泥棒は(ようやく)手がかりを見つける。

 結局電話は来なかったがぽつぽつとメールは届いた。多くは性的被害に会われて、その後悩んで子どもを産んだり、産まなかったりした人たちからだった。

 一通のメールに、今まで誰にも言えなかったけれど、弁護士先生のお役にたつならぜひ一度お話したい、と書かれていたのが印象的だった。なんだか暗い気持ちになる。この街に、そんな人間とそんな人間によって悩まされた人たちが結構いるんだな、と嫌な気分になることを実感したこともあるし、弁護士先生のお役にたつのではなくて、謎の宇宙人の身元捜しに使っていることの後ろめたさもあった。すみません、と謝って回りたくなる。


 さすがに(秘密厳守と書いたとは言え)産んだ子を捨てましたという人はメールを送ってこないだろうと思っていたから、自分の体験談として送ってくる人は丁重にお断りしようと思っていたが、なんだか話を聞かなきゃいけないんじゃあないかという気持ちになった。ただ、長内の事務所を借りる訳にはいかないし、この家でというのもどうかと思うので、結局区民センターの談話室みたいなのを一週間抑えて、メールをくれた人たちに、丁重なお礼と、もし詳しくお話を聞かせてもらえるなら、と談話室の場所を送り、面談時間の調節をした。


 区民センターはネットで予約できたのでそうしたのだが、すぐに電話がかかってきた。どうも、営利目的の使用は割増料金がかかるらしい。別に割増料金を払ったって良かったが、結構細かく話を聞かれ、学術的な目的でしたら、通常料金で問題ありませんと言われ、なんだか悪いことをしているような気持ちになった。

 こんなことで悪いことをしているような気持ちになるくらいだったら、泥棒なんてするなよ、という感じではあるが。


 翌日から、区民センターの談話室に詰める。メールの返信がない人もいたが、空いている時間と場所は送付したから、突然来る人もいるかもしれなかったし、部屋の借主がいないというのもおかしい。基本的にはやることがないからぼうっとして益体もないことを考え、人が来たら話を聞く。


 当たり前だが楽しい話ではなく、なるべく事務的なふうを装いながら話を一応ノートPCで記録し、図書カードかQUOカードを渡して送り出す。話しながら泣き出してしまう人もいて、物凄く悪いことをしているような気持ちになる。これも言ってみれば、情報の泥棒だよな。そう思うと皮肉な気分だった。


 ただ、人に言えることじゃあなかったから、話を聞いてもらえて良かった、という人がいたときだけは救われたような気がした。でも大多数は気が滅入るような話で、一日が終わると胸の奥に薄い膜がかかって、針かなんかで突き破ってやりたいような気持になった。


 三日目の夜。たぶんしんどかったんだろう。猫美に電話を掛けて、

「これから、飯でも食わないか」

 そう誘ってみる。

「う、あ、そ、それは、そうか。ありがたい誘いだと思うが、い、今はちょっと、その、忙しいな。すまん、真城」

 とさっくり振られた。


 そうですか。動揺しているのでなんとなく分かったが、空は里見の、いや甲賀の家を出て、猫美の家に居候しているのだろう。なるほどな、と思った。そう言ってくれても良かったのだが、猫美が優しい奴だというのはここ数日で良く分かったので、だからたぶん言いにくかったのだろう。

「いや、突然済まなかった。色々、よろしく頼む」


 気分を明るくしたくて、沖縄料理屋に行ったら沖縄料理屋なのに麻婆豆腐が異様にうまくて、なんだか異世界に迷い込んだような気分になった。

 ただ、少し元気は出た。まだメールもぼちぼちは届いているし、とりあえずあと数日、頑張ろう。そう思った。


 ひとまず部屋を借りた最終日。これもダメかあ、と思ったところに、連絡なしで訪ねてきた人がいた。俺の顔を見て、あれえ、なんて驚いている様子で、どうかしたかと思ってよくよく顔を見ると、あの大風の日、俺の腕を手当てしてくれたおばちゃんだった。

