本作の登場人物紹介(3)
「ううん。えっと、買い物では、困らないんですよね」
「そうだな。地球――全体はどうか知らないが、こと日本という国においては、大体生活するのに必要なものは通販で手に入るようになっている」
「それでは、お友達と、会えない」
「お友達はいなかったみたいだ」
うむむう、と空は眉根を寄せる。珍しい表情だなと思った。そんなにケーキが大事なのか。しばらくじっと様子を見ると、はっと何かに閃いたように目を輝かせる。
「わかりました」
「ほう」
いつものにこにこ笑顔に戻って空は言う。
「病院に行けない、ですね」
自信たっぷりに言って、えへ、と良い顔をする。だからもう正解と言ってやっても良かったのだが、まあクイズはクイズなので、残念、と告げることにする。
「あれえ」
「お前の地球における外出活動を高頻度順に並べると、買い物・友達・病院の順番になるのは良く分かったけどな。万人がそうと言う訳ではない。訪問診療があるとは言え、確かに病院は外に出ないと診察受けにくいが、別に外に『出られない』訳ではないんだよ。『出ない』だけだからな。単純に病気していなければ別に困ることはなかろう。でも、『外に出ない』と困ることが、一つは確実にある」
「そうでしたか」
残念そうな顔をして、空は唇をとがらせる。里見みたいな顔をしやがって。
「熟成肉とか、外で食べるものが、食べられない」
「確かに自宅で肉を熟成させるのは怖いが……。まあでも、それに近いことはあるだろうな。でもだから、それは『出られない』時には困るだろうが、自分から『出ない』やつの困りごとではないんだって。あと、通販でうまいものは食っているのかもしれない」
「お金が、その、あまり良く分かっていませんが、おろせない?」
「分かっておいてほしいところだが、まあしょうがないな。インターネット、クレジットカード、このあたりがあれば現金を持っている必要は多分ない」
「んんー。髪が、切れない?」
「まあはさみがあれば切れるは切れる。でもちょっとだけ近いかな」
「ほお。大きいお風呂に、入れない?」
「お前にとって散髪と銭湯が近いところにあるのは良く分かったが、えっと、お前くらいの年頃の女の子は、美容室で髪を切るべきだったな。ちょっとそのあたり、里見と話し合っておいてくれ」
美容院に連れて行ってやったこともあるのだが、そのあとはスーパー銭湯併設の床屋でお茶を濁していたのである。気後れしないし、早いし、安いし。これはよろしくなかったかな。反省事案である。
「では、違うのですか?」
「だからそれは『出られない』ならストレスも溜まるだろうが、というところだな。難しく考えすぎだ。問題の出し方が悪かったかな。一応言っておくが、これから向かう先はどこだ」
「猫美のマンションですね」
「その部屋番号は」
「602号室ですね。……だから、この外に出ないひとは、猫美のことなんですよね」
「その通りだ」
確かに、空と会ってからこっち、この筋金入りの引きこもりは結構外に出歩いているから、あまりピンとこないところはあるのかもしれない。とはいえ、空は一時的にとは言え猫美と同居していた時期もあるし――いや、その時は隠していたのかなあ。
「今の時刻は」
「午前7時、12分、のようです」
iPhoneを取り出して空は言う。
「友人を訪ねるには随分早い時間だ」
「そう、なのですか?」
「実はそうなのですよ。里見とかは、早朝六時半とかに押しかけてくる早起きの爺のような習慣があるから意外かもしれないけれど、普通はこんな朝から押しかけたりはしないものなんだ」
「ふむ。では、なぜ、こんな早くから、猫美のところに、行くのですか?」
「だからそれがヒントだ」
うむむん? と言って、空は唇に指を当てる。猫美のマンションが見えてくる。さあ、タイムアップはもうすぐだ。空は朝、早くから、ううん、とぶつぶつ呟いて、そうしてぱっと目を開く。それから、軽く飛び跳ねる。
「わっかりました!」
「そうか、良かったな」
空は少しだけ頬を上気させてにっこりと笑っている。
良いことである。こいつのおかげかどうかは知らないが、世界は今日も平和で、そしてこいつは平和な世界でつつましく暮らすことにどうやら幸せを感じているらしい。考えようによっては随分過酷な青春時代を送ってきたというのに、屈託なく笑える空はなかなか大したやつだと思う。
