泥棒は祝杯をあげる。

 さて。これで、何もかも解決、とはいかないが、とりあえず依頼はほぼ完了と言っていいだろう。少し、休みたい。

 家に帰って、それから夜まで、夢も見ずに眠った。

 

 そして夜。猫美から電話があった。

「やあ、真城。この間は食事の誘いを断って悪かったな。さっき空さんから聞いたよ。母親、見つかったんだって? 祝杯でもあげないか」

 そういやあ、今日は何も食ってない。腹が減った。

「ありがとよ。お前の家に行っていいか」

「あ、いや。せっかくだ、外で食べよう。ちょっと気になる店があるんだ。場所をメールするから、現地集合で」

 猫美が外で食べようなんて言い出すとは思わなかったから少し意外だったが、外に出るのは悪いことではない。すっかりひきこもりの称号は返上する気になったようだ。軽くシャワーだけ浴びて目を覚まし、場所を調べて出かけることにする。

 適当な恰好で行ってしまったが、かなり上等なレストランで、タイを絞めてないお客様はお帰りください、なんて言われそうな雰囲気で少し尻込みする。タクシーが停まって、猫美が降りてくる。若干ごてついているが、猫美もドレス姿だった。

「おい、こんなすげえ店だったのか。フォーマルな格好で来いって言っといてくれよ」

「いやあ、大丈夫だろう。真城のスーツ姿にはちょっと興味があるがな」

 大丈夫ではあったが、周りの客とは若干乖離しており、次があったら店の格もちゃんと教えておいてくれ、と言い含めておく。母親の話は、そんなに楽しい話でもないので少しだけで、空の話はなんとなくしづらかった。だから、沖縄旅行でもしようかと思っているが、どうだろうみたいな話をしていた。

 猫美は困ったように笑っていた。

「あ、そうだ。石君、いや、この間の男な。あいつも、そこまで悪人ではなかったらしい。実は、その、空の母親の知り合いみたいでな。だから、警戒しているならレベルを下げていいぞ」

「ふうん。いや、すっかり忘れていたが、了解した」

「なんだ。てっきり、携帯の検索履歴を監視していると思ったのに」

「そんなことするのは、君くらいだ」

 そうかい。何故ターゲットにされてしまったかは良く分からないが、基準を聞くのはやめておいた。泥棒を警戒しているからだ、とか言われたらちょっと気まずくなりそうだし。

 飯はさすがにうまくて、ちょっとだけ空の顔がよぎった。ちょっとだけ、だ。いざ会計となって、てっきり割り勘のつもりでいたが、猫美が払ってくれると言う。というか、気づいたら会計が済んでいた。

「おい、ここ安くはないだろう。払うって」

「いや、私が誘ったんだし、これはその、お祝いだ。気にするな。これでも結構稼いでいる」

「そうかい。いや、しかし。そういうのは男のセリフだろう。お前、ひきこもりの割にスマートだな」

「じゃあ、次は君が払ってくれ。招待を待っている」

 分かったよ。ありがとな。今度はもう少し気の張らない店になるだろうが、どこか探しておくよ。

 食前酒を一杯と、ワインを少々、というだけだが、完全に酔っていて、帰ったら風呂も入らずに眠ってしまった。


 翌日。

 すっかりやることがなくなり、やることがないのも久しぶりだなあ、と思う。シャワーを浴びて本屋に行って、沖縄旅行のガイドブックを買い込んで、家で眺める。沖縄に住むのもいいよなあ。

 良く考えたらこの街に住み続ける理由はほとんどない。そんなことを考えてぼんやりしていたら夜になっていた。いつもの感じだな。ずっとこんな感じだった。これから先も、そう大きくは変わらないだろう。


 飯を作るか、と思って、台所に立ったところで、着信があった。石君だ。

 え? 石君? もう話すこともないと思ったが。英に何かあったか?

「なんだ、どうかしたか」

「そ、その、あのですね。あの、怒らないでくださいね。ええと、その。空さんを預かりました」

「なんだと」

「ひ、ええ、ええっと、あの、怒らないでくださいってば。その、うちで待ってます。いいすか。ちゃんと鍵を掛けてきてくださいね」

 訳が分からなかったが、一応『蜘蛛』を持っていこうと思う。が、『蜘蛛』は忽然と姿を消していた。

 どういうことだ? 石君が持って行ったのか? 

 どうやって? なんで『蜘蛛』のことを知っている? 


 空に電話を掛けるが、出ない。焦りながら、念のためガムテープを持って、またアクセルを全開にして、石君の家に向かう。アパートの階段を駆け上がると、両手を挙げた石君がドアの前に立っていた。

「なんのつもりだ」

「い、いや、その、これには深い訳が。じ、実は、空さんを預かったというのは嘘です。すいません。そ、それでですねえ。お、おれと飲みに行きませんか。いや、行きましょう。スクーターは、そこに置いといて大丈夫ですから」

「何を言っている」

「ほんと、すいません。あの、おれを助けると思って。とにかく、お願いします」

 

 さっぱり訳が分からなかった。ただ、石君は必死の形相で頼み続ける。

「本当に空はいないんだろうな」

「なんだったら確認してもらっても。あ、鍵は開けてもらってもいいです」

 もし石君が『蜘蛛』のことを知っていて、『蜘蛛』を盗んだのだとしたら、鍵を開けられないことを知っているはずだ。

 これは俺を試しているのか? 