 その節はどうも、なんて挨拶を交わして、あの後アパートの取り壊しが始まったことなんかを話す。


「ごめんなさいね。連絡もせずに。ただ、どうしても気になって。これ、私の話じゃなくてもいいのよね?」

「ええ、ええ。むしろ、当事者でない方が、客観的に物事を見られていることもありますから。何か、心当たりが?」

「私ねえ、そう、あの時、十何年か前に、似たような大風が来たって言ったじゃない? それでちょっとね、思い出したんだけど」

 そういえばそんな話で盛り上がった。

 親父が教師で、道の教員だったから、十代のころは、北海道でもまだ南の方に住んでいて、だから俺の記憶にはなかったのだが。


 おばちゃんが気になって調べてくれたところによると、前の大風はちょうど16年前の、全く同じ日に来ていたようだ。なんだかわからないが、これは核心に迫った気がする。身を乗り出して話を聞いた。

 あの頃、おばちゃんは三人目の子どもを妊娠中で、だから妊婦が目に付いたのだという。そして、高校生くらいなのに妊婦に見える子を見かけた記憶がある、と言うのだった。当時おばちゃんはあの山の近くに住んでいて、近くのスーパーに買い物に行ったりすると、時々暗い顔をした若い妊婦がいて、なんだか気になっていたそうだ。


 そして。十六年前の大風の日の後、その子の姿を見ることがなかった。


「だからねえ。なんだか、あの風の日のあと、気になっちゃって。そこにこのチラシが来たでしょう。なんか、この話しなきゃあいけないって気持ちと、でもこんなこと話してもしょうがないって気持ちがあって、迷ってたんだけれど。あなたがいるとは思わなかったわ。偶然って、重なるのねえ。全然具体的じゃあなくて、ごめんなさいね。でも、きっとあの子、望まぬ妊娠ってやつだったのかなあ、って思うと、私、何かしてあげたら良かったんじゃないかって思ってて。いっつも悲しそうな顔しててねえ。声をかけたら良かったのかしらねえ」

 

 十六年前の大風。

 全く同じ日。

 あの山の近く。

 高校生くらいの妊婦。


 証拠があるわけではないが、条件が揃いすぎている。間違いない、と思った。

「その、その子、名前とかは分かりますか。もちろん、秘密は厳守します。あなたの名前も、もちろん伏せますから」

「それがねえ。分からないのよねえ」

「高校生くらいって言いましたよね。なぜそれが分かったんです」

 ううん、と考え込んで、おばちゃんは言う。急に顔が明るくなった。

「ああ、分かったわ。あの、その子をね。多分、その前に見たことがあったの。制服姿でねえ。だから、きっと高校生って分かったのね。あら、なんだかすっきりしちゃった。これだけでも良かったわね、話に来て」

「制服、どこのかわかりますか」

「たぶん、耶麻高校のだと思うけれど」

 大急ぎで検索する。くそ、昔の制服が分からん。とりあえず今の制服を見てもらうが、ううん、確かにセーラーじゃなかった気がするけれど、と自信なさげだ。まあそりゃあそうだろう。あとで詳しく調べよう。

「ありがとうございます。大変、有力な情報でした」

「そう? なら、良かったわ」

「もう一つ。すいません、その子、こんな顔じゃあなかったですか」

 そう言って、スマホに保存した空の写真を見せる。

「ああ……言われてみれば、そうかもね。もっとこう、なんていうのかしら。化粧も濃くてね。茶髪で。でも、すっぴんにしたら、こういう感じかもしれないわね」

 なるほど。そうか。確かにそりゃあそうだ。女は化粧で化ける訳だが、その点を考慮に入れるのを、すっかり忘れていた。それは覚えている人間が出てこない訳だ。


「その顔を見て、もう一つ思い出したわ。その子、えいちゃん、って呼ばれてた気がします。あのね、時々、その……毎回違う男の人なんだけど、男の人と歩いていることがあった。その時に、えいちゃん、って聞いた気がするわ」

「えいちゃん。なるほど。ありがとうございます」


 十六年前に、耶麻高校に通っていた、えいちゃん。この子が――といっても、今はもう俺よりも年上なんだけれど――本当に空の母親なのだとしたら、物凄い前進だ。あとは本人が生きていることを祈るだけだ。


