焼いたらそれが富士山になったということなのかな。でも、そうだなあ、月に帰らなきゃあいけないといって、泣いていたんだとしたら、帰りたくなかったのかもしれないし。別れは寂しいけど、実家は実家だから、帰りたいは、帰りたかったのかもなあ。わからない。その、お前は――」
「私、ですか」
「そうだ。お前、どうなんだ。帰れるものなら、宇宙船に、帰りたいか?」
「いいえ。地球は、とても、いいところです。食べ物も、美味しいですし、光平にも、会えました。だから、その、もし、誰かが、迎えに、来ても。帰りたくは、ない、です」
「そうか。異星人と戦える気がしないけど、まあ、万が一迎えが来たら、説得はしてみるさ。こいつは地球で、なんとかやっていくんで、よろしくお願いします、くらいはな」
「お願いします」
昨日から安請け合いを連発している気がするが、そうならないことを、祈るしかない。ここの宇宙人が、地球で暮らしたいというのなら、それが幸せだというのなら、その依頼を受けてしまったこちらとしては、なんとかそれを、達成するよう努力するしかない。
「いつまでも幸せに暮らしました、というのは、いい言葉、でしたね。かぐや姫も、そうだったら、良かったのに」
そんなことを呟いたあとしばらくして宇宙人は眠り、なんとなく眠れないまま天井を眺めているのも馬鹿らしくなったので、そっと起き上がって湯を沸かす。結構、いい時間になってしまった。宇宙人は睡眠時間が短くても大丈夫なんだろうか。明日も朝からやることがあるから、眠らないといけないんだけど、でもまあ白湯というのも味気ないのでコーヒーを淹れる。
宇宙人の寝顔を眺めて、なんとなく悪いことでもしたような気持ちになり、軽く頭を撫でて、自分のベッドに引き上げる。そして、童話と宇宙人の関係について思いを馳せる。かぐや姫はいわずもがな宇宙人だし、ウラシマ効果と言われるように、浦島太郎は宇宙に行った説もある。天女の羽衣とかも、ひょっとすると宇宙服を奪われて宇宙に帰れなくなった宇宙人の話、なのかもしれない。そう考えると宇宙人的要素を持った昔話は結構多い気がするのに、宇宙人ないし宇宙人的存在が地球でいつまでも幸せに暮らす昔話に心当たりがなく、大体破局か別離を迎えていて、いや別にこの宇宙人は単に依頼人であって、だから依頼が済めば別離を迎えるのが当然だから、全然かまわないんだけれど、しかしそれがなんだか将来に不吉な影を落とすような気持になる。
「宇宙人は、地球で、いつまでも、幸せに暮らしました、とさ」
だから無理やりそう呟いてみた瞬間、宇宙人はうまい飯を食った夢でも見たのか、ふふ、と笑った。タイミングが良すぎて笑いが零れ、そうして思う。
桃太郎は、普通のよくある話だと思っていたけど、よくよく考えれば変な話で、突っ込みどころは沢山あった。それは言ってみれば桃太郎が昔の話だからで、二十一世紀には二十一世紀の、新しい物語が存在すべきだ。そうして新しい物語では、宇宙人が地球で幸せに暮らすべきなんじゃあ、ないだろうか。いつまでも、いつまでも、幸せに。
いつかそういう物語を作って話してやろう。柄にもなく、そう思ったことを覚えている。
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