泥棒は(久しぶりに、あるいは、やむを得ず)盗みを働く。

 帰宅後、風呂に入って足に湿布なんか貼っていると、着信があった。知らない番号だ。空の手がかりがなんかあったか、と思って出てみると、おなじみの駅前交番のおっさんだった。ちょっと期待したが、全然内容は期待外れだった。

「あ、真城さんね、やっぱあんたさんか。あんたさあ、駅の駐輪所にずっと原付停めっぱなしじゃないかい」

「あ」

 空と二人で移動することが多く、スーパーカブに乗ることもないからすっかり忘れていた。延長料金が取られるが、まだ停めてはあるということで、取りに行くことにする。空は着いてくると言ったが、そうすると無駄にスーパーカブを押して帰ってくることになるので、すぐ戻るからと宥めて留守番を頼む。駅まで行って延長料金を支払い、久しぶりにスーパーカブに乗って街を走る。うん、これはこれでいい気分だ。この仕事が終わって、一人に戻ったとしても、それはそれで別にいい。いいはずだ。駐車場はそういえば契約してないが、まあ駐輪場に停めておいて、あとで大屋か不動産屋にどうしたらいいか聞こう。


 部屋に帰って鍵を開けようとするが、鍵が開いた感覚がない。あれ、と思ってドアノブをひねると、鍵は開いていた。おかしいな。家を出るときに鍵は掛けたと思ったが。まだ住み慣れていないから、回す方向を間違ったか。不用心だったな。

「ただいま。鍵がかかってなかったぞ。こっちもぼうっとしてたが、ちゃんと鍵をかけないと危ないこともある。まあ滅多にはないだろうが」

 声を掛けながら部屋に入るが、テレビはつけっぱなしなのに、誰もいない。心拍数が上がる。

「空、おい、空? いるか?」

 押入れまで開けて問いかけるが、返事はない。血の気がひく。

 空の携帯を鳴らす。つながったと思ったら、電話口の向こうで物音がして、男が何やら言っているような声が聞こえて、そして電話は切れた。


 なんてこった。


 しまいこんでいた『蜘蛛』を取り出して、電源を入れる。薄い手袋をつけ、引っ越しに使ったガムテープとはさみを無理やり上着のポケットに突っこんで、ワイヤレスのイアホンを着け、階段を飛び下りながら、猫美に電話を掛ける。

「全然事情がわからんが、空が誘拐された、かもしれない。部屋にいなくて、電話をしたら男の声が聞こえて電話を切られた。居場所はわかるか」

「何だと? ちょっと待て。空さんの電話番号は」

「すぐわからん。折り返す」

 もどかしい。通話履歴を見て、番号を確認し、再度猫美にかけ直し、番号を伝える。

「ちょっと待ってろよ。iPhoneか。しかも新しいやつか。不幸中の幸いだ。結構な精度で場所がわかる。警告のメッセージも送れなくはないが、どうする」

「電源を切られたりしないか」

「切られても問題ない」

「じゃ、一応、そいつに手を出したら一生後悔するぞ、と送っておいてくれ。それで、どこだ」

「移動中だ。これは、車かな。ええと。環状通りのほうだな。東に向かっているみたいだ」

「了解。とりあえずカブに乗る。悪いがそのまま通話状態にしといてくれ」

 スーパーカブを発進させる。原付の制限速度は時速30 kmだが、緊急事態なのですいませんと誰にともなく言い訳をして、アクセルを全開にする。するが、なにしろこいつもおんぼろだから、時速60 km出すのも一苦労だ。さすがに信号無視は死ぬので赤信号は停まらないといけないが、マニュアルなので停まるたびにギアを手動(足動)で落とさないといけないし。やきもきする。

「君の位置も捕捉した。方向は概ね合っている。東13丁目で右折だ」

「助かる」

「向こうの車は停まったみたいだ。携帯を持って移動しているかまではわからないな。ちょっと入り組んだところだから、ナビを良く聞いててくれ」

「了解」

 二段階右折も省略して、東13丁目で曲がる。住宅街だ。小道を二度左折して、スピードを落とす。アパートの前で、猫美ナビは終了した。

「ここか」

「おそらく。君のiPhoneと空さんのiPhoneの位置はほぼ重なっている」

 アパートの駐車場の車のボンネットを触って回る。まだ暖かい車が一台あり、おそらくこいつが"犯人"の車だろう。ナンバープレートを写真に収める。わりと古いアパートで、各戸の玄関が直接外につながっているタイプだ。二階建てで、見える範囲で10室か。郵便口にガムテが貼ってある部屋が3室。電気がついていない部屋が2室。単純に考えれば、確率は5分の1か。