 それとも、『蜘蛛』のことなんて何も知らないのか?


 さっぱりわからなかった。ただ、室内に人の気配はないし、スマホで『蜘蛛』を起動しようとしても圏外だった。つまり、この近辺に『蜘蛛』はない。

 このスマホがないと『蜘蛛』は使いようがないから、持って行った奴はお気の毒だが、まあ、そのことは後で考えよう。


「まあ、いい。分かった。で、飲みに行くってのは、なんだ」

 そう言う。切り札を持っていないことをわざわざ知らせる必要もない。

「いや、だから、酒を飲みましょう。ね、パーッと、やりましょう」

「石君とパーッとやる理由はないんだけど」

「と、とにかく。あ、じゃあ姐さんの店に行きますか?」

「それはなんか嫌だ。どこでもいいのか? だったらな、一度スクーターを家に置いてくるから。どこかで合流しよう」

「わ、わかりました。じゃあ、あの、おれも車で着いていきます」

「お前が車で来たら、飲めないだろうが」

 訳が分からない。どうしたんだ。


 とにかく行きましょう、大丈夫です、代行とかもありますから、と追い立てられるように言われ、なんだか狐につままれたような気分になりながら、一度家に帰って、石君と連れ立って沖縄料理屋に行く。

 何この無駄な工程。

 良く考えたら石君は俺の家を知っている訳だから、それでいいならお前が来れば良かったんじゃあないか?

「まあまあまあ。細かいことはいいですから。さ、飲んでください。どうぞどうぞ」 

「もう、いいよ。俺は、酒が、弱いんだ」

「いや、もう一杯。もう一杯だけ。ぜひ」

「お前、飲んでないじゃないか」

「おれは車なんで。さ、どうぞどうぞ」

 もう考えるのも面倒くさくなって、すすめられるがままに酒を飲む。もう知らん。

「いいですか。真城さん。これから大事な話をするので、良く聞いてくださいね。まず、不用心なのは良くないので、絶対に鍵を掛けて寝てください。いいですか。ただですね。いいですか、チェーンはかけないでください」

「なに、いってるんだ、おまえ」

 酔っているので話が全然入ってこない。

「今ですね、話題の悪霊知ってますか。その、ドアチェーンがね、チェーンが掛かっていたせいで、家に逃げ込めなくて、殺されちゃった子がいるんです。その子の悪霊がね、ドアチェーンを掛けている家を見ると、もう、見境なくその家主を殺して回るそうです」

「そりゃあ、こわいはなしだなあ」

「信じてないでしょう。本当なんです。今日はその子の月命日で。だからね。鍵は絶対に掛けてください。でも、チェーンだけはだめです。殺されます。悪霊に、殺されます」

「うちはほら、あの、チェーンじゃなくて、なんていうの? ぱっちんてやるやつだぞ」

「もっとだめです。まさに、その、ぱっちんてやる奴を開けられなくて、その子は殺されたんです。てきめんに恨まれますよ。頼みますから、チェーン掛けないでください。でも、鍵はちゃんと掛けてくださいね」

 なんなのこいつ。訳が分からないことばかり言う。わぁかったわかったよぉ。


 石君の車に送られて家に帰る。石君は玄関口までついてくる。

「なんだよ。あがっていくのか。ふとんなら、あるぞ」

「いえいえ。車で帰りますから。ただね、その、チェーンが」

「ちぇーん、ちぇーんって、うるせえやつだなあ。おまえは」


 玄関口で石君と別れ、言われたとおりに、鍵を掛ける。そして、チェーンを見つめ、「青い象のことだけは考えないで」という話を思い出す。「あの、チェーンは」と外から声が聞こえる。わかったよ。根負けしてチェーンは掛けないままにした。


 石君の言う悪霊に取り殺されたって別に構わないと言えば構わないのだが、なんだか必死なようだったし、まあ、空を長内と英に紹介するまでは、死ぬわけにもいかない。

 ただ、別にそれは俺がやるべきことという訳でもなく、ていうか、もう何もないか。俺がやるべきこと、なんてのは。もう、全部、おしまいだ。お疲れ様でした。

 そんなことを思いながら、布団を適当に敷いてそこに倒れこんだ。


 そんなわけでこの長かった、現実的なんだか非現実的なんだかわからないお話ももうおしまいだ。

 あの宇宙から来た地球人との短い共同生活。ちょっとしたドタバタ。それももう終わった。彼女がこれからどうなるかは誰も知らない。自分がこれからどうなるのか誰にも分からないように。彼女は彼女なりに人生を切り開いていくだろうし、それも誰もが同じことだ。

 だからそう、できることは祈ることだけだ。みんなが幸せでありますように。道筋がなるべく美しいものに溢れていますように。 

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