 結局情報を持っていたのは以前近所にいたおばちゃんで、しかもあの時ちょっとうちに寄って行かない、なんて提案を受けていたから、そこでちょっとお茶でも飲ませてもらって話を聞いていれば、こんなに遠回りをしなくても良かったかもしれない。

 まあ考えても仕方がないことだ。ちょうどその後一件、別の情報提供者が来る時刻だったので、はやる気持ちを抑えて話を聞いて、その提供者が帰るなり、里見にLINE通話を飛ばす。

「あ、光平。あの、今、ちょっとごめんね、忙しくて」

 みんな多忙だな、おい。

「すまんがこっちも結構急ぎだ。空の母親かもしれない人の情報が入った」

「え!? ちょっと、あ、そ……ううん、なんでもない、えっと、ちょっと、ちょっと待ってね。かけなおすから」

「分かった。待ってる」

 じりじりしながらスマホを睨む。三分後、LINEの着信があった。

「もしもし。ごめんごめん。ちょっとその、色々あるのよ高校生にはさ」

「いいよ」

 空と遊んででもいたんだろう。それは良いことだ。別に隠すこともないんだけど、たぶん里見は里見なりに気を使っているんだろう。


 手に入れた情報を話す。えいちゃん、とやらが卒業したかは知らないが、卒アル作戦でそういう子が見つけられるか、そうじゃなくても、同学年帯の人間の連絡先が知りたいと伝える。教師でもいい。

「わかった。なるべく早く行ってみるね。ていうか今から行ってみる」

「なんだ、結構お前らの高校の近くだろ。まだ行ってなかったのか。張り切って行ってるもんだと思っていたが」

「そ、そうだよね。ごめん。ちょ、ちょっとね、そのね、えーっと、そう、夏期講習! 夏期講習があって」

「そうかそうか。大変だったな。勉学に励んでいる中悪いが頼む」

 絶対嘘だと思うが追及はしないことにする。気ばかりはやって仕方がない。いっそ耶麻高校まで行こうかと思うが、行って空と鉢合わせでもしたら気まずいし、まだこの部屋は抑えているので我慢して待つ。区民センターの貸借時間が終わり、急いで家に帰るが、急いだところで何も変わらないということに気づいたのは家に着いてからだった。


 しばらく待っていると、ようやくLINEが飛んできた。この子じゃない? という吹き出しの後に、写真。なるほど。確かに空の面影がある、ような気がする。英清子。はなぶさ、と読むんだろうか。音読みでえいちゃんか。なるほど。すぐさま電話が来た。

「どうかな、似てる気がしない?」

「これだけ見せられても判断できないが、条件は揃っている気がする。卒業はしているのか」

「していないみたい。だから信憑性があるよね。無理言って昔の生徒の写真見せてもらったんだ。連絡先も分かったけど、ここに今住んでいるかなあ」

「それだけ分かれば十分だ。その連絡先も送ってくれ。ありがとう、お手柄だな。礼はする」

「いや、結局卒アルには載ってなかったからね。別に。あ、でも。そうだなあ、じゃあMKPちょうだい」

「あ? ああ、いやそんなもんいくらでもやるが」

 突然何を言い出すのか、この娘は。

「いくらでもはいらないよ。えっとね、25ポイント」

「25ポイントでも50ポイントでも好きにしろ」 

「おっけー。ありがと、確かにいただきました。領収書書こうか?」

「全然いらない。それより連絡先を」

「LINEで送るね」

 連絡先を見る。いわゆる風俗街のあたりのアパートだ。なんとなく頷ける。まさか今でも住んでいるということはなかろうと思ったが、案の定表札は全然違う人間の名前だった。念のため訪ねてみるが、ただ訝しい顔をされただけだ。管理会社の住所だけを控えて逃げるように帰る。


 管理会社に尋ねても直接は教えて貰えないだろう。個人情報にうるさい世の中になっちまったからな。ただ、引っ越し先を調べるのは、そう難しいことではない。

 悪人には悪人の、泥棒には泥棒の方法があるからだ。

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