 『蜘蛛』は概ねどこでも移動できるがスピードは遅い。何が目的かは知らないが、悠長に一部屋ずつ『蜘蛛』を這わす気にはなれなかった。少し危険な賭けだが、仕方ない。

「空! いたら返事しろ!」

 あらん限りの声で叫ぶ。2階の道路側の方から、かすかに、光平、という声が聞こえた。と同時にカーテン越しに物影が動く気配。正確には、声の正体を見極めようとしてか、何部屋か物影が動いてはいたが、カーテンをめくるのではなく、窓側に寄った影を引き戻す気配。あそこだ。

 警告の意味を込めてチャイムを鳴らし、即座にドアノブを回すが鍵がかかっている。しゃらくさい。郵便受けから『蜘蛛』を突っ込み、鍵を開ける。ご丁寧にチェーンまでかけてやがったが、こんなもんは『蜘蛛』を使うまでもなくコツさえわかれば棒状の物があれば外せる。はさみを使って開けてやった。靴を脱がずに室内に入り、空をクロゼットに押し込もうとしていた男の首根っこをつかむ。

「なんだ、なんなんだあんたは」

 男が何か言うが知ったことではない。

「光平!」

 空は半泣きだったが、笑顔を浮かべる。どうやって入ってきたんだ、とか、なんでここが、とつぶやく男を引きずり倒し、空の手を掴んでクロゼットから引っ張り出す。

「悪いが、ちょっと待っててくれ」

 そう言って、倒れたまま呆然としている男の上に伸し掛かり、腕を抑える形で跨る。ポケットに突っこんできたガムテープを取り出す。目と口と鼻をガムテープで塞ぐ。息はできるだろうが、ちょっとした閉塞感を味わってもらおう。そのまま方向を180度変え、足もガムテープで巻いてやる。

 それから立ち上がり、顔のガムテープを外そうと伸ばした手を抑えて、胸の前でこっちもがっつり巻いてやる。

 はい、お疲れ様でした。

 冷静にやってるように見えるかもしれないが、内心は心臓がばくばく言っている。暴力は慣れてないのだ。

「空、大丈夫か。怪我とかしてないか。何もされてないか」

「はい。あの、その人は」

「知らん。なんなんだこいつは」

「ええと。光平が、出て行って、すぐ、チャイムが、鳴りました」

 特に警戒もせずに空は鍵を開けたらしい。

 しまった。そのへん、ちゃんと教えておくべきだったな。全然知らない男が立っていて驚く空に、男は週刊誌の記者で、母親を探す手伝いができるかもしれないと言ったらしい。

 空は動揺し、「光平が帰ってきてから」と答えたらしいが、強引に手をひかれ、車に乗せられたという。どうしたらいいかわからないまま、スマホも取り上げられて、この部屋に連れ込まれたというわけだ。良く分かった。こいつにはかなり重めの嫌がらせが必要だ。

 髪も含めた顔全体と、腕と足にガムテープを追加で巻いてやる。ポケットを探るが空で、リビングに戻ると財布がおいてあったので、財布の中を見る。運転免許証があったのでとりあえず写真を撮ってから、名前と年齢を確認する。ついでにスマホも見つけたがロックがかかっていたので、それを持って男のもとに戻る。口を塞いだガムテープを乱暴にはがす。男はぜいぜいと必死に呼吸をしている。

「なん、なんなんだ、あんた、お前、こんなことして、許されると、思ってんのか。こっちは、お前の、家も、つかんでるんだぞ」

「誘拐犯が何を言う。しかも今のは恐喝だ。まあ、そんなに言うなら後で警察を呼んだっていい。お互いに話を聞いてもらおうじゃあないか。今すぐそうするか」

「な、だから、なんなんだ、どうやって、ここにきた」

「宇宙的パワーがあるんだよ」

 まあ、iPhoneの場所はGPSで捕捉されており、GPSは人工衛星の情報を利用したシステムで、人工衛星は宇宙にあるから嘘ではないだろう。

「三つ質問をする。一つ目。目的はなんだ」

「しゅ、取材だ。雑誌の記事になると思ったんだ。み、身元を探しているっていうから」

「二つ目。なんでこの家に連れ込んだ」

「や、やましい気持ちはない! 本当だ。ただ、その」

 男は口ごもる。

「ただ、なんだ」

「その。姐さんが、いや、違う。そうじゃあなくて」

「なんだ。黒幕がいるのか。そいつに売り飛ばそうとでもしたか」

「い、いや違う、そうじゃない。写真、そう、写真をな、撮ってグラビアかなんか載せれば、もっと身元が分かりやすくなるだろうと思って」

「うちでやりゃあ良かったじゃないか。なんで一人のときを狙った」

「い、いや、その。け、警戒されると、思って」

「警戒されるようなことをしているだろう、実際」

 まあ、空にひどいことをしようと思って連れてきたわけではないみたいだが、しかし、当然完全な厚意でもなさそうだ。

「三つ目。お前のスマホの暗証番号を言え」

「な、なんでだ」

「いいから言え」

 ロックを解除し、猫美に着信を入れる。たぶん意味は分かってくれるだろう。送信履歴を消し、一応”宇宙人 誘拐 犯人”とだけ検索しておいた。

 それから、簡単に部屋をあさる。雑誌といっても、ゴシップ雑誌と、それからいわゆるエロ物の雑誌が並んでいて、嫌な気分になる。空が服の裾をつかんでついてきているので、少し離れてろと言うが、空は黙って首を振る。