だったらケーキの一つくらい、買ってやってもいいだろう。
世界の平和と空の笑顔が、今日も明日も明後日も、続くことへの祈りの代わりに。
そのことに気づいて一週間。
『蜘蛛』で記録した映像を何度も見返すが、やはりここの住人――まあ、ようするに猫美――が、配達員に出会う以外でドアを開けることは一度もない。でも、それじゃあおかしいことがある。
結構迷って、結局それでも気になりすぎて、猫美を訪ねることにしたのだった。
その日も訪れたのは早朝だった。
オートロックを開けずに、インターホンを鳴らす。
返事はないが、もう一度。
寝ているかな、と思いながら、これでダメなら諦めようと三度目の呼び出しをかけたところで、応答があった――というか、向こうで受話器を取り上げた気配を感じた。
「えっと、その、どうも、はじめまして。しつこくて申し訳ない。怪しいものではないつもりで、あなたに危害を加えるつもりもない。あなたの助けになるかと思って」
「……たす、け?」
かすれた声で返事が聞こえる。何日も声を出していないような声だった。
「うん。あのな。今日は燃えるゴミの日だろう。ゴミ出しを、手伝ってやろうかと思って」
しばらく沈黙が続く。
「いや、確かに怪しいと思うとは思うんだけど本当に他意はないんだ。迷惑なら、帰るけど」
そう言ってみる。それから7秒ほど沈黙が続き、本気で帰った方がいいかなと思ったところで、無言でオートロックが解除される。
はじめて許可を得た形でマンションの中に足を踏み入れる。6階に行き、再びインターホンを鳴らす。玄関が開く。
そこに立っていたのは高校生くらいしか見えない線の細い女の子だった。狼じゃあなくても、ちょっと強く息を吹き替えたら藁みたいにふっとんでいきそうな子だった。病人みたいな顔色をしている。
「……っ、と、ええっと」
さすがにちょっとだけ動揺した。女の子は無言で部屋の奥に引き返すので、慌ててドアを抑えて、なし崩し的に室内に入る。
だだっ広い、朝日の当たるリビングに、整然とゴミ袋が並んでいた。
「随分、ため込んだもんだな」
「そとに、でたく、ないものでな」
けふん、と咳払いをして少女は言う。
「ご両親はいらっしゃらないのか」
「……ここには、けふ、ひとりで、すんでいる。こほ」
はあ。なんというか、世も末だな。そう思った。
で話は現在に戻る。しばらく色々とごたごたがあって、猫美家のゴミ捨て業務を担当していなかったことを思い出し、猫美に連絡をしてみたところ、結構溜まっているという。こんなもん、担当するべきものではないのだが、まあなんというか、乗りかかった船というか。それで早朝に空を誘って、ゴミ出しツアーに出かけてきたというわけだ。猫美のマンションはもう目の前だ。
「えへへ。危ないところでしたね。そうですか、今日も、ゴミを、捨てるのですね」
「うん。そういうことだ。それが済んだら、そうだな、シアタールームでも借りよう。あそこのライブラリに宇宙戦争があったかな」
「ところで、ケーキの件ですが」
「大丈夫、ちゃんと覚えている」
「ええ、それは、心配していません。それで、これは、風の噂、なのですが、その、フルーツケーキファクトリーの、タルトが、ホールで、買えるというのを、聞きまして」
「はあ。風はそんな世俗的なことを噂しないと思うが」
「これは、なかなか、凄いことだと、思いませんか?」
「別に凄くはないけど、いや、正解者はお前だから、ケーキも自由に選んでいいぞ。いちごのタルト、ホールで買ってみるか」
「いいんですか?」
「別に普通のケーキとさして値段変わらんだろうさ。いいよ。後で予約の電話をいれような」
「やったあ。えへへ」
そう言って空はにっこりと笑う。祈りの代わりにしちゃあ、ずいぶん安い買い物だ。
「それで、泥棒を、始めた、話は?」
「すでに結構泥棒だと思うんだけど」
「まだ、何も、盗んでいませんよね」
「ゴミは?」
「ゴミは、盗むものに、入りません」
もはやまったく登場人物紹介でないこの話は、まだもう少し続くらしい。
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