 しかたないから、良いというまで目をつぶってろと伝えて、ざっと中身を見る。ナンパ物とかって、プロに依頼してるんじゃあないのか。マジでナンパしたりすることもあんのか。参ったな。

 最近、そりゃあ法務局の事務員は多少むかついたけれども、会う人会う人が善意に満ちていたから油断していた。


 世の中にはこうやって、他人を食い物にしようとする奴もいるんだった。

 それをすっかり忘れていた。


 玄関に空のiPhoneがおいてあるのを見つけ、本人に返そうとするが、ぎゅっと目をつぶっていたので、もう目を開けていいぞと伝える。男を見ると、腕のガムテープをかみ切ろうとしているので、顔を上げさせ、再度口にガムテープを貼ってやる。台所に行って包丁を借り、一応鼻のあたりに穴をあけておいてやる。ちょっと鼻の下が切れたかもしれないが、まあ、しょうがない。呼吸ができないと人間は死んでしまうので、人命救助のためと言って言えなくもない。心臓マッサージもしてやろうかな。


「耳も塞いでるから聞こえにくいだろうが、良く聞け。お前の雑誌とやらを見せてもらったが、たぶん役に立たないだろうから、記事にはしてもらわなくて結構だ。何かあればこっちから連絡をするから、そっちからは関わらないでくれ。警告を無視するようなことがあれば、何度でも遊びに来る。何度でも同じことをする。今回は、はじめてだから多少遠慮したけどな。仲良くなったらその限りではない。わかるだろう。鍵をかけても無駄だということも分かったか。いつだって遊びに来てやるから覚悟するといい。それから、一応カメラとICレコーダは預かる。中を調べたら返してやるから、コンタクトを取ろうとするな。もし万が一、こいつのことが記事になったら、それに携わったのがお前じゃなくても、お前だとみなしてまた遊びに来る。いいな」

 良くわからんが頷いているようだ。

「じゃあな。一応、不用心だから鍵は掛けといてやる。包丁が近くにおいてあるから、怪我しないように気をつけろよ。それじゃあな」

 むー、むーと呻く声が聞こえるが、それを無視して立ち去る。

 

 全身ぐるぐる巻き、とはいえ腕と体は離れているし、近くに包丁も置いといたから、まあ、脱出は可能だろう。ようするに、嫌な気分になってもらえばいいのだ。玄関まで行ってふと気づく。

「あれ。空、靴は?」

「急だったので、履くことが、できません、でした」

「また裸足で歩かされたか。気の毒にな。しょうがない、こいつの靴を借りるか。なんか気持ち悪いけど」

「おんぶでは、ないのですか」

 手を伸ばしかけていた空がやや不満そうに言う。おんぶに何度も悩まされる日がくるとは全く思わなかった。どいつもこいつも。おんぶ屋でも開業するか。

「わかったよ。下までな。ただ、靴は履いてくれ。先にタクシーで帰ってもらう。カブに乗って帰らなくちゃいけない。ここに置きっぱなしはさすがにまずいからな」

 空はいやいやとかぶりを振っていたが、おんぶをしながらスーパーカブを押していくとか相当しんどいので、必死で説得をして、今まで食べたことがないであろう和菓子を買って行ってやるから、と最終兵器を繰り出す思いで言うが、まだ受け入れてもらえない。結局、和菓子を後で一緒に買いに行く、という条件でなんとか受け入れてもらう。いや、まあ、ちょろいな。ちょろいわ。


 外に出て、『蜘蛛』でちゃんと鍵をかけておいてやる。親切のためでもあるし、物音で人が入ってガムテープ脱出ゲームを楽にクリアされても困るからでもある。空が背負われたまま、物珍しそうに『蜘蛛』を眺めているのを背中越しにちゃんと感じる。


 後で、ちゃんと説明しなくてはいけない。何もかも。ちゃんと。


 猫美に電話をして、空の無事を伝えて礼を言う。タクシーを呼んで、空を乗せる。住所を伝え、空に近くに行ったら道順を説明するよう言い、お金を渡す。そして、カブにまたがって、今度は制限速度をきちんと守り、必要なところでは二段階右折もして帰る。


 ちゃんと、説明してやらなければいけない。


 この世の中には、悪い奴もいるのだ、ということを